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最終話.やっぱり育児は向いていません

 聖教会の守護者である聖騎士団――だが彼らがいない状況で、信徒たちが戦力となるわけではない。私腹を肥やし、自らの地位を高めたいだけの貴族たちが聖教会に集まり王家を裏切ったのだ。自分たちの立場が悪くなるとあれば、躊躇いなく離反するのは当然のことだった。

 後の報告によれば、この日聖教会内に押し入ったオレア帝国兵の妨げとなるものは誰一人、何ひとつとしてなかった。帝国兵の姿を見た信徒たちは蜘蛛の子を散らすように去り、遺されたのは部屋で一人、女神像に祈りを捧げる聖司祭ジュダスだけだったという。


「ジュダス! 皇帝陛下の命により、お前を前トランカート王妃殺害及びオレア帝国領侵犯首謀者として捕らえる」

「なんだと!? お前ら、どこまで女神様のお怒りに触れれば気が済むのだ! 私を捕らえたとて、お前らは女神様のお怒りに触れた報いを受けることになるだろう! 思い知るが良い、アッハッハッハ……っぐぅ!?」


 高らかに笑い声を上げたジュダスは突然苦しみ始め、身体中に黒い痣を作って息絶えた。最期の言葉は「私の命を、あのお方に――」だったと記録されている。

 聖司祭ジュダスの死をもち、聖教会は消滅。トランカートの地は、帝国領トランカートとしてグレカムの支配下に置かれた。



「……と言うことだ。まだそなたには難しい言葉も多かったな」

「はい。でも何となくわかりました」


 オレア帝国城の一室で、グレカムは部隊からの報告を目の前に座るリージアに噛み砕きながら話して聞かせた。この国に来たばかりの頃はふさぎ込んでいたリージアは、時折笑顔を見せるようになっていた。侍女が懸命に手入れをしたおかげで金色の髪は艶やかさを取り戻し、くるくるとよく動く青い瞳は彼女の性格が本来は積極的なことを示しているように見えた。


「『あのお方』が何者なのか、それに結局のところ“呪い”や『女神』が何だったのか。まだすべてはわかっていないが、聖教会はこれで終わりだ。聖騎士団の関係者以外で、再び聖教会の教えに従いたいという者はいなかった。そなたの国はずいぶん現金な者が多かったのだな」

「『現金な者』とはどういう意味ですか?」

「自分の事しか考えていない人間、という意味だ」


 グレカムの説明に唇を尖らせながら「なるほど」と頷くリージアは年相応にあどけない。父の様子が落ち着かなかったせいで、大人にならざるを得なかったのだろう。


(かわいそうなことだ。それに近くこの子はまた親を亡くすだろうが、最後に会うこともできないのか――)


 乱心の元トランカート国王はもう食事を取ることもできなくなっていた。やせ衰えた姿で目だけぎょろぎょろと動かしながら聖教会への呪詛を吐いているという。愛した妻の名も娘の名も覚えていないようだ。そんな姿を見せるわけにはいかない。


「これからは俺が責任をもってそなたの母を弔おう」

「陛下が? ……そうですか、嬉しいです。ありがとうございます」


 リージアはその言葉に不思議そうな顔をしたが、すぐに意味を理解したようだ。にっこりと微笑んで見せた。両親を失うという現実を受け止めるにはまだ早いのかもしれない。そう思わせられる痛々しい笑顔だったが、グレカムはいずれリージアにトランカート領を授ける予定だ。君主として生きてもらわなければならない。


(この子には強くなってもらわねば。まあ、あの薬師ほど気が強くなくてもいいが――)


 最愛の弟と共に暮らす栗色の髪の人物が脳裏をよぎる。そこでグレカムは珍しく「あ」と小さく声を上げた。


「……そう言えば、俺の弟のところに一才くらいの赤ん坊がいる。今度城に来てもらおうかと思っているんだ。来た時には、一緒に遊んでやってくれ」

「赤ちゃん……?」


 不思議そうに首を傾げるリージアがぱちくりと瞬きをした。だいぶ表情が豊かになったと侍女が喜んでいた意味がわかる。グレカムはリージアとアイリスが並んだ姿を思い浮かべ、自然と頬が緩むのを感じていた。



