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38.近づく別れ

 しとしとと雨が降る日の事だった。

 祭りの余韻もとうに消え去り、セチアの生活は日常を取り戻していた。フォイルとの気まずさはいつの間にか消え、これまで通りのやり取りが出来ている。


 今日、フォイルは家の中で縄を()いながら、アイリスの伝い歩きの支えになっていた。すっかり伝い歩きが得意になったアイリスは、人の顔を覗き込んで「ばっ」と声をかける遊びが気に入っているようだ。今も座り込んで作業をしているフォイルの背中を支えにして、右へ左へ移動しながら、時々腕の方まで回りこんでは顔を覗き込んでいる。


「ん、ばっ!」

「今度はこっちか。ばあ……」

「うきゃー!」


 フォイルがアイリスの顔を覗き込んで声をかけると、アイリスは大喜びだ。また背中に隠れ、同じ行動を繰り返す。


「まったく、何が楽しいのかしらね。すっかり歩くのも上手になっちゃって――」


 赤ん坊の成長は想像以上に早かった。二人がセチアの家にやってきてからまだ半年も経っていないのに、寝ていることしかできなかったアイリスがもう歩き出している。

 食事だって、ミルクしか飲めなかったのに、今は自分の手でつかんで食べることができるようになった。特に好きなものは果物。大好きな果物の果肉を口と手をべたべたにしながら満面の笑みで頬張る。

 他に好きなものは靴。祭りの日にディックからもらった柔らかな革靴は大のお気に入りだ。外に行くときには自分の足を指さし、靴を履かせてくれと訴える。

 一生懸命訴える指の小さな爪は、意外と伸びるのが早い。くりくりとよく動く大きな瞳。柔らかな太陽のにおいのする金色の髪の毛。そしてよく笑うぷっくりとした頬。


「……靴、持たせてあげないとね」

「そうだな……」


 最近事あるごとに考えてしまうのは、アイリスとの別れの時のことだ。何がとは言わずともフォイルにも話が通じるのは、彼もまたその日の事を考えているからなのかもしれない。


「大好きな果物もたくさん持たせてあげないと」

「そうだな」

「きっと初めて見るものばかりで、きょろきょろしちゃうでしょうね」

「ああ、きっとな」

「それに、知らない人に声をかけられたら、この子きっと泣いちゃうわね」

「……ああ、そうだな」


 新しい生活がアイリスを待っている。しかしセチアはこれから成長するアイリスの姿を見ることができない。


「早く引き取って欲しいと思っていたけれど、ここまでくると名残惜しいわね」

「……」


 ぽつりと漏らすのはセチアの本音だ。

 早く引き取ってもらえたらと願っていたはずだったのに、今はもう少しだけ準備の時間が欲しいと思ってしまっていた。


「あんなに大変だったんだから、少しは私もほめられて良いわよね」

「んばっ!」

「――わあ、びっくりした。ふふふ……っ」

「んぇへへへ、んまんあ!」

「はい、『ばいばい』ね」


 フォイルの背中から顔を出し、セチアにアピールするアイリスに驚き顔で応える。反応してくれたことに喜んだアイリスは心底嬉しそうに笑った。そして覚えたての「ばいばい」をして再び背中に隠れていく。

 笑うアイリスの下顎には白い歯が生えかけている。セチアは無意識に目を細めてアイリスの笑顔を見つめていた。


「……そうだな、君には初めから世話になりっぱなしだった」


 急にフォイルが口を開く。いつの間にか縄を綯う手を止めていたフォイルと視線がぶつかった。


「ど、どうしたの。急に」

「何度も言うが、君には感謝している。ここにたどり着いた時、俺は死ぬつもりだったから……」


 そう語りながらフォイルは腕をさすった。フォイルの体には“呪い”の痣が消えずに残っている。解呪薬を何度か摂取することで薄くなることが分かったものの、すっかり消え去るにはまだ時間が必要なようだ。


「王宮薬師だった君には聖教会は好ましいものじゃなかっただろうに、聖騎士と名乗った俺をよく助けてくれたな」

「別にあなたが誰であっても助けていたわよ。けどアイリスもあなたに会わなかったらきっと命がなかったわ」

「そうだな……」


 フォイルはアイリスと出会っていなければここにたどり着くことはなかったはずだ。三人が出会ったのは全ては偶然が重なった結果。

 人さらいと勘違いし、聖騎士のマントをおむつに使い、苦しい記憶の居場所を見つけ、自分の新たな一面を知って……。


(アイリスに泣かれていた時は永遠につらい時間が続くような気がしていたけど、こうしてみるとあっという間だったわね……)


しみじみと思い返すセチアの側に、気が付けばアイリスを抱いたフォイルが立っていた。


「んあー!」

「別にこっちに来なくてもいいのに……はいはい」


 アイリスはフォイルの腕の中から身を乗り出すように両手を伸ばし、セチアに抱かれようとする。アイリスを受け取ると、小さな手がぎゅっと服を握りしめる。ハッと視線を下げれば、セチアを見上げる丸い顔がぱっと輝いた。


「んっだ!」

「……アイリス」


 嬉しそうなアイリスを見ていると自然と頬が緩む。孤児院で子守りをしていた時にはわからなかった温かさが、セチアにじんわりと染みてくるようだった。

 視線を交わす二人を、フォイルもまた柔らかな眼差しで見つめていた。


「いつまでも俺は君たちの幸せを願っているから」

「……当たり前よ」


 だが、いつまでも続けばいいと思うほど穏やかな時間は、突然の来訪者によってあっけなく終止符がうたれた。



「クロス……? どういうことなの?」


 玄関の扉を開けたセチアの前に再び現れたクロスは、それまでとは全く異なる表情を見せた。

 艶のある生地で仕立てられた濃紺のマントに、身に着けているのは旅装束ではなく騎士服で。赤銅色の瞳にこれまでのような明るさはなかった。

 そして何より、クロスの背後には数多くの兵士の姿。戸惑うセチアを見たクロスは一瞬眉を動かしたものの、すぐに厳しい表情を貼り付けた。


「フォイルはいるか」

「ちょ、ちょっと、何? 急に意味がわからないんだけど!」

「……俺に何か?」


 セチアの後ろからアイリスを抱いたフォイルが姿を現した。その瞬間、兵士たちからざわめきが上がる。皆、信じられないような顔をして、周囲と顔を見合わせている。唯一、クロスだけが表情を変えずにフォイルを見据えていた。


「少し付き合ってもらおう」

「何のために……?」


 雰囲気の違うクロスの前に警戒心をあらわにしながらフォイルが歩み出る。セチアにアイリスを渡し、自分の背に二人を隠すように立った。


「それは言え――」

「お前がフォイルか!」

「――っ?」


 その声とともに一団となっていた兵士たちは二手に割れ、一斉に(ひざまず)く。セチアからはフォイルとクロスが立っているせいで、開いた空間に誰がいるのかは見えない。しかし聞こえた声はフォイルのものによく似ていた。


「どけ、クロス」

「……はっ」


 次いで聞こえた声に、それまで入口を塞ぐように建っていたクロスが一歩下がり、深く頭を下げた。ようやく開けた視界。そこに立っていたのは一人の青年――。


「え……?」

「……あなたが」


 信じられない光景にセチアは言葉を失った。

 跪く兵士たちの中に立つ青年が持つのは、この辺では珍しい黒い髪に黒い瞳。そしてすでに見慣れたその顔立ちは、今セチアの前に立つフォイルとまるで同じだったのだから。

とうとう出会った二人。

次話は明日18時更新です。

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