◆ 吹き荒れる嵐
雰囲気は爽やか、表情はニコニコしているのに、ジャナハの匂いはドス黒い。
…う…目眩が……
「白獅子の商会…名前は…まぁ、どうでも良いでしょう。どうせ全て造り替えますしね。
引き継ぎに関して、前期末頂いた顧客名簿に変更はありませんね?
売上と納税額が……」
私が言葉を挟む間も与えず、今度は引き継ぎの話をし始めた。
…視界が狭まる…喉が渇く……
「ウルベルトが引き継ぐ予定の仕事……。
従業員名簿に変更は………」
私が聴き返す前に、ジャナハは次々と言葉を被せてくる。
彼が何を言っているのか理解らない。
異音にしか感じられない。
声を声として認識出来ない…。
段々と、騒がしい鳴き声が遠くへ……。
…鼻の奥が…脳の髄が…痛い……
届かない頭蓋の内側に針を刺されている様な痛みが…!
私はズキズキと鳴るこめかみを押さえる。
自分でも奇妙に思うくらいに呼吸が速くなっていく。
心臓の鼓動が煩いくらいに脳内に響きわたる。
「では白獅子には、引き継ぎが終わる迄の間、この屋敷でゆったりとくつろいで頂き……」
…その瞬間、音が消えた。
もう何も聴こえない。
「…えっ!?」
私は思わず顔を上げて周りを見渡す。
一瞬、間を空けて……
「✗✗✗✗✗✗…✗✗!!」
部屋中に爆音が鳴り響いた。
聴こえないのに、理解る。
静寂から一転、甲高い獣の様な響声。
私の鼓膜が激しく震えるのが判る。
私は反射的に、聴こえていない筈の耳を押さえて目を瞑った。
響音というより、饗音。
押さえた掌を通して感じる喜びの雄叫び。
獣声が頭の中でキンキンと反響し続ける。
ドン!!
突然、私は背中を強く押された。
…な…誰だ!?
声を上げようと口を開くが、音が出ない。
私は薄く目を開ける。
すぐ目の前では、ジャナハがソファに座った姿勢のまま、仰向けにゆっくりと倒れていくところだった。
私の斜め向かいに居た筈のウルベルトは、いつの間にか私のすぐ隣に居て、茶を啜る姿勢のまま固まっている。
彼の目は大きく見開かれ、その瞳は驚愕と恐怖の色を帯びていた。
私達を遮っていた筈の黒檀の様な机は真っ二つに砕かれ、私の背後で天井へと落ちて行く。
机の上に乗っていた筈の高級な茶器類は、中身を振り撒きながら宙を舞い、赤い絨毯に惹き寄せられて行った。
…ああ、絨毯が汚れる。ゼファン師匠、怒るかしら…?
茶器も割れちゃう…。高そうなのに、もったいない…
陶磁器は緩慢な動きのまま絨毯に触れ、触る端からゆっくり儚く砕けていく。
価値が溶け消えていく様子を視て、私は異様な興奮を感じ始めていた。
ゴゴン!
くぐもった音が、頭の上の方から聴こえる。
先程、私の背後で上に昇っていったテーブルが、天井に触れたのだと理解った。
全てがゆっくりと流れていく。
私は、席から舞台上の演者を眺めている観客の様な面持ちで、これから起こるであろうことを愉しみに眺めていた。
「…ぐ………えっ……!!」
遅れてジャナハの口から漏れる空気。
破れた彼の衣装の下からは、鋼糸帷子の金属糸が光って見える。
潰れて曲がった鋼糸に反射する光が私の目に突き刺さり、眩む。
見えていないのに、聴こえていないのに、手に取る様に周囲の様子が視える。
全て視えるのだが、緩慢な私の脳みそは世界を感じ取れていなかった。
ジャナハの背後に控えていた『蒐集家』の二人は、ゆっくりと倒れて行く彼と私を、間抜けな顔のまま見下ろしている。
視野的に見えない筈なのに、私には二人がどの様な顔で眺めているのかが理解る。
数瞬遅れて手を伸ばし、ようやく一歩目を踏み出した。
……なんてトロい連中なのかしら。
『蒐集家』とはこの程度?看板倒れね。
彼等が手を伸ばし始めた一瞬に、ジャナハの頭が床を打って跳ね上がり、顔がひしゃげて横を向く。
折れた歯と血が、勢い良く彼の口から飛び出した。
振り抜いた手が当たったみたい。
私はそれらの光景を、舞台のかぶりつきから眺めていた。
まるで他人事の様に…
血が滾り、噛み殺したい衝動に急かされる。
理性は興奮で塗り潰されていく。
「…優しく、優しく頬を撫でてあげて。
いくら悪い子でも、いきなり頭ごなしは可哀想。
それから駄目だよ…って叱ってあげるの。
頭をコツンと軽く…だよ?
