27.王国の終焉
アイリスの額の傷はみるみる塞がり、薄っすらと傷が残る程度まで回復した。薬でべたつく額を拭いて、もうこれからは包帯無しでも過ごせそうだ。アイリスを抱えたフォイルにセチアは得意げな顔を向けた。
「どう? 私の薬の効能はさすがでしょう?」
「あぁ。見事なものだな」
「へんむー! うきゃぁー!」
「はいはい、ごめんね。おしまいよ、おしまい」
セチアが前髪をさっさと直してあげると、アイリスはジタバタとフォイルの膝から降りたがった。床に降り立つとすぐテーブルの足につかまり、よじよじと立とうとする。
「あれからすっかり上手になっちゃって」
最終的に尻もちをついてしまうものの、つかまるものがあればアイリスはしばらくつかまり立ちができるようになっていた。
「テーブルクロスを敷けないのは残念だけど、仕方ないわね。さてと、仕事しようかしら……っ、いてて」
思わず伸びをしかけたセチアの肩に痛みが走る。アイリスの傷は回復したものの、セチアの火傷が痛まなくなるにはまだ少しかかりそうだった。
「痛むか?」
「急に動かしたりするとね。でももうだいぶいいわ」
火傷の薬はいくら作っても効き目はいまいちだった。それでもセチアが落ち込まずに済んでいたのは、アイリスの回復力によるものが大きい。
(ま、化膿しなかっただけいいわね。薬師にだって得手不得手はあるだろうし、なによりアイリスの傷の治りの方が大事だもの)
クロスに頼んだアイリスの預け先探しの進捗がどうなっているのかわからない。せめて傷が治った頃に来てほしいと思ってしまうところもあった。
――トントントントン
「あら? だれかしら」
突然ノックされた扉に、セチアはフォイルと顔を見合わせた。
セチアがけがをしたと知ってリップたちが来訪を遠慮したこともあり、久しぶりの客人だ。とは言え、この家を訪ねてくるのはあと一人くらいしか思い浮かばない。
「やっぱり。グリン婆っちゃ!」
「うきぁーっ!」
扉を開くと予想通り、グリン婆の姿が現れた。アイリスもテーブルの脚の陰から顔を覗かせ大歓迎だ。
「おじゃまするよ。セチアは火傷の具合はどうだい?」
「まずまずよ。それよりどうしたの?」
「あぁ……ちょっと村にいるのも疲れちまってね。ほれアイリスや、婆を癒しておくれ」
「へぶぅ、ぶぶぶ……」
室内に招き入れるとグリン婆はどかっと椅子に腰を下ろし、深いため息をついた。足元に寄ってきたアイリスを抱き上げ、小さな頭に頬ずりしている。いつもと違うグリン婆の疲れ具合にセチアは驚いてしまう。
「ど、どうしたの?」
「とうとうトランカートの王様が玉座を下りたようだよ。完全降伏、無血開城だとさ」
「え……?」
グリン婆の口からさらりと語られたのは、セチアが生まれ育った国の名だった。一瞬、セチアの思考が止まる。フォイルは眉を動かしたものの、すぐにいつもの無表情に戻っていた。
「ま、待ってよ。『とうとう』ってどういうこと?!」
「あんた、知らなかったのかい? 村中その話で持ちきりだったのに……」
ようやく声が出せるようになったセチアが聞き返すも、グリン婆は逆に驚いていたようだった。セチアが首を振ると「ふむ……」と眉間のしわを深めながらも話を続けた。
「王家と争っていた聖教会とか言ったかな? 王国はその聖教会が統治する『聖教国』となったようだよ」
「そんな……」
横目にフォイルを見れば、彼は表情を変えずに聞いている。
「正式には『オレア帝国領聖教国』だそうだ。帝国が聖教会の後ろ盾になっていたんだから、王国が敵うはずないんだ。賢明だったと思うよ」
「陛下――国王陛下と王女殿下は?! まさか――」
「それが王家の人々は帝国が一時身を預かっているそうだ。王女もまだ小さいらしいからねぇ」
「え、ええ。たしかまだ四つくらいだったはずよ」
