表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
清志が行く  作者: 相澤かり子
2/13

清志セールスに出る

清志は、未成年だが、当時、学生だったら、二十歳に、なっても、赤紙が、届かないというので、学生に、なったのだ。あくまでも、人殺しは、嫌だという事で。

清志は、東工大でも優秀で、教授に、気に入られ、教授が、都合が悪くて出席できない学会に、代理で、出席した。学会は、ホテルで、行われた。貧乏学生が、食べられない、高級料理が、出た。上野の有名なホテルだった。清志の家は、貧しかった為、国立でも、下宿代や、学費を払うお金が無かったから、清志は、みずから、セールスした。自分を売りに、出したのだ。「東京工業大学の学生で、星野清志と、申します。卒業したら、必ず御社に、入社致しますので、学費を出して、いただけませんか?」数社まわったら、学費を出すという会社が、何社もあった。一番条件の良い会社を選んで、契約した。だから、貧しい家でも、東京で、生活できたのだ。下宿の庭をせっせと耕して、カボチャの種を植えた。秋には、カボチャが、豊作だった。大家さんにも、ご近所さんにも、お裾分けしたら、喜ばれた。「星野君。すまないねえ。食糧難だから、こういうの助かるよ。」清志は、照れくさそうに、「一人じゃ、食べきれないから。」と、頬を赤らめて言った。清志は、毎日の様に、カボチャを使った、料理を作った。まあ、殆ど、カボチャが、主役のご飯だけどね。戦争での人殺しは、嫌いでも、大学では、毎日の様に、武器の研究をしていた。自分では、矛盾だと分かっていたが、時代柄、どうしようもなかった。

清志は、昭和20年の1月で、二十歳。終戦間際には、学生でも、赤紙が届いた。実際、清志にも、赤紙が、届いたのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