亜人たちの強襲
【第1章】
光天歴980年。第2次亜人戦争から時間が過ぎたが、各地での亜人との戦闘は激化する一方だった。5大大陸のうちの一つ『オルハノコス大陸』は、世界で最初に作られた地上と言われている。また、ヒト系が産みだされた大地でもあり、他の大陸に比べヒトの数が多い。逆に言えば、他の人種はあまり見かけない。そしてヒトが多いために、各地で領地争いを起こしている。
「おい、またアルディエルとハイヴィルトンが始めたらしいぞ。」
酒場では戦争の話で持ちきりだった。夕方に賑わいを見せる宿屋兼酒場『川沿いの酔いどれ』屋。ここはオルハノコス大陸東部にある中立の町『リーブルサイド』。名の通り世界最長の川『メリアニック川』の畔にある町で、周囲にある王国のちょうど境界に存在している。この町は冒険者たちがよく立ち寄る場所で、冒険者に限らず傭兵や出稼ぎの商人などがいる。そしてこの酒場に来ては情報交換するおかげで、ここのマスターは情報収集に事欠かない。今の話だと、北の国と南の国が戦闘を始めたという事だ。
「全く、また東側が騒がしくなるのか?これじゃあオヨトコに行けやしねぇな。」
「ああ。向こうの町でも同じこと言ってるだろうよ。」
『オヨトコ』とは大陸東にある港町で、そこからでなければ東の大陸『ノルズウェッド』には行けない。この町からまっすぐ東に向かった位置にあるが、その途中が北と南の境界になるため、行商人としては戦場を横断することが出来ない。だからこの町で待つしか方法がないのだ。
すると違う席からまた新たな話が聞こえる。
「そりゃそうと、一昨日くらいに北の方で戦闘があったの知ってるか?」
マスターはその話を聞いてゴブリン討伐の話だと推測する。
「ああ、ゴブリンの集団がいたんだろ。それを討伐したって話じゃねぇのか?」
連れが酔った赤い顔のまま応える。どうやら予想通りだ。すると問いかけた方が勢いを殺さず前のめりになって言う。
「おう、それそれ。結構な数のゴブリンをたった一人で倒しちまったんだよ。」
一人でというのは初耳である。確かそのゴブリンは50匹いたはず。そう思っていると赤い顔の連れが馬鹿にしたように言う。
「そんな馬鹿な話あるかよ。ヒック…、ゴブリンが60匹はいたって聞いたぞ。幾らなんでもそりゃあガセだぜ。」
数が多すぎだと思いながらマスターはテーブルを拭く。すると、馬鹿にされたと感じた相手が強い口調で言った。
「イヤイヤ、冗談無しだ。俺自身見たんだから間違いねぇよ。見た事も無い巨大な槍で戦ってたぞ。」
「巨大な槍ねぇ~。」
その話にマスター自身、情報の修正を加えた。
実際戦闘があったことは何度も聞いた。遠見の兵からの情報もあり、ゴブリンに関しては50匹前後くらいで、やたら派手な戦闘だったのと、戦闘が僅かな時間だったことだけは確からしい。そこに直接見た者の言葉とくれば、真実味が格段に増す。
遠見の兵とは、この町の高所から辺りを警護するためにいる兵士の事だ。当然、望遠筒を持っており、その様子を伺うことが出来るだろう。
マスターは少し興味が湧いた。幾ら弱いゴブリンとは言え数が数だ。普段は洞窟などの狭い場所でいる奴らが外に出て、広い場所で群がって来るとなれば当然背後などを警戒したりして困難な戦闘になる。それを僅かな時間で全て討伐したとなれば、なかなかの手練れと想像できる。ぜひ一度見てみたいと思った。
その時だ。俄かに店前が騒がしくなった。やがて入口の扉が開くと、警備兵が慌てた様子で入ってきた。
「大変だっ!ゴブリンどもがこっちに向かっている。数は200。戦える者は手伝ってくれ。」
途端に騒然となる店内。さっきまで和気あいあいとした空気は消え、酔っていた男も顔つきが変わった。その傍らで商人たちは震えていた。その商人たちにマスターが声をかける。
「お客人、心配いらないよ。この町は冒険者たちの町。その程度のゴブリンなら返り討ちに出来るさ。心配なら報酬として酒でも振る舞ってやってくれ。それを聴けばこいつらもやる気が出るさ。」
