変態(海魔との激闘)
時は遡り、イデアメルカートゥン城塞都市から北東の方向にある港町エンプリオ。
ここから定期便で様々な方面へと船が出ている。
港町としてかなり大きな町であり、先日は北にある集落から住人を迎え入れた所である。
難民保護となるが、幸いにもその集落のヒト達は牛や農業用品を携えており、西の空き地を与えることによって、自分たちで住居の整備を始めたのだった。
この時代、突然亜人や魔物に襲われて集落を失くす人は珍しくはない。大概の場合は、こちらが恵んでやって、ようやく仕事にも在り付いて行くのが一般だ。だから、受け入れ側としてはあまり好ましくはない。
だがこの者たちは、自分たちで生活を立て直す用意をしてきた。これによって、受け入れ側とて領地の拡大や生活供給や需要が高まるため、喜んで受け入れたのだった。
その港町からイデアメルカートゥン城塞都市へは、10日の航海で辿り着く。
エンプリオにて一緒に非難した集落のヒト達と別れたリオン達。
船を降りたらすぐ大都市になるので、特に買い物もせず、船に乗って城塞都市へと向かっていた。
だが、ここで大きな問題が発生していた。
「うぅえええぇぇぇ~。」
嘔吐する者がいた。その姿は少年で、顔に大きな傷がある。
乗船前は非常に明るくハツラツとした印象だったが、船が進むにつれ次第に顔色が変わり、3日目の今はご覧のように、甲板から海に向かって胃の中の物を吐しゃしている。
「大丈夫かニャ?」
ミムジアナがその背中をさする。そしてサーシェスは双子が海に落ちないように抱きしめ、心配そうにリオンを見つめていた。
体調の悪いリオンは食事もままならず、今も僅かな胃液のみが海へと撒かれる。そしてようやく落ち着いた状態になると、そのまま看板にべったり寝そべってしまった。
「ハァハァ、すみません。心配かけて…。」
謝るリオンに女性たちは首を振って心配を向ける。
一方で、近くにいたトーマスが珍しく呟くように言った。
「強くとも、海の上では形無しだな。」
「トーマスぅ!酷いこと言っちゃダメにゃ!」
すかさず注意を告げるミムジアナと非難の視線を送るサーシェス。しかしトーマスにはどこ吹く風だ。
「ホントすみません。…こうして船の上にいると、海に落ちたことを身体が思い出してしまうようで…うぇっ」
言葉の途中で嘔吐に近いゲップが出る。もう、彼のお腹に食物は入っていないのだ。
「にーちゃ、だいじょぶだいじょぶだいじょぶ~?」
「にーちゃ、がんばれがんばれがんばれ!」
パァムとポォムがそれぞれ心配と応援を送る。
「無理に甲板におらず、ゆっくり寝室で横になっていたほうが良いのでは?」
サーシェスがそう言って双子を近くの椅子に座らせた。そしてそのままミムジアナに双子を見てもらうようお願いして、リオンのために飲料水を取りに行く。念のため、トーマスがその後をついて行った。
船は帆船で、他にも数名の乗客がいる。
風を受けて進む他、無風の場合は船底部にいる力自慢の船乗りたちが一斉に舟を漕いで移動する。
そんな船上には一般客を収容する部屋が設けられており、船底部と客室の間に食堂やちょっとした道具雑貨を購入できる場所がある。
客室は雑魚寝になる大部屋と、5室ほどの個室があり、サーシェス達とミムジアナとで1部屋を借り受け、リオンとトーマスは大部屋にいた。
しかし、今はリオンの体調から船長に頼んで特別に一部屋借り受けたのだった。幸いにも空き部屋だったので問題なかったが、体調の悪いリオンを船長は随分と気にかけてくれていた。
サーシェスが水を持ってきてリオンに飲ませる。もうすでに脱水症状が表れているため、口の中を湿らせるようにしながらゆっくり水分補給をさせた。
「ありがとうございます…。何にせよ、あと7日辛抱すればお姉ちゃんに会えるんですから。
がんばります…。」
もうすぐシーニャに会えることを救いに、リオンの苦戦は続くのだった。
そんな船が向かう先で、海魔が右の巨大な触手を振るった。
