33.各々の準備
オレア帝国では国の元首――つまり皇帝の崩御から五年間は喪に服すことが定められている。その間、個人的な祝い事は認められているが、村や町単位での祭りは禁止されている。
「それが終わるのが、今度の祭りの日ってわけさ」
「なるほど、だから私が来てからお祭りは開かれていなかったってわけね」
「そういうことさ。それに今回は今の皇帝陛下グレカム様の即位五周年だからね。母さんもぱあっとやりたいんだろうよ」
グリン婆の家に薬を届けに行ったセチアは、そこにいたリップからの補足情報にうんうんと頷いた。
「この村の祭りではそれぞれが家で作ったものを持ち寄って交換し合うんだよ。ものの大小は気にしない! 皇帝陛下の即位と国の平和を喜び、村人同士の交流を深めるための一日なんだ。きっと帝都じゃ盛大な祭りになるんだろうけど、この村じゃそんな感じさ」
そう語るリップはうきうきしているのが手に取るようにわかる。セチアも未知の祭りに興味が湧くものの、胸をよぎる懸念が一つ――。
「でも私、村の人間じゃないのに――」
「いいんだよ!」
「うっ……!?」
言い終わらないうちにリップに背中をばしっと叩かれる。
「セチアちゃんたちが村の人間かどうかは関係ないのさ。母さんもあたしたちも、セチアちゃんたちと一緒に楽しい思い出を作りたいんだよ」
「リップさん……」
「薬を作ってもらっているからとかそう言うのは抜きで、あたしたちはセチアちゃんたちのことが大好きなのさ。……って、アハハっ! 何てこと言わせるんだい。照れるじゃないか!」
照れ隠しなのか、カラカラと笑うリップはグリン婆によく似ていた。
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「じゃあフォイルさんに絶対来るように、ディックからも言っておいてもらうから! セチアちゃんもよろしくね!」
……と、別れ際に言われたリップの言葉。
(とは言っても、ねぇ……)
フォイルとはまだ気まずい状態が続いていた。
(アイリスのことや、家の事を話すのは全然普通なんだけど、それ以外の話をしようとするとスッとどこかにいなくなってしまうのよね……)
フォイルが今日は家で作業をするというので、アイリスを任せてセチアが外出できている。そういう会話はできるのだ。
(まるで仕事をしているみたい。会話は最小限に、業務連絡のみだけ……って、昔の私はそうだったわ。周りの人たちはやりづらかったでしょうね)
王宮薬師時代のセチアは効率重視で、同僚と余計な話はしたくなかった。完璧を求めるがゆえの行動だったが、周囲の雰囲気や、同僚たちの気持ちに配慮する余裕がなかっただけだったのかもしれない。
(そもそもフォイルはアイリスの世話をするために残ってもらったわけで……。そうよね、別に私たちはアイリスを送り出せればそれで終わりだから――)
そう考えれば、今のフォイルの態度が正解なのかもしれない。セチアだって当初は深入りしたくないと思っていたはずだ。
(楽しすぎたのよ。アイリスと、フォイルとの三人の生活が……)
ぼんやり考えているとあっという間に家の前だった。庭先では母子、もとい二匹のヤギが並んで草を食んでいた。子ヤギもすっかり大きくなり、母ヤギに並ぶほどだ。
あっという間に過ぎた時間。クロスの話では、もうじきアイリスの引き取り手が見つかるだろう。そうなれば三人での生活は終わる。
「楽しい思い出……ね」
セチアは扉に手をかけたまま、ぽつりとつぶやいた。
きっとアイリスはここでセチアたちと過ごした日々を忘れてしまうだろう。母を亡くした悲しい記憶も、かごにいれられてフォイルに運ばれて来たことも、夜泣きをしてセチアに夜通し抱かれていたことも……。
(……でも私は覚えている。きっとフォイルも――)
「よしっ!」
セチアは自分に気合を入れた。
アイリスは忘れてしまうし、フォイルとはこれまでのように笑顔でやり取りできないかもしれない。それでもこの祭りはきっといい思い出になるはずだ。
