47.女神様の教えの下に
セチアは栗色の瞳でぐるりと家の中を見回し、リップの腕の中でピタリと止めた。
「アイリス……!」
「ひっ……うえぇえーっ!」
セチアの姿に気づいたのか、アイリスの泣き声が一段と大きくなる。たまらず入口に立つ男の脇をすり抜け、セチアはアイリスに駆け寄った。リップの腕の中から受け取ると、アイリスは涙をぼろぼろ流しながらさらに大声で泣き叫んだ。
「ふぎゃゃぁぁ……っ!」
「アイリス! ごめんね! みんなもごめんなさい!」
「セチア! あんた何で戻って来たんだい?!」
グリン婆の驚きの声にセチアは答えなかった。その代わりに汚れた金獅子の前に立つ人物を睨みつけた。
「うちの子を泣かせてどういうつもり?」
「なんだ、お前は」
ザモから返って来たのは蔑むような視線だった。ザモの足元には落ちているマントの切れ端は、おむつに使えなかった刺繍部分を何となく捨てられないまましまい込んでいたものだ。これがここにあるということは、セチアの家も荒らされてしまったのだろう。
(こいつもフォイルを“不浄の者”として虐げて来たのね……)
「お前は――」
鋭い眼差しを向け続けるセチアにザモがわずかに眉を動かした。その時だった。
「聖教会の者だな。我が帝国に刃を向けた罪、償ってもらおう」
背後からかけられた声にザモが振り返る。赤銅色の髪をなびかせ、入口に立っているのはクロスだ。
馬車でのやり取りの後、走り出す馬車から飛び降りようとしたセチアを引き留め、村まで馬を走らせてくれたのだ。
「……貴様、あの時皇帝の側にいた奴だな」
「なんだ、覚えていたのか。忘れてもらってよかったんだがな」
クロスの姿を認めたザモは顔を歪ませた。
「どんな用があってこの村に来たんだ」
「人探しをしていてね。居場所を教えればこいつらは生かしてやろうと思ったんだが、そういう訳にもいかなくなってしまったようだな――」
ザモは剣の柄に手をかけたまま、ちらりとセチアたちを振り返る。この男にとっては自分の目的を果たすためには、セチアたちの命などどうなっても構わないほど軽いもなのだろう。そう考えると無性に怒りが湧き上がってくる。
「聖教会は人の命を軽んじるよう教えられているの? 聖教会の教えって素晴らしいのね」
「ハッ……愚かな者どもには女神様の崇高な教えは理解できまい」
思わず口を挟んだセチアにザモが見下すように答える。
「女神様は選ばれし者だけが生きる世界を作れと仰っているんだ。外見、身分、金……信徒として選ばれる要素は様々だが、お前らが選ばれることは決してない。選ばれぬ者に存在する価値はない。せめて女神様のお役に立ちたいと跪きでもすればかわいげのあるものを」
徹底した選民思想。選ばれたことで高まる自尊心――選ばれし者であると認められたい貴族たちには、聖教会の教えは甘い毒薬のように広がっていった。自分たちこそが正義であり、反発するトランカート王家こそが排除されるべきと考えられたのは必然の流れだったのだろう。
「だが――」
ザモはギリッとクロスを睨んだ。激しい怒りのこもった眼差しだ。
「おまえらは女神様に跪くどころか、邪教など……と」
「当然だ。陛下は国民を誰一人として蔑ろにするつもりはない。貴様らの思想は到底受け入れられるものではない」
その口ぶりからは帝国との間で、聖教会側が憤慨するようなやり取りがなされたのだということがわかる。
一方、真っ向から否定を返すクロスは無機質な視線を向けていた。きっぱりと返された拒否の言葉にザモの目がみるみる吊り上がっていく。しかしハッと何かに気づいたような顔をした後、怒りの形相は薄気味悪い笑みへと変わった。
「……この不埒者たちめ。だがな、忘れてはいないか? 女神様に跪かぬ者には“呪い”を授けねばならないぞ」
「……っ」
「 “呪い”……?」
ザモの言葉にそれまで変わらなかったクロスの顔に戸惑いの色がよぎる。同じようにセチアもザモが発した言葉に耳を疑った。
(『女神様に跪かぬ者には“呪い”を授けねば』……って、どういうこと? どうして聖教会の人間がそんな言い方――)
だが少し考えればわかることだった。
聖教会と敵対するトランカート王国の王妃。 “不浄の者”として蔑まれていたフォイル。そして今、解呪薬を必要としているのは、聖教会と対立する立場にあるオレア帝国。
「うあぁぁん、っわぁぁん……!」
アイリスの泣き声があの夜、母を亡くした王女があげた泣き声と重なる。
王女とアイリスが母を亡くすことになったのも、セチアの薬師としての人生が潰えたきっかけも……。
「あなたたち、だったのね……」
「うん?」
「あなたたちが“呪い”の発生源……あなたたちが王妃様の命を奪ったのね!」
その声に全員がセチアに目を向けた。アイリスすらぴたりと泣き止み、大きな瞳でセチアを見上げている。押し殺していた怒りを吐き出すような悲痛な叫びに誰しもが声をかけることすらできず、肩で息をつくセチアを見つめるだけだった。
だが、ぽつりと口を開いた者がいた。
「お前、なぜそれを?」
セチアが睨みつけていたザモは驚きに目を見開いていた。しかし徐々に驚きは愉悦に満ちた笑みへと変わっていく。
「そうか、お前が解呪薬の薬師か」
「っ!」
まるで獲物を追い詰めた蛇のようなザモの視線がセチアに絡みついた。
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