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Color Time-色彩時間-  作者: kaku
12/18

午後6時―レシピ―

 その人物は、約束の時間きっかりに現れた。

 金髪に近い茶色の髪は、天辺の部分が黒くなっていてプリンのようだった。

 化粧はしているみたいだが、上下黒のスエットで、まるで家の中にいるような格好だ。

 だけど、顔立ちはやっぱりお袋によく似ていた。それはそうだろう。

 彼女は、お袋が生んだ、唯一の子どもなのだ。

「いらっしゃいませ」

 俺は座っていた椅子から立ち上がり、頭を下げた。

 たとえどんな格好で来ようとも、俺の店に来てくれたら客なのである。

 頭を下げるのは、礼儀だった。

「あんたが、西本にしもとさん?」

 甲高い声で話しかけられる。

「はい。西本武たけるです。この度は、わざわざお手数をかけまして、申し訳ありません」

「で? 私はいくらもらえるの?」

 そうして、椅子に座るなり、彼女は言った。

 開口一番の言葉は、どちらもお袋の死を悼むものじゃあなかった。

「それに対しては、私が説明させていただきます」

 と、その時俺の隣に座っていた弟のとおるが、ペコリと頭を下げながら言った。

「弁護士の西本徹です」

「御託はいいから。私は幾らもらえるのよ」

 その言葉以外に言うことはないのか、再度彼女は同じ内容のことを言う。

「それについては、これからご説明します。兄貴、ここはいいから」

 それに対して、弟はにこやかな表情で答えながら、最後は俺に向かってそう言った。

 その表情から、内心はとても怒っていることが見て取れる。

 確かに、実の母親が亡くなったというのに、彼女から出てくる言葉は、「「幾ら自分はもらえるのか」―つまり、遺産のことばかりだ。

 だが、弟とて弁護士として、この手の現場は幾度となく見てきたはずだ。俺がしゃしゃり出て話をややこしくするよりも、断然上手くやるだろう。

 俺は弟の言葉に頷くと、テーブルの席から、厨房へと足を向けた。

 お袋が親父と再婚したのは今から二十五年前、俺は八歳で弟は五歳だった。

 実の母親のことは、あまり覚えていない。ただ、「死んだ」とは聞いていないし、親父からは、最後まで実の母親のことを聞くことはなかった。

 だけど、物心付いた頃には母はいなくて、父と弟と三人で暮らしていたから、こんなものかな、と正直子ども心にもそう思っていた。

 だから、親父の再婚で「母親」ができた時は、とまどった。

 だけど、お袋はおおらかな人で、そういった俺のとまどった気持ちもわかってくれていた。

 俺とお袋が仲良くなったきっかけは、料理だった。

 俺は、小学校に上がった頃から弟のために、簡単なおやつは作るようになっていた。

 火は絶対に使わないように親父に言われていたから、握ればできるとか、オーブントースターで焼けばできるとか、混ぜれば完成とか、まあその程度のものだったが。

 だけど父子家庭の食事の事情なんて押して知るべしだったから、お袋の手料理を初めて見た時は、正直、感動した。

 そして食べてみて、さらに感動した。

『これ、どうやって作るの? 俺も作ってみたい』

 当時、すぐに懐いてくれた弟と違って、どこか俺とはぎこちなさを感じていたらしいお袋にとって、俺のこの言葉は渡りに船だった。

 俺のこの言葉に勢いよく頷いたお袋のおかげで、俺は気付けば小学校の高学年になる頃には、弁当男子ならぬ、弁当少年となっていた。

 自分の弁当はもちろん、弟の弁当も作った。

 おかげで、弟は俺の味に慣れてしまい、学生時代そこそこはもてていたのに、『兄ちゃんの方が上手い』と差し入れに暴言を吐いて、女の子からひんしゅくを買ってしまったこともあったらしい。

