冬の来訪者
【第3章】
この年の冬に当たるフェースティンの月を迎えた。
オルハノコスの中央部では雪によって通行が困難になっていた。本来ならば北の方が雪の積もる地域なのだが、この年は数十年に一度の大雪に見舞われ、リーブルサイドも多くの冒険者たちで溢れかえっていた。
「はぁ~。」
何度目かのため息が聞こえる。広いホールで騒ぐ客たちによってその声は消されるが、隣にいる夫はそれに気づくたびに眉間に皺を寄せている。
「おいエゥバ。心配しても仕方ないだろ。あいつは大した奴だから、きっと姉に会えると祈ってやれ。」
半年以上前にここへ立ち寄った幼い少年。まだまだ幼い顔に大きな傷を持つその少年は姉を探しに西へと向かった。その少年の安否を、宿屋兼食堂の女将エゥバは気遣っているのだ。
するとエゥバは一睨みする。元戦士だけに凄みがある。
「あんたっ!どんなに凄い戦士でも、あの子はまだ子供なんだよ。それが慣れもしない長旅をして、病気にでもなっていないか心配だよ。」
途中までは勢いがあったが、病気という単語を発した途端にトーンダウンする。そしてまた深いため息を吐いた。
食堂を経営するだけに、そのため息は良くない。故にマスターは注意を試みるのだが、そう言う彼もまた心配していない訳ではなかった。すると、カウンターにいた戦士がグラスを飲み干して言う。
「マスターお替わり。どしたのねぇさん。元気ねぇな。」
そのグラスを受け取り、氷を入れてから瓶に入った蒸留酒を注いだ。
「ああ、ちょっと前にここを旅立った奴を心配してるんだ。」
そう言ってグラスを差し出す。戦士は2コイルをカウンター上に置いてそのグラスを受け取った。
「へぇ、そりゃあまた羨ましいねぇ。この宿の女将に愛されるたぁ、よっぽどの男前なのかい?」
ニヤつく戦士にマスターは肩をすくめた。
「いや、とっても可愛い奴だ。」
グラスに口付けていた戦士が噴き出しそうになった。
「ゲホッゲホッ・・・。おいおいマスター、その言い方はちょっと怪しいぜ。」
すると隣にいた男が言う。この周辺を冒険している狩人だ。リオンがバンデッドゴブリンを倒した現場にいた男である。
「いやいや、マスターが言うとおりだよ。何せ彼は12歳なんだからね。」
流石に戦士が目を丸くした。
「へぇ!まだ子供じゃないか。そんな子供が西に行ったのかい?またどうして。」
するとマスターがエゥバを横目に言葉を作った。
「何でも生き別れた姉を探して旅しているらしい。」
「おお~、そりゃあスゲェな。まだ子供だっていうのに、大したガキだぜ。」
「ガキってなんだい。」
戦士の言い方に機嫌を損ねたエゥバがギロッと睨んだ。その視線に戦士の男は慌てて手を振る。
「ああ、いやいや、言い間違えた。大したお子様だ。」
それを聞いてエゥバは再びため息を吐く。その様子に三人は肩を顰めるしかなかった。
「ところで、その姉って言うのが『シーニャ』って名前らしいんだが、聞いた事は無いか?」
マスターが戦士に問う。戦士の男は腕を組んで考え始めた。
「う~ん、シーニャねぇ。すまねぇが聞いた覚えはないな。」
「そうか・・・、すまないな。」
それまで訪ねてきたヒト達に問い続けてきたが、未だにそれらしき情報は得られていなかった。それもまた、エゥバを落ち込ませる原因となっていた。
「何とか会わせてやりてぇよなぁ。」
戦士がそう言うと、同時に扉が開いた。新たな客である。
雪を被ったマントを振う二人の旅人。そして二人はカウンターに歩いてくると、戦士の隣に空いている席に着く。そこでマントのフードを外した二人を見て、マスターは品よく声をかけた。
「ようこそ、いらっしゃいませ。当宿屋の店主でございます。お食事ですか?お泊りでしょうか?」
その身のこなしになったのは、相手が学者風だったからである。眼鏡をかけた若い男性を連れた少し年を重ねた女性。男はそれなりに戦いの経験があるようだが、女性は至って普通のヒトらしい。だが、その漂う気配は少し異質な感じだった。
