遺された姉弟
【序章】
光天歴973年。惑星『エアルス』は世界規模で戦闘が起きていた。それまで平穏に暮らしていたその大地で、『亜人種』たちが一斉に動き出したのだ。
亜人と呼ばれる種族は己以外の人種に対して好戦的で、敵を見つけると直ちに戦闘を始める比較的粗野で残虐な性格をしている。
そのような生物が一斉に動き出したのには、確たる要因は無い。
ただし、誰もがこう思っている。彼らは邪なる存在である悪魔信者たちであり、その尖兵として亜人たちが行動しているのだと。
そしてその残虐的生物災害は、ある集落にも及んでいた。
それは突然の強襲だった。
見渡す砂浜一面を覆う緑色の大軍。小さな島々の中で一番大きな島にある『ペシャルカトル』という村へ、『ゴブリン』が小舟に乗って大挙として押し寄せてきたのだ。
亜人種の代表的な生物であるゴブリンは、150センチくらいの小柄な体で、緑色の肌をしている。大きくギョロッとした目に上向きの大きな鼻、横に広がった大きな口という醜悪な面構えをしており、動物の皮などでその身を包んでいる。
個体としてはすばしっこいが、決して一般の兵士が勝てない相手ではない。しかし、彼奴らを恐れる最もたる要因は、その数にある。
集団で活動することが旨のゴブリンたちは、一匹見つけたら必ずもう数匹は近くにいると考えるべきだ。1対複数という状況は、戦い慣れていなければ太刀打ちできないだろう。
そんな生物が漁師という一般人の集落に、大挙として攻め寄せて来たのだ。瞬く間に集落は阿鼻叫喚に包まれた。殺意に塗れた暴力。血飛沫が舞い、肉片が弾ける。そんな返り血を浴びながら得物を追うゴブリンの姿は、まさしく狂気そのものであった。
小さな島々の中では大きいこの島も、一日あれば外周を回りきることのできる程度の広さである。そこに暮らしていたのは50人前後のヒト科の者だった。
『アウロピネス』という人種で、世界では現在最も多い人種。他の純血種とは違い、混血種である彼らは戦闘に秀でていたり、機敏な動きや格別器用だという能力は無い。ましてや彼らは漁師である。
多少の抵抗は出来ても、自分たちよりも多くしかも相手を殺生することを厭わないゴブリンを相手に戦える者はいなかった。
「いいね。ここで隠れていなさい。」
床の板をめくったスペースに入れられた少年と少女。まだ5歳の少年は涙目で震えるが、14歳の少女は奥歯を噛みしめながら、少年を抱き締めて頷く。
そんな二人を隠すのは少女の父親で、その腰には古びれた剣と足下には使い慣れた銛を置いていた。
「大丈夫。二人はここで静かにしていなさい。そして何があっても出てきてはいけないよ。」
父親はそう言って板を挟もうとした。
「お父さんっ!」
堪らず呼びかける少女。少女は分かっている。父親がこれから何をするのかが。そしてこれが別れになるかもしれないという事も。
呼ばれて振り返った父親は一度優しく微笑み、奥歯を噛みしめて頷く。
それが別れの挨拶だった。
少女は涙を流し、板が塞がるまでその姿を見送った。
板の上に何かが置かれた。
真っ暗な空間。
少年は怖さで少女の服をぎゅっと掴む。何が起きているのかは分からない。
でも、身寄りのない自分を育ててくれたおじさんが、静かにしているように言った言いつけは守ろうと頑張った。
何より暗くても優しい姉のような少女が抱きしめてくれているのだ。それが少年にとって救いだった。
「我慢してね。今、悪い奴らが上にいるの。見つかったら酷い目にあうから、我慢しようね。」
ひそひそとした声で少女が言う。少年は少女の胸元にある頭を頷かせて返事した。その返事に少女は抱く少年の頭を撫でた。と、その時、凄まじいばかりの呻き声があがった。
身を強張らせる二人。声の主は分かった。少年は問う。
「今の…、おじさん?」
少女は返事が出来ない。分かっている。それが何を意味するのか。
でも、少女は答えなかった。否、答えられなかった。認めたくない事実が脳裏にある。母のいない自分にとって大事な肉親。そんな大事な人が…。
涙を流し、思わず叫びたくなる。
でも、今はそれをすべきではない。そうすればこの場所がばれてしまう。
狭い一軒家の隅にある小さな物置の地下。叫べば広間に聞こえるだろう。だから必死で耐えた。
少年を強く抱きながら。
その時、物置の戸を乱暴に開ける音がした。
ビクッと身を震わせる二人。それから足音が近づく。一緒に耳障りな声らしき音が聞こえる。
(入ってきた…)
少女は身を強張らせた。
すると、頭上で物置の荷物を蹴り散らかす様な音が聞こえ、周囲に物が落ちる大きな音が響いた。
激しい音に小さく唸る。でも、周囲の騒がしさにその音はかき消された。
(早く向こうに行って!)