それなりの身なりを見て声をかけた。ここに宿泊してくれてる客で、それなりに良い部屋を使ってくれる。正直、こちらとしては防衛に参加した者たちには酒を振舞ってやるつもりだが、少しでも足しになってくれたら大助かりだ。だからこそ、相手の顔を伺いながらひと押しする。
「せっかくの荷物。ゴブリンに奪い取られては勿体無いでしょう。ここであいつらに酒代を出してやれば、ゴブリンたちを一網打尽にしてくれますよ。」
商人ゆえに売り物を確保することは最重要である。ここでゴブリンがいなくなれば、後々心配は減るということだ。慣れた商人ならもうひと押しかかるだろうが、今回初めての客で臆病な感じの商人だけに、あっさりとこちらの相談に乗ってきた。
「よし、お前たち、こちらの商人さんたちが酒を振舞って下さるらしいから、この方たちが安心できるようにやっつけてきてくれ!」
「うおおぉぉぉーっ!!」
マスターの声に皆が雄叫びをあげた。そして一目散に装備を整えに行くと、勢いよく店を飛び出して行った。
「おぉ、あの様子だったら心配ないな。お客人は安心して待っていれば良いですよ。」
それでも心配そうな商人たち。そんな様子を見ながら、マスターはこの後の酒代を気にしてほしいと思った。
リーブルサイドは少し開けた場所にあり、そのすぐ横をメリアニック川が流れている。その川が彼らのライフラインであり、向こう岸との間には橋をかけている。
その橋の向こう側から、異様な気配が近づいてきていた。既に橋を渡った所に警備兵たちが防御陣形を敷いている。高所の物見が向こうの森から出てきたのを発見し、およそながらに数は200を下らない。緑色の肌が、月明かりを受けてダークブルーに見える。体にはどこで手に入れたかわからない革の鎧をまとい、手には棍棒や手斧、盾などを装備していた。そして一様に甲高い唸り声を挙げている。
「防御陣形のままこの場を死守だ。直に応援が駆けつけるまで無茶はするなっ。いいな!」
「おうっ!」
警備兵長の声に兵たちが応える。2列横隊で、前列は全身を覆うほど大きいラージシールドを一斉に並べて構える。そして後列はシールドの隙間から攻撃するため、長めの槍を手にしている。ちょうど横隊は橋の幅いっぱいにあり、ここを抜かれたらそのまま町に入られてしまうだろう。そうした緊張感も含めて、兵たちは緑の侵略者を待つ。
「まだだぞ。充分引きつけてから突け。」
隊長の言葉に、生唾を飲み込む兵士もいる。何度か経験した兵士はこの瞬間を冷静に待ち構えるが、つい先日入隊したばかりの兵士は経験浅く、フルフルと震えている。だが、それを助けてやれる余裕は無い。何度経験しても怖いモノは怖いのだ。その感情はどうしても消せない。否、ヒトであるならば消すわけにはいかない。それは生存する意思がそうさせているのだから。
だからこそ、それを経験で抑えていく。だが、見捨てるわけではない。そうした新人を援護するのも経験者の務めだ。だから言う。
「何があっても盾を構えていろ。その盾を構え続ける限りにやられることはない。」
ラージシールドはスッポリとゴブリンの姿を隠す。そしてその盾がある限り、後列は攻撃に専念できる。盾の防御術もあるが、今はそれを意識するより、壁となって町を守ることが一番大切だ。出来ることをしっかりとやる。それだけを熟せば良いのだ。だからその新人も、震えながらも覚悟を決めて、盾をしっかりと構えた。
そして奴らは襲い掛かってきた。荒々しい雄叫びを上げ、手にある得物で盾を打ち付ける。
激しい金属音があがると、一斉に後列が槍を突く。革の鎧が防ごうとしても、鉄の穂先がその継ぎ目を貫く。それによっておぞましい悲鳴をあげながらゴブリンが倒れる。
だが再び新たなゴブリンが押し寄せる。今度は棍棒だ。叩きつける攻撃に盾を持つ手が痺れるが、それを離すわけにいかない。必死で掴み押し寄せる攻撃を防ぐ。
