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17.久しぶりの一人時間

少し長くなりました。セチアが一人で留守番をする回です。

「うゃー!!」


 朝、セチアが部屋から出ると待ってましたと言わんばかりにアイリスが声を上げた。だがそのアイリスの声の出どころはフォイルの背中。フォイルはすっかり慣れた様子でアイリスを背負っていた。


「おはよ、アイリス……。フォイルも……」

 

 なんとなく気まずさを感じながらセチアは二人に声をかける。まさかセチアが呼ばれぬまま、フォイルが夜を明かすとは思っていなかったのだ。無言で湧いていた湯をカップに注ぐと、フォイルが声をかけてきた。


「おはよう。昨日は眠れたか?」


 そんなセチアの気まずさを知ってか知らずか、何事もなかったかのように尋ねるフォイルは、何やらごそごそと荷物をまとめている所だった。


「ええ……。っていうか、何してるの?」

「今日は二人で出かけてくる」

「ちょ、ちょっと待ってよ。あぁっ、アイリスの手……って、それより二人ってどういうことよ?」


 あまりにも急展開過ぎる事態に目覚めたばかりのセチアの頭は追いつかない。フォイルの背中でアイリスが自分の手をはむはむ食べているのも気になるが、まずはフォイルの回答だ。フォイルは荷造りしていた身体を起こすと、セチアに向き直る。


「俺の方でこの子を見ているから、君は好きなことをする時間にするといい」

「へ? ど、どういうこと?」

「ディックさんに言われたんだ。少し、君が一人になる時間があった方がいいって」


 そこでセチアはようやくフォイルの行動の意味を理解できた。


(ディックさんに言われた、っていうのは余計だけど……でもそれってもしかして、私が一人になれる時間ができるってこと? え、えぇ~!)


  一人の時間――その言葉の持つ素晴らしさに、まるで背中に羽根が生えたかのような気分になる。


「い、いいの?」

「ああ。いつも俺ばかり一人で外に出ていたからな」

「それもディックさんに?」

「……そうだが」


 結局はディックの入れ知恵だったことに、ほんの少しがっかりしたことは確かだ。とは言え今のセチアにはかなり嬉しい申し出だ。

 あまりの嬉しさに手に持ったカップを思わず取り落としそうになったセチアだったが、ふと我に返った。


(待って。この人の行く場所って、森の中か村方面かしかないわよね)


 フォイルの行動範囲は狭い。ディック以外の村人との接点がないはずのフォイルが向かう場所は、ごく限られている。


「ねえ、でもあなたの行き先って森か村でしょう? アイリスを連れて行くにはちょっと難しいと思うんだけど」

「危ないことはしない。それに昼には帰るし、短い間だから大丈夫だ」

「で、でもあなたアイリスと一緒に過ごしたことなんて、数える程しかないでしょう?」

「ならこれでまた経験が増えるじゃないか。じゃあ行ってくる」

「――あ、ちょ、ちょっと!」


 相変わらずの無表情のまま、フォイルはセチアが納得するのを待たずにアイリスを連れて家を出てしまった。

 家に一人残されたセチアはしばし呆然としていた。まさかフォイルがこれほど譲らないとは思わなかったし、何よりセチアが止める隙を与えないかのような出発だった。


(いったいディックさんは何を吹き込んだのかしら……)


 昨夜、リップとのやり取りを聞いた限りでは、子どもの世話を巡って二人の間に相当な葛藤があったことがわかる。その結果、ディックが見出した解決方法の一つが「リップが一人で過ごせる時間を作る」だとしたら、今日のフォイルの行動も納得だ。


