混血の少女
採掘の町「ベデラード」…山に囲まれたその場所は、地図に記されていない。かつては緑に囲まれた自然の集落で、僅かなヒト達が採掘をして生活を営んでいた。
そんなある日、この地に迷い込んだ商人がその鋼鉄の良質さに驚き、そこで造られた武器を大量に購入して他の町で販売したのがきっかけだった。その鋼鉄で造られた武器は切れ味良く、また防具は頑丈で瞬く間に人気となり、次第にその集落はヒトの行き来が増えていった。
やがて生産を増やそうと坑夫が増え、坑道は広がり、瞬く間に山は枯渇してしまったのだった。そうなると新たな採掘を行おうと隣の山が掘られていく。そしてまた新たに鉄が掘り出され、欲を持った商人たちは奴隷を使って次々と山を掘り出して行った。
枯渇していくに従い、人々も移動するため町自体も移動していく。だからこそ、ベデラートという採掘の町名は在っても、地図上では記されていないのであった。
欲深き商人たちによって元々居た住人達はその地を離れ、頑丈で潰しの効く獣人の奴隷たちが増えていく。当初は活気に湧いたその町も、今では苦しそうな奴隷たちの怒りや悲しみ、そして一部の者たちの罪深き欲望が渦巻く『監獄』と成り果てていた。
そんな監獄の南部には奴隷たちを収容する木でできた大きな建物が建ち並び、それらを囲うように兵士たちの駐屯所が設けられている。そして少し北の場所には石造りの建物が複数あり、そこが原料となる石を鉄に変え、それぞれ製品を鍛造する製鉄所となっている。
そんな中、一つの建物は工場という印象がない。全体を白で塗られた他に比べて小さな建物。そこから地下に進む通路が存在しており、長い階段を下ると少し広い空間に出る。
魔法によって光が灯された明るい場所。数名の兵士たちが滞在しており、奥には二つの扉がある。
階段を下りて右にある扉は鉄格子で出来た扉で、その向こうは四角いスペースとなっている。中にはベッドと小さなテーブルと椅子が置かれ、それ以外は何もない殺風景な部屋であった。いわゆる牢屋と言っても過言ではないだろう。
そして左にある扉は厳重な黒い鉄製の扉であった。その奥は地下を掘り崩した穴だけがあるのだが、その場所こそ地脈の通り路であり、様々なエネルギーに溢れたある種の危険な場所なのであった。
大地にある多くのエネルギーをその身に受けると、ヒトの許容量をはるかに超えてしまい一瞬でその身は溶けて、流れに飲み込まれてしまう。それほどのエネルギーを惜しく思う商人たちは、今まで多くの犠牲を出しながら様々な人種でそのエネルギーを抽出する方法を探していた。
というのも、そのエネルギーを受けることで鉄の品質はより優れたものになるからだ。そこに原石を置き、暫くしてから取りだす事で分かった事だったが、それならばエネルギー自体を取りだすことは出来ないかと考えたのである。
そしてついに見つけたのが世界でたった一人の存在だった。
「これ・・・。」
「これに入れろ。」
まだ幼い少女が水晶を一つ兵士に差し出した。するとその兵士は鉄で作られた箱にそれを入れさせる。毎日行われる日常だ。
少女は言われるがまま箱に水晶を入れると、兵士の顔を見た。すると兵士は顎で部屋へ戻れと促す。
そして少女はクルっと向きを変えるとトコトコ鉄格子の中へと入って行った。中に入ると机の上にパンとスープが置かれており、少女はそのまま椅子に座って食事を始めた。
くりくりとした瞳に、小麦色の長い髪。そしてその耳はエルフほどではないが尖っている。小柄な体は貧弱な感じがしてならないが、それを気にする者などその場にはいない。
少女は口いっぱいにパンを齧ると、まぐまぐと咀嚼する。一日で与えられる食事は2回。水晶を渡せばご飯を食べさせて貰える。そしてそれが自分の仕事だと信じている。
ずっと着たままの白い服。月に一回新しい物に換えて貰えるため、既に汚れてしまっている。でも少女は気にもしなかった。
だってそれしか知らないし、そうするしかできないのだから。
少女は気が付いた時にはこの部屋にいて、隣の部屋で水晶を作ってくるのが仕事だった。そしてそれを作って来ればご飯を食べさせて貰えると言う毎日。それ以外はあの部屋の中でずっと眠るだけだ。水晶を作ると体が凄く重く、ご飯を食べたらすぐ眠くなる。だから水晶を作ってはご飯を食べて、眠る。そのサイクルをずっと続けて来た。
少女は外の世界を知らなかった。というかその存在を意識していない。それはここに来たある男に言われたからだ。
