◆ ワケアリ三兄弟+1
「この孤児院から一緒に抜け出すんだ!」
出稼ぎの帰り道、ラウル兄ちゃんが言った。
周囲の鍛冶場から噴き上がる煤で暗くなった空を見上げながら、拳を握り締めていた。
此処、中央区工場地帯では、高くそびえる煙突群から、何本もの黒い煙が立ち昇っている。
薪炭や泥炭を使う工場もあるが、火力を出す為に高価な石炭を使用する所が多い。
その為、多くの煙突から濃い煤煙が噴き出している。
煤煙を減らす装置も有るらしいのだけれど、大抵は高価。そして、利益に繋がらないので設置している工場は少ない。
結果、空気が悪くなるという苦情が多く、表通りには粉塵舞う施設が造れなくなった。
必然的に離れた裏通りに工場が集中する。
なので裏通りは一年中、濁色の空と灰色の空気、黒色の石畳に覆われる様な環境になってしまっていた。
ジャリジャリと小気味の良い音を立てながら、ボク達の木靴が固まった煤を踏み砕いていく。
煙突の上では、グリ兄がボクを吊るす紐をギュッと握る。
煙突の下では、ラウル兄が噴き出す煤を掻き集めている。
一番身体の小さなボクが煙突の中に入り、壁面にこびり付いた煤を木べらでこそぎ落としながら、時間を掛けて下まで降りる。
積み重なった煤塊を細かく砕いて袋に入れる。
煙突一箇所で何時間も掛かり、大きな煤袋が幾つもいっぱいになる仕事。
身体は煤塗れになり、吐く息も涙も黒くなる。
それでいて、銀銅貨1枚にしかならない。
その収入も三割は手数料、三割は部屋代、三割は食費として孤児院に取り上げられる。
残った一割をボク達三人で分け合うと、煤で汚れたボク達の顔を洗い、乾燥した喉を潤す為の綺麗な水の支払いで、全て消えてしまう。
「銅貨1枚ありゃあ…、街なら黒パンとエールが買えるのによぉ…」
グリ兄が呟く。
「孤児院だと、野菜くずと泥水になるから不思議だよなぁ!」
ラウル兄が、石畳の上で固まっている煤塊を蹴り飛ばす。
「兄ちゃん……もし聞かれたら、また杖打ちされるよ…」
ボクは、誰かが聞き耳を立てて居ないか、路地裏の暗がりを覗き込む。
兄達は、舌打ちをしながら口を閉じた。
ボク達の歩く真っ黒な路地を囲い込む様に立ち並ぶ高い煙突達。
それは、煤塗れの孤児を嘲笑うかの様に見下ろしていた。
ボク達は黙々と歩き、孤児院へ戻る。
夜鷹も物乞いも、ボク達には口を開けない。
恐喝も強盗も、ボク達には期待しない。
誘拐犯すら、ボク達を値踏みしない。無駄だから。
「死体回収人にとってすら無価値なんだよ。俺達は」
ラウル兄がボソッと呟いた。
「俺は、俺に『価値』が欲しい…」
身体が大きく重く成ったラウル兄ちゃんは、もう煙突には登れない。
当然、中にも入れない。
掃除夫としての価値は年々失われていく。
「それを言うなら俺だってそうだぜ、ラウル。
もう煙道には入れねぇ…肩が引っ掛かる」
貧相なメシなのに、何故か身体はでかくなる…。グリ兄ちゃんは呟きながら、自分の肩に手を当てた。
「ロロに何かあれば、俺達は孤児院すら追い出されちまう…」
そう言って、二人とも黙ってしまった。
「兄ちゃん達には『価値』があるじゃないか」
ボクは二人を励まそうとして、咄嗟に口を開いた。
「ラウル兄ちゃんは頭が良い。
計算が早いし文字も書ける」
ラウル兄は昔、大商会の煙突掃除に参加した事があった。
何本もある煙突。一日で終わらせないとならない仕事。
その為に多くの掃除夫が集められたが、取り纏め役が居なかった。
