35.村の祝賀祭(2)
段々と日が傾き、人々の話し声も穏やかになっていくと、楽しかった祭りが終わりに近づいたことを感じさせられる。広場には火が焚かれ、村を飾り付けていた花が燃やされていた。徐々に村はまたいつもの雰囲気に戻っていく。
そんな中、セチアは来た時よりも膨らんだバッグを手に、隣に佇むフォイルに話しかけた。
「ねえ、見て。こんなにいいのかしら」
バッグの中にはセチアが入れて来た香り袋の代わりに、大量の干し肉、果物、そしてパンが詰められていた。どれもこれも交換してもらった品だ。
「それにディックさんからは、アイリスに靴をもらっちゃったのよ」
ディックから「アイリス用に」ともらった小さな靴は、動物の皮を柔らかくなめしたものだった。底まで柔らかな革で覆われた靴は、歩くには心許ないものの、立ち始めたアイリスにはぴったりだ。
「履かせてみたら脱ぎたがらないの。大人と同じなのが嬉しいのかも」
「それはよかった。ディックさんも喜ぶな」
セチアがバッグを取り出しているのに静かなアイリスは、地面に座り込み、自分の足を覆う物体に興味津々だった。自分の足をのぞき込んだり、叩いて見たり、時々舐めようとするのを慌ててセチアが止めてみたり……とにかく初めての靴に喜んでいる様子だ。
「ディックさんが『祭りには絶対間に合わせる』と張り切っていたからな」
「なんだ、あなたは知っていたのね」
どうやらフォイルは靴を贈られることを知っていたらしい。あかあかと燃える火に照らされたフォイルの顔をセチアは冗談交じりにじとりと睨む。
「すまない……。黙っていてくれと言われて」
「いいわ。今度、アイリスがすごく喜んでいたと伝えなくっちゃ」
セチアはくすくすと笑いながら答え、そして「ほう」と息を吐いた。
アイリスがフォイルに助けを求めてから、今日一日セチアはフォイルとほぼ一緒に行動していた。少し歩けばぶつかりそうになる人ごみでアイリスを守りつつ、リップたちに振舞われたスープやパンをアイリスに食べさせながらセチアたちも味わった。交換の品の量に驚きながらも、香り袋がかなり人気だったことに少しだけ誇らしくなって――。
「疲れたけど、楽しかったわ……。いい思い出になったわね」
「そうだな」
「そうよ」
ぽつりとこぼしたセチアの言葉に一言だけ返って来た言葉。なぜここしばらく避けられていたのだろう、気まずかったのだろう。そんなことはもう忘れてしまった。パチパチとはぜる火の粉が飛んでいくのを、ぼんやりと眺めていた。
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地面をころころ転がりながら、靴を履いた足を掲げて観察していたアイリスの動きが鈍くなってきた。なかなか起き上がらないところを見ると、眠くなってきたのかもしれない。
「さ、そろそろお暇かしら」
広場にはグリン婆をはじめ、村の大人しか残っていなかった。よっこいしょ、とセチアが立ち上がると同時に声が響いた。
「さあさあ! 祭りもお開きが近づいてきたね」
声の主はグリン婆だった。目立つように台の上に乗ったグリン婆が、広場に向けてしゃべり始めた。ぞろぞろとグリン婆の辺りを囲むように集まる人々の一歩後ろから、アイリスを抱いたセチアとフォイルはグリン婆の話を聞くことにした。
辺りを見回したグリン婆はゆっくり頷き、話を続ける。
「こんなめでたい日にあれだが、皆には村長のあたしから伝えておかないといけないことがある」
真剣な声だ。祭りの終わりの緩んだ雰囲気がピリッと締まる。
「知っている者も多いだろう。この村のすぐ隣、トランカート王国は名を消した。今は『オレア帝国領聖教国』と名を変えている。帝国の管理の元、聖教会という名の奴らが執り仕切る土地ということだ」
人々の息をのむ音が響く。大きなざわめきにならなかったのは、もうすでに情報が広がっていた証拠だろう。セチアが横をそっと見上げると、フォイルは表情を変えずに聞いていた。
「あたしは聖教会の事はよく知らん。ただ、女神信仰を伝える者どもということだ。ここは国境に近いからね、もしかしたらこの村にも聖教会の者がやってきたり、隣国から離れたい者たちが住処を求めて来るかもしれない。疑うのは良くないが、この村に来る人間が自治を守れない人間だって可能性もある」
グリン婆が村人たちに告げたのは、以前セチアたちの前で漏らした不安だった。だが村人たちの前で演説するグリン婆は、あの時に弱々しく笑ったグリン婆とは違い、力強く大きく見える。
「あたしたちは基本的に来るものは拒まない。もしそういった人間を見かけたら、一度あたしに相談してほしい。あたしは村長として、あんたらと、この村の未来を守る義務があるんだから!」
瞬間、わあっ!……と場が湧いた。村人からしてみれば、いつトランカートの残党が国境を越えてくるかもわからない状況だ。長であるグリン婆が不安がっているのは心許ないだろう。しかし村人たちの反応はセチアの予想とは少し違った。
(きっとグリン婆っちゃは不安も一緒に抱えていくことにしたんだわ。村の人たちと一緒に。でもなんだか不思議。弱さを抱えているはずなのに、なんだか心強い……村の人たちの視線も不安がっていないわ)