「お前はこの部屋から出ると死んでしまう。だからここでいるんだ。更にお前は水晶を作ることをしなければならない。それが出来たら、ご飯を食べさせてあげよう。」
この部屋でおなかを空かせていた時にそう言われ、少女は命じられるがままに隣の部屋で水晶を作り、それを渡せばご飯を食べさせて貰えた。以来ずっとそれをしている。
世間のいう物を知っていればまた違った感情も生まれるだろう。だけど彼女にはこの狭い世界しかなかった。そして彼女に出来る事は水晶を作ることだけだった。一度だけ聞いたが、その水晶はご飯を作るために使うと聞かされた。
だったらがんばってご飯を食べられるようにと少女は何も不満を抱かず水晶を作った。
少女は水晶を他のヒトも作れると思っていた。そして周囲にいる怖い感じのヒト達はみんな自分を守るためにここにいると思っていた。
幼いころからずっとそう教え続けられたため、少女は世間を知らずに生きていた。20年という長い月日が経とうと、周囲のヒトが別人になっていようと、そんな事は気にもせずに日々同じことだけを繰り返し続けた。
(今日もご飯食べられてよかった)
少女はそう思いながら、ベッドに向かう。そして横たわると少し寒さを感じて体を丸め、ゆっくりと瞳を閉じた。
少女は眠るとよく夢を見る。それは優しそうな女性の顔だ。少女よりも長く尖った耳で、じっと少女を見ている。少女はそれが誰か分からないが、全く嫌な感じがしなかった。その横には男性がいた。弱々しい感じの男性は耳が尖っていない。でもその顔もまた優しげだ。二人は少女を見つめる。よく分からないが、少女は動きを見せてみた。すると二人は凄く嬉しそうに微笑む。その嬉しそうな顔が少女も何だか嬉しく感じる。だからまた違った動きを見せる。すると男女は喜び、互いに笑顔を見せ合う。
それを見る少女は不思議と心が安らぐのだった。
やがて起きる時間が近づくと二人の顔は悲しそうになる。
少女はそんな顔を見せないでほしいと思うが、女性は涙を流し、男性は奥歯を噛み締める。
だから起きる時はちょっと悲しい気持ちになってしまう。せっかく嬉しそうに見る顔だから、最後まで笑顔のままでいてほしいと思う。
そして今日も女性が悲しげな顔を見せた。少女は「ヤダな」と感じるが、どうしようもない事だからじっとその様子を伺った。
すると今日はいつもと違う反応があった。女性が初めて自分から目を背けたのだ。そして男性も同じ方向を向いた後、二人は見つめ合って頷き合った。そのまま女性は少女を見つめると涙を流した。でも、今日は悲しそうな顔じゃなく、何故か嬉しそうな顔で涙を流していたのだった。
そして少女は物凄い音と共に目を覚まさせられたのだった。
ベデラードに近づくと、そこにいた兵士に馬車は停められてしまった。
「待て、これ以上の侵入は禁止している。直ちに引き返せ!」
二人組の兵士に言われ、操縦席で深くフードをかぶっていたエフェメルは頷き引き返そうと綱を引いた。その際、勢い余ってフードが剥がれると、その長い耳と美しい顔が晒された。
「貴様っダークエルフ!待て。」
有り得ない状況に兵士がエフェメルを呼び止める。ダークエルフが国内をうろついているなど在ってはならない事だ。
すると馬車は停まり、操縦をしていたエフェメルが兵士に向かってにっこり笑った。
その顔立ちは美しく、兵士はドキッとしながらも邪な思案を浮かべる。そして手を伸ばせば届くほどにまで近づいた時、エフェメルが呟く様に言った。
「スリープメル…。」
その言葉は呪文だった。兵士二人に霧が立ち込めると、そのまま眠りに誘った。
それに抵抗することなく兵士は崩れるように倒れた。
「それでは行きますよ~。」
止める者がいなくなったことで馬車は再び走り出す。見張りである二人を抜けたことで、その後はすんなりと町の中まで進むことが出来た。
「それじゃ先に向かうよ。」
荷台からフル装備のリオンが呼びかける様に言うと、そのまま馬車後部から飛び出す。そしてそのまま走り出すと馬車を追い抜いて行った。
「このまま馬車を獣人のいる辺りまで近づけますよ~。そうしたらエイルさんは解放に向かって下さいな~。」
「わかったわ。」
エフェメルの声にエイルは返事して剣と盾を持つ。攻殻は限界時間があるため、よほどの場合のみ使用することにしている。
「ポォム君、絶対にシーニャちゃんから離れないで下さいね~。」
「うん!」
「ポォム君、よろしくおねがいするね。」
エフェメルの呼びかけに答えるポォム。その可愛い顔立ちは凛々しく、シーニャは微笑んだ。
