45.私の人生を
伝令兵はクロスに国境付近の状況を伝えると帝都を目指して去っていった。馬の足音は段々と遠くなり、森の中にはあっという間にセチアたちが乗る馬車だけが残された。
「お願い、引き返して!」
「それはできない。ここで俺たちが行ってどうなる。ただの足手まといだ」
伝令兵が語ったのはアイリスを残してきたグリン婆の村が、今まさに聖教会に攻め込まれそうだというもの。なぜ聖教会が侵攻してくるのかはセチアにはわからない。しかしそんな話を聞いて放っておけるわけがない。前のめりになり訴えるも、クロスは首を横に振るだけだった。
「それはわかっているけれど、アイリスたちが危ない目に遭うかもしれないのに放っておけって言うの?!」
「大丈夫だ、きっと国境付近の部隊が向かっているはずだ。帝国兵は強い。安心して任せてくれ」
クロスは食って掛かるセチアの肩を押さえ、座席に座らせ直す。だがセチアの気持ちは収まらない。
「何が安心なのよ! そもそもどうして聖教会が攻めてくるのよ。トランカートを奪うために協力関係にあったんじゃないの?」
「その時はそうだった。でも今は違う。状況が変わったんだ」
「何よそれ……。そんな大事なことなのにグリン婆は何も言ってなかったわよ」
「それは……通達には時間がかかるから――」
「おかしいでしょ! じゃああの時言えば良かったじゃない!」
「そういうわけにはいかないんだ……わかってくれ」
それでもなお反論を止めないセチアに、クロスは苦しそうに頭を振った。
セチアだってクロスを責めてもどうしようもないことはわかっている。クロスだって全部、あのフォイルによく似た皇帝グレカムの指示に従うしかないのだ。一度、大きくため息をついたクロスは顔を上げた。
「きっとあの村もあの子も大丈夫だ。信じてくれ」
「クロス……。本気で言っているの?」
「ああ、本気だ」
「……」
「俺を信じてほしい」
クロスは黙り込んだセチアにホッとしたようだった。しかし、その返事はセチアとクロスの間にどうしても埋められない溝があることをはっきりと示しただけだ。
(もしフォイルなら自信なさげに「わからない」と言っていたはず。そして、そんなフォイルに私はこう言うのよ――)
「そうよね」
「わかってくれて嬉しいよ、セチ――」
「大丈夫かどうかは私が見て判断するわ。私は村に戻る!」
セチアは真っ直ぐにクロスに言い放った。だが焦ったのはクロスだ。
「ここで帝国に協力すれば歴史に名を残す薬師になれるかもしれないんだぞ!? 人生を棒に振ることになるんだぞ! セチア、君のためなんだ!」
納得したと思っていたのだろう。再び反旗を翻したセチアに驚いたクロスは叫んだ。
「出せっ、急ぐぞ!」
馬車の外にクロスが声をかけると、慌ただしく動き出す護衛や従者たちの気配が伝わってくる。
「私のため……って。馬鹿じゃないの?」
セチアは思う――薬師になったのは自分で決めたこと。王妃様への解呪薬が間に合わず、城を離れたのも自分で決めたことだ。フォイルを助けたのも、慣れない育児に悩まされながらもアイリスの世話をしていたのも、全部自分で決めたこと。セチアはずっと自分で決めてきたのだ。
(自分で決めたことは、全部自分の責任。その分苦しかった気がする。自分で決めたことだから完璧にこなさないとだめになっちゃう気がして、『できない』だなんて言えなかった。そんな不器用な生き方しかできないけど、私は――)
セチアは走り出した馬車の扉を勢いよく開いた。風が車内に吹き込んでくる。
「『私』の人生は私が決めるわ!」
◇
ガチャガチャと金属の擦れ合う音を立てながら、老人の手を借り防具を身につけるグレカムはどこか楽しそうにも見えた。
「聖教会の奴ら、自ら飛び込んでくるとは愚かすぎる。これまでフォイルが世話になった礼を返してやる」
グレカムの目がギラギラと輝いていた。
なぜ聖教会が攻めてきたのかを尋ねたフォイルに、グレカムはオレア帝国は聖教会と手を切ったと教えてくれた。つまり、帝国領となったトランカートの地を聖教会が占拠している状況になったということだ。
(難しいことはわからないが、その状況であの聖司祭様が黙っていられるはずがない。なんとしてでも奪い返しに行くはず……。そして国境付近の村というのはきっとあの村だ)
元トランカートとの国境を越えてすぐの村――それはグリン婆の村のことだ。そのさらに国境よりにはかつて死に瀕したフォイルがたどり着いたセチアの小屋がある。
(最後、顔を合わせずに去ってしまった……)
怒っている、とセチアは言っていた。こんな時ばかり自分だけで決めて、と。
(俺がアイリスを連れていかなければこんなことにはならなかった。彼女をこれ以上巻き込むわけにはいかないと思ったんだ。けど……)
幸せを願っていると告げたくせに、危機の迫る二人をフォイルは遠くから眺めているだけ。
(俺は結局何もできないのか……? いや、そんなわけないだろ!)
