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6.死にぞこないたち

 空に星が瞬き、月明かりが窓から静かに差し込む頃、足音を潜めたセチアは一歩、また一歩と床に置かれたかごに近づいていた。


(そぉ~っと……そぉ~っと……)


 胸の中で呪文のように唱えながら、腕の中で寝入ったアイリスをかごの中に降ろす。普段運動不足なだけあって、慎重さを求められる動作に腕の筋肉がふるふると震える。だがここで気を抜いてしまっては、また一からやり直しだ。


(起きないでよ、もう私無理だからね……)


 ゆっくりとアイリスの背をかごの底につける。途端、ビクッ! とアイリスが両手を持ち上げ、小さな体が跳ねた。


(ひぃっ!?)


 だがセチアの驚きをよそに、アイリスはすぅすぅ……と寝息を立て続けた。


「や、やったぁ……」


 思わず歓喜の囁きを口にしてしまうほど、セチアの腕はパンパンだ。抱っこで寝付かせたアイリスをそぉ~っと置くも、すぐに「……ふえぇぇ」と目を覚まし、声を上げるのだ。そこで慌てて抱き上げて寝かしつける……。

 何度も繰り返し泣くアイリスを、まだ病み上がりのフォイルに「代わってちょうだい」というのも躊躇われる。セチアはここのところ毎夜くたくたになっていた。


「つ、かれた……。この子、背中に目でもついているの?」


 セチアは格闘の成果を確認すべく、かごの中を見下ろした。アイリスはふっくらとした唇をわずかに開き、すやすやと眠っている。この家にきた一週間ほど前よりも大きくなった気がするのは、気のせいではないだろう。入れられていたかごが、何となく手狭に感じる。


(さすがにこれじゃ狭いから起きてしまうのかしら。なんとかしないといけないけど、私のベッドを譲るのはちょっと……)


 穏やかな寝顔を見つめながらぼぅっと考えていると、背後でごそごそとフォイルが動く気配がした。振り向くと床に寝ていたフォイルが起き上がるところだった。ベッドが一台しかないこの家では、フォイルもまた床に敷いた敷布の上に寝てもらうしかなく、寝心地は最悪なはずだ。


「悪いわね。ベッドじゃないから体痛いでしょう?」

「……いや大丈夫だ、っ……けほけほ」

「――っ!」


 セチアがひそひそと話しかけると状況を察したのか、フォイルもひそひそ声で返そうとする。だが喉がカサついたようでむせている。せっかくアイリスが寝たところなのに、あまり大きな音を立ててほしくないのが正直なところだが、直接伝えるのも気が引ける――というところで、セチアの頭に名案が浮かんだ。


「ね、ねぇ。お茶でも飲まない? ちょうど淹れようと思っていたの」

「すまない……もらってもいいだろうか」

「いいわよ。ちょっと待ってて」


 セチアはそこで素早く、しかし静かにお茶を淹れる準備を始めた。調理台のかまどの中で灰に埋まった熾火を掘り起こし、少しだけ湯を沸かす。薬棚の中から気持ちのほぐれる効果のある薬草を取り出していると、フォイルがアイリスの寝るかごを覗き込んでいる姿が目に留まった。


「どうしたの?」

「あのかご、狭いだろうな」

「やっぱりそう思う!?」


 意外にもフォイルがアイリスのことに触れた。これまでアイリスの話題を切り出すのはセチアからがほとんどだったので珍しい展開だ。しかも先ほどのセチアと同じところを見ていたことに嬉しくなってしまい、わずかに声が弾んでしまう。

 

「少しの間だけど、あの子用のベッドがあると良いのかしら……? でも置き場所よね……」


 この家にはセチアの寝室と小さな物置部屋、そして仕事場兼キッチン兼居間であるこの部屋の三部屋しかない。セチアがぶつぶつと考え込んでいると、シュンシュンと音を立ててお湯が沸いた。ポットに薬草を入れ、お湯を注ぐと花のような香りが立ち昇る。セチアはあまり好みではないが、今はこの香りが必要な気がしたのだ。


