日記1
2013/02/28 昔のメモから
2013/02/16 中国、レーザー、危険を売るマスメディア
2013/02/13 コピーアンドペースト
2013/02/08 日本人のDNA~縄文人と弥生人の混血の割合~、柔道体罰問題 マスコミ発表引用
2013/02/06 福井のジェンダー関連の図書排除、原発、インターネットの歴史(日本の文化的側面)
2013/02/03 宗教を持たない民族、香山リカさん、不当逮捕、福富書房
2013/01/25 ジーン・シャープの非暴力行動のリスト、センター試験国語、シオニズム
2013/01/21 なぜアルジェリアの人質誘拐事件で、強硬な方法をアルジェリア政府はとったか
2013/01/20 楽天主義セラピー、アサーション、陰謀論、滝本竜彦、まだ解明されていない伝統的避妊法、歌、ドイツの女流詩人。
2013/01/13 血液型性格診断批判について、あとブーバキキ効果
2013/01/12 カタリ派について、あといろいろ
2013/02/28 昔のメモから
記憶について調べていたときのメモ。
記憶や、マインドコントロールについて調べていたようだ。
そのときの、文献を列挙したメモを見つけたので、それを書いておく。
題名や人名の下のアドレスは、参考URLである。
うばわれた記憶 ジョナサン・コット
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/02/post_6bce.html
http://hoppetapunipuni.blog.fc2.com/blog-entry-27.html
http://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20071206/jonathancott
CIA洗脳実験室 ハービー・ワインスタイン 苫米地英人訳
オウムと私 林郁夫
http://198113.web.fc2.com/ehouma/htm/bk_hayashi.htm
ワイルダー・ペンフィールド 記憶に関する重要な実験を行った人物名
http://blog.livedoor.jp/science_q/archives/623779.html
http://www.hm2.aitai.ne.jp/~kuensan/brain1.htm
http://web2.chubu-gu.ac.jp/web_labo/mikami/brain/32/index-32.html
認知記憶の大脳メカニズム 宮下保司
http://www.physiol.m.u-tokyo.ac.jp/sousetu/souzou.htm
ここで、このファイルにつづった日記は、いったんおしまいにして、あたらしいファイルを作ろうと思います。
2013/02/16 中国、レーザー、危険を売るマスメディア
中国海軍が、日本の海上自衛隊に、レーザーを照射した。
そのことについて、いろいろ取り上げられてはいるが、なーんか危険をあおるような取り上げ方をしているなあと思っていた。
ぼくは、日本のニュースについて、原発に関しては、あまりにも安全だといいすぎているように感じているが、軍事的なことについては、あまりにも危険をあおりすぎていると感じている。
たぶん、それは、政治学を少し勉強したときに、冷戦のときに、あまりにも不安すぎて、相手の能力を本当よりも大きく見てしまって、そのせいで余計な衝突をした例を知ったからだろう。
信じられないかもしれないが、まともな軍事力の計算や予測なんてものは、やっぱりできないと考えるべきだろうと思う。
ここ五十年くらいの世界の歴史を見ていると、特に冷戦などは、思惑がはずれるなんてことがしょっちゅうあることがわかると思う。
下の方のツイートを見て、専門家の目から見ても、「過剰に危険をあおっているのではないか」という傍証が得られたような気がするので、引用したい。
特に、一番したのツイートは必見。
軍事には詳しくないので、実のところ、神浦さんのいっている軍事的な事実が、どれだけ正確なのかはわからない。
裏を取っていないということは、おぼえておいてほしい。
日本が戦争に走ったのは、軍部の暴走以外にも、マスメディアが危機をあおったというのが、大きな原因としてある、とぼくは見ている。NHKのドキュメンタリーにも、たしかそういう話があった。
軍事・政治は、原発のような科学・物理現象と違って、ぼくたちの認識や働きかけによって、良い方向に変えることができる。
だから、あまり熱くならないで、なんとかうまくお互いが傷つかない落としどころを見つけることが大事だと思う。
神浦 元彰 @kamiura_jp
メールが来た。環球時報がどうしてバカバカしいか? 軍艦の航海レーダーと対空レーダーと射撃レーダーはまったく違う。互いに代用は出来ない。他国の軍艦の射撃訓練中に近づく軍艦はいない。すべての船に国際VHF無線機は搭載し警告は可能。挑発行為に射撃レーダーで警告するのは無謀で危険すぎる。
2月7日 神浦 元彰 @kamiura_jp
人民日報系の環球時報が7日、射撃レーダーを照射した原因を、①一般の捜索レーダーが使用できなかった。②射撃レーダーを使う訓練中に自衛艦が近づいた。③日本の挑発行為に警告した。と報じた。(朝日新聞 2月8日 朝刊) こんなバカバカしいことを言うから中国海軍の軍事知識の低さが疑われる。
2月7日 神浦 元彰 @kamiura_jp
香港の「明報」紙が6日付けで、マカオ在住の軍事評論家が「今回のレーダー照射は射撃レーダーの性能を相手にさらす行為。上層部の指示がなければ簡単にできない」とコメントした。(共同通信 7日 電子版) それもご丁寧に数分間もレーダーを照射し続けた。だから艦長は大目玉を食らうことになる。
神浦 元彰 @kamiura_jp
中国海軍は明治27年の黄海海戦(日清戦争)で、日本の連合艦隊に敗北して以来、海軍らしい海軍を持った経験がない。最近、やっと海軍艦艇を建造しても艦長の運用レベルは極めて低い。その失敗を責めて日本の軍事対応を強化すれば、ボヤの火事にガソリンをぶちまけるのと同じ。
2月7日 神浦 元彰 @kamiura_jp
中国海軍が組織的に挑発する動き無し。やるなら、内陸部の戦闘機部隊が沿岸部の基地に移動とか、中国軍の艦船や航空機の無線通信が増加。あるいは海軍基地で燃料や弾薬を搭載する動きが活発化。今のところその動きはない。やはり経験の少ない艦長が「脅かしてやれ」とやったよう。日本は大人の対応で。
神浦 元彰 @kamiura_jp
「中国軍と自衛隊の軍事衝突が起きる」と話して欲しいとテレビ番組のスタッフから電話。今回は中国軍の未熟を指摘し、「あえて危機を煽ることは出来ない」と断ると、そのように話せる人を紹介して欲しいと聞かれた。またか。どうしてテレビは戦争をさせたいのか。明日は日中戦争が始まると放送なのか。
2013/02/13 コピーアンドペースト
結局、また引用をしてしまうのだ…。
ネットの情報のほとんどがコピペであり、そうであるがゆえに、情報にあまり価値がないのだと、どこかに書いてあった。
一次情報や情報源を出さない場合がある。希少な本などの引用もない、自分の意見もろくにない。
俺が! 情報を! 発信するのだ! という意識が少ないので、右から左へ情報を流すだけということになるそうだが、これはまったくそのとおりだ。
だけど、こういう風に垂れ流しているからこそ、日記に書くことになるのだろう。
下で書いてあることは、検索ノイズについて。
ここでは、質の悪い情報が出てきている、出すぎているので、もはや「ググれカス」とはいえないだろうということが書かれている。
ぼくも同様だ。
ぼくも、けっこう、引用を多くしてしまっている気がしている。
少ないと思われる方もいるかもしれないが、もっともっと減らさねばと思う。
必要な引用ならいいのだが、だれかの書いたことの評論とか…それは果たして、価値のある情報なのか? 発信する価値のある情報なのか? と思う。
ここ(引用者注・パソコンがブルースクリーンになって、まともに起動しなくなったときのこと)で重要なのは「救う方法がある」と言う事がもっとも有用な情報で、それ以外は全く有用で無い情報と言う事になります。99%が「もう諦めろ」な情報であれば、ほとんどの方がこの問題に直面した時に無用なデータの消失と復旧作業に時間と労力を割かなければならなかったでしょう。ですが1%の情報でほとんどの人が救えるという事実があるにも関わらず、検索結果の上位に現れない事があります。
これはごく最近の状況で7~8年前とは様子が違います。以前はWebに溢れる情報は「ちゃんとプロバイダ契約してHP開設して有用な情報を発信しよう」という有志によって発信された情報が多かったので、かなり気合の入った記事が多かったと思います。
ですが、今は「ブログ」や「OKwebとその仲間達」「Twitterのつぶやきの一部」「このURLに解決策がありますよ、過去ログを検索しましょう(と言ってすでにデッドリンク)」という情報が溢れています。それだけ「検索ノイズ」が増えてきていると言う事が言えます。
ちなみに2005年ごろは「増殖Web」というサイトばっかりが検索結果に出てきた事がありました。
