4.追放
青年視点のエピソードです。
フォイルは毎日のように孤独の中で死を思っていた。
自分が生かされた意味を見つけたくて仕方がなかった。
フォイルの黒い髪も瞳も、聖教会の規律では不浄の証とされている。
それなのになぜここにいるのかフォイル自身もわからない。物心つかないうちに親に捨てられ、預けられた聖教会。日々疎まれながら、聖騎士団の下働きを続け生きていた。
どうして自分はここに居るのか。
自分の人生とはいったい何なのか。
毎日考え、ぼんやりと死を思いながら生きていた。
逃げ出す気力はない。しかし、この人生に終わりを迎えられたらどれほど楽なのだろう、と常に考えていた。
だが、二十になったある日、フォイルは聖司祭に呼び出され、金獅子のマントを手渡された。
まさか自分が、と信じられない気持ちだった。王家の迫害から女神信仰を守護する聖なる騎士。「これが自分の生きる道だったのか」と、その夜は純白のマントを宝物のように抱いて眠った。
しかし、生まれ持った髪の色も目の色も変わらない。聖騎士になって五年経っても教会内でのフォイルの扱いは変わらなかった。むしろ聖騎士に選ばれたことで周囲からの風当たりは強くなり、孤独は強くなる一方だった。
それでもフォイルが生き続けたのは、わずかながらも聖騎士として選ばれた自分に期待を抱いていたからだ。
――あの日、地下室であのボンボニエールを見つけるまでは。
ただの偶然だった。
不浄の者として拝礼に参加できないフォイルが命じられた地下室掃除。
何度も訪れているはずの雑多な部屋の中で、なぜかその日だけ気になる箱があった。雑多な部屋の中で多くの荷物に埋もれていたものの、その箱は自ら存在を主張するかのように妙にフォイルの視界に入ってきた。
(こんな箱あったか? 少しだけ、中を見ておこうか……)
勝手に物に触れてはならないと言いつけられているフォイルが、その時だけはなぜか箱の中を確認しなければならない衝動に突き動かされた。
箱の中にぽつんと入れられていたのは、美しい装飾がなされたクリスタルの容器――慶事に送られる祝い菓子入れであるボンボニエールだった。なぜこんな場所にあるのか。不審に感じたフォイルがその入れ物を手に取るのはごく自然なことだった。
それは指先が触れた、ほんのわずかな瞬間のことだ。あの時の深い闇に引きずり込まれるような、得も言われぬ恐怖をフォイルは忘れることはないだろう。
クリスタルに指先が触れた瞬間、ズルズルズルッ――と何者かが勢いよく腕を這い上がってくる。同時に絡みついてくる圧迫感。それはまるで大蛇が獲物を締め上げようとしているかのようで――
「う、うわあああああ……っ!」
フォイルは叫び声を上げ、箱から飛びのいた。慌てて服をまくり腕を見ると、黒い蛇が絡んだような痣ができている。荒い息のままフォイルは辺りを見回したが、先ほどの蛇はどこにもいない。フォイルの心臓は激しく脈打ち、冷や汗が次から次へと流れ出る。「起きてはならぬことが起きた」と直感で理解できるほど、異様な空気が地下室に漂っていた。
その時、フォイルの目の前で箱がぐらりと傾いた。まるで意思を持っているかのように静かに傾いた箱は中身ごとゆっくりと床に落ち、甲高い音を立ててボンボニエールを粉々に砕いた。
「フォイル、お前はもう聖騎士と認められない。聖司祭様も同意なされた」
「え……」
フォイルにそう告げたのは聖騎士団団長ザモだ。小部屋に隔離されたフォイルを監視用の窓から見下ろし、ザモは冷酷に告げた。
ザモは不浄の者と呼ばれるフォイルを幼い頃から下働きとして世話してくれた人物だ。厳しくも情の深い人間であるとフォイルは思って来た。
だが今、フォイルの親代わりだったともいえるザモは、フォイルをまるで罪人のように厳しく睨みつけている。
「お前も聞いているように、お前が侵されたのは“呪い”だ。呪いの病は呪われた者の命を蝕み、災厄がまき散らされる。この清浄な教会の中で呪いが生まれるなど、あってはならぬことだ」
地下室でフォイルを襲った出来事。それは“呪い”だった。
なぜあの場にボンボニエールがあったのか、誰もその理由を知らなかった。それどころか、割れたボンボニエールが入っているはずの箱の中にはクリスタルのかけらすら残っていなかったのだ。