「両方でお願いね。せっかくの旅で雪に困ってたのよ。ここに辿り着けて良かったわ。」
女性がにこやかに笑顔で語る。
「左様でしたか。では温まる物でも用意いたしましょう。」
「ええ。よろしくね。」
マスターはエゥバに視線を向けると、女将はスッと厨房へ入って行った。そしてマスターは宿帳に記名をお願いする。
「彼は私の警護役で、出来れば近くの部屋でお願いしたいわ。」
そう言いながらスラスラッとサインした。
「分かりました。丁度隣接するお部屋がございます。そちらをお使いいただきます。」
そして代金を受け取っている間に、エゥバがチーズの蕩けるトーストと、ビーフシチューを運んできて、二人の前に置いた。そして無言のままカウンター台に置くと、またさっきの場所に戻ってため息を吐いた。その態度に女性が首を傾げる。
「あ、すみません。ちょっと心配ごとがあって、ずっとああなんです。
お客様の前で失礼だと言ってるんですがあの様子でして…、どうぞ気にせずお召し上がり下さい。」
慌ててマスターが謝るが、女性の視線は変わらなかった。そして、
「う~ん、あまり気にし過ぎは良くないわね。病気になってしまうわよ。」
そう言って祈りを捧げ食事を始める女性。それを見てからメガネの男も食事を始めた。
「お気遣いありがとうございます。あ、食事中に話しかけてもよろしいでしょうか?」
「ええ。私、誰かと会話するのが好きなのよ。彼ったら無口だからね。」
マスターの問いに女性は笑みを浮かべた。そしてそのままシチューを一口食べて目を輝かせる。
「あら!とってもおいしいビーフシチューだわ。地元でもなかなか味わえない味。素晴らしい腕をお持ちね。」
「ありがとうございます。」
すっかり上機嫌のマスター。女性もまた舌鼓を打ちながら食事を進めた。
そんな中、またもエゥバがため息を漏らす。流石に目に余ったのか、眼鏡の男性がそちらへ厳しい視線を飛ばした。だが、
「セイル、誰だって落ち込む時はあります。そのような目をするものではありません。」
女性に言われて男性は瞳を伏せた。女性はそれを確かめてからマスターにニコッと笑った。
愛想笑いを送ったが、流石にマスターの方が恐縮してしまう。
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。ずっと注意をするのですが、一向に変わらなくて…。」
それに対して女性は興味深そうに尋ねた。
「もしよろしかったら聞かせて頂いてもいいかしら?」
流石に失礼続きな為、マスターは一度渋るような表情を見せてから事情を話し始めた。
「実を申しますと、もう半年以上前でしょうか。この街にある少年が現れたのです。」
「へぇ~、少年がぁ。」
とろとろのチーズが糸引くトーストを千切り、口に運びながら聞く女性。流石に食事中の女性に血生臭い話はできないので、言葉に気をつけながら話を進める。
「ええ。何でも西の漁師村で育ったらしいのですが、ある日船から海に投げ出されたらしいのです。」
女性は興味深そうに咀嚼しながら聞き入る。それを確かめてマスターは続ける。
「そして少年はある島に漂流しました。どこと思います?」
そこで話を区切る。礼節上仕方なく情報を与えているが、基本、こうした酒場は情報が一番高値で売れるのだ。こちらの失態と言えど、そう簡単に何もかも話すわけにはいかない。だからこそ逆にこちらも女性がどのような知識を持っているかを探ってみた。すると、
「そうね。西って言えばポトラマが思い浮かぶけど、あそこでヒトが流れ着いたって話は聞いたことないわ。さて、どこかしら?すごく気になるわねぇ…。
サァ、そろそろ話を続けていただけるかしら?」
そう言ってマスターに催促する女性。この瞬間、マスターはこの女性が話術に長けていると見抜いた。言葉を巧みに操る中、最小限の情報を晒して上手く次へと促す。その差し出された情報から、この女性がポトラマと深い関わりがあると分かった。つまり、その町にある隠密ギルドに関与しているかもしれないのだ。
