キャラバン
【第2章】
光天歴980年レリーブの月。オルハノコス大陸中央部において大きな戦闘が行われていた。
オルハノコス大陸の東から中央部は、ヒトが勢力争いをしている。その中で、リーブルサイドは中立の立場を維持していた。
リーブルサイドから北のエリアを由緒ある『アルディエル王国』が治め、東は『ハイヴィ公爵』の治める『ハイヴィルトン公国』が存在する。
かつては一つの国だったが、力を付けたハイヴィ家に対し、時のアルディエル王が奸計を用いたことから対立。今ではどちらもどちらと言う状態だが、依然として関係は悪い。現在は、東の港町『オヨトコ』を巡って対立が続いている。
そのハイヴィルトン領から南にあるのが『カロライレ王国』。この国は離れた位置にあり、北部以外を海に囲まれているため、勢力争いに巻き込まれることはほとんどない。しかし、海を隔てた東の方角に『海賊のアジト』があるため、その防衛に日頃から悩んでいる。
北西一帯を治めているのは『モルタネント王国』だ。英雄『モルト』が治める新興国で、『アコース』という地元種族の誇りをかけて戦っている。ここは寒い地であるが、北の海を生業にした漁が盛んで、その地を狙って侵攻してくる者をことごとく払い除けている。
そんなモルタネント王国に対して、未だに侵攻を諦めないのが『ベルグシュタッド王国』だ。リーブルサイドの西に在り、山岳に囲まれた難攻不落の城を所有する。
山にあるが故に北部にある海を欲している。
西側に向かえば『ウインダーマイル』という港のある町があるが、ここは『世界図書館』という世界中の書物という書物が集められて保存される不可侵協定に守られた町である。
もしもそこを攻めることがあれば、亜人と同類と見なされ、世界中から攻撃を受けることになる。だからこそ、北のモルタネントを欲しているのがベルグシュタッド王家なのである。
これらの国々のちょうど境界線上にリーブルサイドは存在し、周辺各国は拠点としてこの町を欲しているものの、下手に動けば他国の侵攻に晒される危険を知っているため手を出せないでいる。
何とかうまく均衡を保った状態がずっと続いているのだった。
そして今、モルタネントとベルグシュタッドの間に位置する『ロブ平野』において、両国の軍兵たちが争っている。
兵の数は互いに5千。両軍500人ほどを先鋒に送り出し、正面からぶつかっている。
まず聞こえるのは雄叫びで、激しく金属の打ち鳴らす音が聞こえ、それと同じく断末魔の叫びも聞こえる。それより小さい音で肉が断たれる音や地に伏す音もあり、時折何かを叫んでいる声も聞こえる。
すでに死者は100人を超えただろう。拮抗した戦闘はそのまま続き、緑だった大地は踏み躙られ朱に染まっていく。それから約2時間、両軍はどちらも攻めきれないまま後退してその日の戦闘は終わった。
この世界で大規模な戦闘が終われば、その遺体から物を剥ぎ盗っていく事を生業にする者がいる。
この行いは最も嫌われる行いであるが、それによって生計が立てられるのもまた事実である。
こうした行動を生業にする者は『クゥプスハント』と呼ばれ、見つかった場合は死をもたらされる。
それは神の教えに逆らう行為だからだ。
世界を作った神々の中で中心となった『九大神』の一人、『戦いと死の女神 フレリア』がこう説いている。
『戦いとは命を燃やす聖なる儀式。
魂を燃やし、亡くなった者は崇高なる存在と昇華される
それによって我が下に召喚され安らかなる死後の世界を約束しましょう
そして死とは生ある者が等しく与えられる権利であり
生あるうちに手に入れた物はその者の財産であり
