23.いてもいなくてもかわらない
「はぁ……フォイルさんと毎日一緒にいられるだなんて、まったくセチアちゃんが羨ましいよ。セチアちゃんだってまんざらじゃないんだろ?」
「えっ?!」
その日グリン婆の代わりに薬を注文にやって来たリップは、うっとりとため息をつきながらセチアに告げた。
「ど、どういうこと?」
セチアはあやうくペンを取り落としそうになりながら答えた。
実は笑顔の練習をした日以来、セチアはまともにフォイルの顔が見れていない。あの時の胸の高鳴りが妙に気恥ずかしく、顔を見ると思い出してしまうのだ。思い出す度にセチアの中で必死の言い訳が始まる。
(いやでもただ単にいつもと違う様子だったからドキドキしただけよ。これっぽっちもあの人に気があるわけじゃないわ。『まんざらじゃない』どころか、あの人には特に何も――)
「あぃー」
「おや、アイリスちゃんもそう思うのかい?」
アイリスがセチアにしがみつこうと寄って来た。話の内容など理解しているはずもないアイリスの声をリップが良いように解釈する。
「本当になんにもないのかい?」
「ないない! 絶対ないわ!」
「何にもないのに、ああやって仲良くいられるわけないじゃないか」
「え、えぇ……?!」
「何かあるだろう。ほらほら!」
今日はなぜかリップの押しが強い。いつもならグリン婆が止めてくれるのだろうが、今日はセチアの家だ。言葉を話せないアイリスに助け舟を求めても意味がない。
「いや、あの人とは何も――」
「いーや。何かあるはずだよ。若い男女が同じ屋根の下にいるんだからさ!」
確かに普通に考えれば年頃の男女が一つ屋根の下に暮らしているのだ。はたから見れば深い関係にあると思われても不自然ではない。
(でもあの人は元聖騎士で、まさか不埒な真似をするような人じゃないし……。私もそういうのは興味がないし――)
かと言ってこの話を終わらせる決め手になりそうなフォイルの正体については、リップはもちろん、ディックにもグリン婆にすらも明かしていない。無関係のセチアがペラペラと話すような内容でもないだろう。しかしリップの好奇心は止まらない。
「さあ、セチアちゃん。話すと楽になるよっ」
「――だから、違うってばっ!」
思いがけず大きくなった声に、リップの笑顔がぴしりと固まる。
「あの人とは何にもないわ!」
「そ、そうかい……」
「そうよ! あんな無表情な人より、もっと明るい人が良いに決まってるじゃない!」
セチアは自分がむきになっている自覚はあった。自分の気恥ずかしさを隠すために、全力で否定しないと気が済まなかったのだ。
「だっ、だいたい何を考えているかわかんないし、それに手際も悪いのよ。言われたことしかできないような人と一緒にいても疲れるだけよ。それにどうせすぐにいなくなるんだもの。正直なところあの人がいてもいなくても変わらないわ!」
そう、フォイルはいずれいなくなる人間なのだ。どれほど表情が読み取れるようになっても、アイリスの世話が上手になっても、フォイルもアイリス同様にいつかいなくなってしまう。
「うーあいあい」
その時、再びアイリスが声を上げた。その声は扉の方に向けられている。
「あ……」
「……すまない」
セチアとリップの視線の先に立っていたのはフォイルだった。
(きかれた……!)
さっと血の気が引く。
だがフォイルは表情を変えずに立っている。見ればきっとディックとの狩りの戦利品なのだろう野兎を手にぶら下げていた。いつからそこにいたのかわからないフォイルは「血抜きをしてくる」と呟くと、ふいっとまた外に出て行ってしまった。
「あちゃー。聞かれちゃったかねぇ?」
「だ、大丈夫よ。少しくらい自覚してもらった方が良いんだわ……」
まずい事をしでかしてしまったと困り顔を見せるリップにセチアは嘯いてみせた。とは言えセチアだって内心冷や汗が止まらない。その後すぐにリップは暇を告げ、気まずい表情のセチアとパタパタと手足を動かす元気なアイリスが残されたのだった。
◇
しばらくして野兎を解体したフォイルは、特に表情を変えることも何か言うこともなく部屋に入ってきた。セチアの腕の中からアイリスがフォイルの姿を追うが、今のセチアには到底真似できない。
(絶対に聞かれていたわよね。私の言葉……。どうしよう謝った方がいいかしら。でも必死に否定していたのが知られるのは恥ずかしいし)
リップの決めつけを覆い隠そうとした攻撃的な言葉は、しっかりと本人に届いてしまった。どうしてあそこまでむきになってしまったのだろうか。
判断しかねているセチアが不自然に無言になっていると、フォイルが捌いてきた肉を調理台に置こうと向かう所だった。しかし調理台の上にはアイリスの離乳食を作った鍋がまだそのまま残っている。
「……これは、どうすればいい?」
「あっ! そ、そうだったわね。もう片付けちゃいましょう!」
不意にかけられた一言に慌てながら、セチアはアイリスを抱いたまま調理台に駆け寄った。フォイルはその姿を見て一歩距離を取る。その距離がセチアを踏み切らせた。
「――あの、ごめんなさい!」
急な謝罪にフォイルの暗い双眸がセチアに向けられる。
「何がだ?」
「話……聞こえていたでしょう? あ、あれはね、リップさんが――」
またもや言い訳だ。
だがセチアにはそうする以外、どう伝えればいいのかわからない。けれどセチアの言葉は途中で遮られることとなった。
「うきゃぁぁー!」
「ちょ、ちょっと!?」
アイリスが突然セチアの腕の中から身を乗り出した。どうやら普段気になっていた鍋に手が届きそうだったのだろう。アイリスが手と体を思いっきり伸ばす一方で、すっかり気を抜いていたセチアはぐらりと体勢が崩れ、足元がよろめいた。
「あ――」
「――危ない」
さっと伸びて来た腕がセチアの体を支えた。
ハッと顔を上げると慌てたフォイルと目が合う。
「ご、ごめん……」
「……大丈夫だ。いなくてもいいと言われるのは慣れている」
だが、フォイルから返って来たのは、先ほどのセチアの言い訳への返事だった。
「え……」
「ただ、この子の預け先が見つかるまで――もう少しだけ置いてもらえると助かる」
ぽつりと落とされたフォイルの言葉に、セチアは返す言葉を見失ってしまった。
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