そう思えたマスターは、シーニャの情報を得るためにより詳しく話しても良いと判断した。
「ええ。信じがたいことですが、少年はノナグレシー島に漂流したんですよ。」
その言葉に眼鏡の男性も手を止めた。その隣で聞いていた戦士もまた、グラスを落としかける。
「あははは、それはちょっと信じられないわ。だってあそこには―」
「レッドドラゴンがいます。」
笑う女性の言葉を遮り、マスターはニンマリとして話した。それに圧されてか、女性は黙って耳を澄ます。
「ご存知のとおり、あそこには決して踏み入ってはならないと我々に伝えたレッドドラゴンがいます。だから、人の子供が入れば無事で済むはずはない。…誰もが考えうることです。」
そこで言葉を止め、マスターは女性たちのグラスに水を汲む。そして自らも喉を潤すために水を口に含んだ。
「でも、少年は言いました。僕はレッドドラゴンに鍛えられ、そして色々と教えてもらったと。」
女性の手が止まってしまった。それは信じられないといった視線がこちらに向けられているからだ。
その横で戦士も、今にも零しそうなくらいにグラスを傾けて動かなくなっていた。一方、眼鏡の男性は黙々と食事を続けていたが。
「俄かには信じられないでしょう。それは私も同じでした。でも、彼の不思議な雰囲気はそれを信じさせるものがありました。そしてもう一つ。彼が現れた時、この街に亜人たちが攻めてきたのです。」
そしてマスターは狩人に目を向けた。その視線に気づいて狩人は仕方なさそうに顔を向けた。
「その時、戦場にいたので俺が話しますよ。先に200匹のゴブリン。後にバンデッドゴブリンと20匹のゴブリンがいました。ゴブリンならいざ知らず、バンデッドはその時の我々では犠牲者を覚悟していました。そんな時、彼が現れて一方的に亜人たちを倒してしまったんです。」
もう、驚くという表情を通り越して、女性も戦士も口を開けたままになっていた。言葉を出そうにも、その状況にいたと言うのだから信じないわけにもいかなかった。でも、その言葉を否定するヒトもいた。
「フー、ごちそうさまでした。美味しい料理と共に愉快なお話。サービスの行き届いた所ですね。」
眼鏡の男性、『セイル』と呼ばれた男がそう言った。その言葉に狩人が目を向ける。
「それは俺の話が嘘だということかい?」
「ええ。有り得ないでしょう。幼い少年がドラゴンに育てられ、そしてバンデッドゴブリンをソロで倒したなんて。あまりにも現実離れしすぎている。」
あざ笑うような口調。それに気を悪くした狩人が殺気を込めた。
「俺は嘘偽りは嫌いでね。何なら証明してもいいのだが?」
交錯する視線。同時に殺気が漂い始めた中、女性とマスターがそれぞれを止めた。
「セイル!よしなさい。あなたは失礼過ぎですよ。」
「おい、ここで殺気は厳禁だぞ。」
互いに止められて視線を外す。そして女性が慌てた様子でにこやかに笑った。
「ごめんなさいね。せっかくのお話を。でも、正直にわかには信じ難いですわね。
そんな子供の話、今まで聞いたこともありませんもの。」
「そりゃあそうでしょう。彼の言う話では昨年から旅を始め、その時はまだ半年程度しか経っていませんでした。それからこの宿に泊まって、あくる日には西へ向かいました。
あれから半年近く。今頃はロブ平野辺りじゃないですかね?」
それを聞いてエゥバがすすり泣き始めた。
「ああ~、おいエゥバ。酒を飲む所でしんみりしちまうから奥に行け。」
「どうしたの?彼女。」
急に泣き出した事でまたも驚きの目でエゥバを見る女性。マスターが後頭部を掻きながら答える。
「いやぁ、その少年を我が子みたいに気にいっちゃいましてね。それから心配のあまりにため息や泣き出す始末なんですよ。申し訳ありません。」
すると女性は首を振った。