少女は願う。だが、そこで少女は少年に気付いた。
少年が泣き出してしまったのだ。鼻を啜る音。そして、今にも大声を出しそうな気配。
少女は慌てて少年の口元に手を覆う。そして小声を立てた。
「我慢して。お願いだから。」
でも、少年の気配は変わらない。そして遂に少年が僅かな高い声を立ててしまった。
「ひっ!」
途端に耳障りな声が叫ぶ。その狂気に満ちた声に恐怖は高まった。でも、今は耐えなければならない。なのに少年の我慢は限界だった。
「お願いリオン。」
少女は少年に願う。だけど少年の口は開けられた。そして、
「んっ!」
少女は少年の唇に自分の唇を重ねた。思わぬ事に少年はビクッとなり、そのまま固まる。
口づけあったまま、二人は音が治まるまで待った。
そしてしばらく時間が過ぎた後、足音は消え、辺りは静かになる。
それから少女は唇を離した。
「お、おねぇちゃん…。」
小さな声が呼ぶ。少女は暗闇の中で微笑みながら囁く。
「おまじない。まだ、外にいっぱいいるから、もう少しだけ我慢してね。」
「…うん。」
そう囁き合い、二人は抱き締めあいながら時間が経つのを待った。
かなりの時間が過ぎた。
気の張り過ぎで、いつの間にか眠っていた二人は、ようやく遠くの騒ぎが聞こえなくなったので外に出る決心をした。
恐る恐る板を押し上げる。二人してそっと覗き見ると、周囲は乱雑に道具が散らばっていた。同時に生臭いにおいを感じる。少しずつ板をずらし、ようやく二人は真っ暗な地下倉から出た。
周囲は物置だが、何もかもが床にばらまかれた状態だった。そんな中を足元に気を付けながら戸口に向かい広間の様子を伺う。途端、少女が駆けだした。
「お父さんっ!」
暖炉の近くで、仰向けに倒れた父親の姿を発見した。手足を切られ、腹に幾つもの刃物が刺されている。勿論、すでに事切れていた。
「うわああぁぁ、ぅぅぅ・・・。」
二人はその傍らに蹲り、声を出して泣いた。我慢していただけに、その感情は爆発した。
もし、外にまだゴブリンがいたなら襲われただろう。だが、小さな集落を物色し尽くしたゴブリンたちは、奪えるモノは全て奪って姿を消していた。
それが救いだった二人はしばらく悲しみに暮れ、この後一月ほどをかけて村人たちを弔ったのだった。
村は酷い有様だった。虐殺の限りを尽くしたその惨状は、幼い二人に多大な衝撃を与えた。
でも、少女シーニャは心を強く持った。ずっと優しくしてくれた村の人々。それがこんな酷い最期を迎えて許せないと思う。せめて、自分たちの手でお墓を作ってあげようと、幼いリオンに言い聞かせながら作業に徹した。
もちろん、子供が見るべき状況では無い。あまりの無残さに二人して嘔吐もした。そして絶えず涙を流しながら、一人一人の思い出を浮かべながらお墓を作っていく。
まずは父親のお墓を作ることが出来た。そして次に隣の家のおじさんやおばさんを・・・。
墓標代わりに石を置いたり木の枝を立てる。二人の力では、死体を遠くに運べないために引き摺りながら家から出して地面に埋めた。
そんな中、シーニャの友達であるアミンや、他でも年頃の女の子たちの姿が見当たらない事に気付く。リオンには分からないだろうが、シーニャは長老から話を聞いて理解している。それは女性であれば必ず覚悟するべきことだから。
亜人種はヒトを忌み嫌っている事。故に力ない者は命を落とす訳であるが、そんな中でゴブリンは他種族間でも子供を産ませることが出来る。故に数が多いのだ。
年頃の女性たちは連れ去られた可能性が高い。だからこそ、女性はゴブリンに捕まった時、一生ゴブリンに子供を産まされ続けるか、自ら命を絶つかの二択しかない。それをまだ、リオンに教える訳にはいかなかった。
街中のヒト達を弔う二人は、日暮れには自分たちの家に戻る。
これから生き続けるには食べ物の問題があるのだが、各家の厨房には保存用として乾燥させた果実などが残っていたのでそれを食べた。そして二人で水浴みして共に一つのベッドで眠る。
傍らで眠るリオンを見ながら、シーニャは考える。
これからどうすれば良いのか?
