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2.金獅子のマント

 聖騎士――彼らは女神に一生を捧げると誓った、美しく気高き金獅子をまとった騎士。

 聖教会が守り伝える女神信仰の守護者である。


(実際は、王家との権力闘争が激化した時のために置かれた実働部隊。でも、それなりの身分の人間しか聖騎士にはなれないという話よね――)


 セチアが過去に聞いたのは最低でも男爵位、つまり貴族しか聖騎士にはなれないという話だ。人々の信仰を集める聖教会は王家にとっては疎ましい存在だ。そのため聖教会は立場のある人間を採用することで、王家が簡単に手出しできないようにしていたのだろう。


(つまりこの男は……)


 セチアは改めて青年の顔を見た。無駄に整った顔立ちに違和感を覚えていたけれど、貴族の出なら当然のこと。


「……っへへ、貴族様にどうも失礼を。こ、こちらのお品物は受け取れません。聖騎士様のマントにはさみを入れるなら、この私めのボロ服を使わせていただきますので――」


 いくら王宮薬師として勤めていたとはいえ、貴族とセチアのような庶民の間には、天と地ほどの差がある。基本的に貴族は庶民をどう扱っても罪に問われない。傷つけたり、命を奪ったりしてもだ。つまり今ここでセチアの無礼な物言いに青年の怒りを買い、斬り捨てられても文句は言えないということでもある。


 ヘコヘコと頭を下げ始めたセチアに青年は意外にも困った表情を浮かべた。


「止めてくれ。俺は貴族ではないし、もう聖騎士でもないんだ」


 その言葉に今度はセチアが困る番だった。


「しかしこのマントは……」

「俺は団長の下働きとして雇われていただけだ。行き場を失くしていたところをたまたま教会に拾われ、たまたま聖騎士に選ばれた――それだけだよ」


 青年はそう語ると、どかっと床に座り込んだ。青い顔には汗の粒が浮かんでいる。アイリスの()()はそれほど臭うわけではないのだが……とセチアは思ったものの、他人の排泄物が苦手な人々は少なからず存在する。

 それよりも赤ん坊だ。相変わらず赤ん坊は「みゃーん!」と大きな声で泣いている。赤ん坊の泣き声は聞きなれない者にとっては騒音でしかない。セチアも早く泣き止ませたくて仕方なかった。


「本当に良いのですか?」

「ああ、構わない」

「……わかりました」


 それ以上聞くのは野暮というものだ。それに青年が手放すというのには相当の訳があるのだろう。そもそも王都を離れ、こんな辺境の地にやってくること自体、青年の状況があまり楽観的ではないことを意味している。


(聖騎士様がいらないというのだから、ありがたく使わせてもらいましょうね)


 どちらかといえば王家よりのセチアの思想もあっただろう。爵位がないなら聖騎士であっても恐れる必要はない。セチアにそれ以上の迷いはなかった。

 セチアは目の前のテーブルの上に置かれていたものを、ザっと雑に避けた。この家で赤ん坊を寝かせられる場所は、このテーブルの上しかない。セチアは赤ん坊を寝かせるとおもむろにハサミを手にとった。


「では遠慮なく」

「――くっ……」

 シュウウウ……


 小気味いい音を立てながら、ハサミが布を断っていく。

 さすがに青年もマントの最期を目で追わずにはいられなかったらしい。青年の背を誇らしげに飾っていたであろう金獅子は、セチアのハサミによって真っ二つに断ち切られた。


 獅子が半身になる様子を見届けた青年は、そのまま静かにうつむいてしまった。


(まあそれもそうよね。私たちにしてみたら、王家から賜る勲章のようなものですもの)


 しかし勲章だって、マントだって、その存在に永遠に縋っていられるものではない。形あるものはいずれ意味を失くす。その時に頼りになるのは自分自身だけだ。


(きっといい機会ね。ずっと持ち続けていても、この人が前に進むためのしがらみになるだけよ。きっとね……)


 わんわん泣き続けている赤ん坊は、どこからそんな力を出せるのだろうというほど大きな声を上げている。眩しいほどの生命力。セチアは赤ん坊の目尻に溜まった涙を指ですくった。親と離れた時間がどれほどかわからなかったが、心配していた脱水状態については問題ないようだ。


「はやく泣き止んで、この家から出て行ってちょうだいね」


 セチアはそう呟きながら、赤ん坊の服を開いた。

 赤ん坊は女の子だった。マントの刺繍を除いた部分を細長く切り、おむつを替える。湿らせた端切れで汚れた部分を拭くのも忘れなかった。赤ん坊は服にも多少汚れがついていたものの、村に行けばどこかの家に着なくなった子どもの服が残っているだろう。人の良い村人たちだ、貸してくれないということはないはず。


「さあ、できた。これですっきり気持ち良いわね」


 セチアがぽふ、とお腹を撫でる頃には赤ん坊はいつの間にか泣き止んでいた。自分のこぶしをあぶあぶと舐め始める余裕の表情に、セチアの口から思わず笑いが漏れてしまう。


「ぷぷっ。やだ、よだれだらけじゃない」


 孤児院で育ったセチアは、幼い頃から年下の子どもたちの面倒を見てきた。その時はこんな風に余裕をもって赤ん坊の表情を見るなんてできなかった。


(私も大人になったってことかしらね。まあ、そりゃそうか)


 セチアの声に赤ん坊の青い瞳はくりくりと動き、同じように「あぶあぶ」と言葉を返してくれる。何も知らない純粋な瞳。きっとこれからの人生、親を失くしたこの子に立ちはだかる壁は厳しいものになるだろう。その厳しさはセチアが身をもって体験してきたものだから――。


(どうか幸せにね……)


 温かなお腹を撫で、セチアはうつむいたままの青年に声をかけた。


「さあ、終わったわよ。村に向かうなら明るいうちがいいんじゃない?」

「……」

「ねえ。寝てるの?」


 しかし青年はピクリとも動かない。それほど熟睡できるものなのだろうか。


「ちょっといい加減に――」


 セチアは青年に歩み寄った。だがどうも様子がおかしい。セチアは赤ん坊を元のかごに入れ、慌てて青年の肩を揺さぶった。


「ね、ねえ――っ、冷たい!?」


 青年の体はまるで雪山を歩いてきたかのようにひんやりと冷たく、セチアは思わず手を離した。同時にぐらりと青年の体が揺れ、そのまま床に崩れ落ちた。


「なに、どうしたの?!」


 真っ白に血の気を失った顔。呼吸は穏やかではあるものの、時折苦しそうに眉をひそめる。セチアは急ぎ、青年の胸元を開いた。もしやどこかから出血しているのではと思ったからだ。だがセチアの目に飛び込んできたものは想像を超えていた。


「あなた、これって……」


 そこでようやくセチアは先ほど青年に覚えた違和感を思い出した。青年の上半身――そこには黒い蛇のような痣がいくつも浮かび、最も大きな痣が首に巻きつくように存在を主張していた。


 セチアはかつて王宮薬師として、同じ症状を呈した患者を目にしたことがある。医師たちは伝染を恐れ、薬師に最大の魔力を込めた薬の調合を依頼してきた。

 その患者とは、トランカート王妃。そしてその病の名は――


「 “呪い”だわ……」


 数年の時を経てセチアの前に現れたのは、人生を変えたあの夜の病だった。

次話は明日18時に更新予定です。

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