 とにもかくにも、そうやってお袋の指導の下、料理にはまった青春時代を送った俺は、当然のことのように将来の仕事も、料理人になることを望んだ。

 そんな俺に対して、お袋と親父は、最初あまり良い顔はしなかった。

 料理は趣味として続ければ良い。もっと、手堅い仕事についてはどうか、とも言われた。

 けれど、俺の夢はもう固まっていたし、「どんな仕事をしたい?」と聞かれて、やりたい!と思ったのは料理の仕事だった。

 最後には、親父もお袋も俺の夢を認めてくれた。そうして、学校に行って、就職して。その間、お袋はずっと俺のことを心配してくれいた。

 それはもう、ごく一般の「母親」そのものの姿で、俺達が実は血が繋がっていないことなんて、すっかり忘れていた。

 二年前に俺が独立を決意した時も、「使いなさい」と、親父の遺産を俺達にそれぞれ分けてくれた。

 さすがにもらえない、と言ったのだが、笑いながら「あんた達が、これから少しずつ私に返してくれればいいのよ」とお袋は答えた。

 だから。俺も弟も、お袋には頭が上がらなかった。

 それから、弟も俺も必死に勉強したり働いたりして、何とか自分の仕事を軌道に乗せた頃、お袋が亡くなった。

 倒れてから逝くまで、あっという間だった。

 そしてお袋の死後、俺達は初めて知ったのだ。

 お袋には、子どもがいたことを。

 お袋は親父と結婚する前、一度若くして結婚していたのだ。

 その時に、子どもを一人、生んでいた。

 離婚した時には高校生になっていた彼女は、俺よりも十年上だった。

 俺も弟も、お袋から彼女のことを聞いたことはなかった。

 遺品にも、彼女の写真はなかった。

 それどころか、お袋が生まれてから前の結婚をするまでと、俺の親父と再婚してから今までの写真はあるのに、前の結婚をしていた頃の写真は、一枚のないのだ。

 ただ。一つだけ、遺された物があった。

 俺は厨房に入ると、下ごしらえをしていた物を冷蔵庫から出した。

 今日は店休日だから、慌てなくても良い。

 けれど、絶対彼女には食べて欲しくて、俺は手早く下ごしらえをしていた物達を調理台の上に置くと、鍋に火を入れた。

 レシピは頭の中に叩き込んだから、後はレシピ通りに作るだけである。

 俺は、材料を鍋で炒めると、そこに水を注いだ。

 それから、お袋がレシピに書いていた、カレーのルーを三種類、ボールの中に割って入れた。

 配合は、レシピに書いてある通りにしなければならないから、はかりを使った。

 そうして、沸騰し始めた鍋から、俺は出た灰汁を玉じゃくしで取ると、鍋にカレーのルーを入れた。

 焦がさないように玉じゃくしでかき混ぜて、ガスの火を弱火にする。

 しばらく煮込んでいる間に、洗い物をした。

 そうしている内に、炊飯器がご飯の炊き上がったことを知らせる。

 俺は手早く洗い物を済ませると、カレーの鍋を覗き込んだ。

 シーフードカレーは火の回りが速いので、手軽にできる。

 だけどこれは、お袋がよく俺達に作ってくれたレシピではなかった。

 塩コショウで味を調え、炊き上がったご飯を器に盛った。

 そこに、作ったばかりのカレーをかける。

 付け合せのサラダにかけるのは、これもまたお袋特製のレシピだ。

 だけど、これも俺達は知らない味だった。

 デザートは、ケシュキュル。

 これは、アーモンドをミキサーでペーストにした物を、牛乳で伸ばして、砂糖で味付けして、コンスターチで固めた物だった。

 トルコのお菓子で、俺達は食べたことがなかった。

 彼女の来る数時間前から作っていたから、十分に冷えている。

 俺は、それらの物を全部トレイの上にセットすると、厨房を出た。

「どういうことよ!?」

 厨房を出たとたん、彼女の叫び声が聞こえた。

「今ご説明した通りです。あなたの取り分は、この通帳分の現金になります」

「馬鹿にしないでくれる!」

 がたんっと彼女は椅子から立ち上がった。

