竜の王と無垢なるヒトの児
明くる日、目覚めたリオンは辺りを見回す。
随分深い眠りに入っていたらしく、すっかり日が昇っていた。
それもそのはず。これほど気持ちの良いベッドで眠ったのは久し振りだった。
しかも昨晩は美味しい食事にもありつけた。まだまったりした気持ちを背伸びで吹き飛ばす。
「んー、よく寝た・・・。」
正直まだ眠りたいと思うがそういう訳にもいかないし、成長盛りな少年は早くもお腹が空いていた。
備え付けの水桶で顔を洗い、一先ずコートを羽織る。
そして荷物一式はそのまま部屋に置いて、下の食堂へと向かった。
「おお、おはようリオン。よく眠れたか?」
カウンターでマスターがグラスを拭いていた。そして少年の姿を見て挨拶をしてくれた。
それに対してリオンは深く頭を下げて挨拶した。
「おはようございます。朝ごはんをください。」
その言葉にマスターは声をあげて笑う。そして目の前のカウンターへと招いた。
「お腹の具合はどうだい?たくさん食いたいか?それとも軽くしようか?」
「ん~、たくさんが良い。えっと、お金は…。」
「いやいいよ。昨日のお代に朝食代は入っているから気にするな。」
そう言ってマスターは奥の厨房へと声をかける。
勧められてカウンターの席に座ったリオンは、ニコニコしながら頭を左右に揺らしご飯を待つ。その姿は年相応に愛らしいが、明るい朝にその傷跡のある顔を見れば、やはり居た堪れない気持ちになる。
その気持ちを頭を振って払うマスターは、ミルクをコップに入れてカウンターに置く。
「ほらリオン、冷たいミルクだ。頭がスッキリするぞ。」
「わーい。いっただきます。」
両手でグラスを握って美味しそうに飲む。そんな姿に自然と微笑むマスター。
するとカウンターの後ろにいる戦士風の客が言った。
「おお?こんな所にガキがどうしたんだ?」
すると、一緒に座っていた男が言葉を制す。
「おい、やめろって。子供相手に何言ってんだお前。」
「ああ?だってここは酒を飲むところだろ?ミルクならママの所で飲めってんだ。」
少し酔った感じの客がクダを巻く。
朝から酔っているとはいい身分だが、どうやら冒険者で今日は非番にしているらしい。昨晩飲み足りなかった分を朝にした様子だ。
その前に座るのが同じパーティーの仲間らしいが、悪酔いしないように気を使っているらしい。
だが、そんな言葉に耳を貸す事もなく、更に男は言う。
「全く、マスターもマスターだ。何かやたらとサービス良いようだぜ。金持ちか偉いとこのガキかよ、あぁ?」
そんな言葉を気にも止めすリオンはミルクを飲む。代わりにマスターが睨みを効かせる。
「おい、厄介事なら外でしてくれ。」
それに反応して連れが素直に謝って仲間を諌める。だが、酔った男は悪態をつく。
「何だとぉ!俺は客だぞ。偉そうなこと言ってんじゃねぇっ!」
酔って暴言を吐く男は多い。いちいちそんな客を相手に怒っていては宿屋や酒場はやっていけない。だが周囲に迷惑をかけるなら話は別だ。ましてや相手は幼い子供だ。仕方なく摘み出そうかと思った時だ。
「おじちゃん、静かにしてくれないかな?」
一瞬のうちにリオンがその男の前に移動し、その目の前に食事用のナイフを突き付けた。恐ろしい程の殺気を付けて。その殺気もさることながら、何よりその動きを捉えられたものがそこにはいなかった。
いきなり目の前に殺気の籠った刃物を突き付けられて、男は気付いた途端に目をひん剥き、そしてガチガチと歯を鳴らしながら震えだした。酔いはもう醒めたようだ。
リオンはナイフを下げるとトコトコと席に戻る。その合間に、男は悲鳴を上げながら店を出て行った。相方も恐怖を感じてテーブルに10コイルを置くとそのまま出て行った。
「…ごめんなさいおじさん。お客さん追い出しちゃって。」
それらを見てから申し訳なさそうにリオンが謝る。すっかり殺気は無く、年相応の愛らしい顔を向けていた。