セチアは騒がしいことはあまり好きではない。人との付き合いも避けて生きて来た。けれど楽しい思い出が一つくらいあってもいいかもしれない。そう思えるようになったのは、他でもない、家の中で待つ二人のおかげだ。
セチアは勢いよく扉を開けた。
「――ただいま! リップさんからお祭りの話を聞いて来たわ」
◇
オレア帝都、帝国城――
「ほらごらん、リージア姫。城下では祭りの準備が進んでいるぞ」
黒のローブに全身を包んだグレカムは、元トランカート王女リージアが過ごす部屋のバルコニーから城下の様子を眺めていた。
喪明け、かつ即位五周年の祝賀祭の準備はオレア帝都でも着々と進んでいた。帝都中心を走る大街道沿いには様々な屋台が並び、花々を飾る予定のアーチが建築されている。
しかしベッドの上に座り込んだままのリージアは、グレカムの言葉にピクリとも反応しなかった。
「……見たくないか」
「も、申し訳ございません! ようやく我々とも会話してくださるようになった段階でして――」
そんなリージアの態度に焦ったのは部屋付の侍女だ。リージア、そして父のレンデューラの移送の際、トランカート王城からは誰ひとりとして付き従う者はいなかったと聞く。幼い王女を一人にするわけにはいかないと、帝国側で侍女をつけたのだった。
グレカムはバルコニーを離れ、リージアの座るベッドサイドに歩み寄った。
幼い王女の細い金髪はぱさついていた。かさついた肌からも、祖国でろくに手をかけられていなかったことが見て取れる。
(王女でありながら不憫なものだ……。まあ、父親があれでは仕方なかったのかもしれないが)
時を同じくして帝国城に移送されたレンデューラは現在牢に入っている。昼夜問わず訳のわからないことを叫び、かと思えば服を脱ぎ捨て部屋から飛び出そうとする。
(医師も手の施しようがないと言っていた。薬で鎮静化できても、精神は元に戻らないと……)
国王があの状態だ。遅かれ早かれトランカートは滅んでいただろう。
(たちの悪い女神とやらが息づいた国。これからどうしてやろうか……)
「わたくしは……死ぬのですか?」
「ん?」
グレカムはか細い声に意識を引き戻された。ふと下を向くと、真っ青な瞳がグレカムを見上げていた。
「あなたさまも、わたくしを殺すおつもりなのですか?」
「姫様っ!? 陛下はあなた様を祖国より救い出して――」
「よい……。リージア姫よ、そなたはなぜ自らの命が狙われていると思うのだ」
年のわりに大人びたことを言うものだと興味を持ったというのもある。不敬な物言いに目をつぶり、グレカムは問い返した。
聡明そうな瞳はジッとグレカムを見据え、乾いた唇を動かした。
「わたくしのお母さまは殺されました。わたくしも同じように命を狙われていると、お父さまが……」
「王族であれば命を狙われるのは常だろう。それにそなたはもう王女ではない。そなたの命を欲しがるものはこの国にはいない」
「……そうなのですか?」
きょとんとグレカムを見上げるリージアの表情が一気に幼児のものへと変わる。それまでどれだけ気を張っていたのかがはっきりとわかる瞬間だった。
「そ、それでは……」
「なんだ?」
震える声を絞り出すリージアの大きな瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
「わたくしはもう彼らの“呪い”を恐れずとも良いのですか?」
「『彼らの“呪い”』?」
グレカムがリージアの発言の本当の意味を理解するのは、これからさらに数日後――フォイルがすでに聖騎士団にはおらず、“呪い”に侵された身で追放されたとの報告を受けてからのことだった。
今の生活は思い出になるものだからと覚悟を決めたセチアでした。帝都でも祭りの準備をしていますが、グレカムの心中は穏やかではなさそうです。
次話は明日18時更新、村の祭り回です。




