コロッケ王子
僕は大学校内のベンチに寝そべっていた。春めいた季節で、暖かな陽射しが快い。
僕は目を瞑っていた。次の授業はまだ先だ。僕は大学生という身分で、生を満喫していた。…いや、それは言いすぎかもしれない。ただ、僕は生きていた。そこに存在していたのだ…。
ふいに、誰かに肩を叩かれた。目を開けると、そこには氷上先輩がいた。氷上先輩は白いワンピースを着ていた。彼女はある種の妖精のように見えた。
「何してるの?」
氷上先輩は尋ねた。僕は体を起こして、彼女に向かった。
「寝てました」
僕は微笑した。どうしてだろう。憧れの先輩にいい格好でもしたかったのだろうか?
「良い季節だもんね」
そう言って、氷上先輩は手をおでこに当てて、太陽を眺めた。先輩の顔に影が形作られて、光と影が彼女の顔を二つに割った。僕は先輩を見ていた。
「寝るのが好きなの?」
「ええ。ここで寝るのが好きなんです」
僕は微笑んで、ベンチを軽く叩いた。それから、遠くグラウンドの方を見た。僕は口を開いた。
「この大学、何もないでしょ? …だだっ広い田舎の敷地に建物作って…田舎だから、土地が安かったんでしょうね。だから、どこにも行く所がない。それでも、寝るには心地よいですよ。田舎で、空気も美味しいですしね」
「そうね。丁度、私が入る前くらいに校舎がこっちに移ったのよね。学生には評判悪いみたいだけど」
氷上先輩は教材の入った透明なケースを持っていた。僕は声を掛けた。
「先輩、座ったらどうですか?」
先輩は横に首を振った。
「いいの。すぐ行くから」
僕は先輩の顔を見ていた。先輩の顔はツルツルとしていた。肌のケアをきちんとしているのだろう、と思った。
「ねえ、野上くん」
先輩はフッと顔を曇らせた。僕は表情の変化を敏感に察知した。
「はい」
「野上くん、大丈夫?」
先輩は真面目そうな顔で言った。僕は微笑した。
「え? 何がですか?」
「いや…そのちょっと、気になっただけだけど…野上くん、無理してない?」
「無理? 何がですか?」
僕は顔に微笑を張り付けていた。
「…いや、いいの。気のせいだったら、それでいいから」
氷上先輩は変な事を言った。全く、先輩は変な事を言うなあ、と僕は思った。
「もう行くね、私」
先輩は言った。僕はうなずいた。
「じゃあ、また、次、サークルで」
「うっす」
氷上先輩は歩いていった。彼女はどこかへ消えていった。目の前を去って、また違う場所へ。僕は彼女の姿が建物の影に隠れて見えなくなるまで、後ろ姿を見送った。
先輩の姿が消えるとなんだか僕は解放されたような気がした。「食堂にでも行ってみっか」 独り言を言うと、立ち上がった。昼の一時過ぎ。学食の定食は残っているだろう。
僕は歩き出した。そうして自分が何か確かな未来に向かっている気がしていた。自分は大学生で普通の生き方をしていて、おかしなところは何もない……そんな気がしていた。そういう気がしていた。
僕は、学食に辿り着いた。券売機の前まで来て、A定食にするか、B定食にするか悩んだ。その時、誰かに肩を叩かれた。振り返ったら、佐藤がいた。同じ学年、同じサークルだ。
「よう。野上、今からメシ?」
「ああ、うん」
「そっか。俺もなんだ。一緒に食おうぜ」
佐藤はそう言った。僕は微笑していた。券売機に向かい、A定食の食券を買った。僕は内心では一人で昼飯が食べれない事に苛立ちを感じていたが、佐藤の前ではそれは顔に出さないようにしようと、既に決意していた。
「お前、A定食か。俺はBにするぜ」
「へえ」
「だってBはコロッケあるだろ。Aはないじゃん」
「コロッケ目当てかよ」
「俺、コロッケ好きなんだよ。コロッケの国から生まれてきたんだ。コロッケの王子なんだよ、俺は」
「なんだそれ」
王子とそんな話をした。




