◆ 白髪の狂戦士
「チャプラ姉ちゃん…」
屋根を飛び立ち、家の間を飛び越え、開いた窓をすり抜け、嵐の只中に飛び込んだ。
其処で見た光景は凄まじいの一言だった。
多くの家具は元の形を失い、崩れ、千切れ。
床の大理石はひび割れ、ところどころ抉れている。
その嵐の中心で暴れる二足歩行の白い獣。
目を真っ赤にしながら、真っ白な髪の毛を逆立てている今の彼女は、いつもの理知的で穏やかな様相とはまるで真逆。
知性も品性も無くし、全てを暴力で解決しようとしている。
…このままでは、姉ちゃんが組織の人間を『殺して』しまう…!
敵対組織となら、殺し合いは日常茶飯事。
俺はあまり好きではないが、双子達は縄張りに無断で入り込む鉄砲玉を毎日の様に片付けている。
だが、仲間内での殺し合いは御法度。
多分、此処はキビシュの屋敷。
襲われていた男が誰だか知らないが、キビシュ本人の可能性が高い。
もし殺せば、間違い無く指名手配。
そして『仲間殺し』をした者は、他の組織の連中からも信用されない。
完全に孤立無援となる。
そうなると当然、真っ先にチャプラ姉の殺害命令を下されるのは、部下である俺達。
踏み絵…というやつだ。
つまり、此処で俺が、彼女を止めないと、詰む。
「姉ちゃん!!」
荒れ狂うチャプラ姉を前にして、俺は怒鳴った。
だが、彼女の眼はこちらを見ない。
彼女の耳は何も聴いていない。
部屋の隅、暖炉の陰に隠れている男にだけ向けられている。
ガタガタ震える男の整えられていたであろう髪型は乱れ、千切られ、ボサボサ。
服は引き裂かれ、下に着込んだ帷子は凹んでいる。
口と鼻から血を流し、チャプラ姉を凝視しながらガタガタと震えている。
猫に追い詰められたネズミの様に、毛を逆立てながら身を縮こまらせていた。
「…アタシ…家族に手を出ス奴…、コロス!!」
怒りの咆哮が部屋を震わせる。
男は両耳を押さえながら泣いていた。
まるで竜巻の中心に迷い込んだかの様。
『蒐集家』の男達は、振り解かれない様に必死の形相で、チャプラ姉の両腕にしがみついている。
男二人分の重石のお陰でチャプラ姉は歩けない。
幾度か床に叩きつけられたのだろうか、彼等のズボンは血の染みで赤黒く染まっている。
そこまでしても、暴れる彼女を完全に止められている訳でもない。
でも、彼等のお陰であの男はまだ生きている。
大きな木片がチャプラ姉達の上に降り注いでいる。元は立派なテーブルだった物だ。
一部は天井を貫いて、ぶら下がっている。
床に落ちる破片の音は決して軽くない。寧ろ、石板が落下する時の様な重い音。余程硬くて重い木なのだろう。
「これを、あの一瞬で…」
あの時、俺は目を離さなかった。だが、気付いた時には机は割れて飛んでいた。
落下する木片を防ごうと、彼女は反射的に腕を振る。
木片は、しがみついている『蒐集家』達の身体にぶつかり、弾かれて部屋の至る所に飛び散って行く。
俺は目の前に飛んで来た木片を、すんでのところで躱した。
その木片は、俺のナイフ並の速さで背後の壁に突き刺さった。
「チャプラ姉ちゃん!!!」
再度叫ぶが、彼女には全く聴こえていない。
彼女は、傍に残っていたソファ目掛けて腕を振る。
『蒐集家』の身体で弾かれ、大きなソファが勢い良く飛んでいく。隅で震えている男目掛けて。
間一髪、暖炉のレンガに弾かれ、男のすぐ横の壁にぶち当たり、砕けた。
「狂戦士化だ…」
◆
『狂戦士化』
生まれ持った強い魔力と恵まれた体躯。
それらを極限まで強化し、触れた物を破壊する。
代わりに冷静な判断力を失い、敵味方諸共判別せずに襲い掛かる状態。
普段はとても優しく、穏やかで理知的なチャプラ姉。
たが、激情が彼女の知性を塗り潰した時、彼女は手のつけられない猛獣と成る。
過去に一度、俺は見た。
仲間のチャタを目の前で拷問され、彼女がこう成ったのを。
まだまだ俺達のチームが小さかった頃。
キビシュの組織の中でも下っ端だった頃のこと。
俺はよく、チャプラ姉と共に前線に立っていた。
共に…と言える程の活躍も出来ない、ただの金魚の糞だったのだが。
