マッカーサーの指令で、レッドパージ(共産党員をクビにする事)される
レッドパージされて、ニコヨン(日雇い労働者)の土方(土木作業員)になって、前より、給料が、上がる。
レッドパージされて、郵便局の仕事が、できなくなった。それでも、清志は、めげなかった。ニコヨンと、呼ばれる日雇い労働者で、土方(土木作業員)をやった。頭が、良かったから、出納係(経理)も、やって、人の倍の日当を貰った。郵便局に、勤めていた頃より、給料が、良くなった。真面目に、働いたので信用ができ、ニコヨンと、言っても、同じ所で、雇ってもらえた。正社員の話しも、あったが、レッドパージの事が、あったので、断った。共産党活動しながら、給料が、上がったので、自腹で、米を買って、貧しい家に、配り歩いた。建設会社の仕事が、東北全域に、あったので、東北地方で、共産党活動しながら、米を配りあるいた。最後に、岩手県釜石市に、たどり着いた頃には、30歳位に、なっていた。そろそろ世帯を持たないと、と、秋田市に、住んでいる共産党員の友達が、「25歳位の自分の妻の友達と、見合いしないか?」女性のスナップ写真を見せた。美人とは、いえないまでも、手足が、細長くて、穏やかな、顔をしていた。清志は、薦められるままに、秋田市に、赴いて、見合いした。職業を聞かれたので、土方だと、答えると、「土方は、嫌だから、別の職業に就いたら、結婚を考えても、良いけど」ハッキリと、ものを言う女性だった。名前を佐藤サチ子と、いう。清志の勘で、この女性を逃したら、一生結婚は、無いなと、思い、「別の職業に就きます。その時、考え直して下さいね。」と、約束して、帰路に、ついた。
レッドパージは、佐藤サチ子も、経験している。姉は、同じ電話局電話交換手でも、寿退社だが、義兄が、逓信省の労働組合の責任者で、日本共産党員だった。姉も、サチ子も、日本共産党員。ただ、サチ子が、共産党員なのは、誰も、知らなかった。「サッちゃん、真面目だから、クビに、したくないけど、お義兄さんが、アレだから、レッドパージだよ。」