急遽、纏め役に抜擢されたラウル兄は、見事な手腕で全員に仕事を割り振り、煤袋の経費から処理に至る手配までを完璧に済ませた。
彼が蝋板に振り分け表を筆記しているのを見て、感心した商会長が彼に文字を教えた。
そして使い古された本をチップとして与えた。
その本は今でも、孤児院の屋根裏に隠してある。
「グリ兄ちゃんは凄く魔力があるでしょ。
魔術式も書けるし、喧嘩も強い」
グリ兄は、孤児としては珍しいくらいに魔力が強い。
圧縮魔術式に強い適正があり、座標計算も早い。
戦いの最中に魔術式を組み立てて、離れた位置に『爆炎』を発動させるのが彼の得意技。
素手の喧嘩も強い上、痛みを厭わない彼の戦い方は、近所のゴロツキ達に恐れられた。
「その所為で、孤児院では毛嫌いされてるけどなぁ」
そう言って笑うグリ兄。
当然、孤児院の中では煙たがられ、追い出そうとする者も居る。
それを近隣の住民とラウル兄が止めている。
「グリを放り出したら、孤児院一帯を灰にするかもしれない」
そう言って、院長を脅したという噂。
「ボクは頭が悪くて魔術式を書けない。
喧嘩は弱いし、身体は小さいし……
『価値』が欲しいのはボクの方だよ」
そう言って俯くと、ラウル兄とグリ兄はボクの頭をガシガシと撫でた。
「ありがとうな。だけど…」
「一番『価値』があるのはお前だよ。俺達にとってはな!」
「そうだ。この街の誰よりも…お前が一番だ。
お前は俺達の大切な宝石だ」
「「お前を護るのは俺達の役目だ」」
そう言いながら強く頭を撫でる。
煤で固まったぼくの髪が二人の指に引っ掛かって、強く引っ張られた。
「イタイイタイ!髪の毛抜けちゃうよ〜」
「「アハハハ…」」
暗い路地裏に二人の笑い声がこだましていた。
…数日後、水路に浮かんでいる孤児院長が発見された。
◆
「……ラって奴のナイフが……」
「また、その話?
彼の事を気に入ったのは理解したから。もう、いい加減にして下さらない?」
…気に入った?彼?
ハッとして顔を上げ、グリ兄を見上げた。
グリ兄が首を傾げでボクを見下ろす。
「兄ちゃん、また誰か殺してきたの?」
グリ兄が気に入る相手は、彼の記憶に残る様な戦い方をした敵。
そして、ほとんどの場合、相手は死んでいる。
グリ兄はニヤリと笑って口を開く。
「なんだょ、聴いてなかったのか?
…しょうがねぇなぁ、最初からじっくりと教えてやるよ」
そう言って、『ペトラ』という少年との戦いを、身ぶり手ぶりを交えて語りだす。
隣に座るアマビリスは、大きく溜息をついていた。
…………
…良かった。その少年は死ななかったのか。
でも、ボクと同じ位の年齢で、『黒豹』なんて二つ名で呼ばれてるのか…。
グリ兄の腕にナイフを?
しかも魔術式無し、体術だけでグリ兄の『爆炎』を避けるなんて……
「凄い…」
思わず言葉が漏れた。
ボクは、少年の活躍を聞いて興奮していた。
白い頬が熱を持った様に熱くなる。
「やっぱりお前は俺の弟だな…。
強い奴の話で笑ってやがる」
グリ兄の指摘を受け、ボクは思わず口元に手を伸ばした。
ペタペタと頬を触る。
確かに、ボクの頬の筋肉が引っ張られていた。
「……そうだね。ボクは兄ちゃん達の弟だから」
そう言って、ボクは笑みを深めた。
ボクも兄達の隣に並びたい。
そして、エグダスの為に働きたい。
その為にも早く身体を治さないと。
高い煙突にも簡単に登れた昔みたいに……
ボクは拳を握り締め、黙って小さく頷く。
ボクの拳を見つめながら、グリ兄は嬉しそうに笑っていた。