それは未来永劫破られてはならぬものである』
この教えからフレリアは戦士たちから信仰を受けており、『フレリア教』の信者のみならず戦いをする者たちは、少なからずその恩恵を受けるとされている。
その恩恵に反する行いは当然『背信行為』であり、戦士たちから命を狙われる理由である。
そうは知っていても、戦士たちの持つ武器や防具は質が良い物が多い。当然それを狙って今日も数人のクゥプスハントがやって来ていた。
夕暮れ時で視界は悪いが、たいまつを付けると怪しまれてしまう。だからまだ日が残っている僅かな時間が狙い時なのだ。
サッと見渡し、破損のない物や磨けば綺麗になりそうな装備品を探していく。そして小脇の収納カバンがあれば、その中も調べていく。
「おお、流石はベルグシュタッド兵。なかなか良い装備を持ってるな。」
一人の男が言った。歳は30歳過ぎ。この道を10年以上しているベテランである。その傍らで動くのは20歳半ばの細い男と、年をくった顔をした大柄な男がいる。二人はまだこの道に浅いが、この3人はチームを組んで剥ぎ盗りをしている。
「おいバグ。その死体をどけてくれ。」
細い男が横にいる老け顔の男に言う。
この二人は同い年だが、その種族性から見た目が異なっている。
大人しめのバグは言われるままに、指示された死体を持ち上げて横にずらす。すると細身の男はその下にあった遺体の小袋を取り上げる。
『ニルハーマー』という彼らの赤い瞳は、他の人種に比べて夜目が聞く。それで他の二人に比べて小さな物でも気付くのだった。
一方のバグと言う大きな男はアコーズであり、どっしりした体格が印象的だ。
「おお、やっぱり思ったとおりだ。ビックさん、宝石ですぜ。」
小袋の中から出てきたのは銀のコイルと小さなルビーが入っていた。
普通なら銀コイルだけでも大した値打ちなのだが、彼らにとっては500コイル以下のコインは当たり前だった。それよりも、宝石は小さくても1000コイル以上はする。
「おお、やったじゃねぇかベレイ。その調子でもう少し調べてみろ。バグも手伝ってやれ。」
「うん。分かった。」
本来はプライド高いアコースだけに、自分が主で動くことを望むものだが、ヒトには適材適所がある。だから今は相方の手伝いに従事する。ここでの稼ぎは3人で山分けするからだ。
そして3人はめぼしい一帯を探し終えた時、ちょうど日が沈んで小月が姿を表せていた。
もうすぐ月の変わり目。小月の形は下3分が欠けている。もう少しすれば大月も現れ、同じような形を見せるだろう。特に大月は太陽の光を反射し、夜も見やすくさせる。そうなれば、3人の姿を目撃される可能性がある。
「よし、そろそろ引き上げよう。明日もまた戦いがあるだろう。そこでまた稼ごう。」
リーダーの声に二人は従う。が、ベレイがふと、足元に気付いた。
「ちょっとこれだけ取らせて下せぇ。バグ頼む。」
引き上げようとした二人であったが、ちょっとくらいならという気持ちで仕方なく足を止め、ビックが頷いてバグを向かわせた。そしてバグが遺体をどける。
「おお。凄いぜこれ。宝石の埋まった短剣だ!」
下にある遺体の脇に刺さっていた短剣。柄の装飾はかなり凝った造りであり、柄尻にも丸い翡翠晶が付けられていた。その他、鞘にしても美しい装飾が施されている。その思いがけない掘り出し物に、ビックさえも感嘆を漏らす。
「おおっ!やったじゃないかベレイ。今までそんな美しい短剣は見たことが無いぞ。」
近づき、ベレイからその短剣を受け取る。そして鞘から抜くと、ビックの予想通り翡翠晶を使った美しい緑色の刃が姿を現した。
