第19話 最悪の日は続く
◇
――若藻視点――
小娘をかかえて地面に伏したまま、オレはモレイとかいうバケモノ武者の様子をうかがう。
やつは馬を馳せ、すごい勢いでこちらに突進してくる。矢をつがえている。
きらり、矢じりが燃え盛る炎を反射してきらめく。次の瞬間、そのきらめきは眼前まで迫っていた。
第二射だった。
すんでのところで避けたが、マジに金玉が縮みあがった。
もし直撃してたら……?
三尾で、しかもそのうち二本はくっつきかけ、という満身創痍の状態で相手にすべきやつじゃない。ほとんど自殺と同じだ。
「おい、光乃、さっさと逃げるぞ。あれはヤバイ。」
小娘はへたり込んだまま動けないようだ。
意識がかんぜんにあの世に飛んでいってしまっている。
仕方ない。
オレは狐の姿に変化すると、小娘のやつをくわえて、モレイと反対方向――すなわち母屋のほう――にむけて遁走した。
母屋の蔀戸(雨戸)は、昼間のように開け放たれている。
御簾の隙間から、何事?と御婦人が姿をあらわす。
オレは「危ない!隠れてろ!」と叫ぼうとした。
だが口を開きかけたところで、口にくわえていた小娘のやつを落としかけて、慌てて口を閉じた。
第三射。
オレたちを狙ったものではなかった。
オレたちを追い抜いて、矢は凄まじい勢いで母屋に向かう。
その勢いのまま、ご婦人に直撃。
文字通り、御婦人の上半身が爆発四散した。
胸から上を失った下半身がしゃがんだようにつぶれる。
あやかしを撃ち殺すような一撃が只人に当たればそうなる。
「おかあさま!!」
小娘がさけぶ。意識が現世に戻ってきたらしい。
戻ってきたはいいが、お母さまとやらを助けるために半狂乱になって暴れだした。
やめてくれ!
慌ててオレは小娘を咥えなおし、そのままじぐざぐに走りながら、母屋に突っ込む。
なんせ遮蔽物がなければまともに逃げることもできない。
母屋のなかをつっきって、館の裏側の川を渡ってしまえば、すこしは逃げる時間が稼げるだろう。オレのするどいオツムは、そういうふうに算盤をはじいていた
屋根の下では、ご婦人の肉片や血をあびたのであろう僧侶たちが泡を吹いて気絶している。
オレたちが身をはって助けた小娘の妹、信乃も死んだように横たわっている。
第四射。
間一髪、オレは右にとびのいて避ける。
的を外した矢は、丸木造りの如何にも高そうな柱をへしおる。
小娘を咥えた状態で、後ろからの矢をよけられたのは奇跡だった。
だが、へしおられた柱まではよけきれず、直撃、オレは吹き飛ばされた。
一瞬気を失っていたかもしれない。
だがオレは可能な限りすばやく立ち上がった。
おどろいたことに、この一瞬で小娘がいなくなっていた。
ふりむくと、やつは母屋からモレイのいる庭のほうへ、言い換えると死にむかって突撃しようとしていた。
信じられないほど愚かだ! せめて逃げる方向くらいわからないもんかね!
