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15.泣きたくなる夜は(1)

 セチアが柔らかな腕に包まれて眠った記憶はない。そのせいだろうか、泣けば抱き上げてもらえるアイリスは恵まれていると思ってしまう。


(……赤ん坊を妬むなんて、私よっぽど疲れているのね)


 おぼろげに意識が浮上してくると、ボソボソと聞こえる大人たちの声が一気にセチアを覚醒させた。


「少しは代わってやるんだよ。家に置いてもらってる立場だろ?」

「すみません……」


 最初に認識したのはリップの声だ。棘のある言葉に答えているのは――。


(フォイルだわ……)


 その事に気づくと一気に頭が回り始める。

 ここに来た時にはまだ朝の時分で、フォイルが帰るまでにはまだだいぶ間があると思っていたのだが……。それにアイリスはどうしたのだろう。ずっとグリン婆の所で大人しく過ごしていたとは思えない。


(え、今何時なの? 私すっかり眠り込んじゃったってこと?! アイリスは?!)


 慌てて状況を確かめようとしたセチアだが、聞こえて来たリップの声に押し留められる。


「ちがうよ、謝ってほしいわけじゃないんだ。行動に移しなってことさ。あたしも一人目ン時は帝都暮らしで、なのにディックは仕事で帰ってこない。一人で寝ない子抱えて本当に大変だったんだよ」

「おいおい、そんな言い方されたらフォイルだってちょっとつらいもんがあるぜ。それにな、俺だって当時は色々考えてやってたんだ。寝ずに城の門番して、それでも帰ってきたら手伝っていたじゃねぇか」

「あんたが子どもたちのことを考えずに外に出られてたのは、あたしが全部面倒見てたからさ。気まぐれで手伝われても困るんだよ。それでなくても二択を外すような手伝いなら、手を出されない方がましだったね」


 思いがけず始まった言い争いに、セチアは開きかけた目を再び固く閉じた。普段はなんだかんだ仲の良い二人なのに、今回ばかりは様子が違った。


(どうしたのかしら……。なんだかいつもより刺々しい気がする。当時の事を思い出して怒っているようだけど……)


 産後の母親の負担が大きいことははるか昔から変わらない事実だ。出産の傷が癒えぬまま、すぐさま母親としての働きが求められる。ただアイリスを預かっているだけのセチアですらこんなに疲れてしまうのに、子どもを産んだ母親の疲労はどれだろうか……。


 リップはずっと抱え続けていたであろう不満を爆発させているようだった。その一方でディックも珍しく感情を表に出している。


「じゃあどうすればよかったんだよ。させてくれなきゃいつまでたっても出来ないままだろう? それに何度も「リップはどうしたいんだ」って聞いただろうが」

「あたしじゃなくて、子どもの事を考えてほしいって言ってたじゃないか!」

「そうじゃなくてよぉ~……」


(これは私のせいだ……。私がうまくアイリスの面倒を見れなくて、寝不足になっちゃったから――)


 エスカレートしていく二人の言い争いに、セチアの中で罪悪感が膨らんでいく。リップの怒りを呼び起こすきっかけを作ってしまったのは、間違いなくセチアだった。


(やっぱりだめだったんだ。喧嘩にならずに過ごしていたのに、私がうまくできなかったせいで……)


 このまま消えてしまいたかった。薬師だった自分も、アイリスの面倒を見ると引き受けてしまった自分も、全部この世界には必要なかったのかもしれない。

 だがそこで膨らんでいくセチアの思いに歯止めをかけたのはグリン婆の一言だった。


「リップ、ディック、止めな。アイリスとセチアが起きるだろ」

「あ……っ」

「そ、そうだな……」


 グリン婆の一言に、二人はハッとしたように口をつぐんだ。きまり悪そうな雰囲気が漂っているのが、寝たふりをしていても感じ取れる。


「それはお前たちの行き違いが生んだ問題だろうが。この子たちをお前たちの喧嘩のきっかけにするんじゃないよ。あんたらにはあんたらの、この子らにはこの子らの課題があるんだ。なんで勝手に重ねるんだ、この馬鹿もんが!」

「……」


 厳しい言葉にわずかな沈黙が流れた。二人は子どもが叱られた時のような表情をしているのかもしれない。そんな沈黙だった。


「フォイル」


 厳しい声のままグリン婆はフォイルの名を呼んだ。返事はないものの、フォイルが体の向きを変えたのだろう。床がギシリと鳴った。

 

「セチアとアイリスを連れて帰んな。あんたたちの家はここじゃないからね」

「はい……ありがとうございました」

「いいかい。ゆっくり寝かせてやりな。この子はしばらく一人でそっと生きていたんだ。なのにあんたらが来てから、ずっと気を張ってるんだよ」

「……はい」


 フォイルの返事と共に、再びギシっと床がきしむ。そのままギシギシとセチアが寝たふりをしているベッドの横まで近づいてきた。声をかけられるのか、と思ったその時だった。

 突然、ふわりと体が浮く。セチアの体はそれまで寝ていたベッドの柔らかな感触から、固くしかし弾力のある感触に包まれる。背中と膝の裏に差し込まれたものはがっしりとし、セチアの体を浮き上がらせている。


(――え、え、えっ……これって?!)


 間違いない。セチアは次の瞬間、フォイルに横抱きにされていたのだった。

次話は明日18時更新予定です。

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