「翡翠晶の短剣だ!これだけの物だとマガル(10000コイル)以上は絶対だ。やったなベレイ!」
そう言って短剣をベレイに渡す。これを売るならば山分けだが、これほどの品であれば、持っておくことも可能だ。故に見つけた本人がその選択権を有している。そしてこのベレイと言う男は、美術品などに目がないニルハーマーである。当然の様にそれを腰に仕舞った。
そして一行はその場を立ち去ろうとしたその時、男たちの行き先に緑の集団が立っていた。
「なっ?!ご、ゴブリンだぁー!!」
その姿にいち早く反応したのが夜目の効くベレイ。
その声にビックは懐の短剣を抜きつつ振り返るがすでに遅かった。背後に気を配るはずが、余りに凄い品を見たために警戒を怠ったのが災いした。
瞬く間にゴブリン2匹が襲い掛かり、一瞬のうちにその体へ錆びた手斧が叩き込まれた。
「ぐふっ!・・・、お前ら…にげ・・ろ・・・。」
そう言い残すと、崩れる様に大地に倒れる。その姿に二人は戦慄を覚えるが、早かったのはベイルだった。すでに逃げる用意をしていた為にその場から駆けだす。それに遅れてバグも向うが、こちらは見ての通り鈍重な体型。そう簡単に逃げられるわけがない。
「ベ、ベイル~。」
名前を呼ぶ。が、ベイルは振り向かない。
「早く来いっ!逃げるぞ。」
叫ぶが既にその差は30メートルはある。到底この距離が縮むことは無く、やがてベイルの耳に哀れな悲鳴が聞こえた。
「くっ、ちくしょー!」
後ろは振り向かない。今はそれより自分の身が危険なのだ。
振り返ることをしないのは、そのせいで足元の死体などに躓かないためと、ゴブリンの姿を見たくなかったからだ。故に二人に謝る気持ちを持ちながらも走る。
しかしその背中に痛みを感じた時、その足は力を失った。同時に痛みの部分が熱くなり、じわじわと痛みが増す。
やがて転倒。死体の山の中に身を寄せるベイル。
血によって泥となった土を被りながら背中に手を回し、痛みの原因を知る。
矢だ。矢が右肩下に刺さっていた。そう実感すると、傷みが激しくなった。
「くわっ!くうぅぅぅ、痛ぇ。」
抜くには力が入らない。ましてや初めて受けた矢の痛みで全身が上手く動かない。
やがて追いついたゴブリンが馬乗りになった。両腕を踏まれ身動きが取れない。
見上げれば醜悪なゴブリンの顔が笑みを浮かべて見下ろしている。凄まじい臭気を伴い、ベイルは最悪の気分だった。
「くそぉ、離せぇ!」
叫ぶ。すると目の前のゴブリンが顔に拳をふるった。
鈍い音が顔から発した。続いてもう一発。痛みと同時に音が鳴った。
その音は止まることなく続き、やがてベイルの耳に入らなくなるまで続けられたのだった。
クゥプスハントは女神フレリアに嫌われるので、3人の魂がどうなったかは分からない。が、新たな死体3体を増やした戦場は、ゴブリンたちの狩場となった。
狩ると言っても生き者ではない。ヒトの持つ装備を剥ぎ盗るのだ。今、殺した3人のヒトと同じ行為を今度はゴブリンが行う訳だがその目的は違っている。
ゴブリンは知能が低く、到底鍛冶などと言った作業は行えない。だからこそヒトの装備を剥ぎ、自らの戦うための装備とするのだ。
悪魔に魅入られた亜人は、女神の教えなど知る由もない。逆にそこが邪なる信者らしいと思うが、それもまた、ゴブリンにとっては戦いに勝つための手段である。
夜目の効くゴブリンは、月明かりで辺りを見回しながら道具を探る。特に先ほど殴り殺したニルハーマーは、腰に美しい短剣を持っていた。ゴブリンとて美しいと言う感覚はある。ある種「珍しい」という感覚に近いのだが、周囲に見栄を張れるため、この短剣を巡って拳突き合いが始まった。