第五射。
小娘の弓手をまるごとふきとばしながら、その矢はオレの眼に、そのおくの脳天に深々と突き立った。
一瞬意識が暗転。次に目を開けた時、自慢の尾が一本、宙を舞うように吹き飛ぶのがみえた。命を一つ失った証拠だ。
くっつきたての尾とはいえ、一撃で失うとは……。
尾はあと二本。
本当に今日は最悪の一日だ。
オレは鎧ごと小娘の胴体をしっかりくわえると、今度こそ脱兎のごとく逃走した。
◇
どれくらい駆けただろうか。
およそ欠点らしい欠点のないオレだが、唯一あるとすれば、持久力の欠如だ。馬ほどには長時間駆けていられない。
ここまでくれば大丈夫、とかではなく、単に体力の限界がきたオレは、小娘を地面におとし、そのまま突っ伏した。
ふとまわりを見やれば葦の生い茂る野原にきている。馬の背ほどにも高い葦の原っぱである。満月の夜とは言え、あたりは葦にかこまれて暗闇につつまれている。ここに臥せっていれば隠れられるのではないか。自分にそう言い聞かせながら息を落ち着かせる。
正直なところ、なんでこの小娘をたすけたのか、自分でもよくわからない。
モレイに狙われているとわかった瞬間に、小娘をおいて一目散に逃げだせば、尾をむなしくすることもなかったはずだ。
地に倒れ伏す小娘を見下ろしながら、どうしたものか思案にくれる。
小娘の弓手は、肘よりも先あたりからまるごとなくなっている。途中狐火で傷口を焼いて止血はしたものの、だいぶ血を失っているからか、小娘の顔色は蒼白をとおりこして、灰色に近く、ほとんど死体みたいになっている。
ふっと生気をとりもどしたように頬に赤みがさし、小娘が目覚めた。
「よう、きぶんはどうだ。まあ最悪だろうが」
小娘はオレの言葉にも反応せず、起き上がることもせず、放心状態だ。無理もない。
「モレイ姉、なんで。わたしが、荒々丸をころしたからなの……?」
宙をむいて焦点のあわない小娘の眼。
「あー、裏切り、裏切られはヒトの世の常だろう。気にすんな。それよりも、このあとどう逃げるのかを考えなくては。どういう事情で何があったのかはわからんが、命は生きているもののために使わなきゃな」
オレはそう慰めたが、小娘はなおもぶつぶつとつぶやいている。
そしてふらり、と立ち上がると太刀を抜き払った。
おいおい、こんなところでこんなときにやりあおうってのか? 血を失いすぎて頭がおかしくなったのか?と驚いているオレを置き去りに、小娘は自らの喉に太刀を突き立てた。
倒れ伏した小娘がぴくぴく痙攣している。
首筋から間欠泉のように噴き出す血を眺めながら、オレはすこしだけ残念に思った。
絶望したヒトが自殺するのは何回もみたことがある。
あーあ、せっかく助けてやったのに。
ちょっとは根性のある娘かと思ったがそうでもなかったな。
ま、ヒトなんて所詮この程度さ。失望すらしないね。
自らの道を切り開いていて生きるよりは、その場にとどまって死を選ぶもののなんと多いことか。
やがて血の勢いがとまり、小娘が完全に動かなくなった。
青玉のような眼、むなしく見開いたその眼を見たくなくて、オレは踵を返して立ち去ろうとした。
途端に真っ暗闇に包まれた。
◇
オレは完全に混乱していた。
なんせ、小娘の死を見届けて、いったんこの辺りから逃げ出そうとしたところで真っ暗闇に包まれてしまっているわけだからな。
なんらか未知の邪法だろうか。それとも、しらぬ間に死んでしまったのか。
……いや、完全な真っ暗闇ではないようだ。徐々に目が慣れると周囲の様子がうっすらとみえる。
だが、どこかはわからない。板張りの床、とかではなさそうだ。
もしかしたら本当に奈落なのかも……。(もちろん、オレは坊主のたわごとを真に受けるほどの世間知らずではないが、絶対に奈落がないとも言い切れないからな。)
「今度はここに戻ってきたのね」
後ろから声が聞こえた。光乃とかいう小娘の声だ。
「ひいっ」
オレはマジで飛び上がるほど驚いて、情けない声を上げた。
そりゃそうだ。死んだはずのやつの声が聞こえたんだからな。
「ひいい、やめてくれ! 怨霊になるにしても、オレに憑くのは筋が違うんじゃないか!?」
「怨霊じゃないよ、若藻。生きてるわよ。そんなことより早く火をつけてよ」
