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28.聖教国の密談

 不気味な漆黒のローブを纏った男――皇帝グレカムは、まるで自分の城であるかのように堂々とジュダスを人払いの済んだ応接室へ迎え入れた。顔の半分ほどまで隠したフードのせいで表情は見えないが、口元が愉快そうに歪んでいるのがはっきりわかった。


「どうした血相を変えて」

「……っ、へ、陛下がお見えになるとは聞いておりませんでしたもので」


 ジュダスは恭しく頭を下げながら乱れた呼吸を整えていた。自分よりもはるかに年若いグレカムに頭を下げるなど、聖教会の頂点に上り詰めたジュダスにとって屈辱的ではあったが、ここではグレカムの方が身分が上だ。それに気味の悪い服喪の証であるローブを目に入れずに済むと、自分を納得させていた。

 だが、そんなジュダスの思いなど、ほんの一言で覆されてしまう。


「頭を上げろ、ジュダス」

「……はい」


 不満が声に出ずに済んでよかったと、ジュダスは胸を撫で下ろした。目の前には椅子に深く腰掛けたままのグレカムが不敵に微笑んでいる。

 

「貴殿が悲願を果たした祝いを告げようと思ってな」

「かたじけないことにございます」

「いや、もしや俺が掠め取りに来たとでも思ったか?」


 フードに隠れて表情の見えぬグレカムが口元だけで笑った。

 ――この若造が。

 もともと気の長い方ではあるものの、その物言いにはさすがに怒りがこみ上げる。だが、ここで露わにしては全てが台無しだ。喉元まで出かけた言葉をグッと飲み込み、静かに頭を下げる。


「……いいえ、まさかそのようなことは。むしろこの度は心から感謝しております。帝国、そして我が聖教国はこれからも女神様のご加護を受け続けられることでしょう」

「我々は女神は信仰していない。勝手に一緒にするのは止めてくれ」

「そ、れは……大変失礼いたしました」


 ギリ……と歯の擦れる音が届かなかっただろうか。ジュダスは女神を愚弄された怒りを必死に押し殺そうとした。


(礼儀知らずの若造め。いずれ私にひれ伏す日がくるとは知らずに――)


 聖教会はトランカート王国と対立する中でも布教活動を怠らなかった。『女神様の深い慈悲の心で救われる』という教えは庶民に深く浸透し、国王に反感を持つ貴族にも信徒が生まれた。今回、聖教会が国を統治すると決まった時に反対勢力が現れなかったのはそのことが原因だ。王城内にも信仰が根付いていたのだから。


(帝国にも遅くないうちに女神様の教えが伝わるだろう。そうすればあの若造と私の立場は逆転する)


 自らの輝かしい未来のためだ。ジュダスは再び自分に言い聞かせ、必死に平静を取り戻そうと試みた。その時、グレカムが問いかけて来た。


「時に――王女はまだ小さいのだな。昨日は泣いてばかりだったと部屋付が言っていた。いったい何歳になる?」

「あ、ああ……リージア王女ですか。四歳の誕生日を迎えたばかりでしょう。祝いの品を贈る予定だったのですが、お渡しできないままになってしまいました。残念なことです……」

「嬉しそうに……」

「何を仰います。人の命はみな宝でございますよ」


 グレカムが切り出したのはトランカートの王女リージアのことだった。リージアは生まれてすぐに王妃である母を亡くし、乱心の父・国王レンデューラからも離されて育った孤独な王女だ。聖教会からも形ばかりの誕生祝を贈り続けているものの、ついにその慣習も終わる日がきてしまった。


「そうか。ならその言葉を信じることにしよう」

「お帰りでございますか?」


 気が済んだのか、グレカムはがたりと椅子を鳴らして立ち上がった。グレカムがまっすぐ部屋の出口に向かう姿に、ジュダスはようやく肩の力が抜ける思いだった。


「――ああ、そうだ」

「?」


 だが部屋の扉の前まで進んだグレカムは、思い出したかのように見送るジュダスを振り返った。


「そろそろフォイルの身を渡してもらおうか。貴殿の望みは果たしただろう?」

「ああ、フォイルですか……」


 なるほど、それが目的だったのか……。その名を聞くなり、ジュダスの全身に一気に活力がみなぎってくる。

 フォイル――黒髪、黒目の“不浄の者”だ。どういった経緯かはわからないが、帝国から聖教会に預けられたのが二十数年前。下働き要員、そして騎士団員の不満のはけ口として生かしておいた男だ。


