◆ 教会の大男
空気を震わせる様な怒号が周囲に響いた。
「貴様ら、何をやっている!?
此処は教会だぞ!!!」
その怒声を受け、ペトラ達の身体は反射的に跳ねた。
傍に声の主は居ない。
だのに何故か、其の声は彼等の耳の直ぐ傍で発せられたかの様に反響し、その場に居た全員の動きを一斉に止めた。
「な…だ!?この……でけぇ声…よぉ…!
くそ…頭が…痺れ…。目が回…」
グリは右手で頭を押さえながら前屈みになり、膝をついた。
ペトラも麻痺したかの様にナイフを取り落とし、その場に蹲る。
シャラはガタガタと震えながら木の後ろにしゃがみ込み、ドロシーは倒れたまま歯を食いしばっていた。
初めに動ける様になったのはリシェル。
すぐに声の方へと向き直った。
彼女は額に汗の粒を浮かべたまま、声の主を確認した。
身長二メートル近い大男。
顔を真っ赤にしながら、教会の入り口からこちらに向かって来る。
一歩一歩踏み込む其の足は、地を割るかと思わせる程の怒りを含んでいた。
リシェルは、震える手で腰の剣に触れた。
次に動けたのはアマビリス。
大男の衣装を見た彼女は、慌てて叫んだ。
左肩から右脇下に流した金の帯が、陽射しを受けて輝いていた。
「まずい、二人とも!あれは司教よ。
高位聖職者との軋轢は流石にマズイ!」
「……!」
リシェルは剣から手を離し、グリとアマビリスを交互に見た。
グリも立ち上がり、大男を視界に収める。
「…ちっ…」
大男を一目見て小さく舌打ちをする。
すぐにペトラの方に向き直り、先程と変わらずに動けなくなっている彼を見た。
「これから愉しくなる所だったのになぁ…」
未だに苦しんでいる彼の様子を見ながら、興が冷めたと呟いた。
グリは左腕に刺さったナイフを乱暴に引き抜き、ペトラに向けて放り投げる。
ナイフが引き抜かれ、傷口から一気に血が噴き出す。
「おお、すげぇな。動脈やったか?」
グリは右手で素早く治癒魔術式を描き、傷口に向けて発動した。
発動と同時にグリの傷口が激しく波打つ。
切れた血管が収縮して、噴き上がる血が止まる。
すぐに傷口周りの皮膚がうねる様に動き、突然肉が捲れ上がった。
「来た来た…」
腕の肉が上に引っ張られ、肉の間から神経や血管の切り口が頭を出す。
魔術式によって力尽くで引き出された神経と血管が、次々に繋がっていく。
構築された魔術式の指示に従って傷口の細胞が動き、寸断された筋繊維が元の姿に戻っていった。
「美しい…」
急速治癒魔術は、大人でも気絶する程の激痛を伴うものだが、グリの表情に苦しむ様子は微塵も感じられない。
むしろ積極的に己の傷口を眺め、治癒されていく過程を楽しんでいた。
そしてそんな彼の様子を、アマビリスは苦い顔で見つめていた。
「私は先に行くぞ…あの男とは戦いたくない」
大男が近づいてくるのを見て、リシェルはグリの肩を軽く叩き、一言告げた。
「…今動くと、また傷口が開くのだが?」
「知らん。己の蒔いた種だ」
そう言うと、リシェルは彼を置いて先に歩き出した。
「リシェル、待ってよ。私も。
こんな変態の仲間だと思われるのはゴメンよ」
アマビリスはドレスの裾をたくし上げ、早足で立ち去るリシェルの後を急いで追って行った。
一人取り残されるグリ。
「オイオイオイ…怪我人を置いていく気かよ?哀しいなぁ…」
グリは、未だに傷口の塞がりきってない左腕を抱えたまま、倒れているドロシーに向かって歩き出した。
上半身を起こし、近づくグリを警戒するドロシー。
「あ〜、待て待て待て…。攻撃しやしねえよ。
あの化け物が来る前に、一言言いたくてな…」
ドロシーは目の端に、こちらに向かって来ている大男の姿を確認し、サッと武器を隠した。
グリは、ドロシーの直ぐ側にしゃがみ込み、耳元で囁いた。
「どうせテメェらもルブラム家を調べてたんだろぉ?
