第16話 ここ数十年で最悪の一日
―狐視点―
まったくじつに、今日という日は、ここ数十年でまれにみる最悪な一日だった。
何年か前、永い眠りから目覚めた俺は、ぐーっとひと伸びして、「よし、旅に出よう」と決めた。
ずーっと寝ていたからなんだか体がこわばっていて少々歩き出したい気分だったし、寝ていた間に変わった世間の様子も見てみたかったし、なによりも、魚名の里奈のやろうに奪われたオレの尾を取り戻す必要があった。
なんせ、九本あったはずの尻尾が一本にまで減ってしまったんだからな。
万が一、奪われた尻尾が燃やされていたら一巻の終わりだが、そこの心配はあまりしていなかった。
というのも、オレが知る限りでは、人間という生き物はカラスと同じで、自分で手に入れたものを巣に持ち帰って大切にとっておく習性があったからだ。その習性は数十年で変わるようなもんじゃないだろ、たぶん。
どうも自分の妖力の痕跡を探知するに、奪い取られた尾は国中のあちこちに散らばっているみたいだった。
多分討伐に参加した面子でわけっこしたんだな。
一か所にまとめてあれば楽だったんだが……。
ちょうど目覚めた時が冬で寒かったし、とりあえず南のほうから尻尾を回収してこよう、ということで、だれに気を遣うこともない、狐のぶらり一人旅を始めたわけだ。
そのあとゆるゆると旅をしながら、あるときは土地のヒトや名産物に舌鼓をうち、あるときはこっそりとネズミに化けて尾を盗みかえし、またあるときは武者を皆殺しにして巣から強引に奪い去った。
そうやって三尾の狐にまで戻ったところで、四尾目を回収するべく、昨晩オレはこののどかな盆地にやってきた。
最悪な一日が待っているだなんて思いもせずにな。
夜明け前、この盆地についたオレは村人を何人かつまんで小腹を満たしたあと、根城に決めた巨木の下で、小春日和のポカポカ陽気に包まれて気分よく寝ていた。
すると、いきなりバケモンみたいな武者が矢を放ってきた。
すんでのところで気づいたのもむなしく、おぞましい鉄の矢じりは、このオレの尾を吹き飛ばしてしまった。
ただの一射で尾を、つまるところ命を一つもってかれたわけだから、ともすれば魚名の里奈にも迫るような剛力の武者である。
四尾目をとりかえすどころか、三尾目を失ってしまった。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。
その後必死で転げるようにして逃げることはできたものの、さすがに尾が二本では、あのバケモノみたいな武者とわたりあえない。
ということで夜を待って、昼間根城にしていた巨木のあたりに戻って尾を回収した。そこまではまあよかった。
ところがあろうことか真夜中だってのに武者がうろついてやがる!
油断しているオレが悪い? いやいや、真夜中にあやかしを襲うアホがいるなんておもわないだろ?
恐怖すら覚えたよ。
いったいなんだってこんな執拗に命を狙ってくるんだ?
昨晩つまんだ村人の中に貴人でも紛れ込んでいたとでも?いや、そんなはずはないだろう。
一人目の武者を蹴散らしたとこまではよかったが、二人目がなかなかに手ごわい。
武者といえば遠くからチクチク矢を射かけてくるのが普通だが、この小娘の場合はちがった。
矢は最初だけで、そのあとは一貫して手に持った薙刀で挑んできたのだ。
最初はしめた!と思ったね。何を血迷ったのかわからないが、一撃引っぱたいて終わりだな、と思ったよ。
ところがどっこい何をやってもぜんぜん攻撃が当たらない。狐火で焼き払うかと距離を置いたら、横っ腹を掻っ捌かれて命を一つ失うし、正真正銘死んでしまうんじゃないかと焦った。
どうにかこうにか気絶させることはできたが、ここからが問題だ。
なんせ昼間見かけたバケモノ武者はまだでてきていない。ということは、たぶんこの山の中のどこかにいるんだろう。
さしものオレでも、尾一つであんなのとやりあうのは無理だ。
となれば、とりあえず尾をくっつけるだけくっつけて、さっさと逃げ出さにゃならん。
だが万が一、逃げ出す途中であのバケモノと出くわしたら、今度こそ死んでしまう。
並みの妖だったらにっちもさっちもいかない状況に頭がこんがらがってそこまでだったろうが、オレのような格調高いあやかしともなると、やっぱ違うね。
この小娘を人質にしていけば、どうにか逃げられるんじゃないか、とひらめいたわけだ。
大鎧とその下の狩衣の上質さを見る限り相当な富裕の姫君だろう。
きっとあのバケモノよりも身分が高いはずだから、もし見つかっても、この小娘を楯にしていけば逃げられるのではないか。
そう思って神樹の洞のなかに運び込んで、尾をくっつけていたところで、やっこさん目覚めやがった。
久々にヒトと会話したが、まったく小癪で失礼な小娘だったし、おまけに組み打ちがめっぽう強い。