数匹のゴブリンがエントリーし、一斉にバトルロイヤル。そして勝者が勝ち取るわけだが、やがて来た群れのリーダーに脅され、献上したのだった。
その間にも、数十匹のゴブリンたちは装備を探る。そのままでは大きすぎる鎧も、破損している部分を砕き割ったり、剥がせる部分を剥がすなどして自分の体に合わせる。
最初は出来なかったが、こうした行動を続けるうちに身に着けた手段だ。
そして段々とゴブリンたちは身支度を整えていく。
装備の充実。それだけでゴブリンは強力な戦闘集団と化す。
ヒトに至っても、装備によって強さが変わる。それと同じだ。
しかもベルグシュタッドという町は鉱山が近い。だから装備品にも当然質の良い鉱物資源が使われる。集団戦闘において、個の能力が上がることはそのまま集団の能力も向上する。ヒトは敵対する亜人たちに塩を送っている訳であった。
やがて身なりを整えた亜人たちは襲撃を企てる。ロブ平野の北と南にはそれぞれの軍が陣を敷いている。煙が立っている所を見ると、夕食をとっているみたいだ。ゴブリンたちはそれを好機とばかりに、南の陣へと駆けて行った。
平野から少し高い丘の上に陣を敷くベルグシュタッド軍。
所々に煙を立てて芋と干し肉・玉葱で作ったスープを煮込む。その鍋の周りに二~三小隊ずつが囲み、パンやチーズと共に食事を摂る。
戦いの後だ。特に勝ち負けの無かった今日の戦いにおいては皆が重い空気の中でいる。
何とか生き延びれた喜びと、明日再び戦う事への不安。
そう言った様々な思いが入り混じりながら、明日を生き抜くために食事を摂る。
中には持ってきた笛を吹いて、心を慰める者もある。
あるいは新兵が敵を倒したことで自慢している風景もある。
様々な夜を過ごす中、闇に潜った亜人たちは、着々と忍び寄っていく。
陣地は丘の上であり、しかも月の明るい夜だが、ゴブリンたちは見つからない。
それは緑色の皮膚だからだ。草と同じ色は、茂みや森の中では発見し辛い。
ロブ平野は開けた地ではあるが、植物も多く所々に茂みがある。
その茂みに隠れながらゴブリンたちは各々にヒトの陣へ迫っていた。
戦闘後の食事時とあって、見張り兵は幾分気を許している。先に食事を摂っているため、満足感による怠慢だろう。迫りくるゴブリンたちに気付かない。
等間隔に二人が配置され、巡視をする者や建築した見張り台に昇っているものの、彼らの注意は正面のモルタネント軍に集中している。明確な敵だからこそ意識しており、周囲に別の敵がいるなど思いもしなかった。
亜人たちは正面を回り込み、荷物などを高く積んでいる東側にやってくる。当然そこにも見張りはいるが、背の低いゴブリンは荷物箱に潜んで更に近づく。
やがて、周囲の状況を確認した先遣役が手を振って見せた。それを合図にゴブリンたちが一斉に弓矢を放つ。
荷物を飛び越え、向こう側に落ちる様に角度を上げている。普通なら石や骨で作った矢を使うが、先ほど戦場で鉄の鏃を持つ矢を沢山拾っている。総勢60匹未満ながら、矢は次々に放たれた。
食事をしている途中で矢が降ってくる。辺りはパニックに陥り、モルタネントが奇襲をかけて来たと錯覚した。
警備兵もようやく気付いて矢の発射先へと向かう。そして荷物箱を超えた所で、待ち伏せていたゴブリンが矢を放つ。
狙っていたかどうかは怪しいが、矢は見事に警備兵の顔に刺さり息絶えた。
他の兵たちもようやく装備を整えた者もいるが、慌てて逃げ出す者や鍋をひっくり返して火傷を負う者、新兵などは震えて立ちすくむ者までおり、和やかな憩いの場所は一瞬で戦場と化した。
