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16.泣きたくなる夜は(2)

 子どもの時でさえ抱えらえた記憶がないのだ。そんなセチアがまさか大人になってから抱き上げられるなんて、誰が予想できただろうか。セチアの頭の中は大混乱だ。


(ちょ、ちょっとこれはどうすれば! 待って、下りる? いや、でも目を覚ましたらフォイルに抱き上げられてるってことでしょ? 何それ恥ずかしすぎるわ!)


 フォイルの体つきは健康状態の確認目的で何度も目にしている。フォイルは騎士と言われれば少し貧相だな気がするが、腕や腹は引き締まり、うっすらと筋肉がついていた。


(あの体のどこにこんな力が? 意外と力があるのね……って、私ったらこんな時に何考えてるのよ!)


 意識すればするほど羞恥心が頬を熱くさせる。目を覚ますか、それとも寝たふりを続けるか――セチアの頭の中がぐるぐるしているうちに、フォイルはセチアを抱き上げたままさっさと扉に向かっていた。


「またおいで。セチアにも伝えておくれ」

「――ま、またなフォイル!」

「アイリスちゃんの()()、返さなくていいから。良かったら使って」


 それぞれの声が耳に届く。普段通りに戻ったリップとディックも見送ってくれているようだ。やけにアイリスが静かなのが気になるが、どうやらセチアたちと一緒にいるらしい。いったいどういう状況なのか、すぐに目を開けて確かめたいのはやまやまなのだが、すっかりタイミングを逃してしまった。


 そうこうしているうちにさあっ、と頬が夜風に撫でられた。熱を持った頬には気持ちの良い涼しさだった。後ろで扉が閉まり、外に出たのだということがわかる。と、同時にフォイルはザクザクと歩みを進めた。

 何も言わないフォイルの胸板越しにハッ、ハッ……といつもよりも大きな息遣いが聞こえて来る。大人ひとりを抱えて歩くなど、負担は並大抵のものではないだろう。それに――


(は、恥ずかしい! 絶対重いはずなのに、なんでこの人こんな普通にしているのよ……! それになんかこう、見た目よりも力が強いって思うと妙にそわそわしちゃって――もう無理!)


「――ね、ねぇ!」

「おわっ! 何だ、急に」


 限界を超えたセチアは勢いよく声を発した。フォイルは急に声をかけられたことに驚いた様子を見せた。きっとセチアが起きていたことには気づいていたのかもしれない。そのこともさらに恥ずかしさを増幅させる。


「下ろしてちょうだい。私、歩けるわ! それにアイリスは――」

「……ここにいる」

「え? 背中?」


 フォイルはセチアの要望通りそっと地面に足を下ろすと、背中を見るよう促した。そこにはフォイルに背負われたアイリスが紐で固定され、すやすやと眠っていたのだった。フォイルの広い背中に背負われた小さなアイリス。頬がぺったりと背中にくっつき、わずかに開いた口がきれいなひし形になっている。ただこの幅広の紐はセチアの家にはなかったような気がする。


(そうか、これがリップさんが言っていた『返さなくてもいい』ってやつ……)


 この紐があったおかげで、フォイルはアイリスとセチア同時に連れて帰ることができたのだろう。セチアもこれまで手で抱えていたが、こんなふうに紐を使えば両手が空くではないか。


(なんで今まで思いつかなかったのかしら……)


 確かに大人が子どもを背負っている姿を孤児院で見たような気がしなくもない。王国にいる時も、町人たちがこうやって過ごしていたかもしれない。


(子守りの経験もあったし、子どもの知識もある。けど私、親子がどういうふうに生活しているのかには、まったく興味がなかったのね。興味がないのに知ったかぶりしたうえに、できるようなふりだけして……)


 すっかり寝入っているアイリスをぼんやりと眺めていると、フォイルの声がぽつりと聞こえてきた。


「君が……」

「え……?」

「毎晩、この子が泣くたびに相手してくれていたのは知っていたんだ」

「……そう」

「声もかけずにすまなかった」


 やはりフォイルは気づいていたのだ。声をかけなかったことを今謝るなら、どうしてその時に言わなかったのだろう――。


(せめて声をかけてほしいとは思ったけれど、声をかけられたからといってこの人に何が頼めるの?)