そう話しているうちに馬車は停車を始める。場所は静まり返った住居の建ち並ぶ中。枯渇するたびにヒトが移り住んでいき、今では使われていない家屋がずらりと並んでいる。そこを北に向かう馬車。途中でいる兵士はすでにリオンによって吹き飛ばされている。そして採掘が行われている北側にやってくると、獣人たちが止まる宿舎の影に馬車を停めた。
一方でリオンは一気に採掘場へ雪崩れ込み、早くも兵士たち相手に戦いを始めていた。それによって兵士たちはリオンに注目し、獣人たちも動きを止める。
「ではシーニャちゃんとポォム君は宿舎に隠れていて下さいね~。」
今は誰もいないために宿舎に身を隠すシーニャとポォム。そしてエフェメルとエイルは見合って頷き合うと採掘した鉱石をを運ぶ獣人たちに寄って行った。
エイルは直ぐ近くに居た獣人に駆け寄る。
「エ、エイル!」
リュナエクラムでいたイノシシの獣人だ。狩りに出たまま帰って来なくなり、やられたかと思っていただけに無事を知って嬉しくなる。
「無事だったのね、よかった。」
するとイノシシの獣人は暗い表情を見せた。
「まんまと罠に嵌ってこの様だ。とても無事とは言えないだろ。それよりどうしたんだ?」
そんな会話をしている間にエイルはしゃがみ込み、エフェメルに預かった土の精霊を彼の足に嵌っている枷に近づけた。すると土の精霊が枷に触れた途端にガチャリと音を立てて枷が外れた。
「なっ!」
「今からここを解放するの!枷を外すから手伝って。」
エイルがそう言うと、土の精霊に仲間を呼ぶようお願いした。それを聞いて土の精霊は地面に呼びかける仕草をした。それから間もなくして地面から土の精霊が数体顔を出した。
「この子を連れて行って枷を外してあげて。そして外れたヒトにも次々に外していてもらって。」
「わかった。」
イノシシの獣人は数体の精霊を掬いあげるとすぐ近くでいた仲間の下へ駆けて行った。そしてエイルもまた別の獣人の下へ向かい、枷を外すのだった。
エフェメルも同様に獣人たちの枷を外して行く。土の精霊は足が遅いため、移動は持って行ってあげる方が早い。そして解放した者たちに新たな土の精霊を召還して渡す。数千人もいる為、芋づる式に枷を外さなければ手間がかかって仕方ないのだ。
「それにしても、思った以上に時間が掛かりそうですね~。」
エフェメルは周囲の地形を見ながら思った。作業場の面積が数百mにわたって開けており、採掘の穴の中にも多くのヒトがいると思われる。建物は密集しているが、一度離れてからもう一度来るのは時間が掛かると思った。
「ですが仕方ありませんね~。ある程度まで介抱しなければあの子の警護も外れてくれそうにありませんから~。」
エフェメルは枷を外しながら採掘場へと向かうのだった。
そんなエフェメルの行動を見ていたシーニャとポォム。建物の中にいる為に安心しているが、何が起こるか分からない。だからこそ二人は互いに周囲を見張っていた。
「ここに居たら大丈夫だよね…。」
荒事に慣れていないシーニャは不安そうに周囲を見回す。その肩に乗ったポォムは周囲を魔力で探知していた。
「うん、周囲に兵士はいないみたいだよ。」
それ御聞いて少し安心するシーニャ。そして建物内を見渡すと、その余りにも酷い環境に怒りがわく。
汚れた床、そこに無造作に剥ぎ落されたままの布切れが散らばる。床の上で眠り、布きれは寒さしのぎの為であろう。体の体温を調節し辛い種族の者に与えられた物だろうが、汚れていてしかも薄い。
床の上には小石や砂、そして血痕も染み込み、不衛生極まりない状況だ。
そんな大部屋が建物内一面に広がっている。
「酷い環境…。これじゃ病気になっちゃうよ…。」
シーニャが小さく呟く。するとポォムが何かに気付いたように言った。
「あれ?」
「どうしたの?」
ポォムは建物の奥に目を向けて首をかしげる。
「あっちに強い魔力を感じるんだよ。ん~、魔力だけじゃないね、霊力なんかもかなりだ。」
それを聞いてシーニャは地脈の事だと察した。
「地脈じゃないの?」
するとポォムはハッとして顔を向けた。
「シーニャ姉ちゃん、あの子だよ!エルフの子だよ。」
「え?」
「ちゃんとヒトの姿が分かるもん。子どもの姿だよ。地脈は色々混じっててワケわかんない感じなんだけど、この子の魔力と霊力は凄いよ。」
興奮気味のポォムに対し、シーニャは考える。その子を救いに行くのはエフェメルの役目だ。だから自分たちは下手に行くと危険を呼びこんでしまうことは明白だ。
