37.皇帝グレカム
時はさかのぼり、帝都が祝賀祭に湧いているちょうどその時の事だった。
大臣たちと祭事を終えたグレカムは正装のまま、側近から渡された調査資料に目を通し、深く息を吐いた。
「追放、か……。ジュダスめ、小賢しい真似を」
「 “呪い”に侵されれば命はありません。あの国では時折発生する“呪い”のため、解呪薬専門の薬師が王宮薬師として登用されていたそうです」
調べさせていたフォイルの近況――それは残酷な調査結果に終わった。 “呪い”と呼ばれる病に侵されたフォイルは聖騎士団、さらには聖教会からその身を追われ、その後の行方は知れないというものだ。
「 “呪い”に侵されれば死は確実。もう生きてはいないだろうな」
「直近では王妃が命を失っておりますが、残る記録は追放された医師が持ち出したもののみです。全て王宮内部に入り込んだ聖教会関係者に消されたものと思われます」
「あいつらのやりそうなことだ」
トランカート王国内は想像していたよりも聖教会に浸食されていた。聖教会の選民思想は、特権意識の強いトランカートの貴族たちと親和性が高かったのだろう。国王にとってみれば気が付けば周りは皆、失脚を狙う者たちだけだったというわけだ。
(まあ、国王がその状態に気づいていたかはわからないがな……。それにしてもよく王女はここまで生き延びてこれたものだ)
少ない味方に守られて生きて来たのだろう。それだけで彼女は恵まれていたと言える。
グレカムは資料を伏せた。
「この短い間でよく調べてくれた。感謝する」
「かたじけないお言葉にこざいます」
礼を告げると側近はすぐに部屋を後にした。気配が消えるとグレカムは背もたれに背を預け、静かに目を閉じた。朝から祭事で動き回っていた疲れがドッと押し寄せるようだった。
「フォイル……死んだのか」
“忌み子”として存在を消された弟の存在。フォイルの存在が知られれば、皇室が非難されるのは必至だ。いなくなってもらった方が皇帝の立場としては有難いということは頭では理解できる。だが明らかになった事実を口に出して見れば、グレカムの胸に押し寄せるのはそこはかとない喪失感だった。
この世界は孤独だ。
リージアには王族であれば命を狙われるのは常だと伝えた。生まれた時からグレカムのいるこの世界はひたすらに孤独だ。信じられるものは自分だけ。
(だが時々、自分のことも信じていいのかわからなくなる)
思い出すのは幼い頃の記憶。厳しい帝王教育に耐え兼ね、逃げ出した庭の片隅で聞いたメイド達の噂話だ。
「ねえ、聞いた? 大臣様のところ、生まれたらしいわよね」
「聞いた聞いた。でもかわいそうにね、双子だったんでしょう?」
「そうみたい。まあ、例によって養子に出されたらしいけど」
「やっぱりね。殺されなかっただけましね。そうそう、双子といえばグレカム様よね。ご自分に弟がいらっしゃったなんて一生知らないままなんでしょうね」
幼いグレカムはよくそこで声を上げなかったものだ。
――自分に弟がいた。その事実はグレカムをどれだけ励ましただろうか。
生死もわからぬ自身の片割れ。双子は姿がよく似ていると知ると、それだけで孤独が紛れたものだ。
(もう一人の自分だと思っていたのかもしれないな。幼い子どもにはよくありがちなことだ――)
それでもグレカムにとって心の支えとなっていたのは間違いない。つらい帝王教育も、もう一人の自分ならどう耐えるだろうかと考え、弟を守るために強くならねばと剣術にも精を出した。自分が皇帝になったら絶対に弟を探すと心に決め、グレカムは日々の孤独に耐えていた。
けれど状況が変わったのは父王が崩御し、グレカムが即位してすぐの事だ。即位の祝いに訪れたジュダスが口にした驚くべき事実。
『陛下の弟君は、我が聖教会が保護しておりました』
『なんだと……? 俺の、弟が?』
どうやらジュダスは帝国の“忌み子”という悪習を知り、それを材料にグレカムを利用しようとしているようだった。
(ジュダスの語る内容が事実とは信じがたかった。しかし弟の存在を知る者は少ない。その情報を得る情報網を持ち、なおのこと俺を利用しようとしてきたジュダスを野放しにするには、皇帝になったばかりの俺には危険が大きすぎた)
それなら逆に利用してやればいいと思ったのだ。弟の存在が本物でも偽物でも、どちらにせよ帝国に影響があるわけでもない。それにジュダスの望み通り、トランカートの玉座収奪の後ろ盾になったとしても時期尚早と手を貸さなければ良いだけだった。
結果、フォイルは本当の弟だった。グレカムの判断は間違っていなかったことになる。彼がグレカムの存在を知らずとも、彼なりに人生を送っているのなら良いと思っていた。だが事態はトランカート王妃の崩御以降、大きく動くこととなった。
(まさか国王でありながら王妃の死で心を壊すとは……)
虎視眈々と時機をうかがっていた聖教会がほころびを見逃すわけがない。じわじわと王国内に根を張り巡らしていったのだ。
帝国として考えた時にトランカート王国には何の魅力もなかった。しかし長年隣国として成り立ってきた国をそのまま見殺しにするわけにはいかない。国王たちの身を帝国に移し、被害を出さぬ聖教会に王国領を奪わせるという策略はうまくいった。
(その裏でまさかフォイルが“不浄の者”と蔑まれ、 “呪い”に侵されていたとは。俺がもっと早く気づいていれば……)
その日から何度悔いただろうか。ジュダスへの憎しみだけではない、自分自身への憎悪が日に日に強まり、平常心を保つのがやっとだった。
国を争いに巻き込むことと引き換えに聖教会と手を切ったもののフォイルは戻ってこない。聖教会と対立したとなれば、“呪い”に怯えるのは今度はオレア帝国の番だ。
この争いが終わったときに残るものは何なのか。グレカムが向かうべきはどこなのだろう。
(今ならはっきりとわかる。俺は自分を見失っていた。フォイルの存在はそれほどまでに俺の中で大きかったんだ……)
しかしフォイルは生きていた。クロスの報告では、国境近くの村で生きているという――。
報告を受け、グレカムは勢い良く立ち上がった。身体の奥底から湧いてくる熱い力は、己の半身を見つけた喜びだ。いても立ってもいられず、グレカムはクロスを連れその日のうちに城を発った。
――俺のフォイルをこの手に取り戻してやる、と固く誓って。
ブクマ等ありがとうございます。
次話は明日18時更新です。