もしかしたらそう言った情報の中から、真実の情報を見つける事が初心者に対して「ググれカス」という事かもしれませんが、これだけ「検索ノイズ」が溢れてしまった今、7~8年前に初心者だった人たちがググって知識を得てきた時代とは様子がかなり違うと言う事を認識する必要があると思います。
http://blogs.itmedia.co.jp/bozel/2011/03/post-524d.html
2013/02/08 日本人のDNA~縄文人と弥生人の混血の割合~、柔道体罰問題 マスコミ発表引用
残す価値ある記事だと思うので、転載する。
柔道暴力問題 15選手による声明全文
皆さまへ
このたび、私たち15名の行動により、皆さまをお騒がせする結果となっておりますこと、また2020年東京オリンピック招致活動に少なからず影響を生じさせておりますこと、まずもって、おわび申し上げます。
私たちが、JOC(日本オリンピック委員会)に対して園田前監督の暴力行為やハラスメントの被害実態を告発した経過について、述べさせていただきます。
私たちは、これまで全日本柔道連盟(全柔連)の一員として、所属先の学校や企業における指導のもと、全柔連をはじめ柔道関係者の皆さまの支援を頂きながら、柔道を続けてきました。このような立場にありながら、私たちが全柔連やJOCに対して訴え出ざるを得なくなったのは、憧れであったナショナルチームの状況への失望と怒りが原因でした。
指導の名の下に、または指導とは程遠い形で、園田前監督によって行われた暴力行為やハラスメントにより、私たちは心身ともに深く傷つきました。人としての誇りを汚されたことに対し、ある者は涙し、ある者は疲れ果て、またチームメートが苦しむ姿を見せつけられることで、監督の存在におびえながら試合や練習をする自分の存在に気づきました。代表選手・強化選手としての責任を果たさなければという思いと、各所属先などで培ってきた柔道精神からは大きくかけ離れた現実との間で、自問自答を繰り返し、悩み続けてきました。
ロンドン五輪の代表選手発表に象徴されるように、互いにライバルとして切磋琢磨し励まし合ってきた選手相互間の敬意と尊厳をあえて踏みにじるような連盟役員や強化体制陣の方針にも、失望し強く憤りを感じました。
今回の行動をとるにあたっても、大きな苦悩と恐怖がありました。私たちが訴え出ることで、お世話になった所属先や恩師、その他関係の皆さま方、家族にも多大な影響が出るのではないか、今後、自分たちは柔道選手としての道を奪われてしまうのではないか、私たちが愛し人生をかけてきた柔道そのものが大きなダメージを受け、壊れてしまうのではないかと、何度も深く悩み続けてきました。
決死の思いで、未来の代表選手・強化選手や、未来の女子柔道のために立ち上がった後、その苦しみはさらに深まりました。私たちの声は全柔連の内部では聞き入れられることなく封殺されました。その後、JOCに駆け込む形で告発するに至りましたが、学校内での体罰問題が社会問題となる中、依然、私たちの声は十分には拾い上げられることはありませんでした。一連の報道で、ようやく皆さまにご理解を頂き、事態が動くに至ったのです。
このような経過を経て、前監督は責任を取って辞任されました。
前監督による暴力行為やハラスメントは、決して許されるものではありません。私たちは、柔道をはじめとする全てのスポーツにおいて、暴力やハラスメントが入り込むことに、断固として反対します。
しかし、一連の前監督の行為を含め、なぜ指導を受ける私たち選手が傷つき、苦悩する状況が続いたのか、なぜ指導者側に選手の声が届かなかったのか、選手、監督・コーチ、役員間でのコミュニケーションや信頼関係が決定的に崩壊していた原因と責任が問われなければならないと考えています。前強化委員会委員長をはじめとする強化体制やその他連盟の組織体制の問題点が明らかにされないまま、ひとり前監督の責任という形をもって、今回の問題解決が図られることは、決して私たちの真意ではありません。
今後行われる調査では、私たち選手のみならず、コーチ陣の先生方の苦悩の声も丁寧に聞き取っていただきたいと思います。暴力や体罰の防止はもちろんのこと、世界の頂点を目指す競技者にとって、またスポーツを楽しみ、愛する者にとって、苦しみや悩みの声を安心して届けられる体制や仕組みづくりに生かしていただけることを心から強く望んでいます。
競技者が、安心して競技に打ち込める環境が整備されてこそ、真の意味でスポーツ精神が社会に理解され、2020年のオリンピックを開くにふさわしいスポーツ文化が根付いた日本になるものと信じています。
2013年(平成25年)2月4日
公益財団法人全日本柔道連盟女子ナショナルチーム国際強化選手15名
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/02/04/kiji/K20130204005126730.html
体罰やいじめの問題が、2012年から現在にかけても、活性化している。今までも、何度もこのようなことが取り上げられてきた。ちょっとづつよくなってきているとは思う。個人の問題も、もちろんあるが、集団やシステムの問題としてもとらえているところが、的を得ていると思うし、このようなことを言葉に出していった被害者の人たちはあまりいなかったかもしれない。いや、自殺した尾山奈々さん(サイトでも取り上げてます。「思うこと」参照)も、そういうシステムや文化、集団に対しては言っていたか…。ようやくこういうことが大きく取り上げられるようになってきたか、という感じ。
アイヌ、琉球は縄文系=本土は弥生人との混血-日本人のDNA解析・総研大など
日本人を北海道のアイヌ、本土人、沖縄の琉球人の3集団に分けた場合、縄文人に起源があるアイヌと琉球人が近く、本土人は中国大陸から朝鮮半島経由で渡来した弥生人と縄文人との混血が進んだことが確認された。総合研究大学院大や国立遺伝学研究所(遺伝研)、東京大などの研究チームが、過去最大規模の細胞核DNA解析を行い、1日付の日本人類遺伝学会の英文誌電子版に発表した。
アイヌと琉球人が同系との説は、東大医学部の教官を務めたドイツ人ベルツが1911年に初めて論文発表した。頭骨の分析では、狩猟採集生活の縄文人は小さい丸顔で彫りが深く、約3000年前に渡来し稲作をもたらした弥生人は北方寒冷地に適応していたため、顔が平たく長い傾向がある。
総研大と遺伝研の斎藤成也教授は「ベルツの説が101年後に最終的に証明された。本土人は大ざっぱに言えば、縄文人2~3割と弥生人7~8割の混血ではないか。今後は縄文人のDNA解析で起源を探るほか、弥生時代に農耕が広がり人口が急増した時期を推定したい」と話している。(2012/11/01-02:19)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201211/2012110100041&g=soc
やっぱり、大陸から来た人たちと混じっていたわけだ。このようなことは、前から言われていたわけだが…。これが、おだやかな同化だったのか、それとも一種の侵略だったのか、よくわからない。前者であればいいと思う。でも、歴史が書かれてから起こったことは、後者であったろうと思う。いわゆる本土の人間が、蝦夷や熊襲として、東北や九州を「平定」という名の侵略をして、現在でも、アイヌと沖縄は「二等市民」的なあつかいにあると思う。沖縄はともかく、アイヌは絶滅したようなものではないか。そんなこと、する必要はなかったのに、というのが、正直な感想だ。こういうことを書くと、自虐史観だという人がネットにはいるようだけれど、「よいことはよい、わるいことはわるい」だと思うし、これは「わるいこと」だと思う。自分の悪いところを見るのは自虐というより、単なる認識ではないかと思う。いや、「価値判断」なのかな。悪いといっているわけだから。でも、これを「よかった」という人間は、道徳的に見て、よくないとぼくは思うのだが。
2013/02/06 福井のジェンダー関連の図書排除、原発、インターネットの歴史(日本の文化的側面)
ぼくは、小説やゲームなどの舞台として、わりと夏がすきなのだが、(フリーゲームのレビューを見ると、けっこうそういう傾向があるかもと自分でも思う…)http://piro164.blog117.fc2.com/blog-entry-100.htmlというサイトで、「夏天祭実行委員会」や「灯穂奇譚」や「この青空に約束を」というフリーゲームが紹介されていた。
今度やってみようかな。
福井県の、ジェンダー図書排除事件について。
ふと、ユリイカのBL特集を読んでいたら、脚注に、この事件について出てきた。
なーんか、昔、稲田ともみが関わっているとかいないとか聞いたような気がするのだが、記憶違いか、ぼくが調べたかぎりでは、稲田さんの名前は出ていないように思う…。どうなんだろ。
http://www.againstgfb.com/case_Fukui.html
http://gifu.kenmin.net/midori/news/68.html
http://blog.goo.ne.jp/teramachi-t/e/cf99eb5b81d6cb13192fa7c910abc7d0