すると後方から雄叫びがあがった。視線は外せないが分かる。町に泊まっている冒険者や傭兵たちが来てくれたのだ。僅かの安心。だがそれが一瞬の隙に繋がる。
突然盾を引っ張られたのだ。ガクンと体勢が崩れた。と同時に隣との隙間が開き、そこから棍棒が振り下ろされた。
「バキッ!」
鈍い音。それに伴って激しい痛みと熱が込み上げてくる。盾を持つ左腕が骨折したのだ。痛みに唸り声を上げる。だが、
「盾を引け。痛くてもそこを抜かれたら命が無いぞ!」
厳しい声。だがその言葉は兵士の心を奮い起こした。
(命のやり取りで左手を骨折しただけだ。千切れたわけでないし、右手はまだ使える。ここを凌げば助かるはずだ。)
そう念仏を唱える様に呟いた兵士は右手で盾を引き付ける。そしてようやく隊列は戻り、後列の者がゴブリンを突き刺していく。
わずか数秒と言う時間も、戦闘においては十分な時間だ。長く感じられた間、左手の痛みを忘れて盾を構えた新人兵。そして遂に援軍が来た。
「よくやった!まかせとけっ!!」
勢いよく駆けてきた大柄な男がそう言うと、手にした長いグレートソード(両手持ち剣)をゴブリンに叩きつけた。また、やや小柄な軽装の男は両手に緑色のダガーを持ってゴブリンに飛び込んでいく。翡翠晶のダガーだ。高価な材質だが、その美しさと金額に見合うだけの硬度がある鉱石。その装備に劣らぬほどの双剣術で周囲のゴブリンを切り裂いていく。そして他の冒険者たちが後に続く。彼らは瞬く間にゴブリンたちを蹴散らしていく。
皆好き勝手に戦っていると思ったが、実は周囲を意識しながら戦っている。お互いの死角を補い、または連携をしながら瞬く間にゴブリンが倒されていく。
「よし、魔法いくぞぉーっ!」
掛け声に攻めていた者たちが後方へと退く。ゴブリンたちと間合いが出来た瞬間、地面からものすごい勢いで炎が上がった。破壊魔法『フレイムウォール』だ。吹き上がった炎は2メートルほどで、ゴブリンを炎が噴き上げる。また、焼かれて逃げるゴブリンもいる。そこに再び炎が上がり、一気にその数は減った。
「よし、総攻撃だっ!」
一人の戦士の声に再び前線が押しかかる。もうこうなればゴブリンも逃げ出すしかない。だが、一匹でも残れば後で数匹も連れてくるのが分かっているだけに、冒険者たちは全滅目的で追いかけた。
「大丈夫か?」
隊長の言葉で左腕を負傷した新人兵が振り返る。もう戦闘は終わろうとしていた。警備兵は武器を仕舞い、警戒を続ける。そんな中でのことだ。
「は、はい。すみません、ドジを踏んじゃいました。」
新人兵は左手を押さえながらしょぼくれる。だが、そんな頭を鷲掴んだ隊長は、ガシガシと手荒く撫でた。
「何を言っている。よくあそこで我慢したな。お前が我慢して耐えたからこそ戦線を維持できたんだ。良くやった。」
「・・・、はい。」
新人兵は一瞬何を言われたのか分からない表情を浮かべたが、次第に意味を理解し、俯いて返事した。その声は少しグズっていた。
「よし、お前は先に戻って手当てを受けろ。早めに処置した方が直りも早いだろう。これからもしっかり働いてもらうぞ。」
「…はいっ。」
目を赤くした新人兵は橋へと駆けて行く。そして隊長が見つめる前線では、最後のゴブリンが倒されたようだった。同時に歓声があがる。
「フゥ…、終わったか。」
安心し、周囲の者に警戒と撤退を指揮する。そんな安堵した時、橋の向こうで叫び声が上がった。
「隊長―っ!うわぁ!!」
さっきの新人兵の声。その声に隊長はおろか近くにいた兵士たちも一斉に橋を渡る。
80メートルほどの橋を渡る中、前方で戦闘を確認した。否、それは戦闘ではなく虐殺だった。
さっき帰らせた新人兵の姿が見える。だが、その体は宙に浮かんでいた。だらりとした身体。両腕を掴まれそのまま持ち上げられているのだ。
その下では20匹のゴブリンがいる。宙吊りの兵士に向かって下からゴブリンが槍で突き続ける。支給される鉄の鎧はすでにボロボロに砕かれ、至る所が血に塗れていた。