だけどシーニャは思う。場合によっては助けに行った方が早く作戦が進むのではないかと…。こうした実践に慣れていないシーニャは、場所が分かっているなら助けに行く方が良いんじゃないかと思ってしまうのだった。
「多分見張のヒトいっぱいだと思うけど…。」
「大丈夫。そこも注意しながら行けるよ。」
「どうやって?建物が違うでしょ?」
そう尋ねるとポォムはニヤッと笑みを浮かべ手のひらを上に向けた。するとそこに土の精霊が現れた。
「僕だってコロプクルだからね、土の精霊はお話しできるんだよ。だからこの子に頼んで地面を掘って貰おう。」
「なるほど、それなら見つからずに行けそうだね!」
互いに意気投合した二人は早速部屋の奥へ向かう。
「この下だね。」
足下を見る二人。そして一度互いに顔を向ける。
「それじゃ危なくなったらすぐに逃げる。これは絶対ね。」
「うん。だけどできるだけ助けてあげようね、シーニャねぇちゃん。」
シーニャも助けたい気持ちが強く、大きく頷いて答えた。
「それじゃ土の精霊、この下に向かって穴を掘って。」
そう言うと、頷いてからポォムの手のひらから飛び降りる土の精霊。
「あ、真下じゃなくて歩けるようにっ!キャァ―――――――。」
シーニャの願いは悲鳴と化し、土の精霊の開けた穴に吸い込まれるように落ちて行ったのだった。
「ん?」
ふと悲鳴が聞こえたことに辺りを見回すリオン。場は戦いの最中、突如姿を現したリオンを兵士たちが取り囲んでいる。リュナエクラムでライルビー将軍が討たれたことは、既にラビューズ国の軍部全てに知らされており、その相手であるリオンについても情報は回っていた。
蒼銀の鎧に巨大なランスと盾を持つ小柄な戦士。だからこそ、その戦士が平然とその場に姿を見せた時は誰もが驚き、そして兵士たちは直ちに武装して取り囲んだのだった。
ライルビーは武人として兵士たちの憧れであった。面倒見良く、剣の使い手であったそんなライルビーを倒したリオンを憎む者は多い一方、自分たちでは敵わないと感じていた。だから取り囲んではいるものの、そこから動けなくなっている兵士たちだった。
「どうしたの、かかってこないの?」
リオンはぶっきら棒に尋ねた。そのあまりの幼い声に兵士たちは動揺し、周囲の者と視線を投げかけ合うだけだった。
そのうち兵士の中から他者より良い装備の男が現れた。その表情は険しく、リオンを睨みつけていた。
その顔にリオンは少し考えて、リュナエクラムで少し言葉を交わした男だと思い出した。
「あ、あの時の。」
「貴様っ!ようやく来たな。」
リオンの言葉を遮って叫ぶライルビーの副官だった男。ライルビーの件を報告した後、前国王たるラビューズ・ディム・セルフィンにその失態の責任を負わされて降格し、このベデラードの警備隊長として異動された。
部隊を指揮する幹部から地方の警備隊長に降格した場合、それは明らかに左遷と取れる訳だが、彼の場合自らが望んでこの地に来たのである。それはもちろん、亡きライルビーの仇を討つため。
実際彼は有能で、リュナエクラムの情報を聞きに来たモラードが別の部隊へ配属させようと持ちかけたほどだった。しかし彼は必ず獣人たち解放にリオンがやってくると踏んで、この降格処分を甘んじて受けたのだ。その上でこの地に来れるよう願いさえしたのだった。
「あの時は将軍の最期の言葉に準じて退いたが、ようやく貴様と戦う機会を得た。今日こそ仇を討たせて貰おう。」
そう言うと腰の剣を抜いて正眼に構えた。基本の構えだからこそ、その姿勢の良さに今まで努力してきたことが伺えた。
そんな元副官が構えると、その背後に数名の兵士がやって来て、それぞれも剣を抜いて構える。彼らもまたライルビーに教えを受けて来た者たちであった。
「わかったよ。相手してあげる。」
リオンは盾を前に構え、腰を下ろした。その巨大なランスを脇を締めて直に突けるように構える。将軍を思うその心意気に応えようとしたのだ。
元副官としては力の差があるのは十分承知だった。だから相手にされるなどとは思っていなかったのだが、きちんとこちらの意思を汲んでくれた姿勢に驚きを覚えると同時に、感謝をした。
「感謝する。…ライルビー将軍の仇、ここで討たせて貰う!参るぞっ。」
はっきりとした大きな声で意思を表示すると、元副官と数名の兵士たちは共にリオンへと向かって駆け出したのだった。
牢屋の中で少女が目を覚ますと、いつもそこにいるはずのヒト達の姿がなかった。代わりにすぐ横に見知らぬヒトが座り込んでいた。紺の長い髪をした白い服のヒト。その肩には小さなヒトが乗っていた。
