咆哮
「それは蒼い流星のように現れた。」
ウインダーマイルの防壁でそれを監視していた兵士はそう語る。
突然前触れも無く湧いて出た亜人の群れ。数はおよそ2,000を超える。所々でバンデッドゴブリンの巨体が確認できた。
すでに町には避難警報が発令され、住民は世界図書館へと避難している。だが、街の兵士1,500名ではとても防ぎきれそうにない。
街に滞在する冒険者たちに協力を促している一方で、近隣の『バトリスク共和国』駐在兵所へ連絡を入れたが、到着は早くても2日後だ。
厚く高硬度である黒レンガの防壁は、そう易々と壊されはしないだろう。
だがあれだけのバンデッドゴブリンが一斉に押し寄せると、壁門は易々と突破されてしまうだろう。そのためには防壁の上から矢を射ったり、石などを落して侵攻を抑えるしかない。
「いいか、よぉく引き付けてから放てよ。奴らに威嚇は通用せん。確実に倒すんだ。」
指揮官が叫ぶ。しかし今まで見た事も無い大軍を前に、兵士たちの士気は低い。なにぶん今まで戦闘らしい戦闘などほとんどした事の無い者ばかりだからだ。ウインダーマイルは不可侵の土地。それ故町の中の警備や争いの仲裁はしても、集団戦闘の経験はほぼ無いに等しい。あっても近くにゴブリンの群れが現れたので討伐に行く位だ。だから、今まで見た事も無い軍勢を前に、兵士たちは怯えを感じていた。
そんな中、数キロ先を押し寄せる黒い大軍に異常が発生した。黒い軍団の後方から蒼い光が凄い勢いで追ってくる。そのまま光は突入すると、亜人が次々に弾き飛ばされていく。まるで黒を切り裂くように進むその光は群れの中ほどで止まる。そこから大量に黒い霧が発生しては消え、次第に草原の色が見えてくる。それは明らかにゴブリンの軍勢を薙ぎ倒していた。
「何者だ?」
その状況に目を疑う指揮官。他の兵も驚きの目を向ける中、ゴブリンの進軍は止まり、中央に向かって押し寄せ始めた。
ランスを突き出す。その鈍重な形状からは想像し難いほどの速さで迫り来るゴブリンを貫く。その鋭さ故に後方にいるゴブリンも巻き込み、一突きで3匹を屠る。
そのランスを直ぐに引き寄せ、その勢いに乗せながらランスを右側へ払うように広げる。
普通のランスは円錐の形をしているが、リオンのランスは剣の形をしている。そのため『斬る』という攻撃を可能としており、横にいたゴブリン5匹の首や腕を断ち切っていく。同時に左手のラージシールドは底側の縁が刃のように鋭い。右腕を払うと体もまた回転し、左腕を広げることで両手による回転斬りが可能だ。
瞬く間にゴブリンの屍が出来上がり、少しして黒い霧となって霧散する。
そこに更なるゴブリンが襲い掛かるが、リオンは数匹をまとめて切り殺す。その背後からも襲い掛かるが、まるで後ろも見えているように振り下ろされる斧を躱したり、突き込まれる槍の穂先を避ける。
そして彼は絶対に止まらない。足を止めることは、相手に狙いを付けさせることになる。狙いというのは弓矢だけの話ではない。魔法の可能性もある。
ゴブリンにも魔法が使える者がおり、『シャーマン』という存在がそれに当たる。その者はゴブリンたちの中では特別な存在らしく、彼らの信仰する悪魔信仰『デュリュヴ』の司祭的な役割を持つ。
その『言葉』などを聞く役目を持つらしいが、実際に聞いているかは定かでない。だが、悪魔と話している為か低レベルながら魔法を使うことが出来るのである。
悪魔の得意魔法は『破壊魔法』。敵を攻撃するための魔法で、その破壊力は侮りがたい。最もゴブリンの魔力ならば知れているが、この集団内に複数いることも考えられる。そうなれば、数名の魔法を一斉にかけられると厄介だ。
そんな魔法を避けるため、リオンは動く。『範囲魔法』のように一帯を攻撃するなら別だが、未だ残る数と、こうした混戦状態ならばその心配はないだろう。もし撃つとしても個人対象のはずだ。しかし狙いを定めなければ魔法は当たらない。だからこそ動くのだ。
迫り来るゴブリンを倒していく。すでにどれくらい倒したかは覚えていない。
自分がすることはこの亜人の集団を殲滅することだから、いちいち数えなくてもいなくなれば完了だ。そう思いながらランスで突く。入れ違いに迫る剣先を盾でいなしながら、引いたランスを再び突き入れる。鋭い突きは変わらず、ゴブリンの着込む鉄の鎧など簡単に貫いてしまう。