(まさか帝国皇子グレカムの双子の弟だったとわかった時は驚いたものだ。 “忌み子”として消されたはずの弟が生きているとなれば、帝国側も黙っていられないだろうからな)


 ジュダスがフォイルを騎士団員に任命したのが五年前。ちょうど前皇帝が崩御し、新皇帝としてグレカムが即位した時のことだ。

 今日と同じように人払いをした部屋で、若き皇帝に頭を下げたジュダスが切り出したのだ。


『なんだと……? 俺の、弟が?』

『ええ。ただしかつて“忌み子”として存在をないものとされた方ですが……』

『こちらに渡せ』

『それは致しかねます。彼は我が聖教会の守護番、聖騎士団の一員なのですから』

『……なるほど。何が望みだ』

『お話が早くて助かります。実はお願いがございまして――』


 当時ジュダスが切り出した条件――それはいずれ来る日のために、聖教会に力を貸してほしいというものだった。トランカートの玉座を奪う日のために。


(まさに女神様から思し召しだった。王家を廃するための手駒が全て私の手元に集まったのだから……。残念なことにフォイルは“呪い”によって命を落としたが、この無礼者にわざわざ教えてやる必要もあるまい。それに使えるもの()は最後まで使ってやらねば慈悲深い女神様の意に反するというものだ)


 ジュダスは先ほどのグレカムが見せたような笑みを浮かべてみせた。


「フォイルはお役目に励んでおりますよ。聖騎士として女神様にお仕えしておりますゆえ、今しばらくこちらで――」

「約束が違う!」


 グレカムの語気が強まる。


「王国を手に入れればフォイルをこちらに渡すという約束だっただろう」

「……はて、そうでしたかな」

「貴様、ふざけるなよ……!」


 すっかり立場が逆転したようだった。ジュダスは子犬のように騒ぐグレカムをゆったりと見つめながら、信徒に諭すように続けた。


「 …… “忌み子”、でしたかな? ひどく人道に反した、忌まわしい風習でございますね」

「――っ?」


 グレカムが一瞬動揺を見せた。どうやら図星だったらしい。

 双子の片方を存在しないものとして扱う、帝国に伝わる悪しき風習だ。近年その風習は批判され、改めようという動きがある。しかしまさか現皇帝の弟がそのような目に遭っていたとあらば、帝国皇室への支持は暴落するだろう。


「……フォイルをそちら様に渡せば殺されるだけでしょう」

「……」

「もし皇帝の血を引く皇子であるにも関わらず、その子が“忌み子”として捨てられていたと知ったら、国民はさぞかし驚くでしょうね」


 ジュダスの言葉にグレカムは返す言葉もないようだった。だがしばらくして絞り出すような若き皇帝の声が聞こえてきた。


「……何が目的だ」

「……お話が早くて助かります」


 いつかと同じような笑みを浮かべながら、ジュダスは頭を下げた。


「そう急がずとも、いずれフォイルの身はそちらにお渡しいたします。今しばらく我々にお力添えいただければ、その時期は早まるかと――」



 最悪の気分だった。王城を出たグレカムは、馬車に乗り込むとすぐさま暑苦しいローブを脱ぎ捨てた。長い黒髪が額にじっとりと張り付いている。


「おい!」

「はっ……」


 苛立ち紛れに馬車の外に待たせていた側近を呼ぶと、すぐに返事が返って来た。


「急ぎ調べさせろ。聖騎士団のフォイルという男だ」

「かしこまりました」

「頼んだ。……出せ」


 指示を出すと少しの間の後、馬車が動き出す。この移動時間は多忙な皇帝にとって貴重な休息の時間だった。しかし今日ばかりは全く休まらず、頭に浮かぶこともただ一つだけだった。


「フォイル……。絶対に手に入れてやる。このまま逃がしてたまるものか」

セチアとフォイル、二人の知らないところで動き出した人々。

次話は再びセチアたちの話に戻ります。明日18時更新です。よろしくお願いします。

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