さっき帰らせたその兵士の嬉しそうな顔が脳裏をよぎる。ようやく目の前に辿り着いた兵士たちは怒りがこみ上げ剣を抜くが、そこで見た姿に足が竦む。
「クッ、何でこんな所に…。」
ゴブリン20匹なら問題は無い。だが、その新人兵の体を持ち上げる存在に、兵士たちは動けなくなった。後に続いて来た冒険者たちも同様だ。
体長は3メートル近く。広い肩幅に赤黒い肌のゴブリン。腰にだけ獣の皮を巻き、右腕一本で兵士の体を持ち上げている。
赤い巨漢。『バンデッドゴブリン』である。
知能はゴブリンより粗野で稚拙、しかし見ての通り大きな体躯に怪力の持ち主で、敵と見れば容赦がない。また皮膚は厚く硬いため、寒さを感じない。単に体の大きいゴブリンという印象であるが、実際はヒトから忌み嫌われている。それは・・・
「やめろぉーっ!」
隊長が叫ぶが、ヒトの言葉など理解しないバンデッドゴブリンはその本能に任せて、新人兵の左足を引き千切り、口に咥えて咀嚼を始める。
バンデッドゴブリンは暴食なのである。別名『ヒト食いゴブリン』とも呼ばれるほど食べることに飢えたゴブリンなのだ。
そんなバンデッドゴブリンが新兵の残った足に手を掛けた。そこで弓を持った冒険者がオーガーに向かって矢を放った。鋭い音を立てて一直線に新兵を掴む手に向かうが、その矢は固い皮膚によって突き刺さることなく地に落ちた。
続いて魔法使いが魔力の弾『マジックショット』を唱える。術者の目の前に3つの光る球が現れ、一斉に放たれた。
だが、バンデッドゴブリンはそれらを左手で叩きつける。魔法は術者の能力によって左右されるが、3つも球を作り出すのは上級者でなければ難しい。それを簡単に叩き落とせるのはバンデッドゴブリンの硬い皮膚と、野獣の如き反射神経だからこそ成し得ることだ。
「クッ、かくなるうえは…。」
遠距離攻撃が効かないことで、隊長は肉弾戦を覚悟した。正直、この鉄の剣で傷つけるのは難しいだろう。それ以前にやられる可能性もある。
だけどそれ以上にあの新人兵を放してやりたいと思う。
自分が行かせたせいでという負い目もある。
それに仲間をやられたという怒りもある。
そして何より、町の前にいるこのバンデッドゴブリンが、町中へ入ってしまう事で大惨事になる事が容易に考えられた。
町を守るための警備隊が守れないとなれば、それは不名誉な事であり、悔やんでも悔やみきれないだろう。ならば、万に一つの可能性で戦うしかない。そう覚悟を決めたのだった。
「このままでは町に被害が及んでしまう。いいか、私がデカいのを引き付ける。お前たちは他のゴブリンを倒してしまえ。」
反論する声。だが、誰もが守衛になることを望み得たのだ。ならば今出来ることを全うするだけだと、全員が構えた。
「仕方ねぇな。俺も隊長さんに付き合うぜ。この町無くなったら困るもんな。」
冒険者たちが共に戦ってくれると申し出てくれた。冒険者や傭兵だってバンデッドゴブリンとは滅多に戦うものではない。下手にやられる可能性があるため、冒険中なら避けて通る存在だからだ。
「申し訳ない。よろしく頼む。」
隊長が礼を述べると、そこにいる50人の戦士たちが戦闘態勢に入った。
「さ、行くぞ。」
隊長が剣を突き出そうとした時だった。
突然ゴブリン達の右手側から何かが物凄い速さで突っ込んで来た。そしてそのままゴブリン2・3匹を撥ねると、バンデッドゴブリンの左わき腹に衝突した。と同時にバンデッドゴブリンの身の毛もよだつ雄叫びが唸る。
突然の事に動きが止まった兵士たちは、飛び出してきた物に目を向けた。するとそこには小柄な見慣れぬ蒼銀の鎧を着たヒトの姿があった。体ほどあるラージシールドと、右手には巨大な手甲。その先は巨大なランスが繋がっており、そのランスがオーガーの脇腹に深く刺さっている。
「うおっ!やりやがった。」
その様子に冒険者の一人が呟く。だけど、デカブツ相手に踏み込み過ぎだ。ランスも深すぎて引けないだろう。あれでは掴んでくれと言ってる様なものだ。
危ないと思い今度こそ駆けだす。が、その蒼銀の戦士は次の行動に出る。
