34.村の祝賀祭(1)
即位五周年の祝賀祭当日は雲一つなく、帝国全土がよく晴れた日になった。
セチアは交換用物品として香りの良い薬草を乾かし、袋に詰めた香り袋を準備した。
「アイリスの着替えとおむつは持った。みんなと交換するための香り袋も持った。……うん、ひとまず持ち物はこれでいいかな」
「だいっ! だいっ!」
セチアが荷物をバッグに詰めている姿を見ていたアイリスが必死に足元で声を発していた。これは「ちょうだい」の意味だ。バッグにはアイリスにとって面白いものが入っているわけでもないのに、しきりに声を上げて欲しがっている。
「これはあげられないわ。あなたどうせ中身をひっくり返して終わるでしょ」
アイリスに渡したが最後、中身をぽいぽい取り出し空にした後、用済みとばかりにバッグをぽい、と投げ出してどこかに行ってしまう。中身を取り出すのが楽しいのだろう、バッグに限らず色々なものを取り出したがる。
(フォイルもこの前チェストからおむつ布が全部出されていて絶句していたわね。あの時の顔ったら……)
そこでセチアは「そういえば」と思い出す。
「フォイルの姿が見えないわね」
ディックの誘いの効果があり、フォイルも祭りに参加することに決めたらしい。何かを作っていたようだが、無事に完成したのだろうか。
(たしか外にいたような……)
アイリスを抱き、荷物を持ったセチアはそのまま村に向かうつもりで家を出た。フォイルはきっと一緒に行ってくれないだろうが、一言声をかけてから出発した方が良いと思ったのだ。
「……フォイル? 私たちそろそろ向かおうと思っているんだけど」
「ああ……もうそんな時間か」
「ええ。あなたはどうする……?」
地面に置かれた薪割り台に座り、何やら作業していたフォイルはセチアの声に顔を上げた。だが相変わらず目を合わせようとはしない。ぎこちない雰囲気が当たり前になりつつあるのが、セチアは少し寂しかった。
「俺は……」
「だいっ! だいっ!」
「――ア、アイリスっ!?」
突然騒ぎ出したアイリスの視線は、フォイルの持つ木の皮で編んだ鞄にまっすぐ向けられている。もちろんフォイルもアイリスの行動の意味は知っている。スッとアイリスの視界に入らないように鞄を隠すと、
「これはあげられないんだ。それに君はただ中身を出したいだけだろう?」
と、迷惑そうに答えた。
「ぷっ……ふふ、ふふふふ!」
「どうした?」
「ふふ、いいえ何でもないわ。ねえ、一緒に行きましょうよ。みんな待っているわ」
突然笑いだしたセチアに訝しげな視線が向けられる。
セチアは「ああ、ようやく目が合った」と思いながら、今日という日がきっと楽しい一日になるという期待に包まれていた。
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村は至るところが花で飾り付けられ、人々もいつもより大きな声で笑いあっている。皆、大きな荷物を持ち、あちこちで積極的に会話を弾ませていた。少し先には女性たちが大鍋を前に、ワイワイとみんなで料理をしているようだ。
いつもの落ち着いた村の様子とはまったく違う光景に、セチアは改めて祭りがいかに心待ちにされていたかを知るところとなった。
「すごい活気……。みんなもう楽しそうね」
「……そうだな」
アイリスは初めて見る光景にぽけーっと口を半開きにしている。村には何度も来たことがあるものの、ワイワイと賑やかな光景に圧倒されているのかもしれない。
その時、大鍋の周りに集まった女性たちの中から、手を振り二人を呼ぶ者がいた。
「あっ! おーい、セチアちゃん、フォイルさん!」
「リップさん!」
女性たちの中から顔を覗かせたのはリップだった。リップも祭りの雰囲気のせいか、いつもよりさらに明るい表情を見せている。
ようやく良く見知った顔があったことに安心し、セチアとフォイルはリップに近づいていった。近づくにつれ、大鍋の中で煮えているスープの良い香りが強くなってくる。
「こんにちは、すごく盛り上がっているのね」
「そうなんだよ! やっぱり五年我慢したから、今日は特にみんな浮かれてるんだろうねぇ。二人もめいいっぱい楽しんでいっておくれよ!」
そう語るリップも声がひと回り高い。浮かれているのはリップも同じようだ。
ひとまずセチアが一日の流れをリップに尋ねようとした時、横から声がかけられた。
「アイリスちゃんだっけ? まあまあ大きくなったものねぇ!」
「今、何ヵ月くらいなの? そろそろあんよの練習始める頃かしら」
「あらまあきれいなお顔! こりゃ別嬪さんになること間違いなしだよっ」
「かわいいねぇ。ほら、こっちに来てみるかい?」
リップと共に料理をしていた女性たちが一斉に話しかけてきた。赤ん坊の持つ抗えない魅力に、皆セチアの腕の中を覗き込むようにしてアイリスに声をかける。
アイリスはそれまでぽけっと周りを眺めていたものの、囲まれた女性たちに焦点が合うとみるみるうちに顔がくしゃくしゃになっていく。
「……う、……っう、ふぅ、ふえぇー……」
「あら、泣いちゃったねぇ」
「泣き声も懐かしいわぁ、かわいいかわいい」
アイリスは一斉に注目されたことに怯え、泣きだしてしまった。しかし女性たちには泣き声すらもかわいらしいものらしい。ニコニコとさらにアイリスの顔を覗き込んでいる。
アイリスなりにセチアの元にいては何も変わらないと理解したのだろう。泣きながらセチアの少し後ろにいたフォイルに助けを求めるよう腕を伸ばした。
「ふえーんっ!」
「ア、アイリスっ。危ないわよ!」
「え、俺?」
フォイルは慌てて駆け寄り、セチアの腕の中からアイリスを受け取る。小さな手のひらが必死にフォイルの服を掴んでいる。
「あんたら、アイリスちゃんが怖がっちゃっただろうが!」
「あ……っ! ついかわい過ぎて夢中になっちゃった。ごめんねえアイリスちゃん、セチアちゃん」
「あはは、いえいえ。大丈夫ですよ」
リップのお叱りに女性たちは「やり過ぎちゃったかぁ」と口々に謝ってくれる。しかしセチアは、アイリスを受け取ったフォイルの様子を見て口元が緩むのを止められなかった。
(ふふっ。過去最高に嬉しそうじゃない……)
アイリスを抱くフォイルの眼差しは柔らかく、胸元に必死に顔を埋める姿を満更でもなさそうに見つめていた。
――祭りはまだ始まったばかり。これから人々は持ち寄ったものの交換をしながら、酒や料理の振る舞いを楽しむ。
二度と訪れない今この時を感じながら、人々はこの時間を目一杯楽しんでいた。
祭りの話は明日も続きます。明日18時更新です。




