44.予期されていた報せ
ガタガタと進む馬車の中で、セチアはズズッと鼻をすすった。
「ごめん……もう大丈夫」
「うん。それならよかったよ」
重い空気の中で長らく待たされたにも関わらず、クロスは何事もなかったかのような顔をしている。ごしごしと目と鼻の周りを袖口でこすり、セチアは気を取り直すべく話しかけた。
「まだかかるの?」
「そうだな。夜までには着くはずだ」
「そう……遠いのね」
「……ああ」
セチアの言葉にクロスの表情が一瞬曇る。その表情はセチアの連れて行かれる場所にクロスがあまりいい印象を抱いてないことを物語っていた。
申し訳なさそうに視線を泳がせているクロスは、セチアの知る甘えん坊でいつも後をくっついてきた幼い時のクロスと同じ顔をしている。
(この表情が演技だとしても、少しくらい偉そうにしたらいいのに。でも解呪薬が必要な理由って、いったい……)
思い切り泣いたことで切り替わった頭で考えるのは、帝国でなぜ解呪薬が必要とされているかということだ。
( “呪い”に侵された人がいる? でもそれならもっと大々的に探すはず。それに特級薬師になれたのは最近は私だけだったけれど、同じように解呪に向いた魔力を持つ人だっているでしょうし。なにより今、トランカート王国だった国は帝国領になっているのだから、難しいことはないはずだわ)
しかしそこまで考えた時、セチアの中で何かが引っかかった。
(そう言えばどうしてフォイルは“呪い”に侵されたの? 王妃様が無くなって、しばらくは患者は現れないと言われていたのに……。帝国、そして二人が関係するものなんて何も――)
思わず「あ」と声を上げたセチアに、クロスが不思議そうな目を向けた。
「まさか……」
セチアの中で結びついたのは、共通点としてはあまりにも大きすぎる存在。
(まさかね、あり得ないわ……)
荒唐無稽な妄想を頭の中から消し去ろうと、セチアが首を振ったその時、外がにわかに騒がしくなった。遠くから馬車のものとは違う馬の足音がものすごい早さで近づいてくる。馬車の後ろをついてきていた護衛がクロスに声をかけた。
「クロス様、帝国の伝令兵です!」
「急ぎ旗を掲げ、伝令を止めろ」
クロスの指示に、馬車の背後でがたがたと旗を取り付けているらしい音が聞こえた。同時に兵士を呼び止める声が上がり、馬の足音が近づいてきた。
「騎乗のままでよい。これは外務卿グランプ家の馬車だ。一体どうした」
馬車の隣に息を切らした馬と兵士が並んだ。クロスが扉を開き尋ねると、青い顔をした兵士が叫ぶように告げた。
「聖教会が国境を越え侵攻してきました!」
「そうか。もう来たか」
(聖教会が……?!)
その名にセチアは息をのんだ。なぜならたった今しがた、セチアがありもしない妄想だと頭の中から消そうとしたものだったからだ。
(どうして? だって聖教会は帝国の手を借りてトランカートの地を乗っ取ったって言って……)
セチアの驚きと混乱に反し、クロスは落ち着いているどころか、聖教会が攻め入って来ることを予想していたように見える。兵士はさらに続ける。
「国境近くの村に乗り込もうとしているようです!」
「国境近くの村?」
反応したのはセチアだ。クロスはその声にはっとセチアの顔を見るなり、兵士に尋ねた。
「その村の長の名は?」
「はい、グリンという名の老婆です」
兵士の言葉についさっき別れを告げたばかりの人々の顔がよぎる。信じられない状況に、セチアは目の前が闇に包まれるような感覚に襲われた。
「アイリス……みんな……!」
◇
「ははは! 素晴らしいぞ、フォイル。まるで鏡に映したようだ!」
グレカムが準備した服はまるで誂えたかのようにフォイルにぴったりだった。それまでの簡素な服を脱ぎ、皇帝と同等の服を身に着けた姿を鏡に映すと、確かにその姿はグレカムに良く似ていた。
「俺の代わりに城に戻ったとして、気づく者がどれだけいるかな。試してみたら面白いだろうな」
「まあまあ坊ちゃま……、フォイル様がお困りでしょうに。はい、頼まれた物をお持ちいたしましたよ」
「ああ、そこに置いてくれ」
フォイルの周りをぐるぐると移動しながら、グレカムはとても楽しそうにしている。戸惑うフォイルを庇うように、玄関先で迎えてくれた老人が声をかけてくる。いつの間にか「グレカム様」から「坊ちゃま」に呼び方が変わっていたものの、反応しないグレカムの様子は二人の関係の長さをうかがわせた。
じい、と呼ばれた老人が運んで来たのは布に包まれた大きな板だった。だがグレカムが布を外すにつれ、板だと思っていたものは額縁に収められた絵画だったとわかる。
「これは……」
現れた絵画に描かれていたのは一人の女性だった。胸には赤ん坊を抱いている。この人物が誰なのかおおよその予想はついた。柔らかな栗色の髪と栗色の瞳のその女性が愛おし気に見つめる赤ん坊は、黒髪、そして黒い瞳を持っていたのだから。
「これが俺とお前の母だ」
「母、親……」
「俺が物心ついた時にはすでに母さまは療養生活を送っていた。たまに会いに来るととても喜んで迎えてくれたよ。だが自分が心を病んだ原因は、決して誰にも話すことはなかった。もしその理由を俺が耳にすれば傷つくと思ったのかもしれない」
気づけば口の中がカラカラに乾いていた。描かれていたのは予想通り前皇后――グレカムの母だった。皇后の抱く赤ん坊はグレカムなのだろう。しかし状況が少し変われば、この絵に描かれていたのはフォイルだったのかもしれない。絵画の中の皇后の眼差しは宝物を見つめるように、幼いグレカムに向けられていた。
(どこかセチアに似ているな……)
この絵の人物が母だと言われても、今だ信じ切れない部分がある。そのせいだろうか、赤ん坊を見つめるその眼差しがアイリスを見つめるセチアと重なった。
フォイルの視線に気づいたセチアは、顔を上げるとフォイルを見つめて同じように微笑みを向ける。次いでアイリスもフォイルに満面の笑みで声を上げる。なんともない日常の光景だった。けれど思い返せばその時間こそが「幸せ」と呼べるものだったのだろう。
その時、突如屋敷の静寂が破られた。ドカドカと屋敷の中に響く足音。ノックの音が聞こえる前に、老人がまるで別人のように素早い動きで部屋の扉を開けた。
「来たか……」
「え?」
横でにやりと笑うグレカムにフォイルは思わず声を上げた。だがその声は部屋に飛び込んできた兵士にかき消された。
「聖教会が侵攻を開始しました! 狙いは国境を越えてすぐの村です!」
次話は明日18時更新予定です。




