第二章 Vinushka D
Flag B
「こうして、妾はもう一人の魔王となったのじゃ」
「なるほどな……」
俺は魔王フレイアに、玉座の下に隠された霊廟に招かれていた。そこには、先代の魔王・アルディアスの姉の亡骸が安置されているという。
長く続く廊下を、俺は魔王の思い出話を聞きながらゆっくりと歩いていた。
彼女の昔話からは、当時の彼女たちの様々な苦悩が垣間見れた。特に勇者王ロマノフの帰還は、当事者達に取ってみれば永遠の別れを意味する。そう考えると、彼女の今のある種楽観的な性格が、そう言った苦悩の反動ではないかと思えてくる。
先代の魔王はしばらくして城を去ったそうだが、彼女は去りゆく彼の背に『千年の孤独に耐えても融和を成し遂げる』、と決意を告げたそうだ。だが、人間にとってみれば一生を終えておつりの来るこの百年は、恐らく彼女にとって辛い年月だっただろう。そう思って彼女にそれとなく聞いてみたが、
「んう? いやー、意外に楽しかったぞ? 部下は皆忠実じゃし、よく城内で『種族対抗・脱走者捕縛ゲーム』をして遊んだものじゃ」
「え、なにそれ楽しそう」
という具合で、それほど苦でもなかったらしい。それでも、やはりロマノフ王のことを思い出すと、今でも辛いという。
「お父様の訃報を聞いたとき、妾はこの身を捨ててでも会いたいと思った。じゃが、妾はこうなることも覚悟して魔王となる道を選んだのじゃ。何より、その時にはもう、妾もこのエンドリオンにいる魔物達を支える王として確固たる礎を築いておった。妾一人の身ではなくなっておったからのぅ」
寂しげな表情を見せる彼女は、その時だけ年相応の少女に戻ったようだった。これまで魔王として、人間との共存を図るために尽力してきた彼女は、人並みの少女時代を送ることも出来ずここまでやってきた。それを思うと、自分のこれまでの経緯が、まるでちっぽけな物に見える。
思わずそう漏らすと、彼女はくすくすと笑って言った。
「ここに辿り着いた残りの九十九人は、皆己のことを相当尊大に評しておったぞ。お主だけじゃ、そんなに自分を卑下するのは」
「く……」
俺もそんな性格だったらどんなに楽だったことか。だが、魔王はひとしきり笑った後、やわらかな笑顔のまま俺の手を取って言った。
「じゃが、だからこそお主は妾を支えてくれようとしたのじゃろう? だから……妾はそんなお主で良かったと思う」
その笑顔でそんな台詞は卑怯だ、と思いながらも、俺は照れ隠しにいつの間にかたどり着いていた霊廟の扉を開いた。
ひやりとした感覚が、全身を覆った。部屋は全体に明るく、霊廟と言うには明るすぎる印象だった。立体魔方陣の鎮座する奇妙な燭台の列を通り抜けると、その先に祭壇が現れる。
そこに、思わぬ先客がいた。
「……アルディアス」
「先代の、魔王か」
左腕の無い長身の男が、祭壇に膝をついていた。俺の身長よりも一回り以上大きいその頭部には、後ろからでもはっきりと分かる雄々しい角が見て取れる。面識の無い俺にも一目で分かった。フレイアに血を分け与え、魔王の血族に加えた孤独の王。
祭壇には、彼の姉のものと思われる酷く破損した遺骸があった。腹から下だけが膝を折って座し、断面からは自らの墓標を表すかのように白い背骨が突き出している。
アルディアスはゆっくり立ち上がると、振り返りもせずに低い言葉を放った。
「求めたものは、見つかったのか」
魔王となったフレイアが求めたもの。魔物と人間の関係を変えるもの。
「うむ。見つかったぞ」
誇らしげに胸を張る彼女の手にしっかりと握られた、俺の手。果たして俺にそれだけの力があるかは分からないが、彼女の期待を今だけは裏切らぬよう、俺もその手をぐっと握り返した。
アルディアスは、ゆっくりと首だけを巡らしこちらを見た。美しい顔立ちの中で怖気を振るう闇色の瞳。その視線が一瞬俺を捉えたが、すぐに前に向き直る。そのまま祭壇に上ると、彼は姉の亡骸を抱えるように残った右腕に抱いた。そして。
「……楽しみにしている」
それだけを言うと、アルディアスは姉の遺骸ごと霧のように消え去った。まるで最初から存在しなかったかのように、痕跡一つ残さず消えた彼のことを、フレイアは寂しそうに、しかし満足そうに、見送っていた。
古い時代が一つの終わりを告げ、新しい時代が、ここから始まる。
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