面白そうな奴等だもんなぁ…」
「……!!」
小さく耳打ちをすると、グリはすぐに立ち上がる。
そして、大男から逃げる様に駆け出した。
「ペトラちゃんよぉ!お前、なかなか良かったぜぇ。
また遊ぼうなぁ!」
グリは、立ち去る途中でペトラの方に振り返り、左腕を大きく振った。
腕を振るたび、彼の傷口からは飛沫状に血が飛び散り、周囲の草に赤い斑点をばら撒いていた。
◆
「おい!君達!大丈夫か!?」
大男は地面に座り込んでいるドロシーの傍まで来て、倒れている彼女に手を差し出した。
「た…助かりました。司教さま」
ドロシーは大男の腕にしがみつく。
そして、身を委ねながらゆっくりと立ち上がった。
必要以上に身体を擦り寄せている。
「いきなり暴漢に襲われましたの…とても怖かった…」
彼女は頬を染めてしなだれ掛かり、瞳を潤ませて彼の顔を覗き込んだ。
そんなドロシーの様子をまじまじと見つめて、彼は一言。
「ふむ…キミは問題なさそうだな」
「…えっ…?」
大男は、離れた所で倒れているペトラの方に目をやった。
「そちらの子供は…服が焦げてるな…。立てるか?」
「え…私も蹴られて…え…?」
大男はドロシーを脇に放り出すと、ペトラの方へと歩み寄った。
ペトラはすぐにナイフを隠し、すっくと立ち上がる。
「問題ナイ…でス。」
わざと南国訛で答えるペトラ。
服に着いた埃を払い、大男が自分に近付くのを手で制した。
「ん…そうか?…治療していくかね?」
挙げたペトラの手が赤く焼け爛れているのを見て、大男は静かに尋ねた。
「あ…アリアトウ。ダ…ダイジョブでス」
慌てて手を引っ込める。
「…金なら要らんよ?」
「イェ…」
その時、木の陰からシャラが飛び出してきた。
「わ…わたくしの護衛は丈夫なのです!
大丈夫です。ありがとう御座います!!」
彼女はペトラの代わりに頭を下げた。
「うちの者が失礼しました。この子は礼儀を知らないもので…。
治療は家で行いますので、司教様のお手を煩わす様な事はいたしませんわ。
暴漢を止めて頂き、本当にありがとう御座いました」
乱れた髪を直しながら、ドロシーもシャラに続けて礼を言った。
「ふむ…私はまだ司教ではないのだがな…
大事にしたくないなら構わない。君達の意向を汲もう。
…それと、教会の敷地内での暴力沙汰は控えなさい」
それだけ言うと、大男は教会へと戻って行った。
◆
「何なんだ?あの聖職者もどきの怪物は…?」
ペトラがポツリと呟いた。
「失礼ねアンタ…!あの筋肉…なんて美しいのかしら…」
ドロシーは、立ち去る大男の背中を見つめ、ふぅ…と息を漏らしている。
「逞しい背筋…太い二の腕…」
頬に手を当てながら、うっとりと眺めていた。
「…はっ、しまった!
お名前!お名前を聞き損ねました!」
大男の背中を追い掛けようとしたドロシーを、シャラが引き留めた。
「名前なら分かるわ…。あの人、凄く有名なのよ」
「…!有名人だったの!?是非、お近づきに!」
「アレが魔獣殺しのオマリー様。英雄よ…」
三人は顔を上げて、教会の扉をくぐるオマリーの背中を見つめた。
「アレが…素手で魔獣を絞め殺したと噂の…」
迫力に圧された…と、呟くペトラ。
「あの素晴らしい体躯を見れば、…納得ですわね」
頬を赤らめるドロシー。
「寧ろ、何で誰も知らないのよ?
つい先日、彼のパレードがあったでしょう…。
街中、お祭り騒ぎでさ……」
溜息を吐くシャラ。
「俺達みたいな日陰者が、街の祭りなんて行けるかよ」
ペトラが愚痴ると、ドロシーは黙って頷いた。
「…これで、分かったでしょ…?」
シャラが小声で囁く。
その言葉に、二人は首を傾げた。
シャラはひとつ息を吐いてから、二人の耳に顔を近づけた。
「も…もしね、万が一だけどね。
ルブラム商会が一般商会で、私達が一般市民を巻き込む様な事をしたら…。
あの人が敵になるかも知れない。分かる?」
囁く様に、危険性を教えた。
ビクッと体を震わせる二人。
「…も…もっと慎重に、やりましょう…?」
「…ああ、そうだな。まずは…チャプラ姉に相談だ」
「私も…それが良いと思うの…」
三人の背中に冷たい汗が滲んでいた。