海魔を中心に200m先までの建物が全て下敷きとなって崩れる。また、その衝撃波で周囲の建物にも被害が出た。
幸いにも人的被害は発生していないが、遠くから眺めるその地の住民たちは悲しみに暮れた。
海魔は上陸してすぐに、最終城壁である港と都市を隔てる防壁をいとも容易く破壊し、都市内部へと侵入してきた。
無数の本体底部にある触手を動かし進行する。その姿を例えたらカタツムリが移動しているように見える。だが、海魔自体はおぞましい姿である。故に恐怖しか感じられない。
そして城壁内まで入った海魔は、周囲を眺め、そこから数回大きな触手を先ほどのように振るう。
それはまるで、自分の進行先を整えるようである。そして200m先が更地と化すと再び進行し、またも触手を振るう。
こうした行動から、アルフェ―サーは問うた。
「スーヴェル君、どう思う?」
議事堂の最も高い場所にある物見の間にて、作戦会議室の数名が海魔の様子を伺っている。
若き事務職員スーヴェルはその問いに堂々と発言した。
「お気付きの通りかと思いますが、移動するにはできる限り平らな場所でなければ出来ないのでしょう。だからこそ、あの2つの触手で大地を耕し移動している。
理由として考えられるのは、あの移動のためにある無数の触手が痛みやすい為ではないかと思います。」
その意見に他の者から意見が出た。
「待ってくれ。それなら最初、あの触手によってたくさんの兵たちが吸い寄せられたはずだ。そのような働きをすると考えたら、傷みやすいとは思えない。」
その意見に、スーヴェルは頭を悩ます。意見を出したのは武官であったが、決してスーヴェルを馬鹿にしたのではなく、純粋な意見として発言したのだった。
「フム、傷みやすいかは分らないが、私はあの足の役割をしている触手が建物の上を移動できないのではないかと思う。」
アルフェ―サーが答える。
決してスーヴェルの肩を持ったわけでなく、そこから自分の意見を告げる。
「あれだけの質量のある海魔が陸地に上がるという事は、それだけ重力を底部に掛けていることだと推測できる。そして這うように進む海魔は、触手を持ち上げる縦の動きでなく、横に動かして漕いでいるように見える。つまりあの触手では建物の高さを超えられないのだと思う。
我々だとあれだけの巨体なのだから、踏み潰すか、呑み込んで行きそうだと考えるが、実際は触手が動かせぬなら移動もままならないという事。だからこそ、触手で這う事が出来るように更地にしているのではないか?」
それを聞いて、皆が納得して頷いた。
「だとしたら、あの足を攻撃したら進行できなくなるという事ですね。」
「ならば、あの大きな触手を避けて足元に集中攻撃を仕掛ければ?」
「馬鹿、近づく前にあの太い触手にやられちまうぞ。」
先ほどまで静かに黙っていた者達から意見が飛び交う。本来、こうして様々な意見をぶつけ合う事でより良い結論が導き出されるべきなのだ。
そして、若い者ほど変なシガラミなどなく自由に意見を出せる。そんな雰囲気をアルフェ―サーは好み、スーヴェルを使って作り上げた。
だが、スーヴェルはやはり才能を持っていると思える一言を発した。
「では、あの進行先に仕掛けを含ませるというのはどうでしょうか?」
その発言に皆の視線が集まる。
「仕掛けと言うと?」
「はい。だいたい大きい触手の範囲は200mほど。更地にして移動するため、次の移動まで時間があります。そして進行速度もそれほど早いとは思えません。なのでまだ辿り着かないうちに、こちらに来る進路上へ罠を仕掛けるんです。」
「罠だって?」
先の武官が問いかける。するとスーヴェルは何喰わぬように言った。
「えぇ、例えば油をまいて、海魔が上に乗った瞬間に炎上させるなどどうでしょうか?」
「馬鹿な、町を燃やす気か!」
城塞都市の中で火災を発生させる。その意見に周囲が非難の目を送った。突拍子も無いこうした意見を発するために、スーヴェルは周囲に認めて貰えないのだ。
だが、今は違う。そこには同じ思考を持つヒトがいるのだ。