そう思ったときにはフォイルの口から言葉が飛び出していた。
「俺も……連れて行ってください」
それまでじっと黙っていたフォイルの突然の発言。グレカムは目を丸くしたものの、すぐに表情を緩めた。
「馬鹿か、怪我でもしたらどうする。お前はここにいるんだ。じい、色々教えてやってくれ」
「はい、光栄でございます」
「……どういうことですか?」
老人とグレカムの間ではどうやら話が通じているようだ。しかしフォイルには成り立っている会話の意味がわからない。問い返すフォイルに、グレカムはどこか誇らしげに答える。
「いいかフォイル。お前は俺の代わりだ。俺に何かあればお前がこの国の皇帝になるんだ」
「え?」
「俺はお前の存在に助けられて生きて来た。なのに、俺は何もできずここまで来てしまった……。俺はお前の名を歴史に刻んでやりたいんだ。俺の弟として」
まさかグレカムがそんなことを考えていたとは。フォイルは彼の言葉に内心驚いてしまった。
とは言え、“忌み子”として生まれながらに存在を消され、行き着いた先では“不浄の者”として蔑まれ続けたフォイルが皇帝の代わりになるわけがない。どこまで本気なのか、それともすべてが揶揄いなのか……。
(この人が何を考えているのかわからない。けれど一旦ここは頷いておかなければ、この人は話を聞いてくれないだろうし……)
今のフォイルには何よりも重要なことがある。それは一刻も早くセチアたちの安否を確認することだ。
かつて聖教会で騎士団員、そして団長ザモの顔色を覗いながら生き延びてきたフォイルだからこそ、今のグレカムに響く言葉を見つけることができた。
「……だからこそ、俺も連れて行ってください」
「フォイル……俺の気持ちもわかって――」
「あなたの話を信じるなら、あなたは俺のただ一人の肉親です」
その言葉を聞いた途端、グレカムの動きがピタリと止まった。
「ようやく出会えた兄を失うわけにはいかない。俺にもあなたの代わりはいないんです」
グレカムは切れ長な目を大きく見開き、何か言おうとするように口をぱくぱくさせている。きっともう一息だ。
「共に行かせてください」
フォイルは唇をぎゅっと引き締め、グレカムを見つめ続けた。
どれくらい対峙していただろう。瞳がこぼれ落ちそうなほど見開かれていたグレカムの目が、ゆっくりと弧を描き始める。
「ふふ……。ふふふふふ……あっはっはっは……!」
突然、グレカムが高々と笑い声をあげた。天を仰ぎ、気持ちよさそうに笑うグレカムがどういう心情なのか図りかね、フォイルは思わず老人に視線を送る。
「あ、あの……」
「ようございましたな。じいも心強くございます」
「……?」
だが老人から返ってきた返答はさらに的を得ないものだった。そうなればフォイルはグレカムの返事を待つしかない。
ひとしきり笑ったグレカムは「はぁ……」と大きなため息をついた後、ゆっくりと顔を上げた。
「そうだな! 共に行こう、フォイル! ただ一人の我が弟よ!」
「……!」
フォイルに向けられた眼差しには期待と喜びが溢れていた。
「二人で守るべきものの所へ参ろう!」
お読みいただきましてありがとうございます。
ここで一旦更新を休み、最終話まで書き溜めようと思っています。
更新再開は一週間後を考えています。それまでお待ちいただければありがたいです。