幼いリオンとまだまだ未熟な自分でこの先を生きることが出来るだろうか?
そんな不安が少女の眠りを妨げる。
シーニャは頭のいい子である。色んなことを考えられるが、漁師の村だけに知識が乏しい。ましてや、船はあってもそれを操舵できる技術も知識も無かった。
それに世界地図など無いこの世界である。海の向こうに大陸があるなど夢にも思っていない。更に海へ行けば、ゴブリンに見つかってしまうという恐れを抱いていた。
(何とかしなくては)
責任感の強い少女はそう思いを巡らせながら、リオンの頭を撫でる。
可愛い寝息を立てながら眠る弟のような存在。血の繋がりは無くても自分にとっては掛替えの無い家族だ。自分一人だったら生きようとは思わなかっただろう。
「がんばろうね、リオン。」
そう言ってその柔らかい頬をツンツンと指で突いた。それを嫌がるように頬に手をやるリオン。でもそれ以上夢の世界からは出て来ることは無かった。そんな可愛い姿を静かに微笑みながら、シーツを掛け直して仰向けになった。
(絶対に負けない!命ある限り一生懸命生きるんだ)
生前父が言っていた言葉を思い出す。
「生きている限り、一生懸命頑張れば可能性は無限に広がる。それはきっとお前の未来を輝かしいモノにしてくれるはずだ」
その言葉を想う限りに父が近くで見守ってくれていると感じる。そんな気持ちが強張った緊張をほぐし、やがて少女はゆっくりと瞼を閉じていった。
『第2次亜人戦争』…この年に起こったゴブリンたちの襲来は、後の時代でそう歴史に刻まれた。世界各地を襲った亜人たちはこの後、各地の軍部によって鎮圧されるが、まる1年は掛かったために、被害は甚大なものとなった。
そもそも、ゴブリンはかつてこの世界にはいなかった。
光天暦670年に突如世界に現れ、その先々でヒトに害悪を招いている。今回が2回目となる世界を巻き込んだ戦闘。
以前は300年前の675年に起こった。ただ、この時は『ナハトイデアール大陸』という南の大陸に現れ、その後は小規模で各大陸に出現していた。
だからこそ今回、世界全土にて一斉に現れたこの大災害は、城壁に囲まれた大都市ならば侵入されることなく防げたが、ペシャルカトル同様の小さな集落などは壊滅的であった。特にこの漁師の村は、海に囲まれているためにゴブリンなどの対策をしていなかった。それはそれまでゴブリンなどという生物がいなかったからこそである。
そして亡くなったヒトの数は世界の総人口の3分の1を超え、潰された町や集落もかつて存在した数の半数を超えた。
ここはそんな理不尽な世界。様々な人種がいて、色んな動物が生息し、力無き者は死を与えられる弱肉強食の世界。故にヒトは文化を作り、生き抜く力を磨き続ける。
そんな世界に子供二人だけが、周囲から何百キロと離れた島に遺された。
決して彼らだけが悲劇ではない。
ある大陸では、旅の途中で襲われた商人たちもいたし、肉食獣の生息する地帯に逃げ込んでしまった者もいる。そうした二次災害などによって被害は甚大なモノとなったのだ。
予期せぬ大災害であるが、この出来事が序章である事を、ヒトはまだ知る由もなかった。