22.笑顔の練習
いつからか、セチアの寝室の扉は開けたまま過ごすようになっていた。夜、アイリスが泣いた時にフォイルがすぐに入って来れるようにするためだ。
「う~~~ぁっっ!! ふえぇ~……」
「ううん……アイリス?」
その日、セチアが目覚めるとすぐアイリスの泣き声が聞こえた。側のベッドを見ると中は空っぽだ。見ると開け放たれた扉の向こうにしゃがみ込んでいるフォイルの背中が見えた。きっとアイリスはその向こうにいるのだろう。
「何してるの?」
「……おむつを替えさせてくれない」
「おむつ?」
「――っ! はふはふはふはふ……っ!」
フォイルの向こうを覗き込むと、そこにはアイリスが涙目で床にぺたんと座り込んでいる。アイリスは覗き込んだセチアの顔を見た途端、必死の形相で這い寄ってきた。セチアの足元まで来るとしがみついてくるので、何気なく抱き上げると、すぐにツンとした臭いが鼻をついた。
「――っ、くっさ!?」
・
・
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「泣いて逃げられるものを、無理矢理捕まえるわけにもいかない」
「う~ん……」
結局汚れたおむつをセチアが交換した後、フォイルから何が起こっていたのかを聞くことになった。やはりアイリスがフォイルを嫌がっていたのが理由らしい。すっきりしたアイリスは相変わらずセチアの足元でウロウロしていた。
「で、でもアイリスはあなたのこと気にはしているみたいなのよね」
「まあそれはわかるが……」
アイリスは抱き上げようとさえしなければ、フォイルの事を嫌がらない。むしろフォイルの顔をジーっと見つめ、様子をうかがっているようでもある。
アイリスの眼差しに誘われるように、セチアもフォイルの顔を見つめた。リップお気に入りの彼の顔立ちは無駄に整っているものの、周囲から一線を引いているような陰りがにじみ出ている。
(眩しいくらいだったクロスとは大違いね。……あ!)
「そうよ! この無表情がよくないんじゃない?」
「無表情?」
フォイルは怪訝そうに首を傾げた。
「だってあなた何をしていても、ちっとも表情が変わらないんですもの。少しでも笑顔を見せたりしたら、アイリスも近づきやすいんじゃない?」
「……これでもだめか?」
「え?」
だが、セチアを見つめているフォイルはいつもと変わらない無表情だ。若干目元が緩んでいるように見えるが、見慣れない人からしてみれば機嫌が悪いのかと思われても仕方ない。セチアは首を振った。
「残念だけど全然よ。もしかして笑っているつもりだった?」
「そうだが……。そうか、だめだったのか……」
そう答えたフォイルの眉がわずかにシュンと下がる。だがよく見ているからわかる程度で傍目にはまったく変化がない。なんだか面白くなって来てしまったセチアは、おもむろに立ち上がり、ぱしっとフォイルの両頬を手で挟んだ。
「もっとしっかり顔を動かさないと。ほら、頬が固まってる」
「ふぐっ?!」
喋りながら挟んだ頬を思いっきり手で揉み始める。フォイルの顔がまったく見たことのない表情に変わっていく。
「唇をぐぃーん、と上げるのよ。ほらこんな感じ」
「ちょ、っとこれは……」
調子にのったセチアが大げさに動かすも、フォイルはなされるがまま。目を白黒させ戸惑っていることには違いないが、どう反応していいのかわからないらしい。
「これくらい動かさないとアイリスには伝わらないわよ」
「そ、そうなのか?」
「たぶんね!」
なされるがままのフォイルが面白すぎて適当なことを言ってみると、フォイルは真面目に受け取ってしまう。元々の彼の性格ということもあるが、きっとアイリスにかかわる事だからだろう。
「それにしても、あなたアイリスの事気にしてくれるようになったわよね」
連れてきておいて「抱き方がわからない」と言っていた彼が、今や率先してアイリスに関わろうとしている。ディックやリップの口添えもあったと思うが、セチアにとってはありがたいことだった。
「俺も、少しくらいは役に立ちたいと思っているんだ……。でもすまない、避けられてしまって」
「大丈夫よ……。アイリスもあなたのことを嫌っているわけじゃないわ」
そうは見えないけれど、フォイルなりに色々気にしていたのだろう。言われたことしかできないと思っていた彼が、自ら動こうと努力していることには間違いない。
「――キャハハハハ!」
その時、足下から楽しそうな笑い声が響いてきた。見れば床にぺたりと座ったアイリスが、セチアとフォイルを見上げて笑顔を見せていた。きっとフォイルの百面相を見て笑っているのだろう。
「見て、笑ってる――っ……」
「そうか。よかった」
セチアはぱっとフォイルに視線を移した。しかし瞳に映ったフォイルの表情に息が止まる。
それまで固い表情を解そうと包んでいたセチアの両手の中で、フォイルは見たことのない表情で微笑んでいたのだ。それは柔らかく、消えてしまいそうな繊細な微笑みで――。胸の奥で大きな音が鳴った。
「……っ、ご、ごめん」
セチアは弾かれたように手を離し、後ずさる。
「どうした?」
「あ、はは……。ちょっとやりすぎたかも」
「いや、大丈夫だが」
セチアが手を離したことであっという間に無表情に戻ったフォイルは不思議そうにしている。だがセチアはそれ以上フォイルに触れ続けることはできなかった。
(な、なに? 今の……)
「あぅ?」
「あ……えっと、おむつはどうだったかなぁ、っと」
激しく鳴り続ける心臓の音をごまかすように、セチアはアイリスを抱き上げたのだった。
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