「あああぁぁアイリスっ!?」

「んー、っぱ。んー、っぱ!」

 バシャー。バシャー……


 セチアからしてみれば、ほんの少し目を離しただけなのに……。

 水がめに置いていたひしゃくなんて、セチアにとってはただ水を汲むだけの道具に過ぎなかった。

 だがアイリスにとっては最高の遊び道具を得た時間になったのだった。

 セチアが気づいた頃には、水がめからひしゃくで水をすくい上げては床にぶちまける動作もこなれたものだった。楽し気な掛け声をかけながら水をかけるのは、セチアが束にして置いておいた乾燥させた薬草だ。慌ててアイリスの手からひしゃくを取り上げる。


「や、薬草がぁっ! そんなことしたらだめじゃない!!」

「っやーや、やーやっ! ……うわぁあああぁっん!」


 まだ赤ん坊に毛が生えたようなアイリスの抵抗など、セチアに取っては簡単にあしらえるものだ。けれど遊び道具を急に取り上げられたアイリスの怒りは収まらない。しばらく泣きわめき、結局機嫌が直る前に泣きつかれて眠ってしまった。


「……だからかい、目の周りが赤いのは」

「大泣きしたあと、すぐに寝ちゃったの。起きたらきっと機嫌最悪よ」


 依頼していた薬を届け物のついでに受け取りにきたグリン婆が、ソファーで寝ているアイリスを覗き込んで納得したように呟いた。

 

 聖教会の襲撃があった日、森の中で別れたリップとグリン婆はディックとすぐに出会うことが出来たらしい。どうやら緊急時の集合場所を決めていたというのだから素晴らしい危機意識だ。けれど腰を打ったグリン婆の腰痛は悪化し、今まで以上に軟膏が必要になってしまった。


「はい、腰痛用の軟膏」

「ありがとよ。こればかりはあんたの作ったものが一番だからね」

「当り前よ。特級薬師だったんだから」


 セチアは「ふん」と胸を張って答えた。セチアの経歴はその後、皆の知るところとなった。もちろんフォイルの生い立ちも、全て……。しかしグリン婆をはじめ、話を聞いた人々の態度はこれまでと何も変わらなかった。


(解呪薬が作れるせいでみんなを危険に巻き込んでしまったのに、リップさんなんかは『努力の成果だから誇るべきよ』なんて言ってくれて……。王妃様の事も、今回の事も、負い目に感じる必要はないって慰めてくれた)


 それならこの能力をみんなのためにもっと役立てたい……。そう思ってから肩の荷が下りたような気がしていた。腰痛の軟膏作りも飽きてきてはいたものの、これまでより丁寧に魔力を込めて練り上げるようにしていた。そんなことを考えていたセチアはふと気づく。


「あれ? ねえ、グリン婆っちゃ。そういえばこの前も同じ薬を渡したわよね?」

「ああ、これはな――」


 セチアの問いかけに、グリン婆はなぜか嬉しそうに話し始めた。



「彼氏……」

「そう。びっくりでしょ? あんまりびっくりし過ぎて、せっかく寝ていたアイリスを起こしちゃったのよ」


 その夜、アイリスをようやく寝かしつけたセチアは、グリン婆の驚きの発言をフォイルに興奮しながら語って聞かせた。グリン婆は腰痛用の軟膏を新たな恋人に使ってもらおうと追加依頼したということだった。燭台の明かりでぼんやりとしか見えないが、フォイルが驚いた顔をしているのがわかる。


「もちろん軟膏は誰が使っても良いように作っているから大丈夫なんだけど、まさかグリン婆に恋人が……」

「ディックさんもリップさんも何も言ってなかったから、きっと知らないはずだ」

「村長の役目はディックさんに譲ったから、あとは自分の余生を楽しむってことらしいわ」


 また話に来ると言って帰っていったグリン婆は、まるで恋愛小説に出て来る少女のようにキラキラとしていた。その姿が少しだけ羨ましいと思ったのは秘密だ。


「リップさんが知ったら大騒ぎになりそうだ。今日もディックさんがこっそり村の中に釣り堀を作ろうとしているのを知って怒っていた。結局釣り堀じゃなく洗濯場になりそうだ」

