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24.自業自得

※流血表現があります。

 翌日、グリン婆がセチアを訪ねて来たときには、既にフォイルはディックと釣りに出かけていた。いまだ人見知りが続いているアイリスは、なぜかグリン婆は平気らしい。機嫌よく抱かれながらテーブルクロスの端をあむあむ噛んで遊んでいる。

 クロスからもらった布は植物の模様が描かれたもので、テーブルにかけると殺風景な部屋が一気に華やいだ。とは言えアイリスにとっては目新しいおもちゃになっているようだが。


 小鍋から瓶にくつくつと煮えたばかりの水薬を流し込む。効き目の早い胃腸薬だ。湯気と共に魔力がキラキラと宙に漂う光景はいつ見ても美しい。


「さあ、出来た。――あっ、あなたはだめよ」


 セチアはそう言いながらコトンと瓶を置いた。グリン婆の目の前でふわふわキラキラと湯気がきらめいている。だがアイリスが目を輝かせながら手を伸ばし始めたので、セチアは瓶をテーブルの対面に置き直した。

 グリン婆は「ほぅ」とため息をつきながら、アイリスの頭を撫でている。


「いつ見ても不思議だよ。あんたら薬師はすごいもんだ」

「そんなことないわ……」


 薬師としての仕事を認められるのが嬉しくないわけはない。けれど今のセチアにはどんな誉め言葉も素直に受け取ることができなかった。


 フォイルにリップとの話を聞かれてしまった後、謝ったセチアにフォイルは「いなくてもいいと言われるのは慣れている」と答えた。


(確かにそもそもは私が悪いんだけど、『言われ慣れている』なんてどういう意味よ。あの人を貶めるつもりなんかなかったのに……)


 結果的にそうなってしまったとはいえ、何とかして誤解だとわかってもらいたい。けれどセチアの高い自尊心が邪魔をするのだ。誤解だとわかってもらうには、リップとの話の流れを説明しなければならないだろうから。


「はぁ……」

「なんだい、ため息なんかついて。喧嘩でもしたのかい?」


 無意識に出てしまったため息を聞かれてしまったようだ。グリン婆が尋ねてくる。


「ど、どうして?」

「どうしてもこうしても、あんたがそうやって思い悩むのは、アイリスのことかフォイルのことだろうに。それともあの行商人のことかね?」

「どうしてそうなるのよ! 違うわ……ううん、あんまり違わないかも。喧嘩ってわけじゃないんだけど……」

「素直に謝っときな、セチア。あんたが何を思っているかなんて、あの男に察せるわけなんかないんだから」

「……そう、よね」


 年の功か、グリン婆には何もかもお見通しなのだろうか。隠しきれないと観念したセチアが頷いた時だった――。


 ――ドンドンドン!

 激しく扉が叩かれた。次いで大きな声でグリン婆を呼ぶ声が飛び込んでくる。


「村長! いるかい!?」

「ったく……一体なんだい、騒々しいね。はいよ! 今出るから待ってな」


 扉を開けると顔色を青くした男性が慌てた様子で立っている。男性はグリン婆の姿を認めると、耳元で何かを囁いた。


「……そうかい。そりゃ戻らんとな」


 眉間の皺を深くしたグリン婆は、抱いていたアイリスをセチアに渡すと、珍しくアイリスに別れの言葉も告げずに家を後にした。だがグリン婆は扉を出る瞬間、思い出したように振り返った。