http://blog.goo.ne.jp/midorinet002/e/b723190d3aba23310c91adf6a07d6ffb
原発について。
反対意見については、このページが、かなりまとまっていると思う。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/peace-h.html
あと、ロックというか、パンクな感じで、個人的には、けっこう好きなのが、下。
発言は過激なんだけど、言っていることは正しいと思う。
http://www.voynich.com/nuclear/index.html
http://www.voynich.com/nuclear2/index.html
インターネットの歴史についてのリンク。
科学的な、技術的なことについての歴史ではなくて、文化的な歴史。
こんなサイトがあったよ、とか、こんな事件がネットで起きました、という、ネット文化についての歴史。
ぼくも、記憶はあるのだけれど、ここまで網羅的には書けないな。
ばるぼらさんの書いたインターネットの歴史。(『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』(翔泳社)の元となった文章)
http://web.archive.org/web/20030801113739/http://blogdex.tripod.co.jp/encyclopedia/
Sakurabaさんの書いたもの。テキストサイトの歴史も置いてあって、本当に幅が広い。
メニューのところに、いろいろ置いてあるので、見るとよいと思います。
ヴィジュアルも、すごくきれい。
http://websitemap.michikusa.jp/history/junet.html
これは、技術的な進歩や、新しいサービス(facebook youtubeなど)について、短くまとまっている年表。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax2s-kmtn/ref/i_history.html
また、情報をまとめる形の文章を書いてしまった。
こういうのは、ネットのよさであり、悪さであると思うけど、ぼくにとっては、悪さの印象のほうが強い。
記憶を頭の中にいれるのではなく、外部化しておくので、なにかあったときに思い出せないといけないから、ちょっとしたこともメモすることになる。記憶力もなくなっていくし、ぼくの場合、ちょっとやりすぎなくらいに、何かを書き残すことになる。引用して、情報源を書いて、そして残して、でも、「情報」を書き残しているだけなんだよね。
意味がないとは思わないけど、きりがないから、どこかで自分で線をひかなくてはならないと思うし、ぼくはたぶん、自分で引きたい線よりも、もっと書き残すほうにひっぱられている。
なんでも検索できる世の中だけど、おかげでそれにひっぱられて、面白いURLをひたすらこの日記とかに書き残すことになっている。今回の記事でも、たくさんURLを書いた。
でも、これって、ネットという道具に使われていることじゃないのか。
わかった、ここでひとつ宣言してしまおう。基本的に、これからは、URLを書かない、と。
引用とか、情報じゃなくて、自分の気持ちを書くんだ、と。
それが、どうなるかは、みなさんで、見ていてください。
2013/02/03 宗教を持たない民族、香山リカさん、不当逮捕、福富書房
熱い。自分の体験に基づいている。こういう文章は、好きだ。
http://suzumark.web.fc2.com/regend012.html
香山リカさんの、「世の中の意見が<私>と違うとき読む本」。
リカさんの本は、いつもだいたい同意できることが多い(ように思っている)。少なくとも、結論については、同意できることが多い。
だけど、この本の中の、「親から無償で愛されなかった人は被害者なのか」という章については、ぼくにとってはめずらしく、「ん?」と思うことがあったので、そのときのことを書いておきたい。
「本当に傷ついたら、その傷ついたことに対して、よかったんだ、と思うことは、(まず)できない、と思う」。
というのが、結論というか、ぼくが思ったことだった。
この章では、親が無償の愛を子供に注ぐというのは、親に対する過剰な欲求というか、完璧を求めすぎているのでは?
ということが述べられていたと思う。
診察室で見る限り、親はけっこう愛を注いでいるように見えるし、親自身も甘く育てすぎたかもというが、それでも子供には親の厳しい面が見えていて、被害者意識を持っているというような話だった、と思う。
どちらが悪いというわけでも、うそをついているわけでもなくて、どちらも自分の主観として、本当にそうなんだろう、と言うわけだが、それでも、親にそこまで求めるのは酷ではないのか、むしろ、それはそれとして、自分で足場を作るのがいいのではという結論が導かれていた、とぼくは読んだ。
自分で足場を作るのがいい、というのは、確かにそうかな、と実は、これを書いていて思った。(結局、結論は賛同できるのか…?) でも、親にそこまで求めるのが酷だとは思わない。
だって、子供は弱いんだから、傷つけられたときは、もちろん強い親のほうが悪い、とぼくは思う。
これは、弱いほうと強いほうがいたら、弱いほうの立場に立つべきだというぼくの価値感によるのかもしれないが。
ポイントは、子供のほうが、「つらかった」と思っていることだと思う。
それを親に伝えるだけでも、楽になるかな、と思う。でも、本意ではないにせよ、子供の心を傷つけたんだから、やっぱりそれは、酷であるとかいう前に、「ごめん」とあやまるのが、筋の通ったやり方なんじゃないかな。
気付かなかったけど、ごめんね、って。親があやまってくれるかはわからないけれど、今からでも、伝えることは遅くないんじゃないだろうか。だって、子供のときは、自分の思っていること、うまく言葉にできないこと、多いもの。(ぼくは今もだけど)
福富書房。なんだか不思議な雰囲気。ハワイ語のページとか、世界を喰らう!とか、面白そうな感じ。
実は、まだまともに読んでいないのだが、気が向いたら読んでみたいな、と思う。
http://fukutomishobo.com/
不当逮捕について。
下地真樹さんが不当逮捕。
外山恒一さんも、不当逮捕されていましたね。
http://mojimojiinjail.tumblr.com/post/41398465265
宗教を持たない民族。
ハッザとピダハン。
宗教の定義は難しいが、少なくとも神をこのふたつの集団は持っていない模様。
下、参考リンク。ハッザは、ナショナルジオグラフィックの記事が詳しい。「ハッザ ナショナルジオグラフィック」で検索すると出る。下記リンクの一番上。
http://nationalgeographic.jp/nng/magazine/0912/feature05/
http://d.hatena.ne.jp/naoko7th/20121110/1352522591
http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20120225/p2
若干、関連するかもしれない論考。
これは宗教ではなく、時間の話だが…。そして、言っている意味はわからないのだが…。
『 ブラック・アテナ 』 と アフリカの時間 松本祥志
http://www.gn21.net/matsumoto_shoji.html
見いだされた〈非時間性〉― アビ・ヴァールブルクによる図像地図「ムネモシュネ」を拓くための芸術人類学的一考察― 中島智(武蔵野美術大学/芸術人類学)
http://genbaken.com/contents/discussion/nakashima/nakashima.htm
いいな、と思ったサイト。
http://lovesick.posterous.com/
http://ameblo.jp/krazyinluv
http://about.me/sandm
2013/01/25 ジーン・シャープの非暴力行動のリスト、センター試験国語、シオニズム
ジーン・シャープ Gene Sharp
「独裁から民主主義へ 第四版」の「補遺1 非暴力行動の方法」の訳
From Dictatorship To Democracy, Fourth U.S. Edition, The Albert Einstein Institution
最新版は、The Albert Einstein Institutionのサイトにアクセスして取得してほしい。全文は100ページ近くある。パブリックドメインとしてコピー、出版、翻訳が保証されているはず。とはいえ、まともに翻訳したい場合は、本人に連絡することがすすめられています。
ここでは、そんなに間違っていないと思うけど、自分なりの翻訳を、補遺の非暴力行動のリストについてしたものを公開します。日本では、ぼくの知る限りまだ翻訳は手をつけられていないようなので、興味ある人はグループでも作って、やってみるといいかもと思う。このサイト全体にいえることですが(くわしくは、インデックスにある「はじめに」ページを参照)、以下の文章も、好きに使ってもらってかまわないので、日本で何か運動をやりたい人は参考になれば参考にしてください。