「なるほど。行けるかもしれないな!よし、作戦を思いついた。指令室に戻るぞ。」
アルフェ―サーが急ぎ足で階下に向かう。
その様子に互いに顔を向け合う若者たちの中、スーヴェルはいち早くその後を追った。
海魔が進む。それに対して防衛を任ぜられた兵士たちは何もできずにただ眺めていた。
第1防壁でこちらの出せる限りの手段は全て出し尽くしていた。
大砲は効果なく、上手くいくかに見えた弩弓による銛の一斉射出。その他の魔法なども結局はいかほどの効果も与えられなかったのだ。
そして上陸してからは好き勝手に建物を壊し、ゆっくりではあるが進行していく。
都市に存在する高層の建物ほどもあるその巨体を脆弱なヒトの力で何ができるというのか…。
あまりにも開きすぎた力の差を前に、己の弱さに心を折られていた。
「いったい、どうなってしまうんだ俺たちは…。」
絶望のまま呟かれた嘆き。
そしてまた一歩進んだ海魔。順調に歩を進めている。
再び立ち止まると、長く大きな触手を振り上げた。
その時、それに向かって矢が放たれた。
見れば、馬に乗った戦士の一団が海魔に向かっていき、弓で海魔を攻撃していた。また別の方向からも、同じく馬に乗って攻撃をしている。
それなりに腕のある者たちなのだろう。馬上から的確に矢を放ち、きちんと海魔へ当てている。だが、小さな矢が幾ら当たったところで、海魔にダメージを与えているようには見えなかった。
しかし、諦めずに攻撃は続く。それによって海魔が動きを止め、馬に乗った戦士たちを攻撃対象に認識する。
左右の触手をそれぞれ馬たちに向けて振り下ろす。しかしその攻撃が来るのは明らかであったため、馬に乗った戦士たちはそれを大きく避ける。それによって直撃は免れたが、地面に振動が起こり、馬の速度が鈍った。
「まずいな!一旦距離をとるぞ。」
その号令に左右で展開していた戦士たちは海魔から距離を取り始める。
もちろん、退きながらも矢を射ることは忘れない。
その執拗な攻撃に海魔がイラつきを見せた。触手が先ほどまでと違ってものすごい速さで振るわれる。だが、その高さは馬に乗った兵士たちを潰せる程度の高さ。故に威力は先ほどまでより弱く、馬たちはスピードを維持して退避する。
やがて退避した馬たちは海魔の後方、つまり海側に回り込み、そこで各自が背後に載せていた木の箱を地面に落としていく。
「よし、引き上げるぞ!」
号令によって馬たちは散りじりに海の方へと逃げて行ったのだった。
「結局何しにきてたんだ?あいつら…。」
見ていた者たちから、落胆の声が上がる。一矢報いるかのように現れた騎兵の一団。
戦士たちが弓矢で海魔の注意を惹いて、そして背後に回ってから港の方へと逃げて行った。遠くからでは木の箱が下ろされたことなど気付きもしないため、住民たちは再び海魔の恐怖に震えた。
実際、この木箱は特に今効果を持っている訳ではない。今この行動の間に、町の中で作業が行われていたのだった。
何だったのかという疑問は海魔も同じで、背後に幾つかの木の箱が置かれている。だがそれは何か出てくるような気配もなく、只置かれているだけである。しかもすでに進行した後方であるため、今は捨ておいて問題ないと判断した。
逆に、うるさい馬たちを潰せなかったことが悔やまれるのだが、奴らの本拠地であるここを潰せば、気も晴れるだろうと思い至る。
そして再び都市の中心に建つ塔目掛けて進行を始めた。
触手を振り上げ、建物を叩き潰す。そして再び振り上げて、横に残る建物を潰す。下等なヒト共が生活する巣穴だ。巣穴を潰されるとどれほど辛く悔しいかを海魔は知っている。
このように海魔とはしっかりと知能を持つ生命体なのだ。そして悪魔によって産み出されたため、その行動原理は暴力である。
それまでは自由気ままに海を漂い、気まぐれで船を襲い、生物を食らっていた。たまに気に食わぬレッドドラゴンと争ったりするが、暇潰し程度の感覚で最後に海底へと退いてやり過ごしてきた。
だが今回は海魔の頭脳に明確な言葉が伝えられた。
(ヒトの都市を襲い、封印を解け!)