倒せばまた体を捻りながら後方に向き、今度は盾で相手を押し返す。盾は身を守るだけでなく、相手を『打つ』ことも出来る。しかもリオンの盾は大きく、レッドドラゴンによって異常な力を有する彼は、同じくらいの身長のゴブリンを弾き飛ばす事は容易だ。もろに衝撃を受けたゴブリンはその圧力によって体を潰される。そしてそのまま後方へと弾き飛ばされ、後方に続く仲間を巻き込む。
やがてリオンの前に巨大なゴブリンが迫った。強靭な肉体を持つ凶暴なバンデッドゴブリンである。
だが知能はそれほど高くない。そう教わっているリオンは一気に仕留めず、その攻撃を避けながらゴブリンを駆逐していく。当たらないことに業を煮やしたバンデッドゴブリンは怒りに我を忘れ、更に力を込めた大ぶりの攻撃を繰り出してくるが、そこがリオンの作戦だった。
巨体で暴れるため、周囲のゴブリンを巻き込んでいくのである。太く強力な腕は周囲を薙ぎ払い、中にはゴブリンを掴んで投げてくることもある。だが、いずれの攻撃をも上手く躱すことで、敵の数は自然と減っていく。
流石にゴブリンも巻き込まれぬように引いた。間が出来てバンデッドゴブリンが攻め寄せて来るが、リオンはその股の間や隙間を駆け抜けながら、ランスを構えて『突進』する。狙うはゴブリンの群れだ。
わずか30体のバンデッドゴブリンならば、後で十分対応できる。それより今はゴブリンの数を減らすことが優先だ。特にホブゴブリンはヒトの手に余るだろう。
ゴブリンよりも大きい身体に鎧を着込み、防御力は高い。そして集団攻撃は街に対して脅威になってしまう。ましてや奴らが逃げ出した時、ミューたちキャラバン隊が無事切り抜けられる可能性は低い。だから少しでも数を減らすことが必要だった。
助走を必要とする突進は、リオンにとって最大の攻撃力を有する。
僅かな間が発生すると、ランスを前方に構え、それに盾を添える。後は全力で走るだけだ。
強靭な肉体から繰り出すスピードを乗せると、ランスに限らずその体に触れただけで弾き飛ばしてしまう。添えた盾も斬り裂き、走り去った跡には屍だけが残された。
そしてまた構えを解くと同時に、両手を左右に広げる。駆け抜けた突進力を利用して回転切りのまま進む。ランスと盾が触れる者を斬り、やがてリオンは一回転してから盾を前に構える。体を回して回転斬りを行い、周囲を倒すほか、瞬時に戦況を確認する。
今度はホブゴブリン達の只中だった。間髪入れずにランスを繰り出して目の前のホブゴブリンを仕留める。リオンにとっては、的が大きくなっただけで脅威とはならなかった。
突然現れたたった一人の小さなヒトの児。殺されにわざわざ来たと笑いものにしていた亜人たちであったが、その余りの強さに集団は恐怖を抱き始めていた。
「おい、もう半分は倒してんじゃないのか?」
防壁の上で兵士たちは唖然とした顔で呟く。その返答は与えられないが、皆が同じような顔をしていた。
先ほど押し迫っていた亜人の群れは、今やその規模を随分と減らしていた。未だに巨体は健在だが、その巨体が暴れてゴブリンを潰していく。しかも足もとのゴブリンを持ち上げては投げるバンデッドゴブリン。だが、当てるべき的は動いているのだ。
投げられたゴブリンは正確に狙って投げられているわけでないため、途中で地面に墜落するか仲間に衝突して終わる。つまり同士討ちになっている。それが数を減らす原因でもあった。
「このままだったら助かるかもしれないな。」
そんな安堵の声が漏れ始めた時、彼らは東の果てに土煙が立っているのを見た。やがてそれが北の方へと広がると、いくつかの馬車が疾走しているのが分かった。
「何だ?」
指揮官の呟きに、近くにいた兵士が望遠筒で確認する。
「キャラバン隊のようです。」
「こんな時にか?!」
そう言うと、馬車たちは大きく迂回しながらこちらへと向かって来ていた。
「どうやら逃げ込もうとしているようだな…、だが。」
指揮官は門兵に通達する。
「一旦前で待たせろ。確認でき次第中へ入らせてやれ。」
返事を受け、目の前の戦場とキャラバン隊の行動を目視する。全く素性の分からない戦士が亜人を撃退している。その合間にやってくるキャラバン隊。どう見ても逃げようとしているのは分かる。だが、一つの間違いが街全体に被害を与える。それには酷なようだが、確認する必要があった。
そしてキャラバン隊は大きく戦場を迂回して防壁の近くを南下する。そんな彼らの行動に気付いたゴブリンたちが矢を放ってくるが、幸いにも人的被害は無かった。でも、数匹のゴブリンがその後を追う。キャラバン隊は更に速度を上げた。
やがてキャラバン隊が壁門に辿り着く時、先を走っていた護衛の兵士が門を開ける様に叫んだ。