ああ、最悪な一日だった、とさっきいったな。
訂正だ。
まだまだ最悪な一日は続いている。
「呪いを解きなさい! このまま殺すわ!!」
いままさに、牛もかくやの剛力でギリギリと首を絞めつけられていて、このままだとまた死んじまう。せっかくくっつけた尾がパアだ。
とにかくなんでもいいからこの状態から脱しなければいけない。
「わかった! わかった! 何とかするからやめてくれ! 助けてくれ!」
一瞬、知恵を絞ったが、このオレの智慧をもってしても打開の策は見つからなかった。
だからおとなしく降伏することにした。
「最初から呪いなんてかけなきゃいいのよ。さっさと呪いを解きなさい」
力が弱まるのを感じる。
いつでも首を絞め落とせるように、ということだろうか。首に巻き付く腕は変わらない。
いったい何と勘違いしているのかわからないが、かけてもいない呪いをとくことはできない。
かといって、単に呪いをかけてない、といっても信じてもらえずにそのまま首の骨を折られるのが関の山だ。
根深いところで何かすれ違っているのは確かだ。だが、それをそのまま口に出すとマズイ。
首の締め付けが弱まって血の巡りがよくなったからか、おつむが回り始めたぞ。
「信乃とかいうやつはしらないし、呪いもかけていない。だが、オレならお前らを助けることができる。怨霊なのかあやかしなのかしらないが、なんか呪いみたいなもので困っているんだろう。オレはこう見えてもかなり強力なあやかしだから、並みの呪術であればどうにでもできる」
「本当にやっていないの? 証を立てることはできる?」
「やってないよ! だいいちオレみたいな誇り高い九尾の狐が、呪いだなんてちまちました卑怯なことなんてするわけないだろ」
これはマジだ。
呪いを使うようなチンケなやつら(むろんその中には陰陽師を含む)と、オレのように、天を揺るがし地を引き裂く偉大な権能を駆使するやつらとでは、地を這う蜥蜴と天駆ける龍くらいのちがいがある。
「じゃあ信乃はなんだっていうの! なんかうっかり呪っちゃったとかそういうんじゃないの。粗忽そうだし。なんでもいいから解除してよ」
「失礼な奴だな! あのなあ、そもそも信乃の名前も知らないのに何でオレが呪いをかけられるんだよ。」
「名前がわからないと呪いはかけられないの?」
「あたりまえだろ! 呪いに対して無知すぎる!」
この小娘、呪いとかあやかしに対して無知すぎる。
無知な奴が相手だと、議論の前提になっている常識が通じないから、理屈で説得することが難しくなる。
一度も空を見たことがないミミズに雨雲の見分け方を説明するようなもんだ。
このまま説得できるかどうかは五分五分だ。
しかしいくらガキとはいえ、名前がわからなければ呪いをかけられないってのは常識だと思うんだがな……。
オレが寝ている間に呪いを使うあやかしや陰陽師が激減したのか?
「じゃあ、なんだっていうの」
「とりあえずどういう状況なのか話してくれ。オレは信乃ってやつがなにもので、今どうなっているのかもわからないんだ」
オレは背中に馬乗りになっている小娘に必死で語り掛ける。
「わかったわ。少しでも変なことをしたらその首へしおるから」
◇
「……というわけなの。」
一通りの事情を聞いて思ったんだが、確かにこの状況だとオレが怪しすぎる。
「まず、神懸かりの線はないんだな?」
「ないわ。試したけど駄目だった。」
「どう試したのかはしらんが、まあそう言うならそうなんだろう。獣のようになる、というのだから怨霊憑きの線もひくいだろうな。 むろん、生前ケモノの真似をして生きていた人間が怨霊になった可能性もなくはないが……」
「そんな奇抜な奴いないでしょ。なにいってんの」
まあじつはいないわけじゃない。2000年も生きているといろいろな奴に出会うもんだ。ケモノの真似をして交尾するのが好きな王とかな。まあ小娘に聞かせるにはちと刺激に強い話だが。
「あと考えられるとしたらあやかし憑きか、陰陽師の呪いか、だが……。元服もまだで、社交にもでていない小娘をわざわざ呪う貴族がいるかなあ」
「でもあんたが取りついてるんじゃないなら、あやかし憑きではないんじゃないの。ほかにこの近くにあやかしでもいるっていうの?」
「小虫小鼠だったらいるだろうが、憑くことができそうなのというと、そうだな……。お前らの横にいた犬っころのあやかしはどうなんだ? 仲良しごっこしてたのかしらないが、あいつが『今日は人間にでも取りつこうかな』って気分になった可能性はないのか?」
「犬のあやかし……?」
「ほら、昼間にこのオレ様にかみついてきた小癪ないぬっころだ。」
「荒々丸のこと?」
「名前は知らんがあの犬だ。あやかしだぞ? もしかして気づいてなかったのか?」