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29.人差し指の先

 オレア大帝国と()トランカート王国、()聖教国のはざま。国境をまたぐ森の中に建てられた簡素な小屋の周りでは、ヤギが親子で仲良く草を食んでいる。その横でセチアは植えていた薬草を摘みながら、横に座るアイリスの相手をしていた。


 指先の動きが器用になって来たアイリスの最近のブームは、手元にあるものを摘まんで「はい、どうぞ」と人に渡す遊びだ。唇を尖らせて懸命に地面を探し、草の端っこを指先でつまんだアイリスは真面目な顔をして指先を差し出してくる。


「だっば、ばー」

「はい、ありがと。今度はあなたよ、はいどうぞ」

「きゃきゃきゃきゃ!」


 受け取った草の端をアイリスに返してあげると、声を上げて大喜びだ。かれこれ何往復もこのやり取りを繰り返している。


(まったく、何が楽しいんだか)


 再び地面の草を探しているアイリスを見ながら、セチアはこっそりため息をついた。物の受け渡しだけでこんなに楽しめるとは、赤ん坊は気楽なものだ。


(でも、こういうのも悪くないかもね……)


 トランカート王国が無くなったからといって、セチアたちの生活のどこかが変わるわけではなかった。むしろこれまでよりも穏やかな日々が訪れたように感じることも多い。


(アイリスがまだ動かない時も穏やかだったような気がするけど、今はまた違った穏やかさだわ。一番の理由は話が通じるようになってきたことかしら――)


 アイリスの成長はめざましかった。まだ歩けはしないものの、つかまり立ちはお手の物になっていた。そして何より少しずつ言葉を理解し始めているようだ。食事の時にパンを出せば「ンッパ」と声を出し、見慣れないものを指差し始めた。さらにちょうど今やっている「はい、どうぞ」遊びだ。


(理解できているかどうかは別として、こっちの話を聞いてくれている気がするだけで、一緒にいる時の疲労感が全然違うのよね)


 少し前まではよくわからない、見た目のかわいい生き物を相手にしているような感覚だったが、今のアイリスは人間に近づいているように感じる。意図を持って話しかけることができるようになったことは、セチアの中で大きな変化だ。


(それにフォイルも……少しずつだけど、自分で考えて動くようになってくれたし。王宮薬師を辞めてここにいることを明かしたら、なんだか私も肩の力が抜けたというか……)


 お互いの過去を知ったことで、フォイルとの間に仲間意識が生まれたような気がしている。これまではアイリスを通じた利害関係だけで動いていたが、それぞれの内心を打ち明けたことで家の中の風通しがよくなった気がしている。そして火傷をしたセチアの代わりにこまごまとしたアイリスの世話もしてくれるようになった。それは火傷がすっかり良くなった今も変わらず続いている。


(これまではただ気を遣っていただけだけれど、相手への思いやりが混ざったような気がするわ。暮らしやすくなったのは良かった……けど)


 セチアは草摘みの手を止め、空を見上げた。木々の隙間から見える空の色が日ごと薄くなってきている。この辺りは空の色が薄くなるにつれ空気の温度が下がり、雪が降り始める。


(寒くなる頃にはアイリスもフォイルも、もうここには居ないわね……)


 帝都の行商人クロスに頼んでいたアイリスの預け先探し。グリン婆によればそろそろ行商に向かうという報せが来たそうだ。


 元々アイリスの引き取り先が見つかるまでの期間限定だった同居生活。早く居なくなってほしいと思ってばかりだったのに……。


「今はあなたと遊んでいるのが悪くないって思っちゃうんだから、不思議なものよね」


 無意識に微笑みながらアイリスをみると、アイリスの青い瞳はセチアをぽかんと見つめていた。きっと相手をしてくれないセチアを不思議に思っているのだろう。


「ごめんなさいね、少しぼーっとしちゃったわ。さ、アイリス。ちょうだいな」

「……」


 そう言ってセチアはアイリスに両手を合わせて、お皿のようにして差し出した。しかしアイリスは全く反応してくれない。


「どうしたの? ほら、ちょーだい」


 不審に思いながらももう一度同じ動作を繰り返す。だがセチアはここでようやく気付いた。アイリスの眼差しはセチアに向けられていなかったのだ。アイリスの視線はセチアを通りすぎ、さらに後方に向けられていた。

 その時、おもむろにアイリスが手を持ち上げた。


「あ」


 しっかりと人差し指を伸ばし、指したのはセチアの肩の向こう。澄んだ瞳は指し示した方向を瞬きひとつせず、じっと見つめ続けている。アイリスの瞳が何かを映しているのは間違いないだろう。しかし背後に全く気配は感じない。この森は人里近いこともあり、どう猛な動物の出現は少ない。しかし全くいないというわけではないのだ。もしかして、とセチアの全身の毛が逆立つ。


「――っ!」

「おわっ!」


 セチアは勢いよく振り返った。だが背後にいたのは動物ではなかった。

 赤栗毛の長髪を背中に流したその人物は、セチアを見ると輝くような笑顔を見せた。


「はぁ……びっくりしたぁ。よう、セチア。アイリスちゃんも元気だね」

「クロス!?」


 幼い頃同様に屈託ない笑顔を向けるのは、セチアの幼馴染であり、アイリスの引き取り先探しを依頼していた行商人クロスだった。

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