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9.薬師だったものの夢

セチアが見た夢の話です

 ああ、そう言えば髪はきつく結っていたな……とか。

 服は白いローブが支給されていたな……とか。

 気になったことがあればすぐに書き留められるように、携帯用のペンとインクを忍ばせていたな……とか。


 たった数年前のことなのに、はるか遠い昔の事のように感じられる。


 セチアが薬師を目指した理由は単純。経済的に自立できる仕事だからだ。孤児院時代に貸本屋に入り浸り、店主に嫌がられながらも必死で薬学を頭に叩き込んだ。町の薬師に頼み込み、雑用兼見習いとして置いてもらったのが十四の時。もともと才能があったのだろう。セチアが王宮薬師として試験に合格したのが十七の時だ。


 絶対に失敗しないように。薬に関しては知らないことがないように。誰よりも注意を払い、誰よりも努力して務めた王宮薬師。

 時には厳しく同僚に指摘をしたり、失敗を慰め合う仲間たちに「自覚が足りない」と叱責したりもした。結果的に王宮薬師の質が上がったということからも、まだ若いセチアが一年後に特級薬師に登用されたのは、解呪薬を作れるという理由だけではないと思っている。


(そうよ。全部私の努力が実った結果……)


 セチアは手元の乳鉢を触る。夢とわかっていながらも当時のままの感触に顔が強張る。セチアはこの愛用の乳鉢を使い、王妃のために解呪薬を作ったのだ。


(そう言えば王妃様は……ああ、そっか。間に合わなかったんだった)


 いつもならせわしなくメイド達が歩き回っている音が聞こえるのに、今日に限って妙に静かな城の中。


(これは、王妃様の葬儀の日だわ……)


 “呪い”によって命を落とした王妃の葬儀は、城の中だけで行われた。本来なら国葬とすべきだが、国王の嘆きようを衆目に晒すわけにはいかなかったのだ。

 王妃の死の直後、国王の部屋からは獣のような叫び声が響いたという。あまりの悲しみに国王の心は壊れ、獣と化してしまったのだろう。なぜかそれまで以上に聖教会を敵視するようになり、周囲の者は戸惑いながらも従わざるを得なかった。さもなくば、自らが追放者となってしまうから……。


(薬師だった私は、医師の影に隠れてその存在を忘れられていた。そのおかげで罪に問われることはなかったのだけれども……)


 特級薬師である自分は特別な存在だ――そう、思い違いをしていたことは確かだ。しかし医師と共に王妃の治療に当たっていたにも関わらず、医師のように罪に問われず、薬師としての地位を奪われることもなかった。まるで存在してもしなくても変わらない、役立たずとでもいうように。


(けれど私は自分がただの役立たずだと認めたくなくて、王宮薬師であることにしがみついた)


 周りからの視線に気づかないはずはない。誰しもがセチアを遠巻きにし、『王妃を殺した薬師』とでも言いたげな視線を向けてきた。その誤った認識は、これからの仕事で晴らそうと考えたりもした。けれど、セチアの精神が根を上げる方が早かった。


(みんな蔑むように見ているくせに、誰もが私をいないものとして扱った。私よりも努力していないくせに、のうのうと暮らしている他の薬師達が許せなかった。……だから、本当はこの日のうちに城を出ればよかったのよ)


 王妃の葬儀の日――セチアは部屋に引きこもり、布団の中で震えていた。王女の泣き声がずっと頭から離れず、責められているように感じたからだ。


(せめて夢の中だけでも、自由になりたい)


 セチアは扉の取っ手に手をかけ、一気に押し開けた。だがそこに広がっていた景色は、思いもよらぬものだった。

 そこにはずらりと人が並び立っていた。誰も顔は見えないが、全員が白いローブを着ている。夢特有の直感でセチアはこれは同僚の薬師たちだと気づいた。同僚たちは口々にセチアを罵る。


『できない人間を見下しやがって』

『解呪薬が作れるからとお高くとまっていたくせに、結局役立たずじゃないか』

『なぜ間に合わなかったんだ?』


(違うわ! 私は――)


 かつて向けられた視線が言葉となって襲いかかってくる。


『自分が全知全能の神とでも勘違いしていたんじゃないか』

(そんなことない! でも私は努力したきたわ! それに、もっと早く“呪い”の進行を教えてもらえていたら――)

『だが結果は変わらない。王妃様は命を失い、あの子は危険にさらされた。』

(……あの子?)


 急に雰囲気が変わった。セチアは王女を「あの子」と呼んだりしない。セチアが今、「あの子」と言われて思い浮かべるのはただ一人。


『アイリスのことは君の方が詳しいんだろ?』

(フォイル……)


 いつの間にか薬師の集団はフォイルの姿に変わっている。過去と現在が混ざり合い、セチアはこれは悪夢なのだと理解した。


 フォイルの漆黒の眼差しは光なくセチアを映す。嘲笑うかのような物言いは、夢だと理解しつつも胸に突き刺さった。


(違う……私はもう関わりたくないの)

『あんなに自信たっぷりなのに?』


 そう言って鼻で笑う様子にカッと血が上る。


(なによそれ! 私が助けてあげたじゃない!)

『俺のことは助けてくれとは頼んでいない』

(でも、でも……っ!)

『君が助けたかったのは()()()()だろう? 解呪薬で俺を救い、役に立つ薬師と認められたかったんだ。そして自分が赤ん坊の面倒をみることで、王女を救ったつもりになりたかったんだ』

(それは――)

 

 頭が沸騰したのも束の間。淡々と語るフォイルに冷や水を浴びせられたかのような気分になった。彼はセチアのしたことが全て独りよがりだったと言いたいのだろうか。


(違う……)

「……ぇーん」


 どこかで赤ん坊の泣き声が聞こえたような気がした。だけど泣き出したいのはセチアも同じだ。だが悪夢の中のフォイルは許してはくれない。


『何が違うんだ。全部自分のためだ。努力家で優秀で、完璧な自分を捨てられないだけだろう』

(違う、違う、違う――!!)


 セチアは声を張り上げた。


(私だって、誰かに助けてほしかった――)


「ふえーん!」

「――っ?! はぁ、はぁ、はぁ……」


 泣き声がセチアを現実に引き戻す。肩で息をつきながら顔をあげると、そこはセチアの寝室――アイリスを寝かしつけていたベッドに、もたれかかるようにして眠ってしまっていたのだった。

 ゆっくりと手を伸ばし、目を閉じたまま泣いているアイリスの頭に触れる。柔らかな髪の毛とあたたかな温もり。


「また起きたの?」

「ふえっ……ふえーん!」


 手をお尻に移動させると、うっすら湿っぽい。どうやらおむつを替えなければいけないようだ。「よいしょ」と言いながらアイリスの体勢を整える。ずっしりと重くなってきたアイリスは急に動かされたことで驚いたのかぱちっと目を開けた。

 暗がりの中にアイリスの青い瞳が輝く。目が合うと、アイリスは「ふへっ」と表情を緩めた。その表情にセチアは固く唇を噛んだ。


「私だって、あなたみたいに……」


 続く言葉は悪夢の中に置いて来てしまった。

 しかし取りに戻る気など起きるわけもなく、セチアは朝が来るのをひたすらに待ち望んで夜を明かしたのだった。

次話は明日18時更新予定です。

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