突き刺していたランスを右に薙いだのだ。するとバンデッドゴブリンの脇腹から背中側にかけてが引き裂かれ、再び悲痛な叫びが轟く。
見ればランスの形状が剣の形になっており、鋭い刃が輝いていた。更に戦士はそのランスで右腕を切り落とす。新人兵の体が地面に落ちると同時に、群がっていたゴブリンが一斉にその戦士に襲い掛かる。
しかし、その戦士は見計らったように体を捻りながらランスで薙ぎ払う。5匹がまとめて切り裂かれ、更に左手の盾を水平に突き出すと、その盾の先が鋭い刃の様になっており、盾に当たったゴブリンもまた真っ二つに切断された。
瞬く間にゴブリンが屠られた。そして続け様に残ったゴブリンが切り裂かれていく。その余りの攻撃力に残ったゴブリンたちが逃げ始めた。
だが、そこはこちらにいた冒険者たちが一匹残らず殲滅していく。
そして残されたバンデッドゴブリンは、切り裂かれた脇腹から臓器を撒き散らかしながらも、己を傷つけた戦士に襲いかかる。その残された左腕を盾で切り払うと、蒼銀の戦士は右手のランスを胸に突き立てた。ヒトと同じゴブリンも心臓のある部分。勝負あったかと思ったがそれで終わらなかった。
「エクスプロージョン!」
戦士が叫ぶとオーガーの体が内部から爆発した。飛び散る血肉。そしてその遺体は少しの時間が経つと、ゴブリンの死体共々黒い煙と化していった。
元々この世界の住人でなかった亜人種は、死ぬとこの世界にはいられないようで、一様にその体は黒い煙を放ち始める。そして数秒後にはいた存在すら感じられない状態になるのだ。
そしてそこには、憐れな新米兵の遺体だけが残された。
無事に危機を逃れたリーブルサイドの町であるが、一人の新米兵が殉職したために黙祷を捧げていた。
この町の出身で、母親と弟・妹がいる四人家族だった。変わり果てた息子の姿に母親は嘆き、弟妹は涙するしかなかった。その傍らで、隊長や同僚数名が最後の報告に訪れていた。
片や、酒場では冒険者たちに酒が振るわられたが、地元の兵が亡くなったあとでは騒ぐ気にはならなかった。特に目の前でヒトが食されたことに関しては、精神的なショックを受けた者は少なくなかった。陽気なはずの酒場が、静まり返っていた。
戻ってきた面々に対し商人たちは感謝したが、あまりに暗い様子に酒代をマスターに渡して部屋へと引き上げた。
「そうか。マグがやられちまったのか…。」
マスターがしみじみと言った。マグとは亡くなった兵士のことで、家族思いの良い男だった。お調子者な面もあったが、前の戦争で亡くなった父親の分まで頑張ろうと、兵士に入隊した矢先だ。後で顔を出しに行こうと決心し、カウンターに座る傭兵の男に話しかける。
「それはそうと、他に被害なくバンデッドをよく倒せたな。」
するとその傭兵はちらりと視線を向けて語る。
「ああ、行く前に話しがあっただろ。一人でゴブリンぶっ倒したって奴。そいつが一人でやっちまったよ。」
マスターが細い目を開く。
「ど、どんな奴だった?」
「子供だよ。ちっさい子供がデケぇランスとシールド持ってあって間にやっつけちまったんだ。」
更にマスターの目が開く。食い入るように見つめた先で、傭兵は首を振った。
「そりゃあ、俺たちだって初め見たときは疑ったさ。でもな、いきなり現れた時はデカブツにランスを突き立てやがったんだ。そのまま周囲のゴブリン数匹をまとめて真っ二つ。残りを俺たちが殺ってる間にデカブツが最後は爆発。見事な手際だったよ。」
「爆発って、魔法か何かか?」
すると奥のテーブルにいた魔法使いが答えた。
「詳細は分からないが、バンデッドゴブリンの体内からエクスプロージョンを掛けたらしい。詠唱の最後を叫んでいたし、マナが高まった気配があったからな。」
「とすれば、そいつは魔法剣士なのか?」
魔法使いの前に座っている戦士が尋ねる。それから段々とそのランス使いの少年のことで話が盛り上がっていった。