「気にするな。こっちこそ店内で迷惑かけた。お、出来上がったからしっかり食ってくれ。」
そう話しているうちに厨房からモーニングスペシャルプレートが出てきた。分厚いトーストが2枚にバターと蜜がかけられ、分厚いハムステーキと目玉焼きが2つ。野菜サラダにトロットロのチーズを乗せたふかし芋が乗った一枚プレート。見るからに重い朝食だが、成長盛りのリオンは目を輝かせて早速朝食にかぶりつくのだった。
「おお、いい食べっぷりだねぇ。」
厨房から大きい体つきの女性が出てくる。マスターと身長は変わらないが、少し大柄な体格がマスターの細さを際立たせる。黒髪に大きな瞳が印象的なその女性はリオンの前に来ると、ニヤリと口を傾けた。
「しっかり食べな。お寝坊ちゃん。ん~?あんた酷い傷痕があるねぇ。」
ハムを齧るリオンの右目を走る深い裂傷キズ。どうしても目立ってしまうし、リオンの愛らしさが損なわれてしまう。
すると咀嚼を終えたハムを喉に流し、リオンが首を傾けながら聞く。
「おばちゃんは誰ですか?」
少しの間合い。驚いた顔の周囲の中で女性から豪快な笑い声があがった。
その大柄な女性は目を弓の様に弧を画かせると、リオンの頭に手を置いた。そして左右に撫でながら言う。
「紹介が遅れたね。あたしゃここでご飯作ってる『エゥバ』ってんだよ。あんたのその喰ってるご飯を作ったんだ。美味いかい?」
「うん。すっごくおいしい!」
目を輝かせて訴えるリオン。その笑顔にエゥバの目の弧が強くなる。
「おお、良い返事だ。しっかりお食べ。…良い喰いっぷりだね。お替りいるかい?」
再び食べだしたリオンだが、ボリュームのある朝食プレートはみるみるうちに無くなっていく。その旺盛な食欲に感心する。
「うん。」
「よぉし待ってな。あんた良いね。」
横目で確認するエゥバ。その視線に夫は口元を緩ませながら頷いた。それを見てシェフは厨房へと入って行く。鼻歌交じりに。
久々に見たその様子にマスターは嬉しさを感じる。
妻をめとってもう30年が経つ。以前は戦士だった妻は一度腹に大きな傷を負っている。
そのせいか子供に恵まれない二人であったが、それは承知で宿屋を切り盛りしている。
だが、こうして幼げな子供を見るとやっぱり心揺さぶられるのだろう。夫婦そろって甘くなってしまうのは仕方ないことだ。
何より子供のできない事を気にしているエゥバは、そんな素振りを見せずとも分かる。
それが久々に鼻歌を歌っているのは、夫として嬉しい限りである。
そんな事を思っていたら、再びモーニングスペシャルプレートが出てきた。しかもトーストとハムの量が倍になって…。
流石にやり過ぎだと思うが、作ったヒトと食べるヒトが目を輝かせているのだから何も言えない。そしてカウンターに置かれると、流石に遠慮を知っているのか、我慢した目で(良いの?)と視線を寄越すリオン。
先ほどの目の輝きと、そんな顔をされてはマスターも頷くしかなかった。
そして少年は食事を再開した。本当に食べられるのかと心配するが、瞬く間にトーストが半分減っていく。そんな様子を後ろの客も見学に来た。
「良く食うなぁ。」
「俺だと無理だよ、朝からこんなには。」
「いやぁ、きっとでけぇ体になるぜ、こいつ。」
口々に感想を述べる野次馬。そのうち、一人の戦士が気付いた。
「あれっ?もしかしてこいつ、昨日のランサー(ランス使いの事)じゃねぇか?!」
黙々と食べるリオンは全く気にせず、そのまま食事を続ける。だが、周囲の野次馬は回り込んだり、カウンターにもたれながらリオンの顔を見ようとした。
終いにはカウンターに上ろうとした馬鹿がいたため、エゥバが頭を叩いて皆を遠ざける。
「食事してるのに騒ぐんじゃないよ!良い大人がみっともない。」
面倒見の良いエゥバに言われ、大人しくなる一同。流石に説明なしではと、マスターが口を開いた。