矢は次々に射られ無防備だった兵士たちは、たちまち矢の雨を全身に浴びた。
僅かな時間で死体の山が築かれていく。
騒然とした状況の中、怯えた者は荷物も持たずに散り散りに逃走を始める。同時にゴブリンたちが一斉に騒然とした陣地内へと踊り込んだ。
戦闘において、精神状態は一番勝敗に関係すると言って良いだろう。一旦逃げ始めた心は、そう簡単に戦おうとは出来ない。また、追われる者は相手が何であろうと恐怖によって逃走する。
普段ならゴブリンの百匹程度は何ともない相手だが、混乱に乗じて襲い掛かってきたゴブリンを恐怖の対象にしてしまった兵は少なくなかった。勿論ベテランの戦士などは、心の切り替えが早い。だけど長い経験の為、その状況がすでに手に負えないと判断する。自分も退きつつ、せめて仲間のために殿を買って出るしか出来なかった。
そんな混乱状態を上層の者が気付かぬわけがなかった。一般兵と違って用意された陣幕内にいた将兵たちであったが、一向に伝わらない伝達に業を煮やす。
鎧を着て表に出るが、逃げ惑う兵士たちの姿に叱咤しても止められず、最終的には共に逃げ出すしかなかった。
こうしてベルグシュタッド軍は予期せぬ奇襲を受けて退却を余儀なくされたのだった。逃げる中、指揮を任された将軍はゴブリンによる奇襲と報告を受けて、ようやくその状況を理解した。
だが、既に軍勢は崩壊しており、屈辱の汚名を被らなければならない。それでもゴブリンなどに奇襲されて退却した等とは口に出せない。そして戻った彼らは王にこう報告した。
「モルタネントの軍が、ゴブリンの襲来に乗じて奇襲をかけてきました。」と…。
ゴブリンに襲撃を受けたのは事実だが、そこにモルタネント勢を加えることで逃げるしかなかったと言うのだ。こうしてこの将軍は罪を犯す事で、重い罰を受けずに済んだ。
しかも亜人の奇襲に乗じて攻撃したというデマは、モルタネントの不評を広めることに繋がった。
当然ベルグシュタッド側は卑怯な奴らだと怒りを覚えたし、一方のモルタネントはありもしない不評に晒されて憎しみを覚える。こうして二カ国の関係はさらに悪化していくのだった。
「こんにちは~。」
リーブルサイドを出て、メリアニック川沿いに旅する少年が、ロブ平野東側で複数の『キャラバン隊』が市を開いているのに立ち寄った。
町から旅出って一月と半分。途中の集落やエゥバにもらった携帯食などで、何とかここまで辿り着けたリオン。だがそろそろ食料が尽きかけていただけに、ここでキャラバン隊と出会えたのは幸運だった。
キャラバン隊とは、世界中を移動する行商人たちの一団で、各地の特産品を運んだりする。だから珍しい物等も手に入れられるが、リオンのような旅人や冒険者にとって、不足物を補う心強い味方である。
今、リオンが声をかけたのは食料と薬剤を取り扱う老婆。かなりの年輩らしいが、周囲の人達が商いを行う中で、商品を広げた所でのんびりお茶を啜っている。話してる人達に声が掛け辛かったため、商品の前にしゃがみ込んで挨拶した。すると老婆はにっこりと笑みを浮かべて対応してくれる。
「いらっしゃい坊。何か欲しいのかい?」
「うん。干し肉とか乾燥物とか欲しいんだけど。」
すると老婆は振り返る。何かを探しているようだ。
「あらぁ?あの子どこ行ったのかねぇ?」
「誰を探してるの?」
リオンの問いに再び正面を見る老婆。
「ああ、家の孫娘。あの子に見て来て貰いたいのに、どこ行ったのかねぇ~。」
リオンより小柄な感じの老婆は、ちょっと弱った表情を見せる。するとリオンはにっこり笑って言った。
「じゃあもう少し待ちます。さっきここに着いたからもうちょっとなら待てるから。」