http://www.innatenonviolence.org/old/workshops/work1b.htm
現本はpdfなので、ちょっと見るのが面倒な人へ。上のサイトに、英文と、実例や注釈がついているので、英語でも大丈夫な人はどうぞ。
[]は、上のサイトに書いてあったものの流用、()は、ぼく自身で調べたことや解釈。
非暴力の抗議と説得の方法
公的な発言
1.公式なスピーチ
2.反対意見や賛成意見の手紙
3.組織や機関による宣言
4.署名つきの公式な声明
5.起訴と意思の宣言
6.集団や大衆の請願
より広い観客とのコミュニケーション
7.スローガン、カリカチュア(戯画)、シンボル
8.旗、ポスター、目に分かるように示されたコミュニケーション
9.リーフレット、パンフレット、本
10.新聞、雑誌
11.レコード、ラジオ、テレビ
12.空に文字を書く、地面に文字を書く
集団表現
13.代表者を派遣する
14.おふざけの判決(賞?)Mock Award (判決なら、にせの有罪判決、賞なら、イグノーベル賞のようなものか)
15.グループでのロビイング
16.ピケット
17.おふざけの選挙
象徴的でおおやけの行動
18.旗とシンボルカラーの表示
19.シンボルを身につける
20.祈りと礼拝
21.象徴的なものをつたえる
22.抗議として服をぬぐ
23.自分の財産を破壊する
24.象徴的な光
25.肖像をかかげる
26.抗議として色をぬる
27.あたらしいしるしと名前
28.象徴的な音
29.象徴的な再生、更正
30.無礼なしぐさ
個人に対する圧力
31.役人をこわがらせる
32.役人をあざける
33.役人と仲良くなる
34.寝ずの番
演劇と音楽
35.面白いスキット(寸劇)とたわむれ
36.劇と音楽のパフォーマンス
37.歌を歌う
行進
38.マーチ
39.パレード
40.宗教的な行進
41.巡礼の旅
42.自動車の行列
死者をとむらう
43.政治的な喪
44.おふざけの葬式
45.デモ的な葬式
46.墓地へ敬意をしめす
公的に集まる
47.抗議や支持のための集まり
48.抗議集会
49.カモフラージュされた抗議集会
50.ティーチ・イン(教授と学生などによる政治・社会問題の長時間討論集会)
撤退と放棄
51.ストライキ(長期欠席、退場)
52.沈黙
53.名誉を放棄する
54.追い返す
社会的非協力の方法
人を追放する
55.社会的なボイコット
56.選択的な社会的ボイコット
57.「女の平和」的非行動 Lysistratic nonaction (アリストファネスの「女の平和」で女性が性交渉を断ることで戦争を終わらせようとすることから、性的ストライキ(例.戦争をするなら性行為はしません)を指すようだ)
58.破門、除名
59.禁止
社会的なイベントや習慣や組織に協力しない
60.社会的な活動やスポーツへの参加を延期する
61.社会的な仕事をボイコットする
62.学生のストライキ
63.社会的不服従
64.社会的組織から撤退する
社会システムからの撤退
65.家にいる
66.完全に個人的な非協力
67.労働者の脱走 Flight of workers
68.サンクチュアリ(聖域、避難所、保護区)(たぶん、落ち着いて暮らせるような場所とか、特別な空間を作ることだと思う)
69.みんなで姿を消す
70.抗議での移民(hijratとも書いてあった)
経済非協力の方法 (1)経済的なボイコット
消費者による行動
71.消費者によるボイコット
72.ボイコット対象のものを買わない
73.質素な生活をする
74.賃貸料を払うのを差し控える
75.家賃や土地代を払うのを断る
76.全国的な消費者によるボイコット
77.国際的な消費者によるボイコット
労働者および生産者による行動
78.労働者によるボイコット
79.生産者によるボイコット
中間商人(卸)による行動
80.供給者および取り扱い人(handeler)のボイコット
所有者および経営陣による行動
81.トレーダーのボイコット
82.資産を貸したり売ったりするのを断る
83.ロックアウト
84.産業的に援助するのを断る
85.商人による「ゼネラル・ストライキ」(ゼネラル・ストライキ、ゼネストは、全国的なストライキのこと)
財源を持ったものによる行動
86.銀行預金の引き出し
87.料金、会費など当然支払われるべきものや、分担金の支払い拒否
88.負債や利子の支払い拒否
89.財源と預金残高の分離 Severance of funds and credit
90.収入の拒否
91.政府のお金の拒否 (政府の補助金とかを拒否することか?)
政府による行動
92.国内での禁輸
93.トレーダー(取引業者)をブラックリストに載せる
94.国際的な売人の禁輸
95.国際的な買取業者の禁輸
96.国際的な取引禁止
経済的非協力の方法 (2)ストライキ
象徴的なストライキ
97.抗議ストライキ
98.山猫スト(電撃スト、急ごしらえのストライキ)
農業的ストライキ
99.農民ストライキ
100.農業労働者ストライキ
特別な集団によるストライキ
101.強制された労働の拒否
102.囚人のストライキ
103.同業者ストライキ
104.専門職ストライキ
普通の産業ストライキ
105.幹部職員ストライキ
106.産業ストライキ
107.共感的ストライキ
制限されたストライキ
108.詳細なストライキ detailed strike [ひとりづつ止まったりはなれたりする]
(http://www.innatenonviolence.org/old/workshops/work1b.htm 参照)
109.バンパーストライキ [一度にひとつの会社を相手にする](同上)
110.のろのろストライキ [サボタージュのように、わざと遅らせるものか]
111.順法闘争ストライキ
112.「病気」だと言う(シック・イン) (にせの病欠?)
113.辞表によるストライキ
114.限定されたストライキ (期間限定とか?)
115.選択的ストライキ (参加者を選ぶとか?)
複数産業ストライキ
116.ゼネラルストライキ的にしたストライキ
117.ゼネラルストライキ
ストライキと経済的囲い込みの組み合わせ
118.同盟休業
119.経済的シャットダウン、経済活動(一時)停止
政治的非協力の方法
権威の否定
120.忠誠の一旦停止または取りやめ
121.公的な支援の拒否
122.抵抗を擁護する文章や談話
市民の政府に対する非協力
123.立法府(議会や国会)のボイコット
124.選挙のボイコット
125.政府の雇用や地位のボイコット
126.政府の部署、代理機関、その他の関連組織のボイコット(参加拒否)
127.政府の教育機関に参加しない
128.政府が支援する組織に参加しない
129.強制執行機関への支援を断る
130.自分の署名や場所所有の除去
131.指定された役人を受け入れることの拒否
132.すでに存在している組織を解体することの拒否
市民の服従に対する別の方法
133.しぶしぶかつゆっくりの服従
134.直接監督の不在における不服従
135.大勢による不服従
136.変装した不服従 [禁止された新聞が名前を変えて発行される](上URL参照)
137.解散のための人の集まりやミーティングを断る
138.すわりこみ
139.徴兵と国外追放の非協力
140.隠れる、逃げる、にせの身分証明
141.「不法な」法律の市民的不服従
政府の人員による行動
142.政府の援助による支援の選択的拒否
143.命令と情報のラインをブロックする
144.時間稼ぎと妨害
145.全国的な行政上の非協力
146.裁判への非協力
147.強制執行機関による、故意の遅れと選択的非協力(選択的は、相手を選ぶほどの意味か)
148.反乱
国内の政府による行動
149.法律にある程度即した、(法律の)くぐりぬけと、遅らせること
150.立憲政府的組織による非協力
国際的な政府による行動
151.外交の、あるいは他の代表の交代
152.外交的もよおしの延期やとりやめ
153.外交的承認の一時停止
154.外交関係の分断
155.国際機関からの脱退
156.国際的団体のメンバーであることをやめる
157.国際組織から除名
非暴力的介入の方法
心理学的介入
158.(特定の)人々にむけての自己暴露
159.断食
(あ)道徳圧力の断食
(い)ハンガーストライキ
(う)サティーヤグラハ的断食
160.逆裁判
161.非暴力的いやがらせ
物理的介入
162.すわりこみ
163.立ちこみ(上の反対)
164.乗り物に乗って(意見を言う、ストライキする、占拠する)[電車の中とか]
165.川を歩いてわたって(同上)[たとえばビーチで]
166.やたらうごきまわって(同上)
167.祈りながら
168.非暴力的にいきなり侵入する
169.非暴力的に空襲する(空からなにかするってことか)
170.非暴力的に侵略(168との違いは不明)
171.非暴力的なさしはさみ [体を間にいれる]
172.非暴力的進路妨害(工場までの道を封鎖するとか?)