「昨日遅くに泊まりに来たんだ。名前はリオン。旅をしているらしい。」
皆が納得したように数度頷く。すると先ほどとは別の戦士が訊く。
「子供一人でかい?」
「そうらしい。」
今度は魔法使い風の男が尋ねる。
「どこまで行くんです?」
「さぁな?」
次にはエゥバが尋ねた。
「他に何か聞いたのかい?」
「否。昨日はお腹を空かせていたから、飯を食わせて部屋に案内しただけだ。これと言って詳しくは聞いていない。」
「じゃあ、何も知らないんだねアンタも。」
落胆と言うか、呆れたと言う感じで皆が同じ息を吐く。その間も黙々とリオンは食事を続ける。まるで小動物の様にトーストを両手で持ち、はぐはぐとかじり続けるその様は、何とも微笑ましくて皆の心を和ませる。
「おい、何か癒される感じがするけど、気のせいか?」
「ああ、俺もそう思ってるところだ。」
「本当にこいつがあのゴブリンを倒した奴なのか?」
普通に感想を述べ合う中、リオンが肯定の返事を返した。
「そうだよ。おじさんたちと一緒に戦ったよね。」
トーストを食べ終えて、指に着いた蜜を舐めながら答えたリオンは、視線をそちらに向ける。
そこで野次馬たちは一斉に驚いた。否、驚かされたと言って良いだろう。
幼い少年の顔に刻まれた深い傷痕。その痛々しい姿は言葉を無くすには十分だった。本人は至って気にしてないが、そうした大人の顔を見るのは嫌なので、再び前を向いて食事を再開した。
すると、エゥバが男たちに言った。
「あんたら失礼じゃないかい?この子は昨日ゴブリンどもを倒してくれたんだろ?だったらちゃんと礼は言ったのかい?それに傷の一つや二つ、誰だってあるもんだろ。」
そう言ってからハムを口にするリオンの頭に手を置いて撫でた。
「ありがとうね。えっと、リオンでいいのかい?」
「うん。」
ハムを飲み込んで嬉しそうに答えるリオン。その笑顔にエゥバは更に撫でた。
「ん~、良い子だねぇ。よし、リオン。良かったら好きなだけ泊まってもいいよ。勿論タダで。」
「おいおい。」
マスターが驚く。だが、エゥバは睨みを聞かせて言葉を塞ぐ。
「何言ってんだい。この町を救ってくれたんだ。そん位いいだろ。」
すっかり気に入ったみたいで、マスターもそれ以上野暮は言えなかった。でも、リオンがそれを丁寧に断った。
「ごめんなさい。そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、僕は行かなきゃいけないんだ。」
「行くってどこにだい?」
「おねぇちゃんを探しに…。」
そしてリオンはみんなに説明をした。自分がある漁師の村にいて、血の繋がらないおねぇちゃんがいること。そして二人はゴブリンの襲来に何とか隠れてやり過ごしたこと。その後、二人だけで島で過ごしたこと…。
【過去】
村の人たちが殺されて墓を建てた後、シーニャはリオンと暮らすことを決意した。
まずは食べられるものを確保すること。それと村を綺麗にすることにした。
島の森の中で果物や野菜を採り、海に行って魚釣りもした。
一方で、海水で街の汚れを少しずつ流していく。血の臭いが嫌だったし、何よりせっかく作ったお墓の周りを綺麗にしてあげたかったからだ。
数カ月かかったが、ようやく村から汚れは取り払われた。また、残っていた船を漕いで、沖で魚を釣ったりできるようになった。
そのうちリオンも体が大きくなって来ると、シーニャは各家から布や衣服を集めてきて、裁縫を始めた。始めから上手くいくわけはないが、要領を覚えるのが早かったため、数週間でリオンの服を縫えるようになった。
そこから二人は協力しながら、二人で日々を暮らしたのだった。
それから2年経ったある日、島にヒトがやって来た。鎧などを着た大人が6人。
いきなり現れた武装した男たちを二人は用心しながら迎える。