「そ~かい。じゃあ、この婆が坊の話し相手でもしようかね。」
そうして二人は周囲と同じように話し始めた。
「あれ?お婆ちゃん、何してるの?…お客さん?」
二人で笑いながら話していたら、不意にリオンの背後から声が掛けられた。リオンが視線を向けると、リオンとそれほど変わらない年齢の女の子が、大きな籠を持ちながらそこにいた。
「おお、ミュー。どこ行ってたんだい?」
「何言ってんのよお婆ちゃん。隊長さんとこで話し合いするから、お婆ちゃんに店番をお願いしてたでしょ。もぅ、お願いだからまだボケないでね。」
そう言いながら老婆の隣にきて籠を置く少女。白い肌は祖母と同じだが、瞳の色はニルハーマーの赤だ。
「はいはい。お前が大人になるまでは元気に頑張るよ。」
老婆の言葉にやれやれと言う態度を取るが、その表情は安心というか嬉しそうだ。優しい性格なのだと思える。そして少女の瞳がリオンに向けられた。
「それで、君はお客さんなの?」
少し大きめの赤いつり目が見据える。リオンは大きく頷く。
「うん。干し肉や乾燥物が欲しいんだ。分けてもらえるかな?」
「ちょっと待って。残りを見て来るから。」
そう言って少女は帆を張った馬車の中に入って行く。少しして顔だけ出して尋ねた。
「あるけど、どれ位いるの?」
「うん、そうだな~。分けてもらえるだけ全部。」
その言葉に少女が不審な視線を向ける。自分と同じくらいの少年が、干し肉や乾燥物という旅用の食材を売ってほしいと言ってるのだ。
だけど、その量が大雑把過ぎて子供ならではの感覚勘定だと思った。勿論お金の問題もある。『ミュー』という少女の不審な視線は当然のことなのであった。
「…、君ねぇ、冷やかしなら御免だよ。家はお婆ちゃんと私だけだけど、きちんと商売してるんだから、お金持ってないと買えないのよ。」
車から降りてきて詰め寄るミュー。そんな少女が何で不機嫌なのか分からないリオンは、お金を持っていないと思われたと思い、懐から袋を取り出す。
「お金なら持ってるよ。足りないかなぁ?」
「ん?見ていいの?」
リオンが渡してくるので、ミューは訝しげに尋ねた。そしてリオンが頷いたのでそれを受け取る。途端にずしんと重みが伝わる。
「キャッ!って重いわね。何が入っ・・・・・・!!」
中を覗き込んでミューは目を大きく見張る。そしてそのまま動けなくなった。
数刻。
ハッとした表情でリオンを見て、再び袋の中を見る。そして悲鳴にも似た声で祖母に声をかける。
「お、おばあちゃんっ!」
そして袋の中を祖母に見せると、彼女もまた驚きの顔を向けた。
「坊、これ全部坊のコイルかい?」
「うん。そうだよ。」
二人が見た袋の中。そこには数種類のコイルがあるが、その大部分を占めるのが金塊であった。しかも、白金である。
通常のコイルは1・10・20コイルが銅で出来ており、一般市民が普段使用する通貨コインである。その次に50・100・200・500コイルは銀で出来たコインで、1,000・5,000・10,000コイルは金コインだ。金ともなれば、王族などが扱い、一般家屋は1,000コイルから購入できる。
そして10,000コイルはマガルと呼ばれ、これは滅多に目に掛かれない代物だ。それ以上が1,000,000コイルに相当する白金の塊。金塊の表面に金額を表した数字が表記されており、これ一個で小さな城が買える。だが、普通の金塊よりも遙かに価値のある白金の塊。
それが今、目の前に大量に現れたため、二人は言葉を失っていた。
「足りないかなぁ?」