「いいえ。女性であれば当然です。戦いのことはどうあれ、そんな年端もいかない少年が長い旅を続けると聞けば、応援したいという気持ちは当然です。私も無事に旅を終えられるようお祈りいたしますわ。」
慈悲深い言葉。それを聞いてエゥバが涙目で女性の前に駆け寄った。
「分がっでぐれるのがい~!あんだ、良いヒトだぁ~。」
両手を胸の前で合わせるエゥバ。喜んでいるが、彼女の泣き顔はまた迫力がある。流石に女性も苦笑していた。
「ほらエゥバ。食事の邪魔だから下がっていろ。」
そう言われてエゥバは厨房へと入っていく。そしてマスターが深く息を吐くと、女性は更に興味深そうに問うた。
「ところでその少年は村に帰る為に旅しているのかしら?」
「ああ、そうでした。彼の旅の目的なのですが、ここでお願いといいますか、我々も情報を集めているのです。」
「情報?…どういった内容かしら。」
不思議そうな顔を向けた女性はまずは聞いてみようと先を促す。もちろん、出来るだけ協力しようと思いながら。
「実はその少年は生き別れの姉を探しているのです。」
「お姉さん?」
眉をひそめる女性。マスターは頷き、言葉を続けた。
「さっき言った船から落ちたというのも、何でも…あ!話に夢中になり過ぎました。冷めてしまわない内におあがりください。」
先程まで熱い湯気を漂わせたシチュー皿が冷めかけたことに気付き、ひとまず食事を終わらせてからという事にした。
そして数分後、食事を終えた女性の前に、エゥバが飲み物を持って現れた。
「どうぞ。あたいの奢りだから。」
そう言って置いたカップからは少しのアルコールと果実の香りが漂う紅茶だった。
「あんたも力を貸してもらうからね。」
さっきの言葉が聞こえていたが、連れに出している以上は仕方なくだがセイルにもカップを出す。それを眼鏡の男性は会釈を持って受けた。
二人がカップに口付ける。アルコールは寒い所で体を温めてくれる。しかしそんなアルコール臭を感じさせないように、果実のさわやかな香りがすっきりしていて女性はその味に感動した。
「すごく美味しいお茶ですね。先ほどの料理も美味しかったですわ。」
「私も同意です。感服いたしました。」
二人の絶賛にマスターやエゥバはおろか、狩人も毒気を抜いた。
「ありがと。さて、それじゃあさっきのリオンの話を続けるけど。」
そう言った時、女性が不思議そうな顔をした。
「リオン?」
「あ、その少年の名前です。」
マスターが説明した。そして続けてさっきの話を語り始めた。
「少し血生臭い話になりますがご了承を…。
かつてリオンはある島の漁師村にいたらしいのです。そこで拾われて、年の離れた姉のような子と暮らしていた。で、その島にゴブリンが押し寄せ、二人だけを残して全滅してしまい、残った二人は何とか生活をしていたらしいんです。
そんな二人の島に冒険者が現れ、近くの町に連れて行って貰っていた所、嵐で船から落とされたリオンは、そのまま漂流してしまったらしいのです。
そして辿り着いたのが…、先ほど言ったノナグレシー島だったわけです。そんな彼の目的は生き別れた姉と会うことなのです。」
そうマスターが言い終わると、女性は慌ててセイルに目を向けた。先程までと違った厳しい目をしてセイルが頷くと、女性が尋ねた。
「その姉の名をお聞きですか?」
「シーニャと言ってました。」
「やっぱり!」
女性が驚き呟く。その言葉を聞き逃す二人ではなかった。
「えっ!あ、あんた知ってんのかい?」
エゥバが身を乗り出す。同時にマスターも前傾姿勢になった。その勢いに身を退いた女性だが、改めて座りなおすと、二度ほど首を縦に降った。
「お話の限り、間違いはないと思います。…このような偶然が本当にあるのですね。
その話の少女…いえ、今はもう立派な女性となったシーニャは元気にしてますよ。」
にこやかな笑顔で答える女性。その事実に聞いていた一同は最近で一番の驚きを得たのだった。
「シーニャは今、私『ネビュル・ヒスリナ』が養子として引き取っています。」
