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5.ある提案

 青年は自らをフォイルと名乗った。

 解呪薬によって命を取り留めたフォイルは、あっという間に以前と同じ生活が送れるまで回復した。


「痣は残ったけど、もう息苦しさはないのよね?」

「ああ、大丈夫だ」


 毎朝の日課でもある体調確認。意識を失う前に感じていた苦しさはもうすっかり消えたそうだ。


(解呪薬はちゃんと効いた……。私の作った薬が“呪い”に勝ったんだわ)


 フォイルの体調が回復するたびにこみ上げる達成感。薬師として失ってしまったものが少しずつセチアの中に戻ってくるようだった。上機嫌で帳面に記録するセチアの横で、フォイルがぽつりとつぶやいた。


「しかし、あれはやはり “呪い”だったのか……」


 彼の視線は腕に残された黒い痣に落とされている。同じように痣を見つめながらセチアは尋ねた。


「そうよ、解呪薬が効いたことが何よりの証拠。それよりあなた、いったいどこで“呪い”に侵されたの? それがわかれば何か予防法が見つかるかもしれないわ」

「……すまない。まったく心当たりがないんだ」


 セチアの問いにフォイルは首を振った。打ちひしがれたようなその様子に、さすがのセチアもそれ以上尋ねるのは躊躇われてしまう。


(う~ん。少しでもきっかけがわかればと思ったんだけど……。この人が聖騎士を離れたのも、その辺に理由があるかもしれないから、これ以上聞くに聞けないわよねぇ)


 聖教会の教えでは女神は深い慈悲の心で、全ての人々を救済するとされている。ならなぜ聖騎士であるフォイルが救われなかったのか……。苦しんでいる者こそ、救われるべきではないのだろうか。少なくとも幼いセチアが救われることはなかった。セチアを救ったのは自らの努力だ。


(ま、私がそもそも女神のことをそう信じていないのもあるけれど、他人の信仰にとやかく言うのは野暮ってもんよね)


 セチアは静かにペンを走らせながら、そっと胸に蓋をした。


(……ん? ()()?)


 ハッと顔を上げたセチアは、この家にいるもう一人の存在を思い出した。


「アイリス! 静かだと思ったら!」


 セチアは慌てて床に置かれたかごに駆け寄った。中では赤ん坊が自分のこぶしを頬張って遊んでいるところだった。


「あぶぶぶぶ……」

「うわぁ、また手がよだれだらけじゃない」


 かごを覗き込んだセチアを、青色の小さな瞳が見つめ返した。

 フォイルが連れて来た女の赤ん坊は、セチアによって『アイリス』という仮の名がつけられた。薬草の名でもあるアイリスは若い頃は土のようなにおいだが、精油を熟成すれば高貴な香りの香油となる。その変化が人間のようでセチアのお気に入りの薬草である。


 アイリスは丈夫な赤ん坊らしく、環境が変わっても特に体調を崩さず過ごしていた。ヤギの乳をよく飲み、飲んだだけ出す。健康なのはなによりだが、ここ数日よだれが増え、こまめに拭かなければならないのが地味に面倒だったが……。


「この子がいると何にもできないのよね。はやいとこ孤児院を見つけたいのに……」


 アイリスの手と口元を拭きながら、セチアが思い出すのは村での出来事だ。



「あらやだセチアちゃん! いつの間に赤ん坊産んだの?!」

「産んでないわ!」


 案の定、アイリスをはじめて連れて行った日は、会う人すべてに同じことを聞かれ、うんざりしながら村長のグリン婆の所にたどり着いた。もちろんグリン婆もいつもの眉間の皺を消し、目を思い切り丸くしていたものの、状況を説明すると「そういうことかい」とアイリスを憐れんでいた。


「そうかい。親を失くして……でも孤児院といっても、この辺ではまず建っていないからねえ」

「そうなの……」


 あてが外れ、セチアは再び振り出しに戻された気分だった。セチアの育った王国領ではどの地域にも一軒は建っていたからだ。


帝国領(このくに)で親を失くした子どもは、隣近所で育てちまうのが一般的だからねぇ。この際だ、その男と二人で育てちまえばいいだろうに」

「グリン婆っちゃ! 何馬鹿なこと言ってんのよ! だったらこの子を村で受け入れてくれるわけにはいかないの?」

「あんた、この村で暮らすつもりもないんだろう? さすがに村人の子じゃない子は受け入れられんよ」

「それは……」

「……迷うようなら尚更だね。ほーら、アイリス。いないいないばあ~」

「きゃはは!」


 グリン婆はそう語りながら、アイリスを膝の上に乗せてあやしている。いつも険しい顔をしているグリン婆も、ケタケタと笑い声を上げているアイリスに向けるまなざしは優しい。だがその優しい表情に反して、セチアに告げられた言葉はいつもどおり厳しいものだった。