てっきり、数名の人がいると思っていた大人たちは驚きを隠せなかった。
そしてそのリーダー格の男が言った。
「いきなりで申し訳ないが、君たちを傷つけるつもりはないから信用してほしい。
僕らは冒険者。
2年前の亜人戦争から、色んなところを冒険している。先日船を手に入れて海に出たわけだが、この村の事は今初めて知った。もし良かったら、事情を聞かせてくれないか?」
その申し出に二人は戸惑いつつ、それまであった事をシーニャが語った。
そして一通りの出来事を伝えると、リーダーが提案する。
「なるほど。信じられないことだが、大したものだね。だが、君たちをこのままにしておくのはどうかと思ってしまう。良ければこの先の町まで君たちを連れて行きたいんだがどうだい?」
その言葉に二人は困った。リオンに決断できるわけもなく、シーニャは思案する。
一つはこのヒト達がどんな人か分からない。村の大人以外のヒトに会うのは初めてだ。
そして二つ目は言ってる意味がよく分からなかった。
「亜人戦争」という言葉や「冒険者」と言う言葉も知らないし、何よりこの海の向こうにヒトがいっぱい住んでいることを知らないほど、二人は世界から離れて暮らしていたのだ。
そして3つ目は、今の暮らしでも問題なく思えたこと…。
でも、
「もしかしたら、また亜人が攻めてくるかもしれない。それより町の孤児院へ行けば、二人を保護してもらえるはずだ。」
余りに世間を知らないため、今よりもっと怖いモノの存在を知った二人はそのヒト達の言葉に従って、それまで過ごしたその島を後にした。
幸いにもこの冒険者たちは親切な人たちだったので、二人は船に乗って初めての旅に出た。
船旅は数日で着くはずだった。
間もなくして突然嵐に襲われた。穏やかだった波は荒ぶり、激しい雨や風が船を打ちつける。
薄暗く視野の狭い中、遠くで何か巨大な生き物が戦っている姿を目撃した。
そんな時だ。
シーニャの手を離したリオンは、船の上でよろめき、そして海に落ちてしまった。
必死にもがくリオン。
それを助けようとシーニャは飛び込もうとする。
だが、冒険者たちはそれを止めてしまう。
そして船とリオンはそれぞれ波に浚われるままに離れて行ってしまった。
激しいお雨の音の中、シーニャの必死に叫ぶ声を耳にしながら、やがてリオンは意識を失った。
それからリオンが目を覚ました時、そこは見た事も無い浜辺だった。
体のあちこちに痛みを感じながら、シーニャを探して奥地に入って行く。
暑い気候に、鬱蒼と茂る森林。
やがてリオンは大きな洞窟に迷い込む。そこでリオンは巨大な赤い竜に出会う。
『竜』―この大陸において最も偉大な存在。大陸創世期前、つまりは神々の時代から生きる長寿の生物で、神や悪魔に匹敵するほどの力を持っている。
巨大な体は全身を鱗で覆い、頭には角がある。四肢を持ち、翼はその巨体を大空へと誘う。知能も高く、言葉はおろか魔法も使う最強の生物。
中でもこの赤い竜は竜たちの王で『レッドドラゴン』と呼ばれている。
彼が棲む場所。それは誰もが侵入しようともしないオルハノコス大陸の南西にある『サントゥアリア諸島』の『ノナグレシー島』だ。丁度、ペシャルカトル・ポトラマとで正三角形を画くことが出来る位置にある。
そんな崇拝と畏怖の象徴たる存在に、リオンは圧倒される。だが、何も知らない彼は、じっとその姿に魅入ってしまっていた。そしてドラゴンはリオンと会話する。
「ヒトの児よ、このような所に何用か?」
その一言から始まった両者の会話。余りに無知なヒトの児と、全知全能ともいえる竜の王。
「…、おじさん誰?」
「何っ!貴様、我を知らぬのか!」
「うん。」
赤子ならともかく、まさか10歳近いヒトの児が知らぬと言う現実に、レッドドラゴンは眉を顰める。それは、かつてこの地を荒らしに来たヒト種がいた。それに対し、相応の報いを与えるとともに、各地で自らの存在とこの地への不可侵を言い聞かせていたからだ。