そう言われて、正直なところ面倒だと思いながらひとまず魚人たちをけしかけた。
だが、その封印の場所へは辿り着けぬまま、無駄に魚人がやられていく始末。
そこで海魔は都市を潰すことにしたのだ。邪魔なヒト共の巣穴を潰してしまえば、奴らは生き続けることが難しくなる。そして弱った奴らであれば、何の驚異もなく倒すことができると判断したのだ。
あのような小さく脆弱なやつらなど、幾らいようとも問題にならない。
そう考えての今回の進行である。
結果、奴らの壁などいとも簡単に崩し、こうして都市内まで攻め入っているのだ。
この調子でこの都市は壊滅できると確信する海魔。
再び海の猛威が城塞都市を蹂躙し始めた。
しかし海魔がどれほど強力で知的な生物であろうとも、この世界は未知で溢れている。
それはレッドドラゴンがヒトの児に可能性を見出したことからもわかる。
ヒトは確かに弱い生物である。
だがヒトには考える力があり、互いに助け協力し合う事で大きな事を起こすことができる。だからこそ、これだけ広い世界において最も数の多い種族として生活しているのだ。
そしてここでも、ヒトは協力し合い一矢報いるのである。
再び建物を潰して進む海魔。依然変わらぬ行動であるが、突如海魔は自らの底において今までと違う様子に気付いた。
相変わらず木や石でできた建物の残骸ばかりであるが、所々でぬるりとした液体が漂っている。
海で棲むだけに液体は馴染むはずが、そのぬめる液体は気分を害してくる。自重を底面にある触手で支えているため、その触手がぬめりで滑り移動に支障を来した。
「よし、動きが鈍ったぞ。今だ!」
アルフェ―サーが叫ぶと、その声を伝令係が伝える。
伝える相手は先ほどの馬に乗った戦士たちだ。彼らは戦士ギルドにて弓矢などに長けた者たちだ。
再び馬を走らせると、全員が弓矢をもって海魔の脇を駆ける。そしてその手にもった矢は炎を纏った火矢であり、皆が一斉に弓へ番えた。
「放てぇー!」
隊長が叫ぶと、皆が海魔の底にある触手へ向かって矢を放つ。放った者から反転して急ぎで海魔から距離をとって行った。
火矢は大きく弧を描き、海魔に当たる矢もあった。
それは海魔の皮膚に触れた途端消化されて、傷付けることなく弾かれる。
だが狙い通りに放った矢は、海魔の手前で地面に刺さる。
矢が刺さった地面。そこには黒い液体が溜まっており、その黒いぬめる液体は火を受けて一気に燃え上がる。
その溜まりは海魔の体の下へと続いていたため、炎は瞬く間に海魔の底面を紅蓮で囲んだ。
「QuKyaaaaaaaaaaaaaa」
甲高い鳴き声が響いた。それによって離れた住民たちは耳を塞ぐ。だけどアルフェ―サーたちは予め、耳を守る空気遮断の魔法によってその鳴き声を耐えた。
「さすが海魔だな。高音の空気遮断をしていても響いてくる。」
精霊魔法によって限定した音域の遮断を行うことができる。だけど、海魔の声は音波だけでなく脳波に届くため、多少なりのダメージを受けた訳である。
「炎の効果はあるな!続いて第2陣開始だ。」
アルフェ―サーが号令を発した。
そして伝わる先は壁の上。街中で区画を割る為にある隔壁。都市そのものを囲う防壁とは違って5m程度の高さしかないが、各壁の上には、港にあった弩弓や大砲と同じものが備わっている。号令を受けて海魔近くの大砲が火を噴く。
轟音が発せられて砲弾が飛ぶ。だが、今回の砲弾は少し違っていた。
本来鉄で作られた砲弾が、その先のみ鉛で作られている。
そして曲射された砲弾が海魔に着弾すると、その鉛部分が衝撃で裂けて中から黒い液体が飛び散る。
数発の砲弾によって海魔の体のほとんどを黒い液体が覆うと、今度は弩弓によって巨大な銛が放たれた。
この銛は先の第1防壁で使われたものと同じであるが、その先端に炎を纏っている。魔法使いたちによる炎の付与魔法だ。
そんな炎の銛が海魔に刺さり、その覆った黒い液体と触れる。
大量の燃える液体に魔法による高温の炎が加わり、銛が膨張して爆ぜた。それによって海魔の表面に爆発が起こり、海魔の体全体が炎に包まれた。
「Gyaaaaaaaaaaaaa」
海魔が叫び声をあげた。そして2本の長い触手で炎を払おうとするが、その触手自体に炎が燃え移って更にダメージを与える。
「ありったけの砲弾を撃ち込め!」
手を緩めさせないアルフェ―サー。ここで押し切らなければ後が無いと踏んでの指令だ。その命令に次々に砲弾が飛ぶ。
やがて砲弾が打ち尽くされ、炎が燃える液体を燃やしきった。
それから数時間…。
そこにあるのは黒ずんだ物体。もはや先ほどまでのおぞましさは無くなり、巨大な炭が置かれているようである。さすがに甲羅も黒く焦げ、熱量によって歪んでいた。