それを見て状態を起こし、不思議そうに観察する。すると白い服のヒトはゆっくりと立ち上がってお尻を擦っている。
「あいたたた、も~。いきなり落下なんてさせないでよ。何とか落下速度はゆっくりだったけど…。」
少し怒っているような口調だ。それに対して肩の小さなヒトは、
「ホントは浮遊で浮かぶはずなんだけどな~?シーニャねぇちゃんが重かったのかな。」
「何ですって!?」
小さなヒトが言った途端、白い服のヒトが鋭い視線を向けた。それによって小さなヒトが慌てて口を両手で塞いだ。
真下に落ちる際、ポォムは浮遊の魔法をかけたのだった。しかしそれはパァムが得意とする魔法であり、ポォムは魔力の制御が大雑把なために浮遊でなく落下減速の効果しか生まれなかった。だがそれによって着地に失敗したシーニャが尻もちをついただけに納まった訳でもあった。
やがて突然の訪問者二人は揃って目の前にいる少女に気付く。クリクリとした瞳に小麦色の長い髪の小柄な少女。その子が探していたエルフの子だとは、中途半端に尖った耳が証明していた。ポォムよりは高い身長だが、痩せた体は従来のエルフよりかなり細く見える。
「あ、見つけた。」
ポォムはそう言うとシーニャの方からベッドの端に飛び降りた。それに少女はビクッと反応する。そんな少女にお構いなくポォムは手を差し出して語りかける。
「君を助けに来たんだ。一緒に帰ろう。」
しかし知らないヒトが近寄ってきたら当然警戒するモノだ。少女はベッドの端に後ずさって逃げる。
それを追おうとポォムが更に詰め寄りかけたが、シーニャがそれを止めた。
「待ってポォム君。」
そう言われて動きを止めるポォム。
「いきなり来てそう言っても恐がられるだけだよ。幸い他に誰もいないから、ポォム君は周りを見張ってて。」
「だけど…」
「お願い。」
言いよどんだポォムだが、強く諭されてポォムは周囲に注意を払うようにした。そしてシーニャはベッドの横にゆっくりと寄ると、少女に声をかける。
「こんにちは。いきなり驚かせちゃってごめんね。
私はシーニャって言います。お名前、聞かせてくれるかな?」
笑顔で尋ねる。少女はまだ少し緊張した様子だが、シーニャの笑顔にコクコクと頷いた後、質問に対して首を傾かせた。
「えっと、何て呼ばれてるのかな?聞かせてくれる?」
優しく柔らかいシーニャの問いかけ。自分をいつもここにいるヒト達が呼ぶのを思い出して答える。
「おいっ…?これ?」
そう少女は名前がないのだ。そして少女に接する者は皆物扱いで声をかける。
それを聞いてシーニャの目が大きく開き驚きを見せた。ポォムに至っては驚きの後で怒りを見せる。
何か悪い事をしたのかと少女はビクッと身を震わせたが、シーニャは直ぐにポォムを制して笑顔を戻した。
「ポォム君!…そう、お名前がないのね。それじゃ、ちょっとお話させて貰うわね。
私たちは、あなたを探しに来ました。」
それを聞いて不思議そうにする少女。言葉は理解していると感じ、シーニャはゆっくりと優しく話しを続ける。
「あなたを探してるヒトがいて、それであなたを迎えに来たの。一緒に行かないかしら?」
あくまで問いかける。この少女を見れば、どんな酷い生活をさせられているかは容易く想像が出来た。だからポォムにしたらすぐにでも連れ出すことが一番だと思うが、それは少女の意思を無視する行いだ。だからシーニャは少女の気持ちに尋ねる。
「…どこ行くの?」
少女がたどたどしくも聞き返すと、シーニャはまたゆっくりと語りかける。
「ここからお外に出て、あなたのお母さんが住んでいた所に行きましょう。」
「おかあさん?」
「そうよ。」
「おかあさんて何?」
それを聞いて流石にシーニャの顔が崩れた。悲しげな顔をして両手で口を押える。そんな態度に少女はなにか悪い事をしちゃったかと思ったが、次の瞬間、その身を温もりが包み込んだ。
シーニャがたまらず少女を抱き締めたのだ。そしてその後ろ髪を優しく撫でる。
言葉はない。正しくは出せなかった。少女の体を抱きながら、守ってあげたいと思うしかできなかった。
これまで愛など感じずにただ過ごしてきたのだろうと思った。ヒトとして接することも叶わず、単にそこで生かされていただけ。何も知らないからこそそれで過ごせるのだが、それがヒトである訳がない。奴隷よりも酷い扱いをされてきたのだ。
シーニャはそう思うと涙が溢れ、抱きしめた少女の髪に涙が零れ落ちる。それを受けて少女は困惑していた。分からない事だらけでなぜこのヒトがこうしているかも分からずにいた。