ヒトは短い寿命の中、言葉で言い伝える習慣を持っている。それは後に着色されるため、ドラゴンと言う存在を恐怖するヒトはこの地に寄りつかない。
なのに、この児は全く何も知らない様子。永遠に近い時間を生きるドラゴンの王は、それなりに自らを律してきたプライドがあるため、その児に説明を試みた。
「その前にヒトの児よ。相手に名を聞くならば、先に名乗るのが礼儀じゃ。特にここは我の棲家。突然現れて聞くと言うのは不作法の極みぞ。」
するとリオンは素直に謝って名乗った。
「おねぇちゃんが言ってた。失礼なことはダメって。だからごめんなさい。僕はリオン。で、おじさんは誰?」
子供らしい素直さに感心していたが、やはり後の方は苛立ちを覚えるレッドドラゴン。だが、弱く愚かな者をこれで怒っては情けないと思うため、レッドドラゴンは翼を広げて雄大に名乗った。
「我はこの世界創成前より生きる竜たちの王『ドゥルーク』。貴様らヒトは我をレッドドラゴンと呼ぶがな。」
「へぇ~。かっこいい~!」
リオンは素直に感心していた。赤く輝く身体に雄大な翼。その力強い大きな体躯は少年の憧憬の対象でしかなかった。
「リオンと申したなヒトの児よ。貴様、我を畏怖せぬのか?」
「いふってなに?」
「・・・我を恐れぬのか?」
「何で?」
普通ヒトはその姿に少なからず恐怖を感じる。それは今までドゥルークの経験に基づく事。
なのにこの児は全く恐怖と言う感情を見せていなかった。その事に興味を抱く。
「リオンよ。興味を抱く幼きヒトの児よ。貴様は何故、この地にいるのだ?」
するとそれまで嬉しそうな顔をしていたリオンが、突然泣きそうな顔を見せた。そしてぽろぽろと涙を零し始める。それにはドゥルークも驚く。
「どうした?何を泣いておる。」
「ヒック…、おねぇちゃん。おねぇちゃんがいなくなった~。」
「姉とな?泣いてばかりでは分からん。きちんと訳を話さぬか。」
しかし寂しさにグズるリオンは手で目を擦るだけ。鬱陶しさを感じたドゥルークは声を強めに発した。
「泣いていては分からん!きちんと説明せぬか。」
泣いている子供にしてはいけない事。それは子供故に感情が先立ち、頭がパニック状態にあるため泣いているのだ。
だからまず悲しみを取り除き、どうすれば悲しくなくなるかを説明することが必要なのだが、ここで感情を逆立てる行為、つまり怒ったり驚かしたりすることは更なる感情の激化を呼ぶわけである。
その通り、リオンも大きな声を上げて泣き始めた。
「え~いっ、泣き止まぬか。何故にヒトの児の鳴き声は騒々しいのだ?我の棲家と言うのに堪ったモノではないわ。」
泣き止めと命令口調のドゥルーク。勿論そんな言動は火に油を注ぐだけ。この後たっぷり時間をかけて、リオンは泣き続けた。
ようやく泣き終えたリオンはそのまま泣き疲れて寝てしまう。体を丸め、すやすやと眠る闖入者に竜の王は呆れながらも観察する。
(フム…、ヒトの児とは難儀な存在だ。ようやく静かになったら我を無視して眠るとは…。)
自分の指先にも満たないほどの存在。だが、きちんと自分を主張してくる。
長い間『最強にして至高の存在』として生きてきたドゥルークだが、脆弱で愚かなヒト種をあまり意識してこなかった。
ヒトなる存在は同種で殺し合ったり、他種に対し傲慢で勝手ばかりする愚行しか見てこなかったが、その児がこんなに素直で純粋だと言う事実に、自分もまだまだ無知であると知らされた。
その内、リオンがくしゃみをする。ここは比較的暖かい地。冷えることなどない筈だと思ったが、リオンの衣服が濡れており、全身に潮の香りが漂ってくる。そこからして、どうやら海に流されてきたのだと推理できた。
(姉と船に乗っていて落ちたのか?そう言えば、昨日の海魔狩りで遠くに船を見かけた気がするな…)