苛立ったような声にしたがって狐火をともす。
「ここは…」
洞窟だ。どうも見覚えがある。
「ここは、現世と幽世の狭間ね」
「ふーん、普通の洞窟にしか見えないけどな」
「いや、若藻がここに連れ込んだんじゃない」
「……?? どういうことだ??」
「どういうことって、どういうこと?」
小娘が怪訝な表情を浮かべている。
◇
小娘からひと通りの事情を聞いたが、にわかには信じられない。
「つまりお前は死ぬたびに過去に戻って、転生というのか、やり直しをしていると、こう言っているのか?」
「そういうことになるわね。」
たしかに、小娘がオレと戦った時の動きはヒト離れしていた。
何百回と戦ったのだ、と言われるとすこしだけ腹落ちする。
「しかも、今回このオレまでそのやり直しに巻き込まれたってことか?」
「そうみたいね」
「なんで??」
「わかるわけないじゃないの。うーん、私の神力をあげたから、とかないかしら」
小娘が口をとがらせる。
「確かにそう聞くとなんだかありそうな話だな……。」
さしものオレでも2000年生きてきて初めて遭遇する事態だ。
神力をもらったから巻き込まれたと聞くとそんな気もするし、そうじゃないかもしれないし、とにかくなにもわからない。
「そんなことよりも、モレイ姉に何があったのか、そうやったらこの状況を打破できるのか考えないと」
とりあえず確実なのは、いまのオレではモレイとかいうバケモノに勝てる見込みはない、ということだ。もちろん光乃も同じだ。
なにがなんだかわからないが、もうことここに至っては、この荘内の尾はあきらめるしかない。別の尾を回収してから、またとりにきたほうがいいだろう。
幸運なことに、さっき光乃を救うために失った尾は、過去に戻ったことで復活した。
その点ではむしろやり直しに巻き込まれてよかった、といえるかもしれない。
逃げ出さずにモレイと戦うか、モレイやそのほかの武者に見つからないことを祈りながら逃げ出すか。
オレは悩むことなく後者を選択した。
「いや、悪いが、オレはここで抜けさせてもらうぜ。あのバケモノと戦うつもりはないんでね」
光乃がなにかをいうよりもはやく、オレは身をひるがえして洞窟からでていった。
小娘にうっかり言いくるめられて協力してしまいかねない、と思ったからだ。
見殺しにすることに、胸が痛まなかった、というと嘘になる。
腹のすわったやつ、というのはヒトのなかにもいるものだ。
もしかしたらこの先、何百回、何千回とやりなおせば、いつかは奴の望みも叶うかもしれない。
武運長久を祈るぜ。
◇
だが、またもや視界が暗闇に包まれた。
ちょうど寒風吹き荒ぶ満月の下、この盆地をぬけたところだったんだが……。
オレはため息ひとつ、狐火をともした。
案の定、オレが小娘をつれてこんできた洞窟だ。
小娘も、ちょうど戻ってきたところなのか、起き上がってこっちをみてる。
ま、正直そうだろうなとはおもってた。
死に戻りとかいう強烈な事象に巻き込まれたんだ、一回戻ってそれっきりってワケにはいかないんだろう。
「おとなしく私に協力したほうがいいんじゃない?」
小娘が口を開く。
オレは、小娘の
『私はわかってましたけどね』
みたいな口ぶりに無性に腹が立った。
このまま協力しないと何千回、何万回と、こいつが目的を達するまで同じ夜をくりかえすハメになる、それはオレにもなんとなく察しがついてる。
だが、そのまま協力するのはあまりにも癪だ。
くそっ。
オレのするどい頭脳は124通りもの反論を瞬時にたたきだした。しかし、その124のなかに、今の現状を前に進める、かつ小娘にギャフンと言わせるような小粋な反論はなかった。
諦めてオレは小娘の言う通りにすることにした。
「……わかった。協力してやる。協力してやるが、オレは危険はおかさねえぞ。お前はなんどでもやり直せるのか知らないが、オレがどうかはわからないからな」
本当に今日は最悪の日だ。
とびきり最悪なのは、この1日が、最悪状態を脱するまで無限に回帰するってとこだ。
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