頬に皺がよるくらいに満面の笑顔を見せながら、ネビュルは告げた。
女性が名乗ったことで、改めて帳簿を確認するマスター。そして彼は自分のミスに歯噛みした。何でこんな有名人に気付かないのだと。
『ネビュル・ヒスリナ』―世界中に支所を持つ『世界医学連盟』の役員で、最高の医療研究施設である医療学院の教授。医療学院長ヒュナンの秘蔵っ子と呼ばれるほど高い知識と、天才的な外科手術を行い、その手術の腕は大陸一と言われている。
よく手術の出張に向かわされると聞いているが、その途中でここに寄ったのだろう。そうマスターは考えたが、実に偶然の賜物である。
「やっぱりという事は、その子もリオンを探してるのかい?」
エゥバが尋ねる。だけど、それについては否定の返事だった。
「いえ。すでに彼女は気持ちを切り替えています。」
その言葉に一瞬エゥバが「そんな薄情な!」と呟いて怒りを見せた。
しかし、ネビュルが先にそれを諭す。
「ごめんなさい。これには訳があって、私がそう言い聞かせてしまったの。」
「?どういうことですか。」
固まるエゥバを手で制止ながらマスターは尋ねた。
「ええ、それには少し語らなければなりません。…あの子たちの事をおいそれ言うモノではないのでしょうが、お互い彼女たちを知る者として情報を擦り合せるためにも仕方ありませんね。」
隣に座るセイルに視線を投げかけた。その問いかけに男性は目を伏せて軽く頷くだけだった。それを承諾と受け取り、女性は語り始める。
「彼女を初めて見た時、とても普通の精神状態ではありませんでした…。とある組織と申しておきましょう。そこで彼女と会った私は、とても美しく儚げな姿に不安を抱いたのです。それで何気なくお話ししたのですけど、そこで彼女が言ったのがこの一言でした。
『私は弟を殺しにした罪悪人です。』と。」
それを聞いてエゥバが顔をしかめた。
「彼女と会ったのは確かあの子が17歳の頃。女性として一番夢に向かって華やいでいく時期なのに、あの子は罪の意識に囚われていました。
その組織は彼女を死なさないようにしてくれていたのですが、目を離した隙に刃物を持とうとするため、常に見張られていたようです。」
そこでマスターが質問する。
「ちょっといいですか?その組織とシーニャは深く関係してたんですか?リオンと一緒ならば到底知り合いとは思えないが…?」
普通に考えて、組織(マスターは隠密ギルドと推定)が赤の他人に手解きをするとは思えない。その組織が教会などの救済組織であれば別だが、そうでなければ特別な事情があると思った。
「その辺りはご想像にお任せします。ただ、彼女はとても優秀で頭がいい子です。
そこで与えられた仕事はきちんとこなす…としたら放っておきますか?」
十分な回答だった。人材不足はどこも同じ。マスターも優秀な者がいたら何が何でも残しておくだろう。かつてリオンを居させようとした理由の一つもこれである。
そして話は続く。
「それから私は事情を聴きました。
ペシャルカトルという島に住んでいて、突然のゴブリンの強襲に弟と二人だけが残った。
そして何とか弟を守ろうと、二人で村人たちの墓を作り、村を清掃し、そして二人で魚釣りや木の実採取しながら生きてきた。
そんなある日に冒険者と名乗る人たちがやって来て、また襲われてはいけないからと町へ連れて行ってくれることになった。
船で数日後、嵐に遭い弟が海へ投げ出された。助けようと身を乗り出した所を止められ、そのまま船が遠ざかってしまった。
もちろん抗議したみたいだけど、色々と説得されたみたい。その中にもしかしたら別の船で拾われてるかもと言われて、そのままポトラマに船は着いたらしいわ。
でも、ご存知のように彼の姿はどこにもなかった…。」
そこでネビュルは喉を潤した。彼女にしても、その話は悲し過ぎる。
それに、あの時のシーニャの姿はもう二度と思い出したくないものだ。