そう思っていたら、寝返りを打つリオン。無防備で愛らしいその姿に、竜の王も心に温かい感情が生じた。
(フム、我もやはりあの方の影響を受けているらしい)
最早会う事の敵わぬほど古き昔の事を思いながら、近くにあった大きな樹の葉をリオンに掛けた。
次の日、リオンはドゥルークにそれまでの事を話す。それを聞いてドゥルークは納得すると同時に、一つ気になることがあった。それは、リオンの出身が分からないという事だ。
リオンは元々ペシャルカトルの住人ではない。
物心ついた時にはシーニャと共にいたが、彼女の父は赤子のリオンを島の祭壇近くで見つけた。
村の誰にも心当たりは無く、誰かが置いて行った気配もない。
ただ、布に包まれて置かれていた訳だが、その布の端には『リオン』と書かれていたことから名付けられた。
つまりリオンは出自が不明なのである。それ以降の事は分かる話だが、出自は生物として重要な意味を持っている。
「どうやら貴様は幸薄い人生だな。」
ドゥルークの一番の感想だ。親を知らず、世間を知らず、そして今、最愛の姉とも別れてしまった。
姉の所在が分かるわけでもなく、どこの町に向かったのかもリオンは聞いていなかった。
「おじさん、僕おねぇちゃんに会いたいんだ。どうしたら会える?」
その言葉に、ドゥルークは少し感心した。
てっきり「姉に会いたい」と泣くか、「姉を探して連れて行け」とか言い出すと思っていたからだ。
でも、この児は自分で会いに行こうとしている。幼くとも自分で何とかしようとする精神は、少しヒトと言う種族を見直す気分にさせた。
「フム、正直難しいな。どこにいるか分からなければ、探すしかない。だが、今の貴様は何も知らんしあまりにも脆弱。まずは学び、強くならなければな。」
「ふ~ん。わかった。じゃあ色々覚えて、強くなる。」
勢いよく立ち上がり、両腕を天に突き上げながら叫ぶリオン。だが、数秒してリオンは頭を傾げる。
「どうやったら学べるかな?強くなれるかな?」
意欲はあっても詳細を理解できていないリオンは、素直に尋ねた。もうそういう存在だと認識したドゥルークは諦めたように言葉をかける。
「誰かに教わるしかなかろう。師と仰ぐ存在に願い、教わって行くしか方法はあるまい。」
すると目を輝かせたリオンは、ドゥルークへ身を乗り出すように寄せた。
「じゃあ、おじさんが僕の師になってよ。」
絶句するドゥルーク。直ぐにそれを否定する。
「何を馬鹿な事を…。我と貴様では種が違うぞ。」
それをきょとんとした顔で覗くリオン。
「でも、おじさんはこの世界って中で一番強くて賢いんでしょ?だったらおじさんに教わったら僕も強くて賢くなれるんじゃないかなぁ?」
無茶苦茶な思考だった。純粋で無知ゆえに、勢いで語りかけてくる。
しかしそこでドゥルークは考えた。
自分がモノを教えると言う経験は今までない。しかも世界で最も脆弱なヒトの児だ。それがどれだけの存在になるかは希薄な望みだろう。
だが、長く退屈な時間を過ごす中で、そのような興に身を置くのも悪くは無いと思う。そして、何か分からないが、この児は特別な存在になる気配を感じさせる。
何よりも自分の唯一課せられた宿命に、この児が役立つかもしれない。
様々な思考の末、ドゥルークは引き受けることを受諾する。
「受けても良いが、我は加減が出来ん。一時の油断が死ぬことになるかもしれんが、覚悟はあるか?」
するとリオンは言った。
「死なないよ。だって絶対強く賢くなって、おねぇちゃんに会うんだもん。」
当然と言わんばかりの返答に、ドゥルークは笑みを浮かべた。
「良く言った。だがもう一度言うが死んでも我は気にもせん。もちろん、姉にも会えぬ。だからこそ絶対に死なぬようにせよ。」
「うん分かったよ。おじさん。」
こうしてリオンは世界最強のレッドドラゴンから色々と学び、力を付けて行くことになるのだった。
そして現代に戻る…。
