31.来てほしいんだ
まさかクロスを見送るちょうどその時に、狩りに出ていたフォイルが帰宅するとは……。セチアは眠るアイリスを抱えながら、ハラハラと二人の様子を見ていることしかできなかった。
「いやぁこの間はすみませんでした。急用を思い出してしまって……」
「はい……」
「今日はたまたま近くまで来たので、アイリスちゃんの引き取り手についての続報をお伝えしに来たんですよ。だけど結局思い出話に花が咲いてしまって。な?」
「え、ええ。まあそうね……」
クロスは振り返り、セチアに同意を求めた。ここに来たのはたまたまだったのかどうかはわからないが、クロスの説明に嘘はない。頷きで返す。だが話を聞いているフォイルの表情は固いままだった。
(結局、私も彼が聖教会の関係者かどうかをはっきりさせずじまいだった。フォイルは絶対に疑ったままのはず……)
だがフォイルが聖騎士団に所属していたなど、本人が口にしていないことを勝手に話すわけにはいかない。どうにかしてこのまま穏便にクロスに帰ってもらうほかない。
「あのクロス、そろそろアイリスも寝ちゃったから……」
「あー、そうそう。セチアから話は聞きました。すっかりセチアが世話になったみたいで……ああ、いや、俺も昔は世話されてた方かな」
セチアの思惑はあっという間に遮られた。クロスはいったい何を言い出すつもりなのだろうか。その意図が読めず、怪訝な表情を浮かべるセチアに構わずクロスは話し続ける。
「セチアとは同じ孤児院出身でね、いわゆる幼馴染なんですよ。ところでフォイルさんのご出身は?」
「……!」
「ちょ……クロス?!」
思わず声が出た。
信じられない思いでクロスを見ると、彼は笑顔を崩さないまま、じっとフォイルを見つめていた。一方のフォイルは答えられないまま、さっきと固い表情を浮かべている。けれどクロスは軽い口調で続ける。
「その髪と目の色、もしかして帝国出身だったり? 羨ましいな、都会の人だ。俺たちは田舎育ちだからなあ」
その言葉を聞いて、セチアはわずかにホッとした。どうやらクロスは帝国出身かどうかを聞きたかっただけで、フォイルが “不浄の者”であることを指摘しようとしていたわけではなかったのだ。
(なんだ、やっぱりクロスは関係なかったんじゃない。心配して損したわ)
完全にではないが疑惑が晴れ、セチアは安心した思いでフォイルに視線を向けた。しかし――
(フォイル……?)
フォイルの顔には驚愕がありありと浮かんでいた。滅多に表情を変えないフォイルの変化は明らかに異常だった。
「いや。お、俺は……」
フォイルの声は震えていた。明らかに動揺している。セチアは見るに耐えかね、横から口を挟んだ。
「あ、あのね! フォイルも私たちと同じトランカートの孤児なの。ね、フォイル?」
「あ、ああ……」
セチアの必死のフォローにフォイルはようやく頷くも、顔色が悪い。
二人のやり取りを聞いていたクロスは一瞬真顔になったものの、すぐにそれまでの笑顔に戻った。
「……なんと、それは答えづらいことを失礼しました」
「そ、そうよ! 止めてちょうだい、びっくりするじゃない」
「ありゃ、怒られちまったか。じゃあ俺はこの辺で――」
ようやくこの緊張状態から開放される。セチアは胸をなでおろすも、再びクロスが口を開いた。だが今度はフォイルに向けてではなく、セチアに向けてのものだった。
「――でも、その前にセチア。話したいことがあるんだ」
「私?」
首を傾げるセチアに、おずおずとフォイルが歩み寄る。そしてセチアの胸の中ですっかり寝入っているアイリスを受け取ろうと手を伸ばす。
「じゃあ俺はアイリスと少し外に――」
「いいえ、フォイルさんも聞いてください」
「えっ、どうして?」
パッと顔を上げたセチアの目に飛び込んで来たのは、真剣な顔をしたクロスの姿だった。
「俺、セチアに薬師として帝都に来てほしいと思っている」
「え……」
――薬師として帝都に。
はじめ何を言われているかわからずきょとんとしてしまったセチアだったが、徐々にクロスの発言の意味が理解できてくる。
「帝都にも薬師はたくさんいるけど、多すぎて困ることは無い。帝都で働いたらどうかな」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私はそんな帝都で働けるような薬師じゃないわ……。それに知り合いも伝手もないし!」
足を踏み入れたこともなく、知り合いもいない帝都で薬師として働くなどまったく考えもしなかった。驚くセチアだったが、クロスはそう言われるのを予想していたようだ。
「そう言うだろうと思ったよ。確かに俺はこんな感じでうろうろすることが多いけど、俺の両親――養父母になってくれた人たちが良い人たちでさ。セチアのことを話したら、『ぜひ帝都に来るといい』って。絶対セチアの力になってくれると思うんだよ」
「……で、でも私は」
まさかクロスの養父母にまで話が及んでいるとは……。しかしもし薬師として働くとなれば、トランカート王国の王宮薬師であった過去が明らかになるのも時間の問題だ。セチアはそれ以上クロスに見つめられているのが耐えられず、自分のつま先をジッと見つめた。
(今は隠し通せているけれど、帝都となれば私の事を知る人がいるかもしれない……)
王宮薬師時代の出来事はセチアにとって苦い思い出でしかない。もし同僚に向けられたような視線を、また向けられるようなことがあったら――。
「……っ」
「大丈夫か?」
「フォイル……」
俯くセチアに声をかけたのはフォイルだった。先ほどまでの固さは消えていないものの、その瞳には普段のフォイルが戻って来ていた。セチアを案じる眼差しに「大丈夫」と返事をしようと思ったその時、再びクロスの声が響く。
「正直言うと、俺がセチアに来てほしいんだ」
「――?!」
ハッと顔を上げると焦ったようなクロスと目が合う。
「俺、孤児院にいる時からいつもセチアに助けられてた。セチアの顔を見ると嬉しくなるし、何より安心できたんだ」
「え、ちょっ……やだ、昔の話じゃない」
まるで告白のような言葉にセチアの頬に熱が集まる。だがクロスはまっすぐにセチアを見据えたまま、話すのを止めなかった。
「もう二度と会えないかも、って思ってた。だからセチアに再会できた時、願いが叶ったと思ったんだ。これからはずっとセチアの顔を見ていられる距離にいたい。だから帝都に来てほしい。……その意味、わかるよな?」
そう語ったクロスは、真っ赤になったセチアを見つめるとようやく力が抜けたように、にへっと笑った。
「じゃ、また来るまで考えておいてほしい。……フォイルさんも、もう少しだけセチアをよろしく頼みます」
「…………」
去り際にフォイルに向けたクロスの表情をセチアは知らない。静かになった室内にはいつしか西日が差し込み、全てを赤く染めていた。