「それから、冒険者たちによって教会の保護を求めたらしいけど、シーニャは年齢的にすでに保護対象外。受け入れてもらえず、気付いたら冒険者たちは消えていたらしいわ。」
「何だよそれ!ヒデェ奴らだな。」
隣の戦士が言う。同意して頷いた後、ネビュルは続きを語る。
「そして街中で蹲ってた所を、どこかに連れて行かれそうになったらしいわ。
失意にいたシーニャは何もわからず、考えられないままに付いて行く最中、さっき言った組織のヒトに保護されたわけよ。何でも、その組織のヒトが言うには奴隷商人だったみたいね。」
流石に聞いていた皆が冷や汗をかいた。この世界には身分制度があり、奴隷という地位は存在する。ましてやうら若き少女が奴隷などに連れ去られたら、どんな酷い目に遭うかは誰もが容易に想像できた。
「その人がシーニャを救い、そのまま組織で引き取ったらしいの。ついでに何か分からないかを調べるからその分働くのを条件にね。
調べてくれるという言葉に、彼女は一生懸命働いたみたい。でも、何も情報は得られず一年が過ぎて、すっかり期待を失くした所で私たちは会ったのよ。」
「私たち?」
マスターがあえて聞く。するとネビュルがハッとした。が、別に隠す事でもないと思い直し、肩を落しながら言った。
「流石にマスターは目聡いわね。いえ、耳聡いというのかしら?・・・、もう私の事はご承知みたいだから言うけど、わが師と一緒だったのよ。」
その言葉にマスターはビクッとした。周囲の者は「誰?」という顔をしてるが、マスターにすればネビュルの師とは一人しかいない。
世界の医師から尊敬される医療学院の学長『ヒュナン・ブルティネス』だ。ネビュルはヒュナンの自慢の教え子である故に、旅では必ず傍に居させたと聞いている。
「続けるわ。私は何とか勇気づけてあげたいと思った。そんな中で、先生がシーニャに言ったの。
『貴女が死んで、弟さんは嬉しいでしょうか?』って。
次に
『貴女の哀しむ姿を、弟さんは願うでしょうか?』
続けて、
『貴女が死ぬと、何より貴女を慕った弟さんもこの世界から消えてしまうのですよ。』と。
それを聞いてシーニャが初めて生気ある瞳を見せ、大声を上げて泣き出したの。思わず私は抱き締めてたわ。」
思い出し、涙が込み上げてそっと拭う。ふと前を見れば、エゥバが号泣していた。そのしわくちゃで大量の涙に濡れたその姿に、何故か悲しみが薄れて話を続けられるという事実は内緒にしておこう…。
「そしてその組織から彼女を引き取って、私の養子にしたの。それから彼女は私の近くで色んな知識を得て、医療の道を進みたいと言ったわ。」
そこまで言うと、マスターも理解できたらしい。
「それじゃあ、今は医療学院に?」
「ええ。医療学院で勉強に励んでますよ。しかも彼女、歴代最高成績で昇級しているから、もうすぐ飛び級で卒業するかもしれないわね。」
それを聞いてセイルが注意する。
「ネビュル様、それはっ!」
慌てて口を押えるネビュル。だが、余り気にしていないようだった。
「あらあら私ったら、娘の事だからついつい口が緩んじゃうのよねぇ。でも、これではっきりした訳ね。」
マスターと視線が交錯する。
「ええ。まず間違いないでしょう。二人は生きていたんだ。これほど喜ばしい事はありませんね。」
マスターも薄ら涙を浮かべる。その横では遂に立っていられなくなったエゥバが蹲って号泣していた。
あくる朝、昨日までの天候が嘘の様に晴れ渡っていた。ネビュル達はエゥバの腕を振るった豪勢な朝食を頂いた後、街入口にある馬車へと乗り込む。馬車は定期的にリーブルサイドから南の町『エンブリオ』まで走る急行型で、小型ながら丈夫な作りをしており、全体を木や鉄で作られた豪奢な馬車である。
普通は16日は掛かる距離を半分の8日で走りきるほどの速度を有している。
「ここまで見送っていただいてすみません。」
ネビュルが言う。その横でセイルが会釈した。
