第二章 Vinushka B
→みまもる
私には、ただそれを見守っていることしか出来なかった。
お父様の体が跳ね、放たれた矢のように魔王を射貫く。闇色の刃が魔王の腹部を貫き、石畳の床を血に染めた。巨大な体躯が、ぐらりと傾く。膝をつき、息も絶え絶えの魔王だったが、その目だけは、強い光を宿していた。
「……そうか、己は、悪か……」
自嘲にも似た笑みで、そう呟く。お父様は何も言わず、ただじっと魔王の目を見ていた。
「……ならば、お前の娘は、その悪の血を持ってしか助からん……」
「……なに?」
「お前達の言う血の聖杯……それが、己の血だからだ」
お父様の顔に、驚愕の表情が浮かぶ。私にとっても予想外のことだった。まさか魔王自身が血の聖杯とは思わなかった。魔王は、さらに衝撃的な事実を述べた。
「……己達の種族は、繁殖期間が短い。そのためか、己達の血肉には……取り込んだものを同族に作り替える……作用がある。それを、どういう解釈か、人間達は聖杯と……呼んでいたようだが」
「作り替える、だと?」
「そうだ……肉体を作り替える過程で、多少の傷や病は治癒するだろう……だが、一度作り替えられたら、もう二度と元には戻れん……千年にわたる時を生きる、我が血族として生き続けるしかない……」
それはつまり、病の治癒と引き替えに、私は人間では無くなってしまうと言う事。そして、お父様を始め、普通の人達とは同じ時を生きることが出来なくなってしまうと言うこと。
お父様は、言葉を失っていた。魔王を倒すという大義は成されたけれど、血の聖杯を手に入れるという私欲には大きな代償が必要だった。その代償を払うのは、私たち二人。私は人間としての自分を失い、お父様は私との共存という未来を失う。
私は、少しだけ目を閉じて考えた。このままでは後数年しか生きられない病のこと。お父様と過ごしたこれまでの幸せな時間。そして……魔王のこと。
魔王の一族は、人間によって滅ぼされた。多分それは事実なんだと思う。そうでなければ、彼からあれほどの激情は生まれないだろう。魔王という役割を課さなければ耐えられぬ三百年の孤独に耐えて、彼は何を求めたのだろう。何を、望んだのだろう。
そして彼の姉は、彼に何を託したのだろう。
そこまで考えて、私は目を開いた。答えは、出ていた。後は、私の覚悟だけ。
私は魔王の前に膝をついた。何かを言おうとするお父様を制し、私は傷ついた魔王の右手を取った。
「魔王アルディアス。私を、あなたの血族に加えて下さい」
「……ッ!! 待ちなさい、フレイア!!」
「いえ、お父様。もう決めたことです」
お父様の制止の声を、私は退けた。魔王は冷たい目のまま、私の方を見据えている。
「……本当に、良いのだな」
「はい。このまま生きても、後数年しか生きられない私には何かを成せる自身がありません。それなら、千年の孤独に耐えることになろうとも、私はあなたの後を継いで成せることを成したい。例え……人間で無くなってしまっても」
「後を継ぐ……だと?」
魔王の言葉に、私はしっかりと頷いた。
「私が、次の魔王になります。そして、魔物と人間の、新たな関係を築いてみせます」
「……」
魔王は、それ以上何も言わなかった。それを承服と捉え、私は振り返り、お父様の方を見る。お父様は、呆然とした顔で私を見ていた。ややあって、険しい表情が顔を覗かせる。激しい反対に遭うかも知れない。どんな叱責を受けるかも知れない。けれど、私は決して意志を曲げるつもりは無かった。
しばらく、互いの視線が交差する。静かな時間が流れ、その先に、お父様が口を開いた。
「……それが、お前の望みなのだな、フレイア」
「はい。これが私の今やりたいことです」
淀みない私の答えを聞いて、お父様はほんの少しだけ表情を緩めた。そして私の元にやってくると、そっと頭を撫でてくれた。
それ以上何も言わなかったけれど、私にはお父様の気持ちが痛いほど伝わってきた。私は涙が流れそうになるのをぐっと堪えると、未練を断ち切るようにお父様から離れた。
魔王は、最早意識を保っていることも辛そうだった。それなのに相変わらず氷のように冷たい目で私を見ているのが、なんだか少しおかしかった。私は彼の体を支えるようにかがみ込むと、もう一度彼の右手を取った。冷たくなりつつある彼の手は、傷口から溢れ出た血に塗れている。私はその手をゆっくりと自分の口元へと運び、
──そっと、魔王の血を、舐めた。
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