「なんでこんな端金額になるのよ!どうせあんたらが懐に入れたんでしょうが!!」

「母の遺品なら残っています。俺達には使えそうにない物ばかりなので、あなたが引き取られますか?」

「金になるものはあるの!?」

「現金化できそうなものは、全てしまして、その通帳に入れてあります」

 弟は、顔を真っ赤にして叫ぶ彼女に、そう静かに答えた。実際、弟の言うとおりだった。

 お袋は、自分の「財産」と言うべきものは、ほとんど遺していなかった。

 生前、弁護士に依頼して、ほとんどの遺産ものを、俺達名義にしていたのだ。

『自分が死んだ後に、余計なトラブルは起こしたくない』

 それが、お袋の言葉だったらしい。

 お袋は、自分の娘が、自分の死後こんな風に遺産で文句をつけて来ると、予想していたのだろうか。

 前の結婚生活の思い出の品は、ほとんど持っていなかった。

 ただ、唯一残っていたのは。

「ここの店の主人が出した本の印税だって、あるでしょうが!」

 彼女は、またしてもそう叫んだ。

 確かに、俺はこの店を始める前に、ブログで発表していたプライベート用のレシピをまとめて出版したことはあった。

 そこそこ売れたは売れたけど、彼女が思うほどのお金になったわけではない。

 せいぜい、サラリーマンの給料数か月分だった。

「それは、あなたには何の関係もありません。純粋に兄の物です」

 彼女には、俺が得た印税すらも自分が手に入れることができる、と思えたのか。

「ただ、あなたに渡すべき遺品はあります」

 だけど、彼女が叫びだす前に、弟はそう言葉を続けた。

「これです」

 その弟の言葉と同時に、俺は彼女の前にトレイを置いた。

「何、これ」

 並べられた料理を見て、彼女は呆然となった。

 「母が、あなた用に作っていたレシピノートから作ってみました」

 俺は、彼女にそう言った。

 お袋が前の結婚生活の物で唯一残していたのが、料理のレシピノートだった。

 それは、偏食がひどかった娘のために、お袋が試行錯誤して作ったレシピ(もの)だった。

 食感が良い物、食べ易い物、そして物珍しい物。

 少しでも、娘が食べてくれるようにと、様々な工夫がされたレシピだった。

「何よ、これ!」

 目の前に置いたトレイを見て、彼女は言った。

「こんな……こんな、まずそう―」 

 だけど。そこで、彼女の言葉は止まった。

 そうして、じっと、置かれた料理を見つめる。

 それから、顔を手で覆った。

 お袋と彼女の間に、何があったのかはわからない。

 離婚した時、何故彼女が父親の元に残ったのか、何故、お袋と連絡を取ろうとしなかったのか。

 そうして何故お袋は、彼女と連絡を取ろうとしなかったのか。

 親父との再婚は、離婚してから三年後のことだったから、連絡を取り合っていてもおかしくはなかったはずなのだ。

 決して幸せではなかったのは、前の結婚での思い出を、彼女のための料理ノート以外、何も残さなかったことからも、わかっている。

 だが、それ以外にも、何かお袋と彼女の間には確執があったのかもしれなかった。

 それは、お袋が死ぬまで消えることはなかった。

 けれど。

 確かに、あったのだ。

 お袋の作った料理を見て、彼女が目を輝かせて、それから一口食べて、「美味しい!」と言った瞬間が。

 それを見て、お袋が微笑んだ時間が。

 俺達と同じように。

「母さん……母さん……」

 顔を手で覆った彼女からは、小さくそんな呟きが聞こえた。

「もらってください。これは、あなたの物です」

 そう言って、俺は弟から一冊のノートを受け取ると、料理が載ったトレイの横にそれを置いた。

 「ちいちゃんのレシピ」

 古ぼけたノートには、お袋の字で、丁寧にそう書いてあった。



 


  


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