それから1時間も経たないうちに、店内はガランとなった。戦闘で疲れても飲み明かせるような猛者ばかりのはずが、やはり突然の戦闘や、同胞の死など精神的に堪えたのだと思う。
先ほどマグの家に行って挨拶をしてきたマスター。家族の悲しみに心が痛んだ。何とか家族を落ち着かせ、そして今はすっかり静まり返った店内でカウンターを拭きながら時間を潰す。
いつもなら誰かが飲んでいて時間潰しになるが、寂しいほどに今は静かであった。
すでに遅い時間なので雇っている女の子はいない。夜間の交代も後1時間近くはある。すでに大月も小月も姿を現している。今はサーリムという暑くなりかけた季節。もう暫くすれば麦酒が売れる季節だ。
そう色々と考えていた時だ。入口が開く音がして目を向ける。
するとそこには160センチに満たない身長の姿があった。体を隠すほどの大きな荷物を背負い、本人は薄汚れた白のコートを羽織っている。その気配は異様で、今まで様々なヒトを見てきたマスター自身、圧倒されるオーラを放っていた。そしてその小柄なコートはカウンターまで歩いてくる。コートに付いたフードを深々とかぶっているため、その正体は判らない。
マスターは緊張しながら台座にある短剣に手をかけた。だが、カウンターまで来てそのフードがはらわれる。するとその顔立ちが幼い男の子であることが分かった。
ローティーンの顔立ち。だが、その顔には大きな傷がある。額から右頬にかけての裂傷痕に、左ほほの殺傷痕。幼い顔立ちゆえに痛々しい。だが、その瞳は力強い光を灯していた。そんな少年がマスターを見上げて口を開いた。
「あのぉ、部屋は空いてますか?」
想像通りの幼い声。既に声変わりは終えたのかもしれないが、まだまだ愛らしさを残していた。マスターはすぐには対応できなかったが、入口の方を見る。
「坊や一人かい?」
すると少年は首を縦に降る。
「うん。お金ならあります。」
そう言って懐からコインを1枚取り出した。それを見て更に驚く。銀で出来た100コイルコインだからだ。
この世界の通貨はコイルという単位で統一されており、最低1コイルでパンが買える。日用品も10コイル程度なので、一般のヒトは10コイルコインを利用している。だから、いきなり100コイルを見せられて驚くしかなかった。
「足りませんか?」
「いやいや、充分すぎるよ。うちは5コイルあれば部屋を案内してるけど、そこでいいかい?」
「うん。それと、何かご飯食べさせてくれませんか?」
そう言って少年はお腹をさする。ふと見れば空腹音が聞こえてきていた。
「よし、そこに座ってちょっと待ってな。うまいもん食わしてやるから。」
マスターは急いで厨房へと入っていった。
10分して残っていたパンと放牧獣ステーキプレートを持ってきた。それを少年の前に置くと、慌てた様子でそれらを食べ始めた。
「慌てなさんな。逃げたりしないから。」
そう言ってる傍から、少年が喉を詰まらせて咽る。
「ほら言わんこっちゃない。」
マスターは水を入れて渡す。少年はそれをゴクゴクと一気に飲み干し、ようやく落ち着きを取り戻した。
「はぁ~。ありがとうございます。」
そう言って、今度はゆっくりと食べ始めた。その間にマスターは釣りを用意する。
100コイルコインは滅多に使わないが、ちょうどさっき商人から受け取った分があったので、食事代も引いて92コイル返した。そしてそのまま横に置かれた荷物を見る。
大きなリュックに包まれているが、唯一ラージシールドだけはそのままリュックのフックに掛けていた。蒼銀で中央に青い水晶が埋まっている。それを見てふと何か聞いた気がするが思い出せず、とりあえず興味に駆られて会話してみた。
「坊や、大きい荷物だな。傭兵希望かい?」
咀嚼し、肉を飲み込んだところで少年は答える。
「違うよ。」
「じゃあ、トレジャーハントかい?」
「違うよ。僕は旅をしているんです。」
「へぇ~。」
そう返事すると再び肉にかじりつく少年。その姿は見た目通りに幼く感じる。では、さっき店に入ってきた時の気配は何だったのか?