 グリン婆の家で寝たふりをしている時に聞いたリップの言葉を反芻する。気まぐれで手伝われても困るのだ。中途半端に手を出されるなら、全部自分の責任で片付けたい。

 いちいちどうすればいいか聞かれて苛立つよりも、自分でやってしまった方がセチアの精神衛生上よっぽどましだ。


(私はわからないことがあっても、誰にも頼らないで一人で頑張っていたわ。それにどうせ二人ともすぐにいなくなるんだから――)


 フォイルに言いたいことは山ほどある。けれど彼は束の間の客人だ。これ以上お互いの事に踏み込むのは避けたい気持ちが勝った。


「うん……でももう大丈夫よ。あはは、やっぱり慣れないことはするもんじゃないわね。明日からまた頑張らないと。いや、()()()、かしらね」


 これでいい。飲み込んだ言葉を抑えながら、セチアはフォイルの顔も見ず、家に向かって一歩踏み出した。だが背中に声がかけられる。


「なら、俺は何をすればいい?」


 その言葉にピタリと足が止まった。

 ――何をすればいい?


「そんなの、自分で決めてよ」


 セチアの口から飛び出したのは、自分で思ったよりもはるかに厳しいものだった。



 落胆。ただそれだけだった。セチアは久しぶりにもぐりこんだ自分のベッドの中で、何度も寝返りをうった。アイリスはグリン婆に例のごとく構われ疲れたのか、フォイルの背から降りても起きず、今もベッドの中で寝息を立てていた。


(期待なんてしていなかったけど、けど……)


 手伝ってほしい。助けてほしい。認めてほしい。

 全部じゃなくていい。ほんの少しでいいから気持ちを汲んでほしかった。


(完璧にできていない私が察してほしいだなんておこがましいけど、でも少しくらい自分で考えても良いじゃない……)


 落胆は徐々に怒りに変わり、ツンと鼻の奥が痛みだす。そもそもアイリスを連れて来たのはフォイルのはずなのに。吐き出したくも詰まってしまう感情がチクチクと涙腺を刺激する。だがセチアの目から涙がこぼれることはなかった。


「……ふぇ、ふえぇ」

(はぁ……また始まったわね。泣きたいのはこっちよ)

 ――コンコン。


 セチアの涙が引っ込んだのは、ちょうどよくアイリスの泣き声がベッドの中から上がったのがひとつの理由だ。だがもう一つ、アイリスの泣き声と同時に寝室の扉がノックされた。セチアは驚いたものの、この家で扉をノックする者は一人しかいない。


「ど、どうしたの……?」


 慌てて扉を開けると、そこには予想通りフォイルの姿があった。まさか解呪薬の副作用で体調が悪いのだろうかとも思ったが、目の前のフォイルにそんな様子はない。


「泣き声が聞こえたから……入ってもいいか?」

「あ、え、ええ。どうぞ……」

「すまない。……よ、っと」

「――みえぇーんっ!」


 そう答えるとフォイルはスッと部屋に入り、アイリスを抱き上げた。ぎこちない手つきにアイリスの泣き声が一層大きくなる。


「ちょっと、何? どうしたの?」

「俺が見ている。君はもう少し休んだ方が良い」


 まさかの言葉にセチアは目を丸くしたものの、フォイルはいつもと変わらぬ無表情で淡々としている。


(どういう風の吹き回し? どうせ今日言われたからでしょう? すぐに根を上げられたら、逆に仕事が増えるだけよ……)


 アイリスの世話を代わってもらえるのなら、それは嬉しい申し出のはずだった。けれどフォイルに任せることの利点が何一つとして見つからない。セチアですらこんなに苦しい思いをしているのに、フォイルにはできるわけないだろう。セチアはアイリスを奪い返そうと手を伸ばした。


「いいえ、大丈夫よ。さ、アイリスをこちらにちょうだい」

「いや、いい。それに俺がやりたいんだ」

「――っ!?」


 フォイルは珍しく譲らなかった。これまでセチアが何か頼めば、フォイルはすぐに頷いていた。しかし望んでいたはずの言葉が聞けたというのに、なぜ裏切られたような気持ちがするのだろう。


(いいわよ! 泣きつかれても絶対に助けてあげないんだから、後悔すればいいわ!)


「――そこまで言うなら最後までよろしくね!」

「……ああ、ありがとう」


 うまく表せない思いが棘のある言葉となりフォイルに向かってしまう。だがフォイルから返って来たのは穏やかなものだった。


 そのままフォイルはアイリスを連れ、セチアの部屋を後にした。ベッドに戻ったセチアは苛立ち紛れに勢い良く掛布を被る。


 結局その夜、フォイルがセチアの部屋を再度訪れることはなかった。

 翌朝すっきりした体とわずかな敗北感を抱えて起き出したセチアに、再び予想外の出来事が起こったのだった。


 その朝、フォイルの言葉を聞いたセチアは危うく持っていたカップを取り落としそうになった。

 

「それって……私、一人の時間ができるってこと?」

次話は明日18時に更新予定です。

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