「そうだったのかい。かわいそうにねぇ。ただトランカート王国の国内の混乱もそう大きくないようだよ。この村に元王国民が来てないのがその証拠さ。王家が退いただけで、結局今まで通りの生活が続いているという話さ」
客観的に見れば、長年の争いに終止符が打たれただけだ。だがまさか聖教会がオレア帝国を味方につけていたとは……。
(帝国が後ろ盾って……。帝国相手じゃあまりにも力の差が大きすぎるじゃない。それに、ただでさえ国王陛下は――)
王妃を失ってからというもの、乱心した国王によってトランカート王国の内政は悲惨なものだった。セチアは早々に国を離れてしまったものの、それでも無謀な政策が次々と打ち出されたことは知っている。
(その一つが聖教会信者への弾圧だった……。国内での王家への不信感が高まっていたのは間違いないわ)
遅かれ早かれ国としては厳しい末路を辿っていたのかもしれない。唯一の救いは幼い王女が救われたことくらいだろうか。
「そういうことだからね、これから王国だった場所の実質的な支配者は聖教会になった、ってことだね」
「……そうなの。驚いたわ」
グリン婆にはセチアがトランカート王国の王宮薬師だったという話はしていない。あまり大げさに反応するわけにもいかず、ありきたりな返事を返す。
「この村は国境が近いからね。王国民が大勢流れて来るんじゃって心配していたけれど、意外と大丈夫そうで安心したよ」
どうやらグリン婆の懸念はそこだったらしい。村長を務めるグリン婆にとって、よそ者が大量に入ってくることは避けたいのだろう。村の自治が成り立たなくなるからだ。
グリン婆は「ははは」と弱々しく笑った。
「すまんね。あんたらは村とは関係のない人間だからさ、リップやディック、それに村の者どもには話せないことをどうも話したくなっちまうんだよ」
「そういうことってあるわよね。どうぞ、いつでも来てちょうだい」
「そうだねぇ。アイリスがいなくなる前に、存分に遊んでおかないとねぇ」
「きゃはははっ!」
ひと通り話してホッとしたのだろう。グリン婆は膝の上に抱き上げたアイリスをあやし始めた。アイリスの笑い声に室内の緊張がほぐれ、穏やかな空気が流れ始める。だがフォイルだけがまだ固い表情のままだ。
「ほら、そんな顔してたら怖がられるわよ」
「……そうだな」
見かねたセチアはこっそり声をかけた。そこでようやくフォイルはいつもの無表情に戻り、セチアもホッとしたのだった。けれどグリン婆から聞かせられた衝撃的な状況に、疑問は次々と沸き上がってくる。
(けど、どうして帝国は聖教会側についたのかしら。単なる一教会にそこまで肩入れする必要があったの? 国王陛下も、王女殿下も、元気でいてくださればいいのだけれど……)
「うきゃっきゃっきゃっ!」
「おぉ、楽しいのぅ。パチパチ~。ほれ、フォイルもやらんか」
「え? パ、パチパチ~?」
「あははっ、喜んでるわよ!」
セチアはかつての主に思いを馳せたものの、グリン婆と手拍子で遊ぶアイリスと、巻き込まれたフォイルを見て笑ううちに、湧き出た疑問は心の片隅に追いやられてしまったのだった。
◇
一方、オレア帝国領聖教国と名を変えた元トランカート王城では、聖教会最高司祭ジュダスが玉座からの景色を堪能していた。
「ザモよ、ようやくだな。ようやくこの景色を手に入れたぞ」
「はい。女神様のお導きに心から感謝しております」
「その通りだ。お前はいい子だな、ザモ。さぁ、次は――」
ジュダスが口を開こうとしたその時、信徒が駆け寄ってくるのが見て取れた。
「聖司祭様、大変でございます――」
息を切らした信徒は、青ざめた顔で一息に告げた。
「皇帝が――オレア帝国皇帝グレカム様がお見えになりました!」
ブクマ等ありがとうございます!
次話は明日18時更新です。