ある時、チャタが誘拐され、敵対組織の人質となった。
管理者が絶えて廃墟となった東部地方教会の聖堂の舞台上。
抜け落ちた天井から射し込む月明かりの下、椅子に縛られて身動ぎ出来ないチャタ。
まるで、舞台上の主役の如く照らされていた。
あの時の光景を、俺は未だに夢に見る。
俺達の商会にはまだ戦力が揃っていなくて、相手に気付かれずに近付く技術も、交渉のテーブルに乗せる手札も、全員を一瞬で無力化出来る魔術式も無かった。
動けない俺達を取り囲む大勢の男達。
身動きすら出来ない幼い少年に、突き付けられている銀色。
奴等の手に持った武器が射し込む月の光を反射し、星の様に煌めいていた絶望を覚えている。
交渉すら出来ない俺達に出来る事は、要求を聴くことのみ。
奴等の要求は戦力と資金の移動。
具体的には、当時から名の売れていたチャプラ姉ちゃんの移籍。
更に彼女の商会を、顧客・人脈ごと奴等の傘下へ異動。
つまりキビシュとの契約を破棄し、手土産付きで裏切れ…という要求。
チャプラ姉ちゃんは迷っていた。
キビシュに対しての義理からでは無い。
寧ろ上納金や、当時抱えていた借金の事を考えれば、移籍した方が楽になる。
色々な制限も撤廃され、『捜索』等の特別な仕事をしなくて済むようになる。
奴等の要求を呑めば、チャタは助かる。そして、チャプラ姉は受け入れられる。
だが、当時無名だった俺やチャタ、ドロシーは、奴等の眼中に無い。価値の無い、要らないモノ。
不要なモノを受け入れるか?あり得ない。
役立たずの面倒を見るにも余計な金が掛かる。
もしチャプラ姉が移籍すれば、俺達は再びスラムに戻されるだろう。他に行く宛なんて無い。
そうなれば、キビシュは真っ先に俺達の命を狙うだろう。情報漏洩を防ぐ為に。
そうなる事が理解っていたから、迷っていた。
チャプラ姉は、いつも俺達を最優先に考えるから。
その時、怒声が聖堂内に響いた。
返答を渋るチャプラ姉の行動に、奴等のひとりがキレた。
そいつは武器を振り上げ、周囲の連中の静止も聴かず、怒りに任せて振り下ろした。
奴のなまくらな大刀が、チャタの左脚を叩き潰した。
チャタの泣き叫ぶ悲鳴を聴き、チャプラ姉は豹変した。
目は真っ赤に変わり、髪の毛が逆立った。
彼女は、廃教会の床に固定されていた金具を素手で引き千切り、重量のある五人掛け長椅子を軽々と持ち上げた。
彼女の咆哮と共に投げられた長椅子は、真っ直ぐ水平に飛んだ。
次の瞬間、チャタの脚を潰した男の頭が教会の壁にめり込んだ。
長椅子が金槌となり、男の頭を壁に打ち込んだ。
周囲は一瞬で真っ赤に染まり、連中も俺も、何が起きたかを直ぐに理解出来なかった。
その後は蹂躙。
恐怖が伝播し、混乱した連中は動きが鈍る。
彼女は吠えながら跳び、舞台上の連中の目の前まで、一瞬で飛び込んだ。
そして腕を振り上げ、振り抜いた。ごく自然に。
チャタにナイフを突き付けていた別の男の頭が、もいだ果実の様に身体から離れ、勢い良く床に叩きつけられて、潰れた。
文字通り、凄惨な現場となった。
白い獣が教会の壁を垂直に駆け上がり、折れた梁の上を素早く飛び移り、陰に紛れて襲い掛かり、連中の身体を片端からもぎ落とす。
頭をもがれた者は幸せだった。
もがれた箇所が手足だった連中は、死ぬ迄の長い時間、喚き続けていた。
暴れ回るチャプラ姉を避けながら、俺はチャタの下へ急いだ。
そしてようやく辿り着き、彼に声を掛けた。
だが、脚を雑に潰された所為で血を失い過ぎた彼は、俺が着いた時には既に死んでいた。
俺はチャタを縛る縄を切り、その亡骸を抱き締めながら、瓦礫の下に潜り込んで息を潜めた。
朝日が昇る頃には、残っていたうめき声も途絶え、咆哮に似た泣き声も止んだ。
チャプラ姉は返り血で真っ赤に染まったまま、教会の真ん中で泣き疲れて眠っていた。
廃教会の中は赤黒く染まっていた。
そこら中に『肉』が散乱していた。
二十人以上居た連中は、その数を倍以上に増やして、壁や床の染みとなっていた。
まるで、巨大な獣が好物の肉を喰い散らかした跡の様だった。
俺はその時始めて、彼女の二つ名を、真の意味で理解した。




