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清志が行く  作者: 相澤かり子
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清志、生まれながらにして、波瀾万丈

87歳にして、大往生した、私の父の物語です。

清志は、東北の金持ちの家に、生まれた。江戸時代末期に、勤勉な曽祖父が、伊達の殿様に、気に入られ、長崎に、修行に、出された。印刷技術を学んだ曽祖父は、明治時代に、印刷業を営み、東北で、初めて、新聞を印刷した。侍大将くらいの家柄だったが、一代で、財を成した。清志が、生まれた頃は、当時珍しい、漆塗りの家紋入りのベビーカーに、乗せられていた。清志は、大正末期に、生まれた。祖父の弟は、アメリカで、銀行業を学び、東北で、初めて、銀行を作ろうとし、祖父が、保証人に、なり、失敗した。清志の母は、伊達家の代々家老を勤めた家柄だったが、急に、貧乏に、なり、清志と、義父を夫の妹に、あずけて、借金の返済の為、夫婦で、東北を転々とした。清志は、長男、義父は、借金の保証人。人質として、仙台に、残らなければ、ならなかった。清志の父母は、東北を転々としながらも、貧乏人の子沢山で、子供が、増えていった。貸していた、借家や、土地を手放しても、お屋敷だけは、手放さなかったから、借金が、残った。子供が、増えていったので、とうとう、仙台の一等地に、ある屋敷を手放したら、借金は、チャラに、なった。最終的には、宮城県石巻市で、印刷業を営んだ。印鑑も、作る仕事もした。清志は、いつの間にか、旧制中学校に、通っていた。仙台一中は、無理だったが、石巻中学だった。後の石巻高等学校である。清志は、自覚は、なかったが、顔立ちが、整っていた。目が、パッチリとして、鼻も、高かった。女学校のお姉様方に、可愛いがられた。清志は、優秀だった為、飛び級して、東京の軍医に、なる、学校を受けた。戦争での、人殺しが、嫌だったからだ。だが、英語が、苦手だったから、落ちた。次に、工業学校を受けたら受かった。実家を継ぎたくなかったから、何としても、東京に、出ようとこころんだのだ。工業学校でも、優秀で、教授に、東工大を受けないかと、言われて、東京工業大学を受けたら、見事、合格した。

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