「我らはキャラバン西風商団。至急開門を願う。」
馬車が辿り着き、門の前で立ち往生する一行は口々に開門を願う。後ろには護衛兵たちが迫るゴブリンたちに警戒していた。
壁門の上から兵士が確認証を求める。それに応じて団長が文字を書き込んだ羊皮紙を掲げる。
「確認しました。」
そう兵士が指揮官に確認を伝えると、壁門が開かれた。開いた隙間を馬車が次々に駆けこむ。その間にもゴブリン数体が押し寄せるが、防壁上から矢が放たれ、ゴブリンたちは倒された。
これによって西風商談一行は無事に難を逃れられたのだった。
「うん、どうやらみんな町に入れたみたいだね。」
戦いながら、しっかりミューたちの動向を確認していたリオンは、今も盾でゴブリンを叩きつけながら、ようやく胸中で安堵を覚えた。
「それじゃあそろそろやっつけちゃおう。」
そう呟くとリオンは大きく息を吸い込む。そして囲まれたまま叫び声を上げた。
それはとても幼いヒトの子が出す様な声ではなかった。
威圧的で圧倒的な存在感を持ち、聞く者の全身を恐怖で埋め尽くさんばかりの声。
それは叫びというより周辺に轟く『咆哮』であった。
その声にゴブリンは凍りついたように動きを止めた。
ゴブリンやホブゴブリンはおろか、恐怖に対して愚鈍なバンデッドゴブリンすらも動けない状態になる。そして、その声を聞いた防壁上の兵士や指揮官、その街の中にいる人々にさえ恐怖を覚えさせた。
それは竜の力。レッドドラゴンに与えられた『竜の如き圧倒的能力』を解放するための秘術。
咆哮はそのための呪文であった。
リオンの瞳が金色に輝く。その目を走る深い傷痕が紅く輝いた。同時に蒼銀の鎧が美しく輝き、その背にそれまで無かった蒼銀の翼が生えると、大きく羽ばたいた。その羽ばたきに周囲のゴブリンたちは後方に吹き飛ばされる。
その恐るべき存在感を離れた場所に関わらず、防壁上の誰もが畏怖された。その姿は未だに目視できない。しかし、よくやく視認できたその蒼銀に輝く光から目を逸らすことが出来ない。只々恐れおののくのみである。そして光が動いた。
「じゃ、終わりにするよ。」
そう呟くリオン。右手のランスにも光が纏い、その光が刃を覆う。そして軽く振り払うと、閃光が伸びて半径50メートルの亜人たちが霧散した。
死体になることも無く消え失せたゴブリン達。その状況にゴブリンたちが戦慄し、ようやく逃げ始めた。それはもう普通の状況では無かった。
悍ましいほどの悲鳴をあげて逃げ惑うゴブリン。普段であればからかっているようなコミカルな逃げ方をする彼らが、今や必死に逃げて行く。それに遅れてホブゴブリンも一目散に逃げる。
何より防壁上の兵士が驚いたのはバンデッドゴブリンである。愚鈍故にこちらが退くか倒すかという選択しかなかった奴らが逃げるなど、今まで見た事も無ければ考えたことも無かった。その大きな巨体がドスドスと走っていく。
『恐怖の伝染』により、大軍はそれぞれ散り散りに逃走を図る。もう、彼らに攻め入る意思は無かった。命からがら逃げだす亜人たちだが、そこに現れた強者は逃がす気が無かった。
その背の輝く翼を羽ばたかせると宙に浮く。そしてもう一度羽ばたかせると、一瞬で逃げるゴブリンの先頭まで移動した。まさに一瞬である。
その移動により地面が吹き上がる。土煙と同時にゴブリンたちの体も宙に巻き上がるが、それは地面に落ちることなく、空中で霧散した。
そして光はゴブリンたちの中を数回往復する。それによってその一帯は土煙に撒かれた。
やがて風によって煙が消えた後、その地には何もなかった。ただ更地と化した地面だけが残っている。
恐るべき光は、僅かの間に平野を駆け抜け一匹残らず亜人たちを消し去ると、自らも姿を消していたのだった。
その後、防壁上では静まり返った兵士たちが呆然と立ち尽くしていた。そして指揮官の横でいた兵士が、手に持っていた望遠筒を落したことで周囲が我に返った。
「おい、状況を確認しろ。」
慌てて拾い上げた望遠筒を覗く兵士。
踏み荒らされた草原は、今では土が掘り返されて更地と化している。
そして脅威と感じた亜人の姿は、最初からなかったかの如く消え去っていた。
また、あの光の主を見つけようにも、それらしき形跡もどこにもなかった。
兵士たちは偵察と哨戒を兼ねて平野へと向かう。
その間に指揮官は西風商団の団長に話を聞く事にした。
そして城壁の上から、先ほど上門を潜り抜けたキャラバンの一行を覗くと、幼い少女が美しい女性に抱かれながら祈りを捧げていた。
それは、去って行った友の安全を願う祈りだった…。