173.非暴力的占拠(オキュパイウォールストリートみたいな?)
社会的介入
174.新しい社会的パターンを作る
175.設備・施設をオーバーロードさせる(負荷をかけて使えなくする)
176.ストール・イン 時間かせぎ [できるだけおそく仕事するとか]
177.スピーク・イン(話しながらの抗議活動かな)
178.ゲリラ劇場(突然劇をおこなう)
179.既存のものとは別の形の社会組織
180.既存のものとは別の形のコミュニケーションシステム[例:サミズダート]
経済的介入
181.逆ストライキ[労働者による閉鎖されそうな工場の自主管理、ワークイン]
182.会社にいながらストライキ
183.非暴力的な土地占拠
184.封鎖を守る
185.政治的な理由の模造品
186.買占め
187.資産を差し押さえる
188.ダンピング
189.後援者を選ぶ
190.既存のものとは別の形の(オルタナティヴな)市場
191.オルタナティヴな交通手段
192.オルタナティヴな経済組織
政治的介入
193.管理組織をオーバーロードさせる
194.シークレットエージェント(スパイや秘密警察)の身元を公開する
195.投獄を求める
196.「中立的な」法律に対して市民の(民間の)立場で不服従する
197.コラボレーションなしで、行動
198.二元主権、並立政府(日本でいうなら南北朝みたいに、国の代表をもうひとつ作る)
センター試験が面白そうだったので、ちょっと使えそうなリンク。
センター試験、国語の過去に出た小説
http://www.hatirobei.com/ブックガイド/選定図書から/センター試験出題問題+国語_小説部門
ロリっ娘が薄着スケスケ陽射にキラッ 泉はロリコンパラダイス ~中世最強ロリ小説『恋路ゆかしき大将』~
http://trushnote.exblog.jp/10920475/
これはけっこう重要なことなのでは?と思ったので、ネットの書評から引用。ああ、引用はやめようといったのに、今日も引用たっぷりの記事に…。でも、きっとこれで最後くらいだから…。たぶん…。
「帝国」に育まれたロシア・シオニストがパレスチナへの植民を主張したのは,単に「そこにいにしえの祖国を建設する」というファンタジックな夢想を持っていたからではなかった。彼らはこう考えた。ユダヤ人はこの帝国で「余所者」として遇されている。けれどロシアに住む他の諸民族はそうではない。たとえばペルシア人は尊敬されている。それはなぜか。彼らにはペルシアという「郷土」があるからだ。われわれが尊敬されないのは根無し草であるからだ。言い換えるとこうなる。「郷土を持つことができれば,われわれは帝国における対等な民族として尊重されるだろう」。つまり著者の指摘によれば,彼らはロシア帝国に対等の存在として参加するために,パレスチナへの植民を主張したのだ。
では彼らは当地に居住するアラブ人についてどう考えていたのか。彼らはこう考えた。「アラブ民族」はたくさんの土地を持っている。ならば,寄る辺を持たない「ユダヤ民族」に少しくらい分けてくれてもいいのではないか。パレスチナは大アラブから見れば辺土に過ぎない。そこにあるのは単純なアラブ人蔑視ではない。彼らは確かに「パレスチナ人」など見てはいない。彼らが見ているのは,「アラブ民族」と「ユダヤ民族」が,それぞれ尊厳を有する民族として遇されるべき世界だ。そのような文脈が想像され,植民は肯定される。シオニズムによるパレスチナへの「入植」は,「世界は民族によって区分されている」というナショナリストの理解が,そしてそれぞれの民族の尊厳を擁護するリベラル・ナショナリストの主張が辿り着いた落とし穴であるということだ。これはリベラル・ナショナリストを自認する者にとっては重い問いかけである。著者は指摘する。現在注目されている「リベラル・ナショナリズム」は,実のところ100年前に既に提唱されていたのであり,そしてその帰結が現在のパレスチナ問題なのだ――と。
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20121224/1356357830
2013/01/21 なぜアルジェリアの人質誘拐事件で、強硬な方法をアルジェリア政府はとったか
アルジェリアの人質誘拐事件について。イナメナス人質事件と呼ばれているらしい。
アルジェリアの対応が強硬すぎるという意見もあるかと思うけれど、ぼくは前に少し、アルジェリアの歴史を調べたことがあるので、その理由だろうと思えるものを指摘できると思う。
アルジェリアの人質誘拐事件で、つまり、イナメナス人質事件で、なぜアルジェリア政府は、強気の行動に出たのか。なぜ交渉しなかったのか。
アルジェリアは、イスラム政党が選挙で多数派を取ったときに、その選挙を無効にして、そのまま現政権が権力をにぎりつづけたために、イスラム過激派がテロを起こしたということがあった。
Wikipediaによれば、10万人以上の犠牲者が出たらしい。
ぼくが読んだ本にも、このことは書いてあったのだが(アルジェリアを知るための○○章という本。何章あったかは忘れたけど、「『国名』を知るための~章」というシリーズがあるのだ)、具体的な数字は忘れてしまった。
Wikiという、情報源としては信用があまりおけないものを使っているのを許してほしいが、この数字は、同じくWikiの2008年の人口とくらべると、約350分の1だ。
これは、だいたい日本の人口が、1億2600万程度であることを考えると、約36万人死んだことになる。
テロで、日本人が、36万人死んだレベルのことが、アルジェリアでは、90年代に起こっている。
具体的な数字の信憑性はともかく、このような痛ましいテロ事件がアルジェリアで90年代に起こったことは、上の本でも確認ずみだし、数万単位で人が死んだという話も書いてあった。
あの、オウム真理教でも、ここまでは殺さなかった。
今回の、強硬ともいえるアルジェリア政府の姿勢は、「正しい」とはいえないと思う。
しかし、それでも、理解できる気はする。
日本に、十年ほど前に、36万人くらい殺したテロ集団がいて、それが人質をとって立てこもったら、日本政府が強硬な手段に出ることは十分に考えられる。
実際、このテロのあとで、アルジェリアの人たちの心は、イスラム主義政党から離れたと、上の本に書いてあったように記憶している。
連合赤軍のあさま山荘事件で、内ゲバの実態がわかったときに、人々の心が離れたといわれていることと、似たような現象かもしれない。
正直、数字は、もしかしたら大目にみつもっているかもしれないし、場合によっては、少なく見積もっているかもしれない。
しかし、数万単位で人が死んだというのは確実だし、それは、とてもとても、恐ろしいことだ。
そもそも、最初に、選挙の結果を無視したのが悪いのだという考えもあるだろうと思う。
そうだよね。
しかし、そのあと数万人も殺したというのは、正義にはなりえないだろうと思います。
どっちが悪い、とはいえないような事例で、ぼくも結論めいたものは無いんだが。
とりあえず、こういうことを頭にいれておくことは、悪くないと思うので、書き残しておく。
2013/01/20 楽天主義セラピー、アサーション、陰謀論、滝本竜彦、まだ解明されていない伝統的避妊法、歌、ドイツの女流詩人。
リチャード・カールソンの楽天主義セラピー
考えるための書評集というサイトにて紹介されていた。
考えることの害悪を、サイトマスターの知る本の中で、一番徹底的に述べている本だということだった。
瞑想が、思考を絶つというか、考えることに飲み込まれずに、それを客観的に見る方法だということは知っていたが、何か、この本を呼んで、何か得られるべきものがあるかと思った。
納得できないところ、なんか違和感を感じたところはあった。でも、その中で、これはそうだなと思ったところを書く。(脈絡はないかもしれない。引用というより、まとめや要約に近いかも。気になった断片を適当に再構成した)
思考は、気分をもたらす。頭にくるようなことを考えずに、怒りをおぼえることはない。
思考は、現実ではない。思い出を頭の中でくりかえす。過去の事実を再現して、起こってもいないことを想像する。だが、それは全部、夢や空想と同じように、頭の中で起こっていることだ。思考そのものは、頭の中で起こっていることなので、自分を傷つけない。
思考は夢みたいなもの。すごく集中しているときは、不安や恐怖はない。今を生きているから。
生きること事態にもっと意識の焦点をあわせ、自分がうまくやっているかどうかにあまり関心をもたないようにすれば、人生は必然的によくなる。
思考にとらわれず、思考を対象としてみる。
川を流れる木の葉をながめるように、考えのながれを無心に見る。
気分がわるい、しずんでいるときは、何もしないなら(分析しない、悪いことを考えない)、気分は勝手によくなる。
幸せな人は、いつも幸せ、というわけではない。
何かを考えた結果、幸せな気分がへったなら、その考えは否定的なもの。