「それにベッドを村で頼むなら手間賃にけっこうかかるかしら……。ねえ、あなた作れたりしない」

「作れる」

「作れるの?!」


 冗談のつもりで聞いたにも関わらず、意外な返事に思わず大きな声を出してしまったセチアは、慌ててアイリスを覗き込んだ。幸いにもアイリスは眠り続けていた。ホッとしながらフォイルにお茶を注いだカップを差し出す。


「意外。聖騎士様ってすごいのね」

「聖騎士じゃなくても、そのくらいできる奴はいる」

「でも貴重よ」


 ズズっとお茶をすすりながら答えると、ジッと見つめるフォイルと目が合う。


「君も……いや、あれだ――」


 フォイルは一度言おうとしたことを飲み込み、新たに口を開いた。


「薬師なのに子どもの世話もできるんだな」

「少しよ。私、孤児院出身だから下の子たちの面倒を見させられていたのよ」


 それは別に隠していたわけではないが、あまり口にしたことがない過去だった。実際に口にするとさすがに懐かしさがこみ上げる。薬師を目指し、孤児院を出るまでは年下の面倒をよく見ていたものだ。勝ち気な女の子もいれば、年上なのに妙に甘えん坊の男子もいた。


「そうか……。大変だったんだな」

「そうでもないわ。色々勉強になったもの」


 フォイルは何と言うべきか迷っていたのだろう。少しの間の後、同情の言葉を口にした。けれどセチアにとって孤児院での生活は苦ではなかった。


(王城を出てからの方がよっぽど大変だったもの……)


 住処を失くし、仕事を失くし、それまで生きて来た意味を失くしてしまったような数年だった。今でこそ蓋をしておくことができるようになったものの、当時は夜になる度に王女の泣き声が聞こえるようで、なかなか眠れなかったことを覚えている。


(そういえば、その時もこのお茶をよく飲んでいたわね。なんだか変な感じ)


 セチアはこのお茶を葛藤の中で何度も口にした。

 そして、葛藤の中で何度も死を思った。あの時――フォイルがここを去ると言ったときの違和感は、少し前の自分と同じ空気を感じたからだ。


(理由はわからないけれど、きっとこの人も死ぬつもりだった――)


 その時にがぶ飲みしていたせいであまり好きではなくなってしまったお茶を、誰かに淹れる日が来るなんて当時は予想もできなかった。


「……でもまさかね。赤ん坊を連れた元・聖騎士様がやってくるとは思わなかったわ。しかも解呪薬をまた作るなんて……。生きているといろんなことがあるものなのね」


 セチアの独り言のような言葉にフォイルが答えることはなかった。見ればフォイルの視線はぼんやりとカップの中に落とされている。何を考えているのだろう。お茶の効果で緩んだ胸の中から、抱き続けるはずだった問いがほろりとこぼれ落ちていく。


「ねえ……あなた、死ぬつもりだったわよね」


 静かに、しかしはっきりとしたセチアの言葉にフォイルは顔を上げた。漆黒の瞳がわずかに揺れている。


「どうしてそう思う?」

「なんとなくよ」


 フォイルにそう答え、セチアはカップに残ったお茶を一気に飲み干した。底に沈んだ渋い一口も勢いよく流し込む。


「私も死にぞこないだから」

「そうか」

「そうよ」

「俺は……君に助けられてしまったからな」

「まあ、そうなるわね」


 フォイルがどんな気持ちで返事をしてくれたのかはわからない。けれど声に含まれたほのかな明るさに救われたような気分になる。


 テーブルに飲み干したカップを置くと、コトンという音が意外と大きく室内に響いた。セチアは慌ててかごに目を向けるも、アイリスは先ほどと変わらぬ寝顔を見せている。何も知らない、無垢な寝顔だ。


「アイリスも――」


 だがセチアはその後に言おうとした言葉を飲み込んだ。親のいないアイリスが苦労するのは当然だろう。だがこんな小さなアイリスに、セチアたちがわざわざ今のうちから荷を負わせる必要はないのだ。


「アイリスは……ベッドなら寝てくれるかしら」


 その後、朝にアイリスが目を覚まして泣きだすまで、セチアは夢も見ずにぐっすり眠ったのだった。

次話、明日18時更新予定です。

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