フォイルがいくら事実を訴えたところで、呪われた上にその証拠もなく、不浄の者と疎まれている人物の話を聞いてくれる者がいるはずもない。ザモですら呪いの伝染を恐れ、窓越しに会話するほどだった。
「しかし本当に――」
「黙れ」
必死に説明しようとするフォイルをザモは一蹴した。
「教えてやろう、フォイル。原因はどうでも良いのだ。重要なのは今、お前が呪われているということだけだ。それにだ、この聖教会に呪われた物があるわけないだろう。おおかたお前が誰かを呪おうとし、失敗したのだろうが……」
「そんな! 女神さまに誓ってそのようなことは――」
「二度と女神様の名を口にするんじゃない! 汚らわしい悪魔め!」
「――っ!」
ザモが向ける眼差しからは一切の感情が感じられなかった。それどころか侮蔑の色すら感じられ、フォイルは愕然とした。まさかザモにまでそんな視線を向けられるとは……。好意的に思われていないとしても、ここまで育ててくれたフォイルに幾ばくかの情は存在するのではと信じていたからだ。
「お前は追放だ」
「追、放……」
もうフォイルにはザモの言葉を繰り返すことしかできなかった。
追放――最近、王権派が罪のない信者を罪人に仕立て上げ、国外追放を頻繁に行っていることは知っている。
(俺も、罪人と同じ扱いを受けるのか……)
――ここまで生きてきたフォイルの人生とは、いったい何だったのだろうか。
――女神はこの呪われた体を救ってくれはしないのだろうか。
それっきり何も答えないフォイルに、ザモは嘲笑うように続けた。
「そうだ、追放だ。不浄なお前のみならず、呪いで汚れた屍を女神様の御許に晒すつもりか? 即刻この国を離れるが良い。聖司祭様と女神様も、それをお望みだ」
同時に部屋の扉が開く。だがそこには誰もおらず、去り行くザモの背中が見えるだけだった。
聖教会を出てからのフォイルの記憶は曖昧だ。
徐々に体を浸食していく呪い。心臓を縛りあげられるような苦痛が強まっていく。
呪いの発生機序は明らかになっていない。突然発生し、命を蝕む。
優れた薬師が集まる王宮薬師の中でも、特級薬師の名を持つごく限られた人物のみが解呪薬を作れるという。だが王家と聖教会が敵対関係にある以上、施しを受けることはあり得ない。そもそもフォイルごときに貴重な解呪薬を提供されることなどあるはずもなかったのだ。
呪いに侵された時点で死は必至。
これで死を迎えられる。
意味のない人生に終わりを告げられる。
そう思えば苦痛も喜びに変わる――はずだった。
国境を越え、隣接するオレア帝国の森を歩いていた時だった。
「……ふえーん」
空耳かと思った。だが近づくにつれ、その泣き声ははっきりと耳に届くようになった。泣き声の出所にたどり着いたフォイルが目にしたのは、倒れて動かない女性。そして籠の中で泣いている赤ん坊だった。首筋に赤黒く爛れた焼き印の跡が見える。
(行き倒れたのか。追放印があるから、王国からの追放者だ)
痩せこけた女性は息絶えていた。
どこかで乳をもらい、赤ん坊に飲ませようとした所で倒れたのだろう。革袋にわずかに残った白い液体が地面に染みている。
気づけばフォイルは赤ん坊のかごを手に、人里を目指していた。母親の遺体はその場に穴を掘り、簡単に埋めた。ようやく民家を見つけた時にはフォイルの体力は限界を迎えていた。一瞬気を失い、次に目を覚ました時に赤ん坊が女性の膝に抱かれているのを見て、ホッと気が抜けたのを覚えている。
長く心の支えにしていた純白のマントは、名も知らぬ女性の手で呆気なく切り裂かれた。ただそれでよかったと思っている。そして呪いに侵されたことも、もしかしたらフォイルにとっては幸運だったのかもしれない。
無責任なことだが、誰かに終止符を打って欲しかったのだ。
このどうでも良い、何者かもわからない自分の人生に。
――だけど。
フォイルの中に声が響く。
――俺は何者なんだ?
――俺はこのまま死ぬのか?
遠くで赤ん坊の泣き声が聞こえる。
――俺は本当は、あの赤ん坊のように救われたかったんじゃないのか?
俺は……。
俺は…………。
「――俺は!」
次話は明日の18時更新予定です。