その考えに集中しないなら、幸せになる。その考えについて深く考えない、分析しない、流れるにまかせる。
たとえば、ものごとに対してひどいなあと思う、未解決の問題をかぞえあげたり、なぜ正しくないんだろうとか、なぜ人は私を傷つけたり、私に対立するようなことをするのだろうと考えたりすると、このような考えが苦しみをうむので、そういう考えがうかんできたら、そのまま、その問題に商店をあわせず、ほうっておき、流れるにまかせる。
気分を落ち込ませるようなことを考えないだけで、そういう考えをまともに受け取らないだけで、自然本来の働きにもどっていき、幸せになれる。
心の自然本来の働き=知恵、コモン・センス
これは、もって生まれたもので、学び取る必要は無い。
すべてがうまくいっているように思えるとき、人生がなんとなく単純に思え、不意に人生の展望がひらけてきたと感じるようなときの気持ち。
幸せというのは、この心の自然本来の働きを感じること。
リラックスして、人生とは自分で考えている以上のものであり、新たな充実感と平和な感覚が目の前に広がっていく可能性に心を開くこと。
自分が完全に「いま・ここ」にいたときのことを思い出して。何も考えず、今に没頭していたときのことを。
思考を捨てる。
自然本来の働きと、頭の中に浮かんだ考えを深刻に受け止めがちな分析好きの頭の対比
自然本来の働きがどんなものか、イメージをつかめるだろう。前者が自然本来の働き。不幸は後者から生まれる。
一瞬一瞬を生きる 過去や未来を生きる
喜びに焦点をあわせる 人生がどうしたら置くなるかに焦点をあわせる
頭はすっきりして自由 頭は心配や懸念でいっぱい
善を見る 悪を見る
人生の美しさに焦点を合わせる 醜さに焦点を合わせる
あるがままで幸せ どうしたら良くなるかにこだわる
人生を経験する 人生を分析する
手放す しがみつく
自由に流れる思考 コンピュータ的思考
自分に何ができるかに焦点を合わせる 自分に何ができないかに焦点を合わせる
失敗から学び、前進する 失敗にこだわり、それを繰り返す
開放的でものごとを受け入れる 閉鎖的で偏見がある
肯定的な態度 否定的な態度
後者の態度によって、問題が解決するのだという人もいるだろう。
ぼくも、そう考える傾向がある…が、家計簿をつけるのには後者の力は役に立つが(分析でたどりつける解答が存在するような問題解決には役に立つ)、人生の問題を解決するのは、むしろ前者の力によるのではないかと、筆者はいっているように思う。知恵について書いた箇所を読んでそう思った。
知恵。いい気分のときに、バランスのとれた見方をしているときに出てくるもの
理由などなく、自分にとって、何が正しいかわかっているとき、知恵がはたらいている。答えを求めるために考える場合とは違う。
答えについて考えず、答えを見つける力。
自分の思考と感情を単に認める。
たとえば、純粋な悲しみと、不幸になるまでずっと悲しい出来事を頭の中で繰り返すことは別。
悲しいことがあったら、悲しかった、と認めて、手放せばいい。
また悲しいことを思い出したら、そのたびに、悲しかったとみとめて、手放せばいい。
あなたが感じている気持ちは、出来事自体ではなく、出来事についてのあなたの考えである。
思考とは、自分の頭の仲でイメージを作る能力。
分析しすぎても意味がない。問題は解決しない。
人生はコントロールできる。自分の感情やいやな出来事にふりまわされないでいられる。
人生でうまくいっていることを探す。
それに芽を向ける。感謝の気持ちを持てるといい。
今日を人生最後の日だと思う。
今ここで生きているこの瞬間に感謝。
「愛と満足にいたる道」と「とことん考える道」の対比。
前者は、自然本来の働きと同じもの。
真実を見つめ先へ進む 真相を究明しようとする
愛と許しを選ぶ 怒りを選ぶ
問題をくよくよ考えない 問題をくよくよ考える
幸せは正しさより重要 正しさが重要
手放す しがみつく
考えは軽く広く 考えは複雑
分析はほとんど、あるいはまったくしない 緻密な分析「これを解明しなくちゃ」
それでいいよ それじゃだめだ
深入りする必要は無い 深く関わらなければならない
意見が食いちがってもかまわない 自分の正しさを証明しなければならない
しっかりした意見がなくてもかまわない 自分の意見を発表しなければならない
アサーションについて、メモ。
アサーションの方法
1.自分の気持ちを確かめる(今は決められない、ふたつの矛盾した気持ちがある、今はうまく言葉にできないでもいい)
2.その気持ちを正直に言葉にしてみる(1と2は、同時に起こることかも)
3.言葉にしたものを、相手に伝える
4.相手の返答を受け止める
アサーションの心構えについて
・わたしたちは、だれもが自分らしくあっていい
・気持ちや考えを表現してよい
・人間は過ちやまちがいをし、それに責任をとっていい(完全に責任をとることはできないとしても)
例(つぼをわっても、元にはもどせないが、心からあやまることはできる。その「ごめんなさい」を受け入れ、許すことができる)
自分がやってよいと思えないとき、他の人はやってみていいか考える。
他の人がやってよいと思えることは、自分もやってよいことが多いだろう。
アサーションを、自分だけ知っていても、いいコミュニケーションができないのではないか?という疑問に対して。
相手にどうやって同意してもらうか?「断られないために」「言うことをきいてもらうために」どうすればいいか?
これらは、アサーションを、他者を変える方法として使っている。
人は、それぞれ、自分の意見や気持ちを持っているので、同意するとは限らない。アサーションを使おうが使うまいが、そこは変わらない。アサーションは、他人を支配するためのものではない。自分の気持ちを、攻撃的に言うためでも、遠慮して言うためでもない。自分の気持ちに正直に、やさしく言うためのもの。
相手の反応はいりおrだから、フォローが大切。
自分の気持ちを率直にやさしく伝えて、フォローし続けてみる。
実際の発言でのアドバイス
・私を主語にして話す。「うるさい」ではなく、「私には大きな声に聞こえるから、少し小さくしてくれるとうれしい」
・なぜ、どうして、は非難の意味をふくむことがあるから、別の言い方を考えるといいこともある。
「~の理由を知りたいんだけど、よかったら教えてくれない?」
・あたりまえということはめったにない。それは、相手の気持ちを聞かずに、正体不明の他者に頼る方法。
それが「あたりまえだ」と思いたくなったら、それは自分にとっての「あたりまえ」で、他の人にはそうではないこともあることを思い出そう
出典は、平木典子の「アサーション入門」。
人間のコミュニケーションの方法として、非主張的自己表現、攻撃的自己表現、アサーティヴな(アサーション的な)自己表現があげられているが、ドラえもんでいうなら、それぞれ、のびた、ジャイアン、しずかちゃんならこう話すだろう、というのが、だいたい対応すると思えば、イメージしやすいのだそうだ。
アサーションについては、『改定新版 自己主張トレーニング』というのが、アサーショントレーニングの原典の改訂版の翻訳らしい。原題を直訳すると、「あなたの完全な権利」になるそうだ。
確か、以前に、コピーアンドペーストをして、まるでメモがわりに、サイトのコンテンツを使うのは、やめようということを書いた気がするのだが、こりずに、同じようなことをやっている。マジでよくないと思う。
自分の頭で考えることができなくなってしまうというか、自分の頭をおろかにする方法だと思うからだ。危険すぎる。
だから、これが最後のつもりで書いた。
いや、これが最後のつもりじゃだめだ。最後にするのだ。
とはいえ、また何か、しなくてはならない状況もあるかもしれない…。
忘れたくないものは、メモをするように、忘れたくない情報は、リンクと共に、保存しておかなくてはならないと思うから。
そして、ぼくが今回、書く情報は、ぼくの中では、忘れたくない情報なのである。
でも、情報という言葉は、味気ない。忘れたくない知識…?とでもいうべきだろうか。
カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記より。
陰謀論というのは、ヒトはそれ程バカ揃いなわけがない、という前提で考えて社会の不条理に解答を求めようとするとき生まれる。
いや、人間はバカ揃いであり愚か者ばっかりなのだ、という前提で理屈が通るときには陰謀論を唱えるべきではない、とされる。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120412/1334245703
滝本竜彦の処女作のタイトルの由来について。
ちなみに、個人的には、彼は作家の中で、最も優れた存在だと思ってます。神。
■11月20日火曜日
受賞作刊行を目前にして、ドキドキの日々を送る滝本竜彦が「意味不明」タイトルについて語る!