「ふふふ、二人らしいわね。そう言えば村の様子はどう? だいぶ進んでいる?」

「ああ、もうそろそろ終わりそうだ」


 聖騎士団に荒らされた村は修繕が必要なところが多く、帝都から派遣された大工と村人たちで作業に当たっていた。指揮をとるのはグリン婆から村長を引き継いだディックだ。ディックは祭りのように村の皆が楽しめることを増やしたいと思っているらしいが、結局はリップたち女性陣が使いやすいようになっているようだ。

 同じように荒らされていたセチアの家もあっという間に元通りになった。「帝都ではこれが普通だから」とアイリスが昼寝をするときに使える作り付けの幅広ソファーや、これまでよりも広い調理台を置いてもらったりと、むしろこれまでよりも使い勝手が良くなったまである。


(まあ、それもこれも過保護な皇帝陛下のおかげなんだけれど……)


 大工を派遣したのは他でもないグレカムだった。どうやらセチアの心配をよそにグレカムは単純にフォイルを溺愛しているだけらしい。

 オレア帝国では双子の片割れを“忌み子”として扱う悪習を改め、新たにそのような対応をした者には刑を科すると定めた。グレカムは自らにも双子の弟がいたことを明かし、国民に向けて考えを改めるよう告げたのだった。


(生き分かれていた弟への深い愛を語ったものだから、むしろ帝国の人々の心は皇帝に親近感を覚えることになったのよね。どこまでが本心で、どこからが建前なのかわからないけれど……)


 フォイルと顔かたちが同じなのに、グレカムには得体の知れぬ恐ろしさを感じる。同じ瞳の黒さでも、グレカムの方がより深さを感じる。きっとそれは皇帝となるべくして生きて来たグレカムが身に着けた生きる術なのだろう。


(あ、そうだ。グレカム陛下と言えばグリン婆が持ってきてくれたものが……)


 グリン婆の届け物の存在を思い出したセチアは、椅子の音を立てぬように立ち上がった。


「そういえばあなたにまた手紙が届いていたみたい。グリン婆が届けてくれたの忘れていたわ」

「俺は字が読めないと伝えたはずだが……」


 手紙の存在を告げるとフォイルはわずかに眉を寄せた。フォイルは字の読み書きができないと言っているのに、グレカムは何度も手紙を送ってくる。その都度セチアが代読・代筆するのだが、他人の手紙を読むのはあまり気持ちの良いものではない。


(いい加減、読み書きを覚えてもらわないと……って、あれ? この辺に置いたはずなのに)


 グリン婆から確かに手渡されたはずの手紙が見当たらない。ごそごそとチェストの上を探すセチアにフォイルが声をかけた。


「どうした?」

「うーん、この辺に置いたはずなんだけれど……」


 だがどこを探しても手紙は見当たらない。念のためチェストやテーブルの下も探してみたが、どこにもその気配がない。まさか前のようにアイリスが食べてしまったわけでもない。


「ごめんなさい。明日、明るくなったらまた探すわね」

「大丈夫だ。急ぎだったらあの男が来るだろう?」

「確かにそれもそうね」


 あの男――クロスの事だ。クロスは皇帝の伝達役のようなことをしつつ、養父の後継となるべく忙しく働いているようだ。

 彼の養父母がアイリスの引き取り先として手を挙げてくれいたものの、最終的にそれは先方から断られることとなった。どうやらクロスの養家であるグランプ家で元トランカート王女リージアを養女して引き受け、教育を施す予定らしい。

 さすがに負担が大きいと言われてしまえば、話はそれまでだ。セチアはすぐにアイリスは自分の手元で育てると決めた。


「クロスも振り回されて大変よね。そうだ、お茶でもどう?」

「ああ、飲みたいな」

「そうこなくちゃ。ちょっと待ってて」


 セチアはフォイルの返事を聞き、静かに、しかし素早くお茶の準備を始めた。最近アイリスは毎晩夜泣きしていた時期が嘘のようにぐっすりと眠るようになった。少しの物音では起きないものの、静かにしておくに越したことはない。

 やかんに水を汲むべくひしゃくを水がめにつっこんだセチアは、すぐに違和感に気づいた。悲鳴をあげそうになるのをすんでの所でこらえた。


「な、なにこれ……!」

「どうした?」


 駆け寄ったフォイルはセチアの視線の先を辿った。セチアが手にしたひしゃくの先には水をたっぷり含んだ薬草の束が引っかかっていた。数日前に「すぐ使うから」といって、セチアがその辺に置きっぱなしにしていた乾燥薬草の束だ。


「――もしかして!」


 ハッと何かに気づいたようなセチアは水がめの中をひしゃくでかき回し始めた。すると次から次へと色々な物がすくい上げられる。


「これは石? スプーンに……それに積み木がたくさん。……あっ!」


 ざくざくと水揚げされる物に混ざって、ヘロヘロになった封書がひしゃくにくっついて来た。手に取ると水をたっぷり含んだ手紙は文字が滲んで読めそうにない。しかしこれだけ水に浸っても崩れない上質な紙を使える人物は限られている。


「これ、今日届いた手紙だわ……」

「そうか……」

「私、こんなに入っているなんて知らないでさっきこの水飲んじゃったわよ」

「そ、そうか……」


 シン……と二人の間に沈黙が落ちる。

 こんなことをする人物には心当たりしかない。向かった二人の視線の先には、ベッドですやすやと寝息を立てるアイリス――。


「もう本当に無理!」


 ひしゃくを投げ出したセチアはドカッと椅子に腰を下ろし、天を仰いだ。


「私やっぱり育児なんて向いていないのよ。今日だっていたずらはこれだけじゃないのよ。あの子最近全然言うこと聞かないし、遊んでいる時以外は泣くか怒るかしかしていないもの!」


 げんなりしたセチアの言葉をフォイルは水がめをひしゃくで探りながらジッと聞いていた。


「だんだんいたずらと癇癪が増えるってリップさんが言っていたけど、今以上に増えるってこと? 無理むり。耐えられないわ」


 ざらざらと取り出される積み木を眺めながら、セチアははぁ……とため息をついた。襲撃の日以来、セチアは少しだけ弱音を口にできるようになっていた。けれど「できない」と口にすると、同時にこみ上げる不安感が胸を押しつぶしそうになる。


「……って。アイリスと暮らすのは自分が決めたことなのに。こんな事言うなんておかしいわよね。やっぱり無し無し。今の聞かなかったことに――」

「おかしいかどうかはわからない。育児に向いていないのは俺も同じだから」


 ハッとしたセチアの目に飛び込んできたのは、穏やかにこちらを見つめるフォイルだった。


「頼りないが俺もここにいる」

「っ!」

「君だけじゃない」

「……そうね」


 存在しないものとして生きてきたフォイルにとって、セチアとアイリスと過ごす場所が彼の居場所となったのだろうか。そうであればいいとセチアは思う。そしてセチアもまた、二人のおかげで捨てたはずの人生に自分で意味を持たせられた。

 没落薬師セチア。追放された聖騎士フォイル。そしてかごの中で一人で泣いていたアイリス。この生活がいつまで続くかわからない。けれど――。


「――キャハハっ!」

「?!」


 突然聞こえた笑い声にセチアとフォイルは顔を見合わせた。声が聞こえて来た寝室を覗き込むと、アイリスが笑顔を浮かべながら、すやすやと眠っている。


「……だいっ。キャハハ……」

「寝言、よね?」

「……たぶん」

「――っふ、ふふふ」


 どんな夢を見ているのだろう。眠りながら笑うアイリスにセチアは思わず噴き出した。フォイルも愛おしそうにアイリスを見つめていた。



 この生活がいつまで続くかはわからない。けれど、願わくばアイリスがこの先も幸せな夢を見て笑っていられる日々を過ごせますように――。まだまだ人間としては未熟なセチアとフォイルでも、そのくらいは願うことができる。


 その夜、湯気の立つお茶を飲みながら、セチアはフォイルにアイリスのいたずらの数々を話し始めたのだった。

今回をもって完結となります。

ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました!

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