「あれでいて、結構苦労していたのね……」


 思わず呟いた声がやけに大きく聞こえる。これまでは独り言が当たり前だったのに、最近は話し相手がいたせいでめっきり減っていたのだと思い知る。


「本当に一人なんだ……」


 いまやすっかりアイリス仕様になってしまった部屋を見回す。一人だという実感がこみ上げるにつれ、そわそわと動き出したくなってきた。


「ま、心配なことはあるけど、せっかくの一人の時間ができたんだから。ここで存分に好きな事やっておかないと損よね! よぉし――」


 セチアはカップを置き、さっそく動き出そうと腕をまくった――が……。


「――でも私、一人の時に何してたんだっけ?」


 はた、と気づく。

 アイリスやフォイルが来る前の生活が思い出せないのだ。セチアは慌てて記憶を手繰った。


「朝起きて、薬を作って、薬を作って……たまに届けて、薬を作って――。私、もしかして寝て起きて薬作ってただけ……?」


 信じられない。まさかそこまで変わり映えのしない日々を過ごしていたとは。確かに自分でも退屈だとは思っていたし、変化のない毎日に飽き飽きしていたは事実だ。


「そりゃここまで同じことを繰り返していたら、飽きて当然よ……。よく干からびなかったわね」


 思いがけず気づいてしまった事実。しかしここで落ち込んでいては時間が無駄になってしまう。


「そ、それはそれ、これはこれよね。じゃあ、とりあえず薬でも作ろうかしら?」


 気を取り直して思いついたのが薬作りだったことにはセチアもがっかりだが、それ以外にすることが浮かばなかったのだ。仕事部屋に移動しながら、「あ」と思い出す。


「そういえばグリン婆に子ども用の熱冷ましが欲しいって言われていたのよね。村の子どもたち用に保管しておくからって」


 村の薬は村長であるグリン婆の家で取りまとめている。村人は自分で判断できる症状であればグリン婆の家に行って、薬をもらう方法を取っている。そのおかげでグリン婆は村人の健康状態を把握でき、流行り病などにも早く気づける。村人は夜でも近場で薬が調達できる。お互いにとって利点のあるやり方なのだとグリン婆は言っていた。


 セチアは乳鉢に熱冷ましの材料を入れながら、ふと気づいた。


「そういえばあの子、全然体調崩さないわね。赤ん坊ってわりと丈夫なのかしら」


 思い出したのはアイリスの事だ。アイリスがこの家に来てもう少しで二ヵ月が経つ。アイリスはとても順調な成長を見せている。熱を出すことも、お腹を壊すこともなく、ミルクの飲みも良い。よだれで肌が荒れることはあっても、大きく体調を崩したことがないのだ。


「元気が一番よ。引き取られてからも元気でいられるように頑張らないと」


 引き取られるにも健康状態は重要だ。セチアの孤児院仲間が養子に迎えられるときも、一番健康な男の子が選ばれていったのだから。まあ彼は健康ではあったものの、誰よりも甘えん坊だったのだが……。


「懐かしいわね。今も元気なのかしら……って、あれ? もうできた?」


 そんなことを考えながらぼんやりと薬を練っていたにも関わらず、あっという間に薬が完成してしまった。いつもアイリスに中断させられていたせいか、妙に手際が良くなったように感じる。


「でもこれができあがっちゃったら、他にやることが……。とりあえずおむつでも畳んでおこうかしらって、もう畳んである……」


 手持ち無沙汰になったセチアが探した仕事は、乾いたおむつの片づけだった。けれど気づけばすでに畳んであり、きっちりとチェストの中に収められていた。


「そ、それなら洗濯は?」


 妙な焦りにとらわれながら使用済みおむつを入れる桶を覗くと、そこもすっかり空になっていた。


「洗濯ももう終わってる……」


 ハッと気づけば部屋の隅に落ちているはずの埃も、調理台の上の汚れも、食器も全てきれいに片付いている。もちろんセチアが掃除をした記憶はない。すべてフォイルが終わらせていったのだろう。

 今日まで共に生活してきたとはいえ、セチアはフォイルのことをよく知らない。

 知っていることと言えば、すべて受け身で他人任せなこと。手際も要領も良くないくせに掃除や片付けは得意。愛想は悪いがリップがうっとりするくらいには顔が良い。


「そして何より謎なのは、あの人が聖騎士だったってこと……。一体何者なの?」


 トランカート王国に勢力を広げる聖教会。その精鋭部隊である聖騎士団に所属していたフォイルが、なぜ“呪い”に蝕まれ、なぜ帝国領までやって来たのか。

 “呪い”と聖騎士を辞めたことが無関係な訳がない。だがセチアがその理由に触れるべきではないことはよくわかっている。


(どうせすぐいなくなる人だもの……。それに、あえて傷に触れるような真似はしないわ)


 医師や薬師は傷を治せるわけではない。自分で治すための手伝いをしているだけなのだから。



 二人がいない部屋は模様替えしたこともあり、妙に広く感じる。薬棚の整理も終え、ヤギたちに餌をやり……としているうちに、あっという間にフォイルが帰ると告げた時間がやってきた。

 しかし二人は待てど暮せど帰ってこない。


「昼には帰るって言ってたわよね? どうしたのかしら。あ……」


 業を煮やしたセチアの口からぽろりと疑問がこぼれる。同時にぞわりと足元から這いよる不安にセチアは気づいてしまった。


「も、もしかしてどこかで困ったことになっていたり? 急に具合が悪くなったとか?」


 いくら普段元気に過ごしているからといって、フォイルは“呪い”の既往を持つ人間だ。解呪薬が効いたとはいえ、後遺症や薬の副作用を発症する可能性だってある。

 さらにアイリスこそ何もできない赤ん坊だ。あんなにぎこちなくアイリスに接していたはずのフォイルが、一朝一夕で世話ができるようになるはずがない。


(それに……)