最期はギュッと抱き締めて、おしまい」
私は、舞台上のわたしに向けて、優しく語り掛けた。
◆
砕けたテーブルが、天井に突き刺さった。
「ガアアアァァァ!!」
「チャプラっ!?まずい!!」「ひっ!?」
「なっ!!」
「…早い!!」
部屋中に怒号が飛び交った。
吠えるチャプラは、まるで猛り狂う獅子の様。
長い白髪を振り乱し、千切れた衣服の切れ端が部屋に舞う。
比喩ではなく一瞬。目にも留まらぬ速さで、中央を真っ直ぐ駆け抜けた。
二人の間にあったテーブルは、既に元の形を失っている。
半分は天井に突き刺さり、残りは細かく砕け散り、重い破片となって降り注いでくる。
ジャナハを殴りつけてたチャプラの腕に、『蒐集家』の二人が数瞬遅れて飛び付いた。
殴りかかってから飛び付かれるまで、秒にも満たない一瞬。
彼女の両腕を大の男二人が掴み、抑え込んだ。
…が、チャプラが上半身を起こして身体を捻ると、男達はプロペラの羽根の如く宙を舞い、回転した。
「ぐげぇ!!」
すぐ隣にいたウルベルトの顔面に、振り回された『蒐集家』の膝がぶち当たった。
その衝撃でウルベルトは身体ごと半回転し、椅子から転げ落ちた。
「ガァァァ!!」
二人を振り解こうとして、チャプラは身体を左右に捻る。
「く…そ…!」
「なんて…馬鹿力…だ!」
激しく振り回されながらも『蒐集家』は手を離さない。
身体強化魔術式で、己の身体を硬く重くする事で、彼女の動きを押さえ込もうとしている。
だが、それも徒労。
大の大人二人が、まるで木の葉の様に振り回され続けた。
二人の身体は宙を舞い、彼等の足や腰にぶつかる家具が、床が、暖炉のレンガが、次々と削り取られ、損壊していく。
硬質化した筈の彼等の身体も傷付き、服は破れ、血の染みが拡がっていく。
その様はまるで、室内に発生した小型の竜巻。
若しくは、風車の羽根が部屋の中央で横倒しになり、制御できずに暴れ回っている様子にも見えた。
「ひぃ…ひぃ……」
チャプラの拘束を抜け出したジャナハは、這々の体で彼女から離れて行く。
口から血を流しつつ、文字通り、這いずりながら。
殴られた衝撃で服は破け、耐衝撃耐切創用の鋼糸帷子は大きく凹んでいる。恐らく骨折もしている。
抜けた腰を必死に引き摺り、竜巻の中心から距離を取ろうと必死に藻掻いていた。
打ち所が悪かったのか、ウルベルトは倒れたまま起き上がらない。
潰れた鼻から血を流したまま、気絶している様子。
だがそのお陰か、チャプラに振り回され続けている『蒐集家』達の硬質化した脚は彼に当たらず、空を切り続けていた。
部屋の入口傍では、ゼファン老が黒髪女中を背に庇いながら奮闘していた。
小物掛け用の木製ポールを武器に、時折、弾け飛んでくる木片や石片を叩き落としている。
「凄い…『蒐集家』が二人がかりでも止められないなんて…。
噂通り、当に『白獅子』ですわね…」
「昔より、かなり強くなっている…。
私でも止めるのは難しいかもしれん。
まったく、ジャナハの阿呆が!!あの娘を追い詰める様な勝手をしおって!」
チャプラの一挙手一投足を睨みつけながら愚痴りつつ、彼女を止める隙を伺っていた。
その時、窓の外から黒い何かが飛び込んで来た。