「それにしても大きな荷物だな。扱えるのかい?」
「うん。さっきもゴブリンと戦ってきました。」
それを聞いてマスターは動きを止める。
(ゴブリン?そう言えば、倒したのはちっちゃい子供だといってたな)
「もしかしてさっきこの街の入口で戦ってたのかい?」
「うん。」
流石に一番の驚きだった。ちっちゃい子供とは聞いていたが、いくらなんでも幼すぎる。しかも凶悪なバンデッドゴブリンを容易く倒してしまった。
聞くだけでは信用できないが、その横にある装備品が全てを肯定しているようだった。
「んー、もう一度聞くけど、本当にバンデッドゴブリンを倒したのかい?」
念のためと思って尋ねたが、流石に少年が困ったような顔を向けた。
「もぉー、しつこいなぁ。その名前はわかんないけど、ゴブリンとデッカイ赤いのはちゃんとやっつけたよぉ。」
拗ねて言葉遣いもくだけた。そういう拗ねた顔に傷があっても可愛く思えるのは子供だからだろうか?流石にマスターも申し訳なく思った。
「すまない。坊やみたいな子供があんな大きいゴブリンと戦うなんて、想像できなくてね。」
すると少年はご飯を食べ尽くして元気に「ごちそうさまでした」と言った。そして、
「うん、そうだよね。僕じゃあ信用してもらえないよね。でも、ホントのことだからなぁ…。」
そして少年はあくびをした。ずいぶん遅い時間まで起きているのだから仕方ない。マスターは一先ず部屋に案内しようとした。が、
「そうだ坊や。宿帳にサインをお願いしなきゃいけないんだ。これにサインしておくれ。」
そう言って宿帳とペンとインクをカウンターに置いた。少年はお腹いっぱいになって少し眠そうにペンを走らせた。
「リオンか。よォしリオン。ようこそ宿屋『川沿いの酔いどれ』へ。ゆっくりしていっておくれ。お部屋に案内するよ。
そう言って荷物を持って行ってあげようとした。が、
「あ、おじさんダメだよ。危ない。」
「ははは、これでも俺は元戦士なんだ。少しくらいの重量装備なら持てるよ…っ!」
持ち上げようにも浮く気配すらない。何とかしようとするが、僅かながらも動こうとしなかった。するとリオンはマスターを制して荷物を軽々と背負ってしまった。
「これは僕じゃないと持てないんだ。だけど持ってってくれようとしてありがとうございます。」
屈託のない笑顔。マスターは苦笑を浮かべながらリオンを部屋へ案内するのだった。
貸してくれた部屋は広く、ベッドも大人二人がゆったり寝られるくらい大きかった。一先ず荷物をベッド脇に置く。そしてコートを脱ぐと机にそれらを置いた。そして首にかかるネックレスを手のひらですくう。青い水晶が輝く。それを見てリオンは急に寂しさが募り、鼻をすすった。
「…会いたいな。おねぇちゃん…。」
そして窓から空を見上げる。この空の下のどこかで、探し求める大好きなおねぇちゃんも見上げていることを願って。