だけど一つ感じ取れることがある。
(あったかい…)
少女にとって初めての感覚だった。いきなり捕まって驚いたが、頭を撫でられて気持ちが良かった。何より、その柔らかく温かな感じが居心地良かった。
そして泣いてるシーニャの頭を撫でた。そうしたら自分が気持ちいいから、シーニャが泣くのを止めさせるために行った。
その行動にようやく落ち着いたシーニャは胸の中にいる少女に顔を向ける。
「優しいんだね。ありがとうね。」
そう言って見せる笑顔。涙に濡れながらの笑顔。それはさっきまで夢の中で見た女性の笑顔と重なった。それに反応して少女の顔が驚きを見せた。
「ん?どうかしたのかな。」
その表情に尋ねるシーニャ。
「にてたの。」
「似てる?」
「ねてる時に出てくるヒト。そんなお顔してたの。」
シーニャは再び目頭が熱くなった。きっと、夢の中で少女の母親が見守っていたのだろうと思ったからだ。勝手な解釈だが、母親がこの子を思って自分たちをここまで導いたのだと信じたい。
だからシーニャはその少女をもう一度抱きしめながら言った。
「そっか…。きっとそのヒトはあなたがお外に出るのを願っているんだろうね。」
「でも、お外でたら死んじゃうって言われたの。」
それを聞いてシーニャは少女の体に目を通す。抱きしめたまま各部を触診し、改めて体を放して少女を見つめた。特に異常を感じることはない。
「ポォム君、この子に結界は張れる?」
「うん、今もシーニャねぇちゃんにも張ってるよ。」
気付かなかったが周囲に薄い水色の幕が張られていた。これでよほどでなければ問題は無いだろうし、いざとなったら自分が対処するだけである。
「大丈夫。あなたは絶対に死なないよ。私がちゃんと守ってあげるから、お外に出てみましょう。」
実際少女は外に出ても何の問題も無く、単にこの場に居させるための方便であった。もしそうであっても、シーニャは自らの医者としての知識を総動員して少女を守るつもりでいた。そんな自信にあふれたシーニャの顔を少女は見つめる。
とてもあたたかいと思った。今まで感じたことのない感覚で気持ち良かった。こうして抱き締められると、何だか分からない感じがある。それは安らぎという感覚だった。生まれて間もない時は母親に抱かれていた少女。その頃に気付かずともその身に授かっていた感覚は忘れることは無い。だから少女はシーニャと一緒に行きたいと思った。
「一緒に行きたい…。」
「うん、一緒に行こうね!」
シーニャは今一度優しく微笑むと少女を抱き上げた。
「ポォム君、脱出しましょう。」
そう言いながら振り返ると、ポォムは背を向けて一人ぶつぶつ呟いていた。
「ちぇっ、せっかく僕が掬い出そうと思ったのに…。」
「ポォム君?」
「はーい、土の精霊よ、今度は上に行ける穴を掘って。」
ぶっきら棒な返事の後、ポォムは土の精霊に声をかける。だが、土の精霊は頭をフルフルと振るだけだ。
「どうしたの?…あぁ、そういうことか。」
「何があったの?」
「ねぇちゃん、この隣は地脈が通ってるみたいなんだ。だから穴を掘ると地脈に触れてしまうことになる。そうなると精霊もそうだし僕やねぇちゃんも地脈に呑みこまれて消えちゃうんだよ。」
「そんなっ!」
ポォムが結界を張っている理由はこの地脈に近いからであった。直接触れていなくとも様々なエネルギーが体に影響を与える。それを防ぐためにポォムの結界は無意識のまま張っていたのだ。
「それじゃここから出られないってこと?」
シーニャが尋ねると、その返事は違う方向から訪れた。
「ぶっふっふぅ、おかしな事が起きていると思えば、やはりこういう事でしたか。でも、自ら牢の中とは笑い話ですなぁ。」
その声に二人は視線を向ける。するとそこには兵士を連れた一人の男がいた。低身長で腹が出た男。しかし服装は質の良い生地で作った服に様々な装飾を付けて着飾っている。似合うかどうかは別としてかなり高価な身なりをしていた。
「ぶっほぉ~、これはこれはなかなか。それに、珍しい種族の子どもを連れている。これは楽しめそうだわい。」
シーニャを舐める様に見てからポォムを見て喜ぶ。
「あなたがこの子をここに閉じ込めたのかしら?」
シーニャは厳しい視線でその男に問う。すると男はニヤリと笑みを浮かべ、
「閉じ込める?違いますなぁ、私はその子を保護していたのですよ。」
「よく言うわよ。さっきあなた牢って言ったじゃない。ましてやこんな厳重な鉄格子のなかに居させて、この身形なんかもそう。栄養だって十分取れてないのは明らか。これは保護なんかじゃなく監禁だわ。」
