41.薬師として生きたかったんだろ?
「突然ごめん。本当にごめん」
頭を下げるクロスの前にお茶を置きながら、セチアはため息とともに自らも腰を下ろした。クロスは帝都の行商人ではなかった。皇帝グレカムと直接顔を合わせ、言葉を交わせるほど身分の高い人物になっていたのだ。
「嘘ついていたのね。クロス、本当は偉い人だったんじゃない」
「それは――」
「私たちが驚くのを見て楽しかった?」
「知らなかったんだ! 本当だ!」
クロスの必死の訴えも、正直もう信じられるものではなかった。とは言え、ここでセチアがクロスをちくちくと詰めても意味がないことはわかっている。
(どうせクロスもあの皇帝の命令で動いていたんでしょうから……)
すっかりしょげてはいるものの、クロスはセチアの知る幼馴染の表情に戻っていた。元は孤児の出身のクロスが、今や皇帝の側で働く大出世だ。そもそも引き取られた家が立派な所だったことには違いないが、セチアの知らない間にどれほどの苦労があったのだろう。
「……いいわ。じゃあそのことは信じてあげる」
「セチア……!」
クロスはパッと顔を輝かせた。
ちなみにアイリスはクロスが座る椅子の周りをグルグルと伝い歩いていたものの、どうやら遊んでもらえないらしいとわかったらしい。フォイルが綯っていた途中の縄をおもちゃに遊び始めていた。セチアは一人遊びを続けてくれるアイリスに有難く感じながら、クロスとの話を続けることにした。
「フォイルはもう二度と戻ってこれないんでしょう?」
「……きっと。陛下はずっと探していらっしゃったようだから」
「存在すら消された“忌み子”なのに?」
「悪いようにはならない。雰囲気は厳しいだが、陛下は情に厚い御方なんだ」
そうは言われても信じがたい部分が多い。
(それなのに今まで探していなかったの? 聖教会と帝国は繋がりがあったはずじゃない、見つけられたはずよ。大事ならなぜ聖教会で“不浄の者”なんてひどい扱いをされていたのに放っておいたのよ)
フォイルと帝国、そして聖教会の間にどんな思惑が働いていたのか、セチアは知れる立場ではないのだろう。絡みつくような不信感だけがセチアの胸に広がっていく。同時にフォイルがもう遠い世界に行ってしまったことを実感させられる。
(存在を消された双子の弟だったといっても、フォイルは皇弟にあたる。こんな辺鄙なところに居ていい人間じゃない……)
はぁ……と小さくため息をついてしまったのに気づかれてしまったのだろう。クロスが申し訳なさそうに切り出した。
「本当に申し訳ない……そしてセチア。セチアも帝都に来てもらう必要がある」
「な、なんで――」
「セチア、お前がトランカート王国の特級薬師だからだ」
赤銅色の瞳がまっすぐにセチアを捕らえた。隠し事をしていたのはクロスだけではない。セチアもまたクロスに隠していたことがあったのだ。
後ろめたさに困惑する自分の顔を見ていられず、セチアは目を逸らした。
「……どうして私なの? 優秀な薬師なら帝都にいっぱいいるじゃない」
「詳しいことはまだ話せない。だけどこれは陛下直々の命だ、断ることはできない」
「そう……解呪薬が必要なのね」
「……そのとおりだ。でも、そこは気づかないふりをしていてほしかったな」
グレカムがフォイルの腕の痣を見つけた時、セチアに向けられたあの視線――セチアが必要とされる理由などさほど難しくはない。苦笑いを浮かべるクロスに気づかれないようにため息を吐く。
「前に『一緒に帝都に来てほしい』って言っていたのはそういう意味だったのね」
「――違う! 違うけど……今はどう伝えてもそういう意味にしか伝わらないよな」
焦ったように否定するクロスだったが、すぐに諦めたように肩を落とした。
「お願いだ。ここは逆らわずに帝都に来てくれ……。そうじゃなければ力づくでも連れて行く必要があるんだ」
クロスは頭を下げた。皇帝に仕える身分の人間が、ただのしがない薬師に頭を下げるなどあってはならないだろう。
(私も一応は王宮務めをしていたからクロスの立場はわかるわ。けど、私は『はい、そうですか』と行けない理由があるのに――)
セチアは少し離れた所で遊んでいるアイリスに目を向けた。その眼差しに気づいたのだろう、クロスも同じようにアイリスに視線を向ける。
「もし私が行ったとしたらこの子はどうなるのよ」
急にフォイルがいなくなるなんて思っていなかった。もしここでセチアが居なくなったらアイリスはまた一人だ。まだ自分ではどうすることもできない赤ん坊なのに、大人たちの都合で振り回される。
「あの人もいなくなって、私もいなくなったら、この子はまた一人じゃない……!」
「……セチア」
「アイリスはすぐ泣いちゃうのよ! 好き嫌いも激しいの。野菜なんて吐き出すくらいわがままなこの子の世話を他の人になんか頼めるわけないでしょう!」
「セチア!」
「いい加減にしてよ! 皇帝だかなんだかわかないけど、私たちの生活を何だと思っているの!?」
「聞け! 聞いてくれセチア!」
クロスが叫ぶように声を張り上げた。背を向けていたアイリスも振り向き、ぽかんと二人を見つめている。
「アイリスちゃんはうちで引き取るつもりだ。俺の養父母も歓迎しているし、そうなればいつかは会えるはずだ」
「いつかは……」
まさかクロスがそんなことを考えていたとは思いもよらなかった。クロスが引き取られたのは立派な家だとは思っていたものの、さらに一人引き取れるほどの余裕があるとは……。
いつかは、と言ったのはクロスなりの優しさだろう。上級官僚の娘となったアイリスが単なる薬師とそうそう会うことはできないはずだから。
(でも、そうなればアイリスは何不自由なく暮らしていけるはず……)
皇帝に近い役職の家だ。地位、経済力、全てにおいて他と比べようもない好条件の下、生きていくことができる。
(惨めな思いも、苦しい思いもしなくて済む)
できることならセチアが体験したような思いはしてほしくない。セチアと再会するよりも、アイリスには大切なことがある。
何も知らないアイリスは青く大きな瞳でセチアを見上げていた。
「それに――」
クロスが続けた。
「セチアもここで埋もれていい人間じゃないことは、自分が一番わかっているだろう?」
「それ、どういう――」
「セチアだって、本当は薬師として生きたかったんだろ」
「――っ!」
はっと顔を向けると、クロスは真剣な表情をしてこちらを見ていた。
「帝都に来てくれ。お前の――特級薬師としての力を貸してほしいんだ」
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