「とんでもない。我々が欲した情報をありがとうございました。どうか帰ったら、シーニャにリオンが生きてることを伝えてあげてください。」
マスターが言う。
「ええ、勿論。あの子の喜ぶ顔が楽しみですわ。」
「こっちも、リオンが来たらきちんと伝えるから。待ってるように言ってね。」
こちらはエゥバの声。もうため息を吐くことも忘れた様に生き生きとした顔だった。
「ええ。私もお会いしてみたいもの。あ、シーニャの弟なら、私の子供になるのかしらね。」
途端、エゥバが不機嫌な顔をする。
「リオンは、あたいが先だよ!」
何気に取りあおうとする妻を宥めながら、マスターは挨拶をした。
「それではお気をつけて。ご無事をお祈りしております。」
「ありがとう。そして私も祈りますよ。生き別れた姉弟がまた会えることを。」
「ええ。私もです。」
そうして馬車の扉が占められ、馬車は発車した。徐々に速度を上げる馬車は、直にリーブルサイドが見えなくなるほどの速度だった。
「良い土産話が出来たわね。」
馬車の中で語りかける女性。その付添いの男は難しい顔をしたままだった。
「・・・で、本当に言うつもりですか?あのような与太話を?」
セイルは未だにドラゴンの事を疑っていた。その一方で、
「そうねぇ。でも、どうやら本当にリオンみたいだからシーニャが喜ぶはずだもの。…あ、もしかしてヤキモチ?」
急に頬を染めるセイル。丁度先日、交際を申し込んだことは極秘なのだが、流石に義母には話してしまったらしい。
「ふふふ、良いわねぇ若いって。でも、だめよ。断られたからって意地悪しちゃ。」
「分かってます。俺だって彼女を喜ばせてあげたいですから。」
「ふふふ、いい子ね。手術も無事終わったし、待ち遠しいわね。早く着かないかしら?」
愛嬌たっぷりに微笑むネビュルは最高の気分で馬車に揺られるのだった。
光天歴981年。新しき年を迎えたブルームの月初めは世界中の何処も彼処もが新年を祝う。
寒いダーマンの月を耐え、ようやく温かな時期を迎えた喜びを皆で祝うのだが、全てがそう喜ばしいとは限らない。
亜人にとっては暦は特に関係ないし、それは動物たちも同じだ。全てはヒトが勝手に騒いでいるだけ。
だから逆に言えば隙だらけとなるこの時期だ。ゴブリンたちはようやく退いた寒さに活動を開始し、オルハノコス北西部はこれからゴブリンとヒトの戦いがしばらく続く。
道を行く旅人も運がなければゴブリンに襲われ、命があれば良い方だ。この時期のゴブリンは空腹による凶暴さが増しており、限界を超えると仲間同士で殺し合って空腹を紛らわそうとする。そうなればヒトなど食料にしか見えない。
そんな亜人の魔手から国民や旅するヒト達を守るため、この国には至る場所に兵舎が建てられている。『バトリスク王国』というこの国は何かと戦いに侵されることが多い国だった。南は大陸続きだが、他の方位は海や湾に囲まれている。一見攻められ難いようであるが、歴史的には海外からの侵攻を受けた記述もある。
そしてこの大陸では、ゴブリンが最も生息している地域なのである。それは森林が多いためであり、亜人たちは隠れやすい。その一方で野生動物も多く、狩場としても良い場所である。
そんな地を少年は進んでいた。
ウインダーマイルを過ぎて、段々と雪が積もっていた。いつもよりも歩幅は小さくなり、体も寒さで思い通りに動かない。最初は初めて見る雪に感激したリオンであったが、次第にその寒さは彼を痛めつけていた。
いくらリオンがドラゴンに鍛えられたと言ってもやはりヒトの子である。この世界にも病気はある。段々と歩を進めて行くが、次第に体が熱を帯び、怠さを感じだしていた。
「あれ?何でこんな…。」
低体温症という病気に体験の無いリオンだからこそ、その体調が病気に侵されているとは気付かなかったのだろう。次第に息は切れ、数日後には身動きが取れなくなっていた。
(どうしたんだろう・・・?何か体が痺れて眠い…)
そう感じてからリオンは意識を失ってしまった。