12.大人たちは眠れない
フォイル視点の話です。
セチアが飛び出してから数日後、室内の模様替えは終了した。セチアの指示でフォイルは物置から物を運び出したり掃除をしたりと、忙しく過ごした日々だった。
「それでは、お疲れ様でした」
「ああ……」
その夜、セチアがフォイルに勧めてくれたのは疲労回復効果のあるお茶だった。
まるで酒を酌み交わすようにカップを合わせたあと、口にしたお茶は若干酸味がある。同じようにお茶を口に含むセチアの視線を追うと、そこには箱型のベッドで寝息を立てるアイリスがいた。ぷぅくぅと寝息を立てるアイリスは模様替えの間グリン婆に預けられていたこともあり、散々構われて疲れてしまったようだ。
「まさかあんなに物が詰まっていたなんて思いもしなかったわ。でもいらないものは処分できたし、アイリスのベッドまで出来上がっちゃったし。思い切って模様替えして大正解だったわね」
しみじみとセチアが語ったように、物置には様々なものが詰め込まれていた。フォイルが初めて目にするような薬の材料をはじめ、もうどうやっても使い道がないようなガラクタも放り込まれていた。どうやらこの家に越してきた時に残されていたものらしい。
ちなみにアイリスのベッドも、同じように物置に詰め込まれていた木箱やら、廃材やらを使ってあっという間に完成させることができた。それまでフォイルが集めていた木材は調理台を守る柵に使われることとなった。
(しかし、だ……)
目的が達成できてほくほく顔のセチアに反し、フォイルの心境は複雑だった。
(さすがに汚い……汚すぎだった。確かに一人で生活していれば、自分の使い勝手の良いようになるかもしれない。だがなぜ片方だけの靴下が、しかも物置から何足も出て来るんだ? 鉈の鞘だけでも五つはあったぞ。本体はどうした? なぜ虫だけじゃなく、鼠までも干からびているんだ? ありえないだろう……)
フォイルは呑気にお茶を啜るセチアをちらりと見やった。こんな辺鄙なところで薬師をしている彼女だが、その正体をフォイルは察していた。
彼女は優秀な薬師――しかもトランカート王国の特級薬師だったはずだ。そうでなければ解呪薬を作れるはずがないのだ。きっとフォイル同様に、元居た場所にいられなくなった理由があるのだろう。
(だから村にも住まず、村長たちにも過去を明かしていない……)
彼女にどんな事情があったのかはわからない。ただそれ以上聞くのは野暮だ。せっかくかさぶたになっている傷をあえて剥がす必要はない。
(なぜこんなところにいるのか、彼女自身が明かしていないことを詮索するつもりは無いが……。だが優秀な特級薬師なのに、こんなにもだらしなくていいものなのか?)
よくよく思い返せば居室にも鉈が抜き身で置いてあった。何に使ったのかわからない杓子も落ちていた。聖教会で清掃は不浄の者であるフォイルの仕事だったが、そこまで散らかす者はいなかったように記憶している。
(普段から片付けておけばアイリスが動き出したとて、あそこまで慌てる必要はなかったんじゃないか……いや、それとこれとは別の話だな)
そもそも居候の身分であるフォイルがあれこれ言える立場ではない。この家のものに触れるだけでもフォイルは緊張感を抱いているというのに、勝手に片付けるなどもってのほかだ。
(勝手なことをすれば相手の機嫌次第では動けなくなるほど殴られてきた。彼女はそんなことしないだろうということを頭では理解しているが、どうしても自分から動くことができない……)
セチアが自発的に動けないフォイルに苛立っているのはよくわかる。
だがフォイルにもそんな自分をどうしたらいいのかわからないのだ。聖騎士だったことに支えられていたフォイルにはもう何も残っていない。なぜ生きているのか。自分は何者なのか。その答えは見えないままだ。
(死から救われたけれど、俺はにはこれ以上繋がる道がない。ただ、アイリスの預かり先が見つかるまではここに居続けなければ――)
「ねぇ、聞いてる?」
「え?」
「……全然聞いていなかったでしょう」
ハッと顔を上げるとセチアの大きな瞳がジトリとこちらを見つめていた。
「す、すまない」
「もう……。『あなたは最近、体は何ともない?』って聞いたの」
「あ、ああ。何ともないが」
「なら良かった」
どういう話の流れだったのか、全く聞いていなかった。しかしフォイルの答えに納得したらしいセチアはうんうん、と頷き、再びカップに唇を寄せる。
「……でも“呪い”から生き延びた人なんて数えるほどしかいないんだから、あなた誇っていいわよ」
「誇るべきは君だろう」
「えっ?」
フォイルの反応が想像外だったのだろう。セチアの動きが止まる。
「死にかけていた俺を救ってくれたのは君だ。君がいなければ、今こうやって茶を飲むこともできていなかった。俺をここに置いてくれて感謝している」
生きる意味を探し続けている内心とはうらはらの言葉――けれどこれも本心だ。誰かとこんなふうに会話し、必要とされ、ほんの少しでも生きる目的ができた。それだけでもフォイルにとって、聖騎士のマントを与えられた時くらいの大きな出来事だ。
「い、や、いやいや! だって死なれたら寝覚めが悪いし、アイリスを預けられても困っただけだし。なによりあなたを観察していれば“呪い”の発生機序がわかるかもしれないから――」
慌ててセチアは否定したものの、口元は緩んでいる。
どんなに素性を隠していても、セチアが薬師の仕事を誇りに思っていることはにじみ出ている。薬師の仕事を認められることは、彼女のこれまでの人生を認められたことと同じだ。
(そして決して弱さを見せられないことも……だけどそれは触れてはいけない部分。彼女が必死に隠し通そうとしているのなら、俺はそれに気づかない振りをすべきだ。きっと彼女も気づかない振りをしてくれているだろうから――)
フォイルは服越しにそっと自分の腕を撫でた。腕だけではない。この服の下にあるフォイルの体には蛇のような痣がまだくっきりと残っている。
(彼女は気づいているはずだ。この“呪い”のせいで、俺が聖教会を追い出されたということに……。ただ気になるのは、この“呪い”、もしかしたら――)
「……ふぇぇ~」
「――あ」
フォイルの思考を遮ったのは、出来たばかりの小さなベッドの中から聞こえる泣き声だった。再びセチアを見ると、その栗色の瞳もまたフォイルを見つめていたのだった。
次話は明日18時更新予定です。