『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』というタイトルを思いついたのは、バカなヒアリングミスがきっかけでした。
僕の好きなBOATというバンドに、Thank You & Good-Byeという名曲がありまして。その曲の中に「May god give you happiness」という歌詞が出てきます。ところが僕は、英語が苦手です。「メイゴッドギブユーハッピネス」を「ネガティブハッピー」と聞き間違えてしまったのでした。でも、なんとなく格好いいフレーズだったので、そのまま小説のタイトルに採用。だいぶ適当です。
さて、このまえ僕は、BOATのライブに一人で行ってきました。その日を最後に、メンバーの三人が脱退してしまうそうです。
最後の曲は、Thank You & Good-Byeでした。みんなニコニコ笑っていました。
この曲を聴きながら小説を書いていた去年の秋などを思い出してしまい、僕はちょっと、ほろりとしました。
――「ザ・スニーカー」12月号より
http://www.boiledeggs.com/nhk/nhkinfo.html
非常に重要な情報だと思うので、ここにコピーしておく。
注目すべきは、伝統的な避妊方法があるというところ。
ケニア国西部地域保健医療サービス向上プロジェクト
(提案型技術協力プロジェクト)
出産と子育ての人類学(2)
対称性の社会
http://www.hands.or.jp/pagesj/05_act_develop/past_activities/kenyaproteco/africanotes/notes2.html
避妊の伝統的技術
「私は、シングルマザー」と自己紹介する女性は、ケニアの都市部ではめずらしくない。しかし民族差が大きく、シングルマザーといえば、たいていはキクユ民族の人である。(グシイのひとにも少数いる。)
キクユにシングルマザーやストリートチルドレンが多いのは事実だ。その理由は、ケニアで最初に近代化の過程をたどった民族としてのキクユが、本来の伝統性の一部を失った結果と理解できる。ちなみに、HANDSキシイ事務所で最初に雇った秘書の女性もキクユの女性でシングルマザーだった。
ところで、伝統的なアフリカ社会では、若者どうしの性交渉が比較的自由であったにもかかわらず、結婚前の妊娠、出産はなかった。それは伝統的な避妊技術があったことを窺わせる。
ザイールのイトゥリの森の民を長年にわたって参与観察した社会人類学者コリン・ターンブルもそのような見解を提出している。
別の文化人類学者マリノフスキーは、パプアニューギニアのトリブアン諸島で長期参与観察をした結果、男女の若者の性的関係が自由に行われているのに、結婚前の女性の妊娠を一例も見なかったことを報告している。
『未開人の性生活』(新泉社、1971年)は、マリノフスキーによる文化人類学のまじめな研究書だが、一箇所だけ事実誤認がある。それは、住民が性行為と妊娠の関連性について知識がないとしている点である。
ターンブルは、マリノフスキーとライバル関係にあった学者の弟子にあたるが、アフリカの未開の民の知性の高さについては、敬意をはらって接している。アフリカやニューギニアにいまも存在する伝統的な避妊技術は、ほとんど解明されていない。
eufoniusの比翼の羽根、water clockのsmile、阿部真央のふりぃ、GO!GO!7188の眠りの浅瀬、最近聞いた音楽(最近といっても、数年単位だけど)では、こういうのが好きだった。ああ、あと、アガペー。円盤皇女の歌らしい。すでになくなってしまった人が歌っている。岡崎律子さんだったかな。それと、同名のアニメで使われていた青い花もよかったな。
忘れないうちに、メモをしておこうと思った。
昔は、好きな音楽は、スピッツとスネオヘアーと、いっておけば、だいたい網羅できるレベルだったのだが。(そういう意味では、ハチミツとクローバーのアニメは、信じられないくらい「わかってる」音楽のチョイスだった。挿入歌がスピッツでエンディングがスネオヘアーってどうなってるんだ!と思いました。)
あと、ドイツの女流詩人。ちょっと気になって調べてみた。
エルゼ・ラスカー=シューラー Else Lasker-Schuler (シューラーSchulerのuは、上にウムラウトがつく、「ウー・ウムラウト」です。)
ヒルデ・ドミーン Hilde Domin
インゲボルグ・バッハマン Ingeborg Bachmann
ユーリエ・シュラーダー Julie Schrader
下の二人が、ぼくは、好みなんじゃないかという気がするが、ちょっとわからないな。上ふたりは、詩があまりネットにのってなかったように思うから。
2013/01/13 血液型性格診断批判について、あとブーバキキ効果
血液型性格診断批判
血液型性格診断がまちがっているという話を、ぼくは昔に大学の心理学の授業で聞いたことがある。
ネットで読める、信頼性の高い情報をリンクとして集めておく。
広島修道大学人文学部助教授 中西 大輔 (NAKANISHI, Daisuke)さんのサイト。
血液型性格診断をやめよう、というページ。
http://www.remus.dti.ne.jp/~nakanisi/ketsueki/index.html
血液型性格診断が信頼できないかどうかを確かめるにはどうすればいいか?
適当な診断をして、それでも当たっているっていうかどうか試してみようぜ、とか、A型のものだと思われている性格を、B型のものだと偽って報告してみようぜ、というパターンがありますよね。
実際、そういうことをやった人は、何人かいるようなのですが、ここでは、作家の松岡圭祐さんを紹介します。
http://prw.kyodonews.jp/prwfile/release/M100155/200606175718/_prw_open.html
血液型と性格は関係があるか?
http://www.geocities.jp/kyotofushigiken/phenomena/bloodtype/
「血液型性格関連説」の問題点
http://maple.sub.jp/blood/archive/ethics.htm
血液型性格判断は疑似科学か?
http://maple.sub.jp/blood/archive/pseudo.htm
また、この件に関しては、バーナム効果も調べてみるとよいでしょう。
あと、これは、上の話とはまったく関係がないけれど、ブーバキキ効果というのも、かなり面白いと思います。
2013/01/12 カタリ派について、あといろいろ
カタリ派自身による現存する数少ない経典のひとつ、二元理論、あるいは、二原理の書、と呼ばれるもの、の第一部のまとめ。
イタリア人、ジョヴァンニ・ディ・ルジオの作と言われているらしい(原田武「異端カタリ派と転生」による)。
この原本では、John of Lugioが、もっともよく作者とみなされると書いてある。
The Book of the Two Principles の、 Part1. On Free Will をまとめた。
これは、英語で書かれているが、原文は英語ではない。つまり、英語に翻訳されたものを読んで、それを自分なりに要約したのが、以下の文章だ。
正直なところ、ぼくは、カタリ派の専門家でも、キリスト教や宗教学の専門家でもないので、学術的な引用には、まったくふさわしくないだろう。それでも、カタリ派について、たとえば創作のインスピレーションを得るためとか、だいたいあいまいで信用ならない形でいいので、カタリ派の文章の雰囲気をつかみたいという人もいるかと思うので、ここに公開する。
ネットにあがっている文章は、情報の信頼性ということから見ると、まさに噂話レベルであり、レポートや、自分の事実認識を形成するのには、まったくふさわしくないが、その認識のものでなら、公開する価値があるものだと思うので、ここに、これを書く。
第一部 自由意志について
(全編にわたって、旧約あるいは新約聖書からの引用が論証の根拠として使われている)
第一原理(唯一神、世界のあらゆる原因のようなものだと思う)だけではなく、もうひとつの原理があるだろう。
第一原理は、悪ではないはずだ、そうであれば、この世は悪しかないだろうから。ならば、第一原理は、善である。
神は、全知全能であり、正しく、聖なるものである。
だが、なぜ神は、はじまりからすべてを知っているのに(全知)、天使の堕天を黙って見ていたのか?(おそらく、ルシファーの堕天のことを指しているのだろう)
神が、天使にあたえた性質のせいで、堕天したのなら(神が天使を創ったのだから、その性質もあたえたと考えられる)、天使はそれを避けることなどできなかっただろう。
なぜなら、将来、天使を堕天させるすべての原因は、神の全知により、完全にあきらかであり、実際に神が天使を作ったやり方以外の方法は、神をよろこばせなかった(がゆえに神自身がそのやり方を選択したと考えられる)からだ。
しかし、なぜ、神は、悪を避けられないくらい不完全に天使を作ったのか?