「ああそうだ。セチア、すまんね。その薬、後で届けてくれるかい?」

「ええ、わかったわ」


 ピリピリとした雰囲気にわずかに緊張しながらセチアは頷いた。グリン婆が後手に扉を閉めると、一気に部屋の中が静かになる。


「謝る……ね」


 グリン婆の言葉が耳に残っている。セチアは一旦アイリスを床に降ろすと、薬を沸かした鍋を流し台に運ぶ。


「謝るって言っても……ねぇ」


 なにより、セチアはフォイルに伝えたい言葉が見つけられないでいるのだ。

 頭の中ではいろいろな言葉が渦巻いている。その一方で、シン……とした室内。


「――ッ、アイリス!?」


 すっかり自分のことばかりで忘れていた。あの動きたい盛りの赤ん坊が大人しくしているわけないのだ。


 振り返るとアイリスはテーブルの脚につかまり、膝立ちの恰好になっている。左手で支え、右手は頭上に伸ばされている。ふるふると震える指の先が下に垂れたテーブルクロスを今まさにつかもうとしている。

 テーブルに置かれているのは、さっきまで鍋で煮えていた薬を入れた瓶――テーブルクロスが引かれたら、瓶が倒れた先にいるのは……。


「――だめっ!」

「っ……?!」


 セチアの大声に驚いたアイリスはぐらっと体勢を崩した。同時に指先でつかんだテーブルクロスが勢いよく引かれ、湯気の上がった瓶が倒れていく。なぜかその瞬間、時間の流れが遅くなったかのようだった。アイリスが顔から床につんのめり、アイリスに覆いかぶさった自分の肩に魔力交じりの熱い薬がかかるのをセチアはまるで空から見ていたかのようにはっきりと捉えていた。


「……っつう」


 だが次の瞬間、焼けるような鋭い痛みがセチアを襲った。その痛みでセチアの意識が自分の体に戻ってくる。我に返り、真っ先に呼んだのはアイリスの名だった。


「アイリス……?!」

「ふ…………っ、ふ、ふぎゃぁぁーんっ!」


 長く息を溜めた後、アイリスは大きな声で泣き始めた。泣き声を上げたことにホッとしたものの、それもほんの一瞬。床にポタ、ポタ……と真っ赤な液体が垂れてきた。赤い雫の元をたどった先はアイリスの額だった。


「血が――」


 アイリスが怪我をした。

 額から流れる血が、小さな顔に赤い道を描く。額の血が口の中に入り込んだのか。それとも口の中もどこか切れているのか。大きく開いた口の中も真っ赤に染まっていった。


 その横でセチアの肩から流れ落ちる薬からキラキラと魔力の粒子が床に吸い込まれ消えていく。

 赤ん坊の泣き声。床に吸い込まれ消えて行く魔力のきらめき。

 その光景はあの夜と同じ――。


 ――ドクン……!

 セチアの心臓が大きく跳ねた。

 と同時に耳鳴りがし始め、目の前が暗くなっていく。かろうじて腕の中のアイリスが泣いていることだけがわかるが、それ以外の感覚は遮断されてしまったようにぼうっとうつろになり、何も認識できない。無意識に呼吸が浅くなっていく。


「あ……わ、私……っ」


 息を深く吸おうとするも、かえって苦しさが増してしまう。どういうわけか、自分の体じゃないように自由がきかなかった。目を開けているのに何も見えない。世界が回り、耳が塞がれているように何も聞こえない。


 聞こえるのは自分の激しい心臓の音。ジンジンと痛む肩。そして耳の奥で響く赤ん坊の泣き声。

 一瞬見えたアイリスの額からは血が流れていた。セチアが目を離したせいで、アイリスがけがをして泣いている。


(私のせいだ……!)


 自分のせいでまた傷つけてしまった。

 自分だけが作れる解呪薬――それなのに王妃を救えなかったせいで、全てが狂っていった。自惚れ、慢心……全部セチア自身が招いた結果だ。


 ――あの人がいてもいなくても変わらないわ


 傲慢な自分の声がよみがえる。あの時のフォイルはどんな顔をしていたのだろうか。


「フォイル……」


 口の中で呟いた名前はこみ上げる嗚咽にかき消された。


(私なんか、いなければよかった――。いてもいなくても変わらないのは、私の方よ……!)


「フォイル……っ」

次話は明日18時更新です。

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