13.続・大人たちは眠れない
村の朝は早い。男たちは空が白む頃から外に出て、仕掛けた罠の様子を確認したりする。フォイルは家の水汲みを終えると、次いでディックの手伝いに向かった。
ディックは弓の扱いが得意らしい。大柄な体で小型の弓を器用に操り、小動物を見事に仕留める。フォイルは手伝いがてら、ディックから弓の扱いを教えてもらっていた。
(剣の扱いなら聖教会にいる間に見様見真似で覚えたけれど、さすがに狩りには役に立たないからな……)
教えてほしいことを伝えると、ディックは二つ返事で了承してくれた。ただ今日はその他に確認したいこともある。フォイルは足早にディックの元へ向かった。
だが村の入口に差し掛かると、数名の村人が集まって世間話をしているところだった。ぺこりと頭を下げ、横を通り過ぎようとしたフォイルの耳に気になる話題が飛び込んでくる。
「王国が?」
「ああ、もうかなり末期らしいな。全然機能してないってさ」
王国――つまりトランカート王国の事だ。この村は国境からほど近い。噂も聞こえてくるのだろう。
「うちの皇帝さまはどう出るんだか」
「どうも聖教会側につくらしいぜ」
「そりゃご愁傷様だ」
トランカート王家と聖教会が対立しているのは、この帝国領でも周知の事実になっているようだ。
オレア帝国は周辺国の中でも強大な権力を有している。その帝国が聖教会側につくということは、王家側の敗北は確実となる。帝国の力を後ろ盾に、聖教会が国の実権を握るつもりなのかもしれない。
(……聖教会はいったい何を望んでいるんだ。いや、俺にはもう関係のないことだ)
とは言え、フォイルにとってはあまり触れたくない話題だ。フォイルは足早にディックの所へ向かった。
◇
「 “夜泣き”ィ~? あちゃ~、そりゃ大変だなぁ」
フォイルの話を聞いたディックは構えていた弓を下ろすと顔をしかめ、大げさな声を上げた。フォイルが話したかったことというのは、アイリスの“夜泣き”のことだった。
ちょうど家の中の模様替えをした頃からだ。アイリスが夜、数時間ごとに大声で泣くようになったのだ。おむつも濡れていない。夜もしっかりミルクを飲み、お腹がすいているようにも思えない。
アイリスが泣くたびにセチアが起き出し、抱っこで再び寝かしつけようとしている。だが何度も繰り返されるということは、つまりセチアの睡眠時間が削られているということだ。最近のセチアは目の下に濃い隈を作り、昼もぼんやりしていることが多い。
その時、ハッとした顔でディックがこちらを見た。
「はッ! お前さん、もしかしてぐーすか寝てるんじゃないだろうな?」
「いや、俺はあまり寝なくても大丈夫なので……」
「なんだ、偉いもんだ。俺は全然目が覚めなかったからなぁ……」
フォイルの答えを聞いたディックは、ホッとしたように肩の力を抜いた。
「お前さんも起きているんなら、別に心配いらないじゃないか」
「いや、起きているのは平気なんです……。ただ、どう声をかけたらいいのかわからなくて」
聖教会にいた頃は理由もなく不眠の罰を与えられることもあった。聖騎士たちの武器を磨き終えるまで、眠れなかったこともある。そのせいで寝ずにいることは平気なのだが、だからと言ってアイリスの世話を代わるか、とは簡単には言い出せなかった。
「彼女の方が世話には慣れているし、俺に何ができるのかわからないんです。俺のせいで泣き出してしまうかもしれないし――」
これまでも自分の手際の悪さでセチアを苛立たせてしまうことが多かった。しかもフラフラしているのに、セチアは絶対に「できない」と言わない。「手伝ってほしい」と言わないのだ。
(覚えている限りでは、彼女が『できない』と言ったのは初対面の時が最初で最後。下手に手を貸して、彼女のプライドを傷つけるのは本意じゃない。アイリスの預け先が見つかるまで、なんとかやり過ごしていれば――)
「お前さん、そりゃだめだぜ!」
「え?」
まるで頭の中を覗き込まれたかのようなタイミングでディックが声をかけて来る。見ればディックはそれまでの穏やかさを引っ込め、厳しい面持ちでフォイルを見つめていた。
「いいか、フォイル。この時期の恨みは一生モンだ。俺はいまだにリップにくどくど言われるんだからな」
「いや、俺は――」
「一人目の時に気づけなかったせいで、二十年以上たった今もだぜ。二人目の時はなぁ――」
「俺は、そこまで長居するつもりはありませんから……」
どうやらディックはこの件ではかなり苦労したらしい。ため込んだものを吐き出すように語り始めたディックだが、フォイルの言葉にピタリと動きを止めた。
「そうか……そうだよな」
ディックはなぜか残念そうな表情を浮かべている。だがすぐにいつも通りの穏やかな顔つきに戻ると、言い聞かせるように続けた。
「まあ、それでもだ。セチアちゃんは頑張りすぎるきらいがあるからな。それにお前さんも住まわせてもらってるんだったら、気遣っておいて損はないぜ」
「……はい、気を付けます」
「そうだな。じゃあ俺が実際にやってみて、リップに怒られなかった方法を教えてやるからな。頭に叩き込んどけよ」
その後、弓の指導はそこそこに、フォイルは子どもの夜泣き時の振る舞い方を事細かに教え込まれたのだった。
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フォイルがディックから夜泣きの傾向と対策を教え込まれている、ちょうどその時のことだ。
(そうだった。グリン婆に煎じ薬を届けないと……)
目の下を黒く染めたセチアは、抱っこでようやく寝かしつけたアイリスを抱えたまま、フラフラと家を出たのだった。
次話は明日18時更新予定です。