その気になれば、違うように(悪を避けることができるように、堕天しないように)作ることができたはずではないか。
もし、たったひとつの原理しかないなら、この堕天を引き起こしたのは、第一原理たる(全知全能の)神によるもので、その行いが邪悪であることになる。しかし、それは受け入れがたい結論である。
【つまり、全知全能たる神が創った天使が堕天したということは、その原因は全ての結果を見通せるのに何もしなかった神にあると考えられるが、全知全能で正しく聖なる神が、そんなことをするとは考えられないので、別の原理の存在を考えるほうが理にかなっていると考えられるということ。 筆者補足】
しかし、この受け入れがたい結論に対して、それは、神が自由意志を天使にあたえたからだという反論がくるかもしれない。
自由意志があるから、感謝ができるのであり、天使の選択に対して神が感謝できるように、神は天使に自由意志をあたえたと、反対者(ここでは語り手であるカタリ派への反対者のこと)は言う。
しかし、感謝というのは、何かが満たされていなかったり、何かが欲しいときに、だれかの奉仕に対して好意を示す(show favorが原文だが、訳が不安)ことだ。しかし、それは、唯一にして善良、真性、正義かつ完全な第一原理のみが存在するとしたら、ありえないだろう。(完全なのだから、神はすべて満たされているので、感謝を要求する必要がないということか)
創世記の中で、被造物を神は滅ぼそうとするが、自分の作ったものを滅ぼすのは、善なる神にふさわしくない。むしろ、悪なる原理があるというほうが、よりありえそうである。
(善なる神が悪をなさないことについて、新約・旧約聖書から引用による証拠固めがあったあと)、自由意志によって神をよろこばすということはできない、つまり、わたしたちみずからの強さと力で善をなしたために、神がわたしたちを祝福することはない、なぜならば、すべての善は神からきているのだから、ということが述べられる。(ちょっとここらへんは不正確かもしれない)
だから、悪が神のつくりたもうた人々の中にあるなら、それは、神ではないほかのところからきている。
善しかない神が創造した人間も善であるから、悪の原理がよそからやってきたと考えるべき。
また、自由に善と悪を選べる自由意志があるなら、その悪の根源は神だろう。
全知全能にして善良な神は、天使を堕落させるようには作っていないはず。もし、被造物が、善なる神のみに作られたのであれば、自由意志による自由があっても、善なる方を選ぶはずで、悪をのぞむはずがない。
神をねたまぬくらいの完全さで天使を作ることができなかったという考えもあるが、それならば、神が天使たちに罰をあたえるのはおかしい。
以上が、簡単なまとめ。
全部で七部あるのだが、たぶん続かない…と思う。
原文は以下のページにて。
http://www.gnosis.org/library/cathar-two-principles.htm
ちょっとした追記。(2013年1月14日)
「異端カタリ派と転生」、原田武が参考文献。
モンセギュール。ここでの戦いにおいて、異端は火刑になるが、異端信仰を捨てればみな解散され、殺されることはないということが、和平交渉の結果、決まった。だというのに、二十人を上回る男女が、コンソラメントゥム(救慰礼)を受けて、ペルフェクティ(完全者、完徳者)になり、火刑に処せられた。これは、ぼくの心をうつエピソードである。
(カタリ派は、厳しい戒律を守るペルフェクティ、フランス語でパルフェ(訳語は、完徳者や完全者)と、そのまわりにいる、ゆるい戒律の帰依者がいる。前者が救われ、後者は、最終的に救われるまで、輪廻転生を繰り返し、悪しきこの世にとどまることになるという)
この本に出てきた、注目すべきと思われる人物。学者では、ルネ・ネッリ(Rene Nelli, 二番目のeの上には、アクサンテギュがつく)、渡邊昌美がいる。シオランや、シモーヌ・ヴェイユも哲学者というか、思想家として重要ではないか。章の冒頭の引用に出てきた、マリー・ノエルや、前世でカタリ派だった記憶を思い出したという事件に関係して、アーサー・ガーダムも。ガーダムの著書は、「霊の生まれ変わり」として、訳書が出ているそうだ。確か、この事件に関しては、ASIOS代表の本城さんが、自分のサイトの中で、批判的にあつかっていたような記憶がある。
新都社にあった面白いエロマンガ。
うん、たぶん、18禁Webマンガでいいんだと思うんだけど…。
なんか、感性が独特の二作品です。
ちん○はおやつにはいりますか?
http://neetz.h.fc2.com/
最初は下手な絵だと思った。でも、もしかしてけっこう上手いんじゃないかとあとで思った。
感情移入が人と機械を分かつと刑事は以下略
http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=5260
マンガの欄外コメントがうける。絵柄が好みかも…。
Google依存症の自覚
http://d.hatena.ne.jp/masudako/20110612/1307908788
だれかがWebに文書化したものしか見れず、質は玉石混交で、さらに検索上位にくるのは、リンクがたくさんはってあったりするものや、検索会社のアルゴリズム(あるいは意思)によって決められる、から、検索エンジンだけ使うのは危険だという部分に、共感・賛成。 ぼくも、Google依存である。もちろん、これは、紙の書籍にもいえる。
だれかが出版したものしか読めず、質は玉石混交で、さらに手にとりやすいものは、広告がたくさん使われたものや、出版社の力などによって決まるから、本をやたらに信用するのも危険だ。(だが、ネットよりも質がよいとされているのは、学術誌は、学者たちが自分たちでルールを作って、質をたもっていたり、さすがにひどい内容のものは普通の出版社でも、編集者によって訂正がなされたりしていると考えられているからだ。とはいえ、最近は、出版点数の増加で、ずさんな出版もあり(笠原敏雄さんのサイトの文章にあった)、そもそも出版社自体の傾向で、信頼できない本も出ていると、ぼくは思う)
http://ameblo.jp/k-on0225/entry-10976497163.html
http://profile.ameba.jp/toratoraion/
中二病とメンヘラについて。それでいいんだ、と肯定している。ぼくも、肯定する。
http://d.hatena.ne.jp/shimomurayoshiko/20120115/p3
【夢 ひとつ】ミラクル氏の話。絵柄が好き。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akashids/nihon/tanpouki/suenson.html#h
http://janjan.voicejapan.org/culture/0903/0903229958/1.php
ピダハン 抽象的言語を持たないという。
アナーキスト文献…見なければならないと思うが、整理できていない。
ハッザ、ナショナルジオグラフィックの記事、面白い。
アフリカ、避妊薬、コリン・ターンブル。
避妊率100%の方法が、伝統社会にはあるのかもしれないというお話。
http://www.hands.or.jp/pagesj/05_act_develop/past_activities/kenyaproteco/africanotes/notes2.html
http://www.minpaku.ac.jp/aboutus/dg/matsuzono/index
http://morogoro.exblog.jp/4121185
http://homepage3.nifty.com/kuuko0121/
シライシユウコさんの絵が、けっこうよい。
Deux enfoires a Saint-Tropez Film entier complet FR
http://www.youtube.com/watch?v=0ymuxSQaVRs&feature=player_embedded#!
http://news24vip.doorblog.jp/archives/21653376.html
ハッザ族について
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/
http://d.hatena.ne.jp/posada/20050101
https://twitter.com/johanne_DOXA
ヴォイニッチ手稿
http://againstcursedworld.blog.fc2.com/blog-entry-25.html