未だに燻ぶる黒い煙は立ち昇っているが、海魔が動く気配は感じられなかった。
「や、やったのか・・・?」
見ていた一人の男性が呟く。そしてその言葉の後も変わらぬ様子だった。
やがて住民の間から喜びと称賛の声が所々で上がり、それは都市全体に広がった。
嬉々として喜ぶ声。
作戦で危険を冒しながらも果敢に挑んだ者たちを褒め称える声。
そして亡くなった者を悲しむ声。
様々な声が笑い声や鳴き声入り混じって響いた。
もちろん作戦指令室でも歓喜の声で沸いた。若い武官や文官たちが肩を組み、喜びの言葉を掛け合っている。
そしてアルフェ―サーも、隣にいるニルベスと握手を交わす。
「よくやってくれたよ、アルフェ―サー殿。」
「いえ、今回は私より彼らのおかげで上手くいったものです。」
そう言いながら、反対隣りで固まったままのスーヴェルに視線を向ける。
「おぉ、そうであるな。今日ここで起こったことを歴史に刻もう。そしてその中に、君の名も書き記しておかなければならないな。」
歴史を書き残すことがニルベスの仕事であり、そこに名を残すという事がどれだけ名誉なことか。若輩でありながら、その名誉を受けるだけの素質を感じ、アルフェ―サーは声をかける。
「やったな、スーヴェル君。」
そう言ってその肩を叩く。だが、彼は反応を示さない。
てっきり緊張し過ぎたかと思ったが、次の瞬間、表情を引き締めた。
「どうした?」
スーヴェルはまだ、戦いが終わっていないという気配を纏っているのだ。それで何か心当たりがあるのかと問いかける。
「…これで本当に終わりでしょうか?」
「何?」
思わず短絡に問い返す。するとスーヴェルの鋭い視線がアルフェ―サーを射抜く。
「確かに効果のある攻撃で活動停止に追い込めました。
でも炎であれば、レッドドラゴンの方がより強力な攻撃を与えるでしょう。なのに海魔は今までずっとレッドドラゴンと戦い続けている…。
そして今、あれだけの自重がある物体が黒く焦げた状態なのに、あのまま倒れることなく立っていられるのはどういう事でしょうか?」
そう言って指差す。ここは議事堂の物見の間。作戦の状況を見るためにここを作戦司令室に変更したのだが、スーヴェルの指差す黒炭のようになった海魔は、未だにその黒い本体が小さくなることも、どこかで割れるという事も、また重さに耐えられず倒れるという事もない。
今もまだ、姿勢を保っている状態なのである。
「・・・まだ死んでいないという事か…!」
再び気を引き締める。そんな時だった。
突如、ミシミシという軋む音が起こり、辺り一帯に響いた。それによって歓喜に沸いていた住人たちが鳴りを潜める。
やがて黒く成り果てた海魔の甲羅に亀裂が入った。
同時に黒くなった本体の表面に無数のひびが入る。
そしてパラパラと黒い表面が削げ落ちていく。
また甲羅も亀裂が割れ、形を変えていく。
黒い表面が削げ落ちた後、そこに残ったのは淡い緑色の円錐形だった。
一方の甲羅はちょうど中心ともいえる場所が縦に割れて、中から同じ淡い緑色の物質が見えた。
やがて先頭だった円錐形が8つに先割れていく。そのままうねり、後ろの甲羅を持ち上げるように広がり、8本の長い触手となって甲羅を支える足となった。
同時に裂けた甲羅は左右に開くように広がり、まるで鎧のように本体を包む。その左右に太い2本の触手が腕のように現れ、その先は甲羅でできた蟹や海老のようなハサミと化していた。
そして頭部。細い触手が伸びていく。
その数はとてもでないが数えきれず、その頭部を覆うように垂れた。
よく見れば触手は蛇の頭のように目が光り、赤い舌をチロチロと出している。
程なくしてその変態が終わったのだろう。8本の足が動き、その本体が反転する。
そう、今まで背中を見せていたのだ。
振り向き終えたその姿。それはまるで長い髪の女性のようであった。
蛸を連想させる8本の足、甲殻類のハサミのような腕。
その背中は蟹のような甲羅を纏い、本体は淡い緑色をしたヒトの女性のような姿をしていた。
蛇のような触手の髪の下、その顔はあまりにも美しかった。
瞳を閉じているが、鼻高く唇は厚い。全体的に整った顔立ち。
そこから下部にはヒトの女性特有の柔らかで豊かな膨らみがある。
そのまま女性的な腹部の曲線を描き、8本の足へと繋がっている。
その姿に誰もが息を呑んだ。
先ほどまでのおぞましさが全く感じられず、ヒトではないが、神秘的で思わず祈りを捧げてしまいそうになる…そんな美しさを持っていた。
今、海魔は最終段階の変態を終えたのだった。




