30.疑心と困惑
セチアが茶をすすめると、クロスは「ありがたい」と、一息に飲み干した。
「ぷはーっ! 喉が乾いてたんだよ、助かった」
「そんなに急いでいたの? もしかしてグリン婆に用事だった?」
最近グリン婆はあちこちに出かけているようで、なかなかつかまらない日が多い。リップによれば近隣の村から訪ねて来る人も多く、どうやら聖教国関連でお互いの状況を把握し合っているらしい。
二杯目のお茶を注ぎながら尋ねるセチアに、クロスは首を横に振った。
「いや、今日はセチアに会いたくて来たんだ」
「私に?」
その言葉にセチアの心臓が跳ねる。クロスがセチアに用事があるとすれば、それはただ一つ――依頼していたアイリスの引き取り手探しのこと以外考えられない。
「もしかして――」
「うー、あいやい!」
だが聞き返そうとしたセチアの言葉はアイリスのアピールに遮られてしまった。見慣れぬ人物がいる割に元気なアイリスは、なぜかクロスの足元に近づいて声を上げている。
「あ、ちょっとアイリス!」
「そうそう、君にもね。アイリスちゃん。大丈夫忘れていないよ」
クロスはそう言い、会話にアイリスを抱きあげた。 アイリスはきょとんとしたままクロスに抱っこされている。
「驚いた。全然泣かないのね」
「もしかしてアイリスちゃん、俺が気に入ったかな? よかったら俺と暮らしてみる?……なーんて」
「そんなことより、私への用事って、もしかしてアイリスの引き取り手が見つかったとか?」
はやる気持ちを抑えきれず、セチアはテーブルに前のめりになってしまう。しかしクロスは「まあまあ」となだめ、苦笑いと共に肩を落とした。
「まさか流されるとはな……。ちなみに今日あの男は?」
「狩りの手伝いに行ってるけど……」
きょろきょろと辺りを見回すクロスは、セチアの返事を聞きホッとしたような、どこか釈然としないような表情を浮かべた。
「そうか……あのさ、セチア。本題に入る前に確認しておきたいんだけど……」
「な、何? 改まって――」
もしかして――。
セチアの脳裏に、以前フォイルが口にしていた内容がよみがえる。
『聖教会の関係者かもしれない』
あの時はフォイルの言動の意味がわからなかった。しかし彼が聖教会で受けていた扱いを知った今なら、あの動揺にも納得が行く。
(もしクロスが聖教会の関係者で、フォイルが生きていることに気づいて、再び確かめに来たのだとしたら……)
ドッドッドッ……と、セチアの心臓が早鐘を打ち始める。もちろん聖教会がフォイルの生死を確認することに、どんな意味があるのかわからない。
(そもそもクロスが聖教会の関係者だって可能性は低いはず。それに、クロスが聖教会の関係者だとしても私にできることはひとまず誤魔化して、穏便に帰ってもらうことだけ)
先ほどまでの勢いが鳴りを潜めジッと返事を待つセチアには、クロスが話し出すまでの時間が何倍も長く感じられた。
「あの男だけど――」
(来たっ!)
クロスが向ける真剣な表情。セチアは無意識にごくりと唾を飲み込んだ。
「あの男……もしかして、セチアの旦那なのか?」
「……はぁっ!? え、今、なんて?」
一瞬聞こえた言葉への衝撃。あまりに大きすぎる衝撃のせいで、セチアはまさか聞き間違えたのかとすら思った。
「いや、だってさ、一緒に暮らしているんだよな」
「――っち、違うわ! 体調を崩したところを看病してたついでに、アイリスの面倒を頼んだだけよ」
「でも結局はセチアが面倒みてるじゃないか」
「私だけじゃないわ! それにあの人は力仕事してくれたり、食料とか手に入れて来てくれるし」
「でもそれって――」
「でもじゃない!」
言い合いはセチアが強引に打ち切った。クロスに抱っこされたままのアイリスがぽかんとセチアを見つめている。
「何にもないわ。勘違いしないでちょうだい」
「セチアがそういうなら……うん、よかったよ」
「『よかった』?」
クロスは自分を無理やり納得させるように頷いた。だがセチアの問いには答えることなく、「そうそう」と話題を変え始めた。
「ああ、そういえば本題がそっちのけだった。セチア、喜んでくれ。アイリスちゃんの引き取り手が見つかりそうなんだ。ただ、今帝都の方がちょっと落ち着かなくてな」
「見つかりそう……なのね」
待ちに待ったアイリスの引き取り先の目途が立った――だが嬉しいはずの報せに、セチアの心は先ほどよりも浮き立たなかった。
(あれ? 私、嬉しいはずよね。あんなに待ち望んだ引き取り先が見つかったんだもの、嬉しい……わよね?)
セチアの胸に生まれたのは、当初想像していたものとは異なる気持ちだった。だが戸惑うセチアにクロスが気づくわけもない。
「ああ、だから正式に決まるのはもう少し先になりそうだ。頼まれていたのに申し訳ない」
「い、いいえ! 大丈夫よ、まだ待てるもの!」
「いー!」
「まあ、アイリスったら。代わりに返事しないでちょうだい」
「はははっ、君は賢い赤ん坊なんだな!」
心から申し訳なさそうに頭を下げるクロスに、セチアは慌てて首を振った。内心、正式決定が先延ばしになっていることにどこか安心してしまったのだから。
話の内容がわからないものの、まるで大人たちの話に混ざっているかのように、アイリスは目をくりくりさせて聞いていた。その無垢さがセチアにとっては救いだった。
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その後、窓から差し込む光に日が傾いてきたのを知ったクロスは、名残惜しそうに席を立った。
「じゃあ今日はこの辺で。今日は突然悪かったな」
「大丈夫よ。こちらこそ昔の話ができて楽しかったわ。アイリスのお守りもありがとう」
「こんないい子なら、何日でも一緒にいられるよ。なぁ、アイリスちゃん」
「うーぶぶ」
アイリスもいつもより大人しかったものの、たくさん構ってもらって満足げだ。それでもやはりほぼ初対面の相手に緊張したのか、セチアに抱かれると胸にぺったりと頬をつけて眠そうにしていた。
「じゃあまたね」
「ああ……。あのさ、セチア――」
扉の前で見送るセチアに、クロスが何かを言いかける。「ん?」と思った瞬間、突然外から扉が開かれた。
「ただい――」
「おやっ。これはどうも、ご無沙汰してます」
クロスは気さくな挨拶とともに人好きのする笑顔を向けている。だがクロスに向けられた黒い瞳はわずかに見開かれた後、敵意に満ちた眼差しへと変化したのだった。
「フォイル……」
セチアの口からこぼれ出た彼の名がぽつりと室内に響いた。
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次話は明日18時更新です。なにやら不穏な気配……。