「うるさい盗人ですなぁ。よくもまぁヒトを攫いに来て偉そうに言えるものだ。しかしまぁ、どこから入ったか知らんが自ら出て行く事の出来ん場所に入るとは、ぶっふっふっふっふ。」
太っている為か、おかしい笑い方をしている。その笑い方などからして、その人間性が醜いと判断できた。
「ついでに尋ねるけど、この子をここに居させて何をさせてたわけ?」
「そんな事言う訳がって言いたいとこですが、これからしっかり働いて貰うために教えてあげましょう。
地脈はご存知かな?様々なエネルギーを無限に作り出す素晴らしい場所だ。その膨大なエネルギーを様々な用途で活用しているのですよ。そのエネルギーを抽出するのは困難なのですが、その子はそれを難なく取りだせる稀有な存在。だからこそ我らはその子を大事に大事にここに居させたわけなのですよ、ぶっふっふっふ。」
それを聞いて驚きはあるが、シーニャは変わらず厳しい視線を送った。
「つまりあなたはこの子を自分の利益に利用したって事ね。」
「人聞きの悪い事を。わしはその子に生活する場を与え、代わりに労働して貰った。ただそれだけの事だ。」
「こんな幼い子を働かせてよく言うわね。」
「幼い…。しかし実際は20年くらいここで生活しているのだ。種族性の為幼く見えるだけで20年にも経てば十分大人だ。」
「それはあなたの価値観でしょう!親の愛も知らずに20年もこんな場所で閉じ込められたら、成長も何もあったものではないわ。」
ここで初めて男の顔が引き締まった。
「どうやらある程度の事情を知っているようだ。という事は、その子が混血という事も知っている訳か。」
その問いかけに反応を見せずに睨み続けるシーニャ。それを知っていると判断した男は続けて語る。
「ならばその子はその存在自体が罪という事も分かるだろう。エルフとヒトの間で起こった諍いにどれほどの命が奪われたか。それがその子が生まれたことに関すれば、これ位当然の報いではないか?」
男が問いかける様に言った途端、シーニャはより強く少女を抱き締めて叫ぶように言った。
「下らない事を言わないで!事件については聞いたけど、それにこの子は関係なんてない。逆にその事件で巻き込まれた被害者よ。自分たちの都合でこの子を利用するなんて、私は絶対に許さない!」
その怒りは男や兵士を怯ませるほどであった。若くも波乱な人生を送り、数多の命に触れ救ってきた医者であるシーニャだからこそ、相手を威圧するほどの迫力を身に付けていた。
「ぶぐぅぅ。小娘がぁ!この豪商『ピグネコ』様に偉そうにほざきおって。許さんぞ!」
このピグネコという男こそ、前回のリュナエクラム行軍で奴隷集めを前国王に進言した者であり、このベデラードのほとんどを取り仕切っている。商売に関しては非常に優秀で、王朝においても5本の指に入るほどの財産家でもある。
そんな男の下に少女がいる理由。実は少女の父親の叔父にあたる血縁者である。あの事件で赤ん坊であった少女は疎まれる存在であり、皆が殺そうとした所を父親の両親、つまり少女の祖父母が隠し育てていたのだ。
だがそれを知った祖父の弟であるピグネコは、密かに兄夫婦を密告して処刑させる。
そして幼い混血の少女を売り飛ばそうとした所、その力を知って現在に至った訳である。
そんな強欲な男であるがゆえに、シーニャの考えは気に入らないのだ。
「だがまぁ、貴様もそのままそこにいるしかあるまい。謝れば、ワシの愛玩として救ってやっても良いぞ。」
整った顔立ちや容姿を見ながら、舌舐めずりをするピグネコ。総毛立ちながら拒絶しようとするシーニャであったが、ここに来てようやく目の前に異様な気配が漂っていることに気付いた。
「ポ、ポォム君?」
そう、ポォムがその幼く可愛い顔に怒りを見せながら魔力を放出したのだ。その魔力の強さは周囲の壁などを凍らせていた。
「許さないぞ、罪無い子に自分の罪を着せて平気でいるなんて!僕がやっつけてやる。」
そう言うとポォムの両手が鉄格子の向こう側に向けられた。
「アイスブレス!」
そう叫ぶと猛烈な吹雪がポォムの両手から吹出し、向こうにいたピグネコや兵士たちに襲い掛かった。
氷雪の魔獣が吐く如何なる者も凍り付かせる氷の吐息。これを受けた対象はその体内の水分を全て凍り付けられ、やがて体全身を凍らされると言う必殺の魔法だ。
「ぐぎゃああぁぁ…」