皆、まっすぐにグリン婆を見つめている。長年の信頼、そして村人たちとも自分自身とも真摯に向き合う態度を信じているのだろう。ふと目線を上げると、グリン婆の後ろにディックの姿があった。次期村長の呼び声高い彼もまた、グリン婆を真剣に見つめている。
(グリン婆っちゃ、すごいわ……)
なぜか胸の奥がジンと熱くなった――のも、束の間。
「――さ、固い話はここまで! 踊れ踊れ! 祭りの最後は踊ると決まっているんだ。つまらない顔をしている奴らは、みんな踊れ!」
◇
グリン婆の声に合わせ、誰ともなく手拍子を始めた。手拍子に合わせるように力強い歌声が響く。帝国に伝わる祝い歌を歌うのはディックだ。歌声に合わせ手拍子はどんどん大きくなる。村人たちはディックの声に合わせて歌いながら、火の周りで思い思いに踊り始めた。
踊る村人たちはみんな笑顔で、いくつもの楽し気な声が歌の合間に響く。
「ほら、あんたらも行っておいで」
「うわっ……」
「おわっ!?」
グイっと背中を押され、フォイルはよろめき一歩前に踏み出した。同じように隣にいたセチアもつんのめるようになりながら、すんでの所でこらえていた。
振り向くとそこにいたのはグリン婆だ。火に照らされ赤みがかったグリン婆の表情は晴れやかだった。グリン婆の腕の中では、いつの間にかセチアの腕の中から移動したアイリスが寝息を立てていた。
「アイリスはここで見ていてやる。二人で行っといで」
「俺は踊りは……」
「私もちょっと……」
だがグリン婆がそこで「はいそうですか」と納得するわけがない。
「とりあえず回っておけばいいんだよ。ほらほら!」
ぐいぐいと押され、どんどん前に出てしまったフォイルとセチアは、踊る村人たちの輪の中まで来てしまった。止まっていると余計に目立つ。どうしたものかと視線を彷徨わせていると、くいっと腕が引かれた。
「とりあえず音に合わせて回っておきましょ? 止まっていると逆に目立つもの」
「あ、ああ……」
セチアに腕を引かれるまま何となく周囲に合わせて回り出す。足の運びも振り付けも何もなく、ただ周囲と音に合わせ回っているだけだった。けれどセチアはにこにこと普段よりも笑顔を見せていた。
「何となくそれっぽいんじゃない? いい思い出になるわっ」
頬が赤いのは火に照らされているせいだろう。けれど思い出すのは、あの男と話していた時のセチアの表情だ。きっとセチアはあの男と一緒に帝都に行くことになるだろう。そう考える度、彼女の顔をまっすぐに見られなくなった。
そして何より、クロスのあの発言――。
『その髪と目の色、もしかして帝国出身だったり?』
自分と皇帝が似ている風貌だったというディックの話も、悪い冗談だと思っていた。だがあの眼差し、クロスはきっと何かを知っている。聖教会の関係者なのか、それとも……。何者でもない自分が、何者かわかるかもしれないと思ったら、そこに生まれたのはただ恐怖だけだった。
もしセチアがフォイルの思案を知ったらどう感じるだろうか。馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばしてくれるだろうか。
「君は――」
「うん?」
無意識にセチアを呼びかけていたフォイルは、ハッと口をつぐんだ。不思議そうな顔をしたセチアが見つめ返してくる。
(俺は何を言うつもりだったんだ……)
口を開きかけては、閉じ……自分から呼びかけたにも関わらず、なかなか話し出せずにいるフォイルにセチアは首を傾げ、しばらくして楽しそうに笑いだした。
「ふふふ、でも良かったわ」
「良かった?」
今度はフォイルが首を傾げる番だった。
「最近全然話せていなかったから。避けられているんだと思っていたの」
「そう、だったか。それはすまない」
確かにセチアのことを避けていた。顔を合わせ、話すことで抱える不安があふれ出しそうだったからだ。この得体の知れない不安を彼女にぶつけるのはお門違いもいいところだ。だが彼女の瞳に映る自分の姿を思い浮かべるたび、すがりつき、引き止めたくて仕方なくなる。
(情けないな……。俺は自分のことすらどうすることもできない人間なのに。存在する意味などない人間なのに――)
その時、爪先に鋭い痛みが走る。
「――ぅ!?」
「あ。ごめんっ……ふふっ。ごめんねフォイル」
思い切りセチアに足を踏まれていた。申し訳なさそうにしながらも、セチアはそれすらも面白くなってしまったらしい。眩しい笑顔が目の前で弾んでいる。
燃える火がパチンとはぜた。その瞬間、急に手拍子やディックの歌声がそれまでよりもはっきりと聞こえるようになった。目の前で笑うセチアの瞳には驚いた自分の顔。けれどその表情はセチアにつられ、徐々に微笑みに変わっていった。
漠然とした不安よりも、目の前のことを。
子どものように笑うセチア。 必死で服をつかんできたアイリス。おぼろげになっていた自分の輪郭が形を帯びる。
(そうだな……俺は今、ここにいる)
あの男とはきっとまた会う。 答えはその時にわかるだろう。
火の赤さに照らされたセチアの笑顔はこれまで見たどんな景色よりも美しかった。
次話、舞台は変わり帝国城での話になります。
明日18時更新です。