リオンが語り終えた時、聞いていた皆が言葉を失っていた。
そしてリオンもようやく食事を終える。
「ごちそ~さまでした。」
元気な声。そしてリオンは礼を言うと、荷物を取りに自室へと向かう。
取り残された大人たちは未だに動けずいた。やがて、一番近くで聞いていた戦士が口を開く。
「ははは、何言ってんだよ。レッドドラゴンに育てられたって、そんな訳ないだろ。」
その声にようやく反応を見せる一同。だが、マスターは問う。
「ならバンデッドゴブリンを倒したと言うその強さはどう説明できる?その話が本当なら納得できるぞ。」
再び静まる店内。そしてエゥバが鼻を啜りながら声を発した。
「うう、可愛そうじゃないさ。あんな子が一生懸命生き別れの姉を探してるなんてさ。」
エゥバは大柄な人なりながら、人情に篤い。ゆえにリオンの境遇にすっかり感化されていた。普段見せぬ女将の姿に、客たちは驚きを見せる。
「あんたっ!何とかしてシーニャって娘を探してやりなよ。あんたたちもっ!!」
目を潤ませながら一括されて、男たちは頷くしかできなかった。
暫くして、身支度を終えたリオンが背中に大きな荷物を背負ってやって来た。階下では先ほど話を聞いていた一同が待ち構えており、その幼い少年の姿を目で追っていた。
そんな視線の中、リオンは借りていた部屋の鍵をマスターに返す。
「ありがとうございました。」
鍵を受け取りながら、マスターは問う。
「ああ。ところでこれからどこに向かうつもりなんだ?」
「うん、前に師匠に聞いたら西に向かえって言われたんだ。だから西の方に行くつもりだよ。」
「師匠?」
聞いていた戦士たちが顔を見合わせた。
「ドゥルークおじさんだよ。教わるなら師匠って呼べって言われたからそう呼んでるんだ。」
振り向いて伝えると、再度マスターに向いた。
「だからこの大陸を西に向かって、ポトラマって街を目指すよ。もしかしたらそこに向かったんだろうって言ってたしね。」
それを最後にリオンは店を出ようとする。それをマスターが止めた。
「なぁリオン。もし良かったら暫くここにいないか?そのシーニャって姉を探すのに、そんな行き当たり任せだと大変だろう。だからこっちで情報を集めるから、何か分かるまでここにいてはどうだ?」
少し考える素振りのリオン。でも、その首は左右に振られた。
「協力してくれるのは嬉しいけど、やっぱり西に行くよ。僕は知らない事がいっぱいあるから、色んな物を見てみたいんだ。」
少し残念そうなマスター。一瞬目を伏せた後、微笑みながら言う。
「そうか…。でも、こっちで調べるだけ調べるから、もしもポトラマにいなかったらまたここに来るんだぞ。」
「うん。ありがとう。」
「それとな、この大陸は幾つかの国がある。それぞれが覇権争いをしていて、ヒト同士が争いをしていることもあると思う。十分用心するんだぞ。」
「分かったよ。それじゃ。」
そしてリオンが扉まで行った。その時、エゥバが奥から出て来る。
「待ちなりオン。これ持っていきな。」
エゥバは包みをリオンに差し出す。何だろうという顔でその包みを見るリオン。するとエゥバが答えた。
「ちょっとした携帯食だよ。あんたは直ぐに食べちまうかもしれないけど、旅で食料調達は大事なことだ。ちゃんと節約しながら大事に食べるんだよ。」
それを聞いて嬉しそうに礼を言いながら受け取るリオン。同時にエゥバはその体を抱き締めた。
「元気でいるんだよ。もし何かあったらいつでもここにおいで。」
「うん…、おばさん、また来るよ。」
ぎゅっと抱きしめられて、リオンは息苦しくも温かく感じた。今までシーニャ以外に抱きしめられたことが無いが、ヒトに抱きしめられると温かいんだなと思った。
そしてようやく解放されたリオンは、皆に見送られながら店を出る。
心は温かく、少しの寂しさを感じながらもリオンは西へと向かうのだった。