 玄関わきに置かれたままのかごが目に留まる。今よりももっと小さかったアイリスを入れて、フォイルが運んで来たかごだ。


(あの二人にとって、ここは自分の家じゃない。帰って来なくたって不思議じゃないのよ)


 いつの間にかフォイルもアイリスも当然この家に帰ってくるものだと思ってしまっていた。けれど二人はこの家に帰ってくる理由はない。特にフォイルはセチアの提案に乗ってここに居るだけなのだ。

 いずれはフォイルもアイリスもそれぞれの行き先に落ち着くはず。セチアだってそうなるように動いている。


(けど帰ってくると言ったのに、このままいなくなられたら――)


 そう思った時にはセチアの体は飛び出していた。扉に手をかけた、その時――外から扉が引かれた。勢い余って体勢を崩したセチアだが転ぶことはなかった。

 ドスッ、と鈍い音を立てて何か固いものにぶつかる。鼻を襲った痛みに思わず呻き声を上げたセチアに、戸惑ったような声がかけられた。


「――っぶ!?」

「す、すまない! 出かけるのか?!」


 痛みをこらえて顔を上げれば、そこにいたのは珍しく驚いた顔をしているフォイルだった。身体の横からは小さな足が元気よくブンブンと動いているのが見える。


(帰ってきたんだ……)


 ドッと安堵したのも束の間、急激に恥ずかしさが押し寄せてくる。出かけようとしていたことには変わりないが、その理由が帰ってきてしまったのだから。

 

「いや、あの、別に?! ちょっと外の空気でも吸おうと……でもやっぱり止めようかなって思ってたところ。あは、あはは!」


 笑って誤魔化しながらまた部屋の中に戻っていくセチアに向けられるフォイルの表情からは、彼がどう思っているのかはわからない。しかしフォイルはそれ以上セチアに問うことはなく、静かにセチアの後ろから入ってきた。


「これを……」

 

 入るなりフォイルはテーブルにことん、と布に包まれた何かを置いた。


「何?」

「リップさんにもらった。パン粥だ」

「パン粥?」


 包みを開くと蓋付きの陶器の器が出てきた。中には白くとろとろした液体が入っている。パン粥――ミルクでパンを柔らかく煮たものだ。


「一人で座れるようになっていると教えてもらった。それなら『そろそろ食事の練習を始めてもいいんじゃないか』って。向こうでも少し食べさせてもらってきた」

「そ、そう……」

「君の方はゆっくり休めただろうか?」

「え、ええ。まあ、そうね!」


 結局フォイルはグリン婆の家にお邪魔していたらしい。さらには離乳食の指導まで受けて――。

 なんだか先を越されたような、蔑ろにされたようなもやもやが生まれかけた、その時……


「あーあー!」

「おわっ!」


 突然アイリスがジタバタと動き出した。気を抜いていたのだろう、フォイルがアイリスの動きでよろめく。だがアイリスの動きは止まらない。体全体で飛び跳ねるように、フォイルに背負われたままゆさゆさと揺れる。


「うきゃーっ!」

「急にどうしたんだ?」

「と、とにかく下ろしましょう」


 セチアはアイリスを下ろそうとフォイルの背後に回り込んだ。するとセチアを見つけたアイリスの動きがピタリと止まる。青く丸い瞳がきらっと光り、みるみるうちに糸のように細くなる。


「えへー」

「――っ! わかったわ、今下ろすわね」


 嬉しそうな声とともに、アイリスは満面の笑みでセチアに手を伸ばしてきた。フォイルが紐をほどくのを待つのももどかしく、セチアは背中から抜き取るようにアイリスを抱き上げる。ほんの少し離れていただけなのに、その重みが懐かしくもあった。


「あなたに会ったの、なんだか久しぶりな気がするわ」


 フォイルの体温が移ったのだろうか。腕の中のアイリスは普段よりも温かく、いつもとは違う匂いがした。それでもにこにことセチアを見上げる丸い顔に、さっきまでの不安があっという間に消えていく。


「……二人とも、おかえりなさい」

「……ああ」



 セチアが「明日、行商人がやってくる」と聞かされたのは、この日からちょうど十日後のことだった。

お読みいただきありがとうございます。

次話から登場人物が増えます。明日18時更新予定です。

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