悲鳴や叫び声が上がるが直にその声はピタリと止み、吹雪も収まる。そしてそこにはピグネコや兵士たちが彫刻の様に立っていた。ただ、怯えたり情けない表情や姿勢のままなので価値観は全く感じられない彫刻だ。
「ポォム君…。」
目の前で幼く可愛いポォムが人の命を奪った事にシーニャは少なからず動揺した。しかし、それがこの世界なのだと自らに言い聞かせそれを咎めるようなことはしない様にするシーニャだった。
「それで…どうしたらこうなったんですかねぇ~?」
呆れた様子でエフェメルが呟く。ようやく解放が進んで地下にやって来たのだが、そこで目にした状況に呆れるしかなかったのだ。
「えへへへへ、な、成行きで…。」
「成行きでじゃないですよ~。もぉ~、作戦ぶち壊しですねぇ。」
何とか次の段階に作戦が進んだと思ったら、目的のエルフの子の他にシーニャとポォムが一緒に牢の中でいたのだ。捕えられたのかとヒヤヒヤしたが、実際自分たちでここに落ちて来たと聞いて呆れる以外ないワケである。
「まぁ、無事だったから良かったですしぃ、その子も無事に保護できて良かったですよ~。」
土の精霊で牢を開けたエフェメル。そしてポォムと少女を抱いたシーニャが鉄格子をくぐり抜けて来た。
「うん、可愛い子ですね~。」
エフェメルがシーニャの胸に抱かれる少女に笑顔を向ける。少女はきょとんとしながら、じっと見つめるだけだ。
「ん~、なんか昔のシーニャちゃんと同じ対応されますね~。」
「む、昔って…。」
「ええ、会ったばかりの頃ですよ~。なるほど、そう言う事情ですかぁ。」
エフェメルは自分なりに少女の状況を悟り、下手に追及しないようにした。混血と言えどもエルフの血を引くのだ。まだまだ長い一生の中でゆっくり色んなことを学んで行けばいいと思う。
「それじゃぁ出ましょうか~。」
そう言って扉に向かう一行。ポォムはエフェメルの肩に乗り長い階段を登っていく。その間、少女は今まで見たことのない周囲を見回していた。
「もうすぐお外に出るからね。」
「お外?」
「そうだよ。眩しいだろうから、光をそのまま見ないように気を付けてね。」
ずっと灯りが点いた薄暗い部屋の中で暮らしていたのだ。太陽の光に目がやられないようにと注意をするシーニャ。
「青いお空も見えますねぇ~。」
エフェメルが先を進みながら言うと、続いてポォムが叫んだ。
「外はすっごい広くて大きいんだ。きっと驚くよ!」
そんな話をしながら階段を登り終えて、すぐ前に扉のノブに手をかけるエフェメル。
「それじゃ、待望のお外ですよ~。」
そう言って扉を開けた。すると眩しい位の光が少女に向けられる。思わずシーニャの胸に顔を伏せる少女。
「外は明るいからね。ゆっくり目を開いてみてね。」
シーニャが優しく囁くと、少女はゆっくり目を開けていく。そしてシーニャの顔を見上げた後、その顔の向こうに見える空の青さが瞳に映った。
「わあぁぁぁぁぁぁ!」
少女は口を開いてその広く青い空を眺めた。それから周囲を見回して行く。たくさんのヒトがいた。色んな耳や尻尾を持ったヒト達。その向こうはごつごつと堅そうな岩山が見えた。
「これがお外の世界だよ。ようやく出られたね。」
そう話した後、少女がきょろきょろと周囲を見回すのを見つめた。
その内、エイルがこちらにやって来た。
「あぁ、無事に救い出せたのね。」
嬉しそうに微笑むエイル。そしてエフェメルが状況を尋ねた。
「今はどれくらい進んでますか~?」
「もうほぼ終わってるわ。そしてリオンもさっき占拠し終えたところよ。」
「では一先ず作戦は成功ですね~。」
そう話しているうちにリオンがやって来た。
「お疲れさまリオン。」
「うん、おねえちゃん。あ、その子がそうなんだね。」
鎧のフェイス部分を開いて顔を覗かせたリオン。エルフの少女を見ると、少女はビクッと身を震わせてシーニャの胸に顔を伏せた。
少し残念がるリオンだが、シーニャが励ますように言った。
「鎧とか着たままだからね、それで怖がってるんだと思うよ。後でまたお話してあげてね。」
「そっか…うん、わかったよ。」
仕方なさそうに離れるリオン。そんな中で少女はリオンの気配に今も恐れを抱いていたのだった。
無事にベデラードを占拠して奴隷とされていた獣人たちを解放し、リオン達は南下を始める。解放した奴隷たちは5000名ほど。その内2000は西側に住む者たちでその場で別れた。残った3000名の者と共にランヴァステリー城へ辿り着いた時、そこに待っていたのはラビューズ軍だけでなく、グランデュシュテルン王朝全軍の精鋭からなる10万人もの大軍が立ちはだかった。