そう言うや否やミューは袋を返し、車へと戻る。在庫を確認し、再び戻って来た時はさっきまでとは違う対応をしていた。
「お待たせ致しました。現在、当店の在庫では100日分の干し肉と乾燥パンがございます。因みに干し肉はいくつか種類がございますが、どういった物をお探しですか?」
完全な営業スマイル。傍から見れば子供ながらに末恐ろしいと感じてしまうほどだ。そんな態度にリオンは戸惑いを持つ。
「ん~?何かさっきまでと態度が違うね。」
「先ほどは大変失礼いたしました。何分子供のしたこととして、どうかお許しくださいませ。」
自分もそれほど変わらないだろうと思いながら、孫の変わり身に呆れる老婆。
「ミュー。あまりにも格好悪いよそれ。取りあえず、売れる分は売っておやりよ。…ところで坊、ちょっとお話を聞かせてもらっていいかい?」
祖母に言われてバツが悪そうに車に入って行くミュー。そしてリオンは老婆の問いかけに快く頷いた。
「坊は旅をしてるのかい?」
「うん。ポトラマまで行くんだよ。」
「ふえっ!まだここから随分遠くだよ。歩いて1年くらいはかかるよ。あんた一体何しに行くんだい?」
「うん。おねぇちゃんに会いに行くんだよ。」
そうしてリオンはそれまでの経緯を伝えた。その間にミューも注文の品を出してきて話に聞き入るが、リオンの話にその都度、疑いの言葉を発していた。でも、老婆は違った。
「そうかい。坊がそれだけの大金を持ってるのはよく分かったよ。そしてその背中にある荷物の事もね。」
そう言うと手にある茶を啜る。そしてじっと細い目でリオンを見つめた。
「坊。坊は多分これからも大変な運命に晒されることになるだろう。幼いうちにそれだけの力を宿してしまった業は、今のこの世界で受け入れがたい物だ。でも、それは自らが選んだ道。決して怯んじゃいけない。諦めてもいけない。どれだけ辛かろうと、いつかきっと想いは成し遂げられるだろうから、挫けず頑張るんだよ。」
「・・・、うん、ありがとう婆ちゃん。僕は諦めないよ。」
そう言って互いに笑顔を見せ合う。すると、何だか拗ねた様子のミューは祖母の傍らにやって来てその裾を掴む。そして、
「ねぇ君。ポトラマに行くんだよね。」
その問いに答えが得られる間もなく、ミューは続けた。
「だったら途中まででいいから一緒に行かない?」
突然の申し出にリオンは反応できない。それは祖母も同じで、何を言いだすんだと言う視線が送られた。それに気づいてミューは説明を始める。
「あのね、さっき話し合いで私たち『ウインダーマイル』に行って、その後南へ向かう事になったの。
何でも『イデアメル』で大きな商人市が開催されるらしいから、私たちもそこに向かおうって話なの。どうせあなたも西に行くなら、一緒にどうかなと思って。馬車なら歩くより早く着けるよ。」
チラチラと様子を伺うミュー。さっきまでと違って何だか年相応に可愛い仕草を見せていた。
そんな孫を横目で楽しそうに見る老婆の前で、当然そんな仕草を気にも留めないリオンが気軽に言う。
「うんいいよ。歩くのもなんだし、馬車に乗せてくれるなら一緒に行くよ。」
それを聞いて嬉しそうに喜ぶミュー。それを見て老婆は笑う。
「フェッフェ。ミューも年頃なんじゃのう。」
それを聞いて白い頬が急激に紅潮し、怒り始めた。
「何言ってるのお婆ちゃん。も~、・・・。それじゃ、私団長さんを呼んでくるからここにいてね。・・・、そう言えばまだ君の名前聞いてなかったね。私はミュー。君の名前を教えてくれるかな?」
師に教わった名乗りの礼儀。それをきちんとするミューを信頼できると感じたリオンはにっこり笑顔で答えた。
「僕はリオン。よろしくねミュー。」