 王国を離れたものの、セチアが帝国領を終の棲家にするかと問われれば、答えは「否」だ。王城を離れてからというもの、自分の居場所を作ることに抵抗が生まれたからだ。


(居場所ができてしまえば、そこに暮らす人たちと関わっていかなきゃならない。あえて森の中に住んでいるのも、いざとなればすぐに引っ越せるから――)


 グリン婆の指摘にセチアは反論する立場ではないことを察する。

 村長であるグリン婆の言うことはもっともだ。よそ者の面倒を見ることは、単純に村の負担を増やすことに繋がる。それが働き手にもならない赤ん坊なら尚更だ。

 だがそこに、階段上から助け舟が出された。


「――母さん、そんなぶった切ることないじゃないか!」


 そう言いながらにこにこ降りて来たのは、グリン婆の娘のリップだ。すでに二人の息子を育て上げたリップは、両手に赤ん坊の服を抱えて降りて来た。


「見つけたよ~。ほら、どっこいせ」

「こんなにいっぱい……! 突然だったのにごめんなさい」

「どうせもう使う機会はないし、使ってちょうだいな。それでさ、今の話だけど帝都に行けばなんかわかるかもよ。今度、行商人が来たら聞いといてあげるよ。ねえ、母さん?」


 服の山をどさっと目の前におきながら、リップはグリン婆に話しかけた。グリン婆はアイリスを抱きながら、少し考えたような顔をした後に頷いた。


「帝都か……まあ、あるかもしれないねぇ」

「ぜひお願いできるかしら!?」


 セチアの目の前が一気に明るくなった。

 二人には行商人が来たらセチアの家に寄ってほしいと伝えてもらうよう頼み、服の礼として神経痛の薬と肌の保湿薬を渡した――というのがこの数日の出来事だった。



「もう少しすればあなたのお家が見つかるはず。それまでの辛抱ね」

「きゃはは」


 アイリスは自分に話しかけられているのがわかるのだろうか、セチアが話しかけると声を上げて笑った。数日前とは表情も動きも違う。セチアがどう抗おうと、アイリスが日に日に成長することは止められないのだ。

 フォイルは回復し、アイリスは育つ。人間が前進する力はすさまじいと思い知らされる。


「――それは良かった。安心だ」

「え? ええ、無事に見つかれば良いけれど……」


 唐突なフォイルの声に、セチアはわずかに驚いてしまった。

 帝都の行商人に孤児院について尋ねる予定だという話は、すでにフォイルにも伝えている。アイリスの引き取り手を探したかったのは彼もまた同じだろう。しかしフォイルは喜びの言葉に反し、なぜか思いつめたような表情をしている。


(この人、もしかして――)


 セチアはふと覚えた違和感にフォイルを見つめた。表情は普段と変わらない。しかし彼の黒い瞳の奥に宿った闇がセチアを焦らせた。


「悪いが俺は明日にはここを発とうと思っている。治療してもらったことには心から感謝している――」

「ちょ、ちょっとまってちょうだい!」


 フォイルの言葉を遮るようにセチアは声を張った。


「こちらこそ悪いんだけど、ここでおさらば……ってわけにはいかないわよ。ちゃんと責任はとってちょうだい」

「責任……?」

「当たり前じゃない。あなたがアイリスを見つけて、ここに連れて来たんだもの」

「確かにそうだが、でも……」


 フォイルは困惑しているようだった。まさか引き留められると思っていなかったのだろう。ここを早く離れたいことがひしひしと伝わってくる。


(でもそんなわけにはいかないわ。ここを発てばきっとこの人……。それに預け先が見つかるまで私がアイリスの世話をし続けるだなんてあまりにも理不尽よ)


 セチアは人差し指を伸ばし、フォイルの前に差し出した。その指をアイリスが「えぶえぶ」と掴もうとするのを避けながらフォイルに告げる。


「ひとつ提案があるの。あなたはこの子の孤児院が見つかるまでここで私とこの子の面倒を見る。私はその間、あなたの体を観察させてもらう」

「体を……」

「経過観察よ!」


 フォイルの顔色が変わる。明らかに引いているフォイルの様子に、セチアは慌てて訂正を加える。


「期間はこの子を入れる孤児院が見つかるまで!  “呪い”が再発しないかとか、薬の副作用とか……呪いからの回復経過なんて、なかなか観察できないんだから!」


 “呪い”からの経過を追えるなんて、生きているうちに出会えるかどうかという貴重な機会だ。薬師としての好奇心。そしてアイリスの面倒を一人でみることを避けられるなら、人ひとり住まわせるくらい安いものだ。聖騎士だった男がセチアに不埒な真似をするとも思えない。


(それに――)


 さっきの違和感の答え――役目を終えた気になり、人生を終わらせようとしているように見えるフォイルを一人で旅立たせるわけにはいかない。

 強引ともいえる提案に頷いたフォイルの姿に、セチアはホッと安